ブラジル大統領ルーラ:「人間の顔」をした新自由主義(拡大するドル化、ワシントン合意への従属)
<記事原文 寺島先生推薦>
Brazil: Neoliberalism with a “Human Face”. Lula Presidency = Extended Dollarization, Subservient to the Washington Consensus
ウォール街の債権者の管理下にあるブラジルのマクロ経済政策
筆者:ミシェル・チョスドフスキー (Prof Michel Chossudovsky)
出典:Global Research 2024年10月26日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年11月20日
はじめに
ルーラが最初にブラジルの大統領として権力の座に就いたのは2003年1月。20年以上前のことだ。
2023年1月にルーラ労働者党政権が再び政権に就いたが、どのような結果が予想されるか。
西欧だけでなく西半球全体で、左翼は根本的な意味合いを検討することなくルーラ大統領を支持してきた。2023年のルーラ政権成立は、米国帝国主義に対する勝利、と深く考えることもなく一括りにされている。
カザンBRICS+サミットでの最近の動きでは、間違いなくワシントンの指示で、ルーラはベネズエラのBRICS加盟に拒否権を行使した。
左翼としてのエチケット
「進歩的」や「左派」というレッテルが貼られている一方で、主要な閣僚の任命はすでにワシントン・コンセンサス*によって承認されていた。事実上、それは「左派的な特徴を持つ中道右派政権」である。
ワシントン・コンセンサス*・・・Washington Consensus。国際経済研究所の研究員で国際経済学者のジョン・ウィリアムソン(英語版)が、1989年に発表した論文の中で定式化した経済用語である。この用語は元来、1980年代を通じて先進国の金融機関と国際通貨基金(IMF)、世界銀行(世銀)を動揺させた開発途上国の累積債務問題との取り組みにおいて、ウィリアムソン曰く「最大公約数」とする、以下の10項目の政策を抽出し、列記したものであった。
1.財政赤字の是正
2.補助金カットなど政府支出の削減
3.税制改革
4.金利の自由化
5.競争力ある為替レート
6.貿易の自由化
7.直接投資の受け入れ促進
8.公営企業の民営化
9.規制緩和
10.所有権法の確立
(ウィキペディア)
この点において、2002年の選挙に先立つ当初から、ブラジルの労働者党(PT)指導部がワシントンとウォールストリートにいかに取り込まれていたか、を振り返ることは重要である。
2003年1月、ポルトアレグレで開催された世界社会フォーラム(WSF)に集まった「左派」は、ルーラの労働者党(PT)がウォール街とIMFの要求を受け入れたことを認めないまま、ルイス・イナシオ・ダ・シルヴァ[訳注:「ルーラ」が俗称]の就任を新自由主義に対する勝利として称賛した。(参考までに、2001年に設立された「進歩的」な世界社会フォーラム(WSF)は、CIAと歴史的なつながりを持つフォード財団から資金援助を受けてきた)
IMF専務理事の言葉 (2003年4月)
「IMFはルーラ大統領とその経済チームの意見に耳を傾ける」
しかし、そのチームは、ブラジルの外部債権者を含む米国企業資本の利益のために任命されたものだった。2002年8月、ルーラ政権閣僚の構成はすでにワシントン・コンセンサスで承認されていた。
ルーラは、著名なウォール街の銀行家をブラジル中央銀行の頭取に選んだ。すなわち、米国の銀行カルテルのためにドル化されたトロイの木馬として行動するためである。フリートボストン (シティグループに次ぐブラジル第2の対外債権者) の前社長兼CEOであるエンリケ・デ・カンポス・メイレレスは、ブラジル中央銀行の総裁に正式に選ばれた。代わりに、国営投資銀行ブラジル銀行はシティグループに引き渡されていた。
国家の財政および金融政策は、ウォール街、IMF-世界銀行、米国連邦準備制度の手に委ねられていた。2002年8月、ブラジルの選挙運動が最高潮に達したとき:
国際通貨基金は、ブラジルに対する投資家の信頼回復を目的とした300億ドルの救済策を提供することに合意した、・・・この異例の大規模融資は、ブラジルの2640億ドルの公的債務の債務不履行(デフォルト)の可能性を未然に防ぐことを目的としている。それはまた、左派の候補者が世論調査をリードし、市場を揺るがしている10月の大統領選挙 [2002] の不確実性からブラジルの脆弱な財政を切り離すことも意図されている。・・・
米国の銀行がブラジルの借り手に対して有する債権は、2002年3月末時点で267.5億ドルに達しており、シティグループとフリートボストン・ファイナンシャルが最大の損失を抱えていると、政府機関である連邦金融機関検査協議会が発表した。(2002年8月ウォール・ストリート・ジャーナル、強調は筆者)
これはどういう意味か?
ブラジル国家機構の2つの主要な銀行、すなわちブラジル中央銀行と巨大なブラジル銀行は、それぞれブラジルの2大外部債権者、すなわちフリート・ボストン・ファイナンスとシティグループに引き渡された (上記) 。
2003年ルーラ政権閣僚
ルーラ大統領の副大統領であるジェラルド・ホセ・ロドリゲス・アルキミン・ジュニア副大統領(元サンパウロ州知事)は、ブラジルの対外債権者のために国有財産の民営化を推進する新自由主義者である。また、オプス・デイ*ともつながりがある。
オプス・デイ*・・・キリスト教のローマ・カトリック教会の組織のひとつ、属人区である。カトリック信者が世俗社会での自らの職業生活を通して、自己完成と聖性を追求することを目的にしており、仕事や家庭生活など、日常生活のあらゆる場面において、キリストと出会うように援助する組織。創立者は、聖ホセマリア・エスクリバーである。(ウィキペディア)
サンパウロの前市長であるフェルナンド・ハダッドは、ルーラ大統領の財務大臣である。
ヴィクトリア・ヌーランド、ブラジルへ
グローバリストがルーラ候補を支持していることは、昨年2022年4月、ネオコンの国務省特使であるヴィクトリア・ヌーランド (2014年のマイダン・ウクライナのクーデターで重要な役割を果たした) がブラジルを「非公式訪問」した際にボルソナロ大統領との面会を断固として拒否したことで確認された。
「アマゾンの「統治」へのEUの参加を約束し、ウクライナにおけるロシアの特別軍事作戦を非難した後、ルーラはタイム誌の表紙を飾り、今年 (2022年) の選挙争いではグローバリスト・エリートたちのお気に入り候補者となった。選挙制度へのアメリカの支持に熱狂し、電子投票のための強力な運動を行なってきたブラジルの覇権的なメディアも、グリーン資本主義とロシアに対する制裁に同調し、今やグローバリストの政策のすべての要素を兼ね備えているように見えるルーラを支持している」。
ウクライナでの戦争に関するルーラの立場は、2022年5月のタイム誌とのインタビューで概説されている。
「プーチンはウクライナに侵攻すべきではなかった。しかし、有罪はプーチンだけではない。米国とEUも罪を犯している。ウクライナ侵攻の理由は何だったのか? NATO?であれば、米国と欧州は「ウクライナはNATOに加盟しない」と言うべきだった。そうすれば問題は解決しただろう。
彼の政権の本質は何なのか。
強力な右派勢力によって構成される擬似左派政党(労働者党)のブラジル政府は、ウォール・ストリートと米国国務省の利益に奉仕することになるだろう。
推進力となっているのは、グローバリストの金融機関による対外債務、広範囲にわたる民営化、実質的な経済資産の取得である。
地政学はきわめて重要である:
ワシントンの意図はまた、ルーラ政権が米国の覇権主義的政策を具体的な方法で損なうことのないようにすることでもある。
ワシントンから見ると、ルーラの実績は「非の打ちどころがない」。
1. 「彼は地球上で最も人気のある政治家だ。私はこの男が大好きだ」とバラク・オバマは語った(2007年)。
2. 彼はジョージ・W・ブッシュの友人だ。
3. 彼はアメリカの「平和維持活動」で私たちを助けてくれた。合法的に選出された進歩的な大統領ジャン・ベルトラン・アリスティドに対して米国が支援した2004年2月28日のハイチ・クーデターを、ルーラは非難しなかっただけでなく、彼の労働者党 (PT) 政府は国連ハイチ安定化ミッション (MINUSTAH) の「平和維持」「安定化」活動 (非公式にはワシントンを代表して) の後援の下、ブラジル軍のハイチへの派遣を命じた。
ジョージ・W・ブッシュは、ブラジル軍がMINUSTAH(国際連合ハイチ安定化ミッション)に参加したルーラ大統領に感謝の意を伝えた。
「ハイチでのあなた (ルーラ) のリーダーシップに感謝します。あなたが国連安定化軍を率いてきたことに感謝しています」。
ブラジル軍は、MINUSTAH(国際連合ハイチ安定化ミッション)の下で13年間ハイチに駐留し、合計37,000人の部隊を派遣した(p .1) 。
これは和平の取り組みではなかった。アリスティド大統領は誘拐され国外追放された。MINUSTAH(国際連合ハイチ安定化ミッション)は、アリスティド大統領の進歩的な政党ファムニ・ラヴァラスに対する弾圧行為に関与した。
4. ルーラ大統領はIMFにとって信頼できる友人であり続けるだろうか?前IMF専務理事ハインリッヒ・ケラーの言葉によると:
「私はルーラ大統領に深く感銘を受けています。特に、他の指導者にはない信頼性があると思うからです」。(2003)
5. さらに、ルーラはジョー・バイデンの確固たる支持者であり、今ではカマラ・ハリスの確固たる支持者だ。
「バイデンは世界の民主主義の息吹です」とルーラは言った。(クリスティアーヌ・アマンポールC.AmanpourとのCNNインタビュー、2021年3月)
人間の顔をした新自由主義は便利な偽装だ。
労働者党(PT)の草の根(底辺党員たち)は、再び欺かれることになった。
主権国家としてのブラジルの未来はどうなるのだろうか?
ミシェル・チョスドフスキー、2022年10月31日、2023年1月14日、2024年10月26日
***
「 人間の顔を持つ新自由主義」に関する以下の記事は、20年以上前の2003年4月25日、2003年1月のルーラ大統領就任直後にグローバル・リサーチによって初めて公表された。
筆者は1990年代半ばにルイス・イグナシオ・ダ・シルヴァにインタビューしている。
* * *
ブラジル:人間の顔を持つ新自由主義
ミシェル・チョスドフスキー
2003年4月25日
ルイス・イナシオ・ダ・シルヴァ(通称ルーラ)のブラジル大統領就任(2003年)は歴史的に重要な意味を持つ。なぜなら、何百万人ものブラジル人が、労働者党PT(Partido dos Trabalhadores )に、支配的な(新自由主義的な)「自由市場」政策に対する真の政治的・経済的代替案を見出したからである。
ルーラの選挙は国民全体の希望を体現している。それは、ラテンアメリカ全体に大規模な貧困と失業をもたらしたグローバリゼーションと新自由主義モデルに対する圧倒的な拒否表明なのだ。
2003年1月下旬にポルトアレグレで開催された世界社会フォーラム(WSF)において、ルーラの反グローバリゼーションの姿勢は、世界中から集まった何万人もの代表者によって称賛された。イラク侵攻のわずか二カ月前に開催された2003年のWSFでの討論は、「もう一つの世界は可能だ」という旗印の下で行なわれた。
皮肉にも、ルーラの勝利を称賛する一方で、2003年のWSFで発言した「自由貿易」や企業主導のグローバリゼーションの有力な批判者たちの誰もが、ルイス・イナシオ・ダ・シルヴァ大統領の労働者党政府がすでにマクロ経済改革の主導権をウォール・ストリートとIMFに委ねていたことに気づいていなかったようである。
ルーラ政権は、世界中の進歩的な運動に支持される一方で、新自由主義モデルの主要な主人公たちからも称賛されていた。IMFのハインリッヒ・ケラー専務理事は次のように述べている:
私はルーラ政権に熱狂しています。しかし、私はむしろ、ルーラ大統領に深い感銘を受けていると言った方が良いでしょう。特に、他の指導者たちが時に欠いている信頼性を、彼は持っていると思うからです。その信頼性とは、成長志向の政策と社会的公正を組み合わせるために真剣に努力しているということです。
これはブラジルにとって、そしてブラジルを超えてラテンアメリカにとって、正しい議題であり、正しい方向性であり、正しい目標です。つまり、彼は正しい方向性を示したのです。次に、ルーラ大統領の指導の下、政権発足から100日間で政府が示した成果もまた素晴らしいものであり、この広大な改革への取り組みをどのよう進めていくかという意図を表明しただけではありません。年金改革や税制改革が優先課題として挙げられていると理解していますが、これは正しいことです。
3つ目の要素は、IMFがルーラ大統領および彼の経済チームの意見に耳を傾けているということです。これはもちろん、ブラジル以外の国々にも当てはまる我々の哲学です。(IMF専務理事ハインリッヒ・ケラー、2003年4月10日、記者会見。強調は筆者)http://www.imf.org/external/np/tr/2003/tr030410.htm)
ルーラ大統領、ブラジル中央銀行総裁にウォール街の金融マンを任命
ルーラ大統領は就任当初、外国投資家に対して「ブラジルは隣国アルゼンチンのようなデフォルトには陥らない」と安心させた(2003年1月、ダボス世界経済フォーラム[WEF])。 もしそう意図しているのなら、なぜアルゼンチン・ペソの劇的な崩壊に一役買った人物(ボストン・フリート社の社長)を中央銀行(疑わしい資金取引に関与したと言われている)に任命したのだろうか。
フリートボストンの社長兼CEOであるエンリケ・デ・カンポス・メイレレスを中央銀行の総裁に任命したことで、ルイス・イナシオ・ダ・シルヴァ大統領は実質的に国の財政と金融政策の運営をウォール街に委ねた。
ボストン・フリートはアメリカで7番目に大きな銀行だ。ボストン・フリートは、シティグループに次ぐブラジル第2の債権機関である。
ブラジルは財政的にがんじがらめになっている。ルーラ政権の金融・銀行部門の主要ポストはウォール街出身者が占めているのだ:
▪中央銀行はフリートボストンの支配下にある。
▪シティグループの元上級幹部であるカシオ・カセブ・リマ氏が、ブラジルの国営銀行大手バンコ・ド・ブラジル(BB)の責任者に就任した。ブラジルにおけるシティグループの業務に携わっていたカシオ・カセブ・リマは、1976年にエンリケ・メイレレスによってボストン銀行に採用された。つまり、BBのトップは、ブラジルの2大商業債権者であるシティグループとフリートボストンと、個人的にも仕事上もつながりがあるということだ。
従来の体制は維持される。中央銀行の新しい労働者党チームは、退任するフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ総裁が任命したチームと全く同じである。退任するアルミニオ・フラガ中央銀行総裁は、ウォール街の金融家(かつ投機家)ジョージ・ソロスが所有するクオンタム・ファンド(ニューヨーク)の社員であった。
ルーラ大統領がブラジル中央銀行総裁に任命したエンリケ・デ・カンポス・メイレレスは、ウォール街およびIMFと緊密に連携し、前任者(同じくウォール街が任命した人物)の政策枠組みを維持している。すなわち、引き締め金融政策、全般的な緊縮財政、高金利、規制緩和された為替制度である。後者は、ブラジル通貨レアルに対する投機的攻撃と資本逃避を助長し、その結果、外国債務を雪だるま式に膨れ上がらせた。
言うまでもなく、ブラジルにおけるIMFプログラムは、国家銀行システムの最終的な解体に向けたものであり、元シティバンクの幹部であるブラジル銀行の新総裁が重要な役割を果たすことは間違いない。
IMFが「熱狂している」のも当然である。ブラジル経済および金融管理の主要機関は、同国の債権者の手に握られている。このような状況下では、新自由主義は「健在」であり、ポルトアレグレの精神をモデルとした「代替案」のマクロ経済政策は、実現不可能である。
「キツネにニワトリ小屋の管理を任せる」
ボストン・フリートは1998-99年にブラジル通貨レアルに投機したいくつかの銀行や金融機関の一つで、1999年1月13日の「ブラック・ウェンズデー」にサンパウロ証券取引所の壮絶な崩壊につながった。後にフリートと合併したボストン銀行は、1億ドルの初期投資から始まった「レアル・プラン」の過程で、ブラジルに45億ドルの利益をもたらしたと推定される。(ラテン・ファイナンス1998年8月6日)。
言い換えれば、ボストン・フリートは国の財政的苦境の「解決策」ではなく「原因」である。ボストン・フリートの元CEOを中央銀行の総裁に任命することは、「キツネにニワトリ小屋の管理を任せる」ことに等しい。
新経済チームは、同国の債務危機を解決し、ブラジルを財政安定へと導くことを約束している。しかし、彼らが採用した政策は、まったく逆の効果をもたらす可能性が高い。
アルゼンチンの繰り返し
ルーラ大統領の中央銀行総裁であるエンリケ・メイレレスは、アルゼンチンの物議を醸したドミンゴ・カヴァロ財務大臣の熱心な支持者であった。カヴァロは、メネム政権下で重要な役割を果たし、同国を根深い経済・社会危機へと導いた・・
1998年のインタビューで、当時ボストン銀行の社長兼最高経営責任者(CEO)であったメイレレスは次のように語っている:
ラテンアメリカで最も根本的な出来事は、アルゼンチンのドミンゴ・カヴァロ政権下で安定化計画が開始されたことでした。これは、価格や資金の流れを管理するのではなく、通貨供給量と政府財政を管理するという意味で、これまでにない手法でした。(Latin Finance、1998年8月6日)
注目すべきは、メイレレスが言及した「通貨供給量の管理」とは、本質的には国内企業への信用供与を凍結することを意味し、生産活動の崩壊につながるという点である。
その結果、アルゼンチンの破綻が示すように、破産が相次ぎ、大量の貧困と失業につながった。カヴァロ財務大臣の政策の矢面に立たされた1990年代、アルゼンチンの国営の国および州立銀行のほとんどが、産業や農業に融資を行なっていたが、それらの銀行は外国の銀行に売却された。シティバンクとボストンのフリート・バンクが、IMFが後援するこれらの不運な改革の受益者であった。
「昔々、政府所有の国立銀行や地方銀行が国の債務を支えていた。しかし、90年代半ば、カルロス・メネム政権は、これらの銀行をニューヨークのシティバンク、ボストンのフリート銀行、その他の外国の経営者に売却した。元世界銀行顧問のチャールズ・カロミリスは、これらの銀行の民営化を『本当に素晴らしい話』と表現している。誰にとって素晴らしいのか? アルゼンチンは1日に7.5億ドルもの外貨保有高を流出させている」。 (ガーディアン、2001年8月12日)
ドミンゴ・カヴァロは「ドル化」の立役者だった。ウォール街を代表して、彼は植民地時代の「カレンシーボード制」*でペソを米ドルに固定した責任があり、その結果、対外債務が急増し、最終的には通貨システム全体が崩壊した。
カレンシーボード制*・・・Currency Board system。為替政策の一つ。端的に言えば、国内に流通する自国通貨に見合っただけのドルを中央銀行が保有するという制度。その結果、自国通貨は100%、中央銀行の保有するドルにバックアップされるため、為替レートを固定するという政策に信認がもたらされる。中央銀行は自国通貨の流通量に見合ったドルの保有を義務づけられる為、無秩序に通貨増発が出来なくなる。(ウィキペディア)© Phot
カヴァロが実施した「カレンシーボード制」の取り決めは、シティグループとフリート銀行を筆頭に、ウォール街が積極的に推進していた。
「カレンシーボード制」のもとでは、通貨の発行は外部債権者によって管理される。中央銀行は事実上、存在しなくなる。政府は外部債権者の承認なしには、いかなる形の国内投資も行なうことができない。米国連邦準備制度が通貨発行のプロセスを引き継ぐ。国内生産者への信用供与は、外部(ドル建て)債務を増やすことによってのみ可能となる。
金融詐欺
アルゼンチン危機が頂点に達した2001年、主要債権銀行は数十億ドルを国外に移した。2003年初頭に開始された調査では、アルゼンチンの元財務大臣ドミンゴ・カヴァロの犯罪への関与だけでなく、シティバンクやエンリケ・メレイユ(メイレレス)が社長兼CEOを務めていたボストン・フリートを含む複数の外国銀行の関与も指摘された:
「深刻な経済危機を乗り越えるために戦っているアルゼンチンは、2002年1月、資本逃避と脱税を標的にし、米国、英国、スペインの銀行支店を警察が捜索し、当局は元大統領にスイスにある財産の由来について説明を求めた。昨年後半には260億ドルもの資金が違法に国外に持ち出されたとの主張が、警察の行動を促した。同日遅く、警察はシティバンク、ボストン銀行(フリート)、スペインのサンタンデール銀行の子会社を捜索した。(中略)違法な資本移動に関連するさまざまな訴訟では、2001年12月20日に退任したフェルナンド・デ・ラ・ルア前大統領、ドミンゴ・カヴァ経済大臣、中央銀行総裁を辞任したロケ・マッカローネなどが訴えられている。(AFP、2003年1月18日)
アルゼンチンの金融詐欺に関与した銀行、すなわちエンリケ・メイレレスが指揮するボストン・フリートを含む銀行は、ロシア連邦を含む他の国々でも同様の不透明な資金移動業務に関与していた:
「情報筋は連邦捜査官の話として、10行にも及ぶ米国の銀行がロシアから150億ドルもの資金を流用するために利用された可能性があると伝えた。ロシアのマネーロンダリング (資金洗浄) 計画の中心にあるとされるベネックス・インターナショナルの口座を保有しているとして、フリート金融グループなどの銀行が調査を受けている」。(ボストン・ビジネス・ジャーナル、1999年9月23日)
ブラジルの金融改革
ウォール街の隠された意図は、最終的にアルゼンチンのシナリオを再現し、ブラジルに「ドル化」を強いることであると、ありとあらゆる状況が示している。この計画の基礎は、フェルナンド・エンリケ・カルドーゾ大統領(1994-2002)就任当初の「レアル・プラン」の下で確立された。
フェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(FHC)の政党PSDB(ブラジル社会民主党)を統合したエンリケ・メイレレスは、より抜本的な金融改革の採用に向けた舞台設定において、裏方として重要な役割を果たした:
「1990年初頭、私 (メイレレス) はアメリカ商工会議所の役員で、ブラジル憲法改正のためのロビー活動を担当していました。同時に、私はブラジル国際銀行協会の会長でもあり、外国銀行に対する国の開放と資金の流れの開放の取り組みを担当しました。私は、ジャーナリスト、政治家、教授、広告の専門家など、主要な人々に接触する広範な運動を始めました。私が活動を始めたとき、誰もが絶望的だと言いました。国は決して市場を開放しないだろうし、自国産業を守ることになるだろう、と。数年かけて約120人の代表者と話をしました。民間部門、特に銀行家は市場開放に激しく反対しました。(ラテン・ファイナンスop cit)
憲法改正
憲法改正は、ウォール街が経済および金融の規制緩和を計画する上で要の問題だった。
1990年のフェルナンド・コロール・デ・メロの大統領就任当初、IMFは1988年憲法の改正を要求していた。国民議会では、IMFを「国家の内政に重大な干渉をしている」と非難し、大騒ぎとなった。
1988年憲法のいくつかの条項が、IMFが提案した予算目標の達成を妨げていた。この予算目標は、コロール政権との交渉中であった。 IMFの支出目標を達成するには、公務員の大量解雇が必要であり、連邦公務員の雇用保障を保証する1988年憲法の条項を改正する必要があった。また、連邦政府の財源から州や市町村レベルのプログラムに資金が提供されるという資金調達方式(憲法に定められている)も問題となっていた。この方式により、連邦政府が社会支出を削減し、その代わりに収入を債務返済に充てるという動きが制限されていた。
短命に終わったコロール政権の間に阻まれていた憲法改正の問題は、コロール・デ・メロ大統領の弾劾の直後に再び提起された。1993年6月、イタマル・フランコ暫定政権の財務大臣であったフェルナンド・エンリケ・カルドーゾは、1988年憲法の改正の必要性を指摘しつつ、教育、保健、地域開発の分野で50%の予算削減を発表した。
IMFの憲法改正に関する要求は、後にフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(FHC)大統領の政策綱領に盛り込まれた。銀行部門の規制緩和は、当時上下両院で労働者党の反対に遭っていた憲法改正手続の主要な柱であった。
一方、当時ボストン銀行のラテンアメリカ事業の責任者であったエンリケ・メイレレスは (片方の足はフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(FHC)の政党PSDB(ブラジル社会民主党)に、もう片方の足はウォール街に置きながら)、憲法改正を支持するロビー活動を水面下で行なっていた:
「最終的に、私たちは合意に達し、それが憲法改正の一部となりました。1993年に初めて憲法改正が検討された際には、実現しませんでした。十分な票が集まらなかったのです。しかし、フェルナンド・エンリケ・カルドーゾが大統領に就任した後、憲法は改正されました。私が携わった合意は、実際に改正された憲法の最初の項目の一つでした。私(メイレレス)自身が関わったこの変更は、最終的にはブラジルの資本市場の開放の始まりを意味したと思います。ブラジルでは、1988年の憲法で義務付けられているように、資本の流れ、外国資本によるブラジルの銀行の買収、ブラジルに支店を開設する国際銀行に対する制限があり、これらはすべて資本市場の発展を妨げていました」。(1998年8月6日付『Latin Finance』誌)
レアル・プラン
レアル・プランは、フェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(FHC)が財務大臣であった1993年11月の選挙のわずか数カ月前に立ち上げられた。レアル[訳注:ブラジル通貨]の米ドルへの固定相場制は、多くの点でアルゼンチンの枠組みに倣ったものだが、「カレンシーボード制」を制定することはなかった。
レアル・プランの下では、物価の安定は達成された。通貨の安定は多くの点で架空のものであった。それは対外債務の増加によって支えられていた。
この改革は、多数の国内銀行の消滅を促すものだった。これらの銀行は、フェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(FHC)大統領(1994-2002)の任期中に開始された民営化プログラムの下で、一握りの外国銀行に買収された。
1999年1月、外国からの債務が雪だるま式に膨れ上がり、ついに金融破綻を招き、レアルは暴落した。
IMF救済融資の冷酷な論理
IMFの融資は、資本逃避を助長することを主目的としている。実際、1998年10月の選挙でフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(FHC)が再選された直後にブラジルに供与された数十億ドルの融資パッケージは、この論理に基づいていた。この融資は、1999年1月の金融崩壊のわずか数ヶ月前に供与された:
ブラジルの外貨準備高は、1998年7月の780億ドルから9月には480億ドルに減少した。そして今、IMFは「韓国型」の救済策として、最終的にはG-7諸国における多額の公的債務の発行を必要とする「貸し戻し」をブラジルに申し出た。ブラジル当局は、自国は「危機に瀕していない」と主張し、求めているのはアジア危機の「伝染的影響」を食い止めるための「予防的資金」(「救済」ではなく)であると主張している。皮肉なことに、IMFが検討している金額(300億ドル)は、まさに(3ヶ月の間に)資本逃避という形で国外に「持ち出された」金額に等しい。しかし、中央銀行はIMFからの融資を外貨準備高の補充に充てることができない。救済資金(10月に米議会が承認したIMFへの米国の拠出金180億ドルの大部分を含む)は、ブラジルが現在の債務返済義務を果たせるように、つまり投機家たちに返済できるようにすることを目的としている。救済資金は決してブラジルに入らない。(ミシェル・シュスドフスキー著『ブラジルの金融詐欺』参照)
2002年9月に大統領選挙を数ヶ月後に控えた時期にIMFが314億ドルの予防的融資を行ったのも、同じ論理に基づいている。
(参照:IMF、ブラジル向け304億米ドルの緊急融資を承認。http://www.imf.org/external/np/sec/pr/2002/pr0240.htm
このIMF融資は、機関投資家や投機筋にとって 「社会的セーフティーネット」となっている。
IMFは中央銀行に数十億ドルを投入し、外貨準備は借り入れ資金で補充される。IMFの融資は、中央銀行が規制緩和された外国為替市場を維持し、国内金利を非常に高い水準に維持することを条件として付与される。
いわゆる「外国人投資家」は、国内短期債(非常に高い金利)への「投資」収益をドル建てで国外に送金することが可能である。言い換えれば、IMFから借り入れた外貨準備金は、ブラジルの国外債権者によって再流用されている。
ブラジルにおける一連の金融危機の歴史を理解する必要がある。ウォール街の債権者が主導権を握る中、対外債務の水準は上昇し続けた。IMFは数十億ドル規模の新たな融資で「救済」に乗り出したが、その融資には常に、広範囲にわたる緊縮政策の導入と国有資産の民営化が条件として付されている。主な違いは、このプロセスが現在、新自由主義に反対を唱える大統領の下で進められていることだ。
しかし、2002年9月に承認された数十億ドル規模の新たなIMF「予防融資」は、選挙の数ヶ月前にフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(FHC)によって交渉されていたことに留意すべきである。IMF融資とその条件は、ルーラ大統領の任期中に債務が雪だるま式に膨れ上がる素地を作った。
(ブラジル—意向表明書、経済政策に関する覚書、技術的覚書、 ブラジリア、2002年8月29日を参照。http://www.imf.org/external/np/loi/2002/bra/04/index.htm#mep、ブラジリア、2002年8月29日)
ドル化
中央銀行と財務省がウォール街の権力者たちに支配されているため、このプロセスは最終的にブラジルを再び金融・為替危機に導くことになるだろう。1998年から1999年と同じ金融操作を基盤とする類似した論理ではあるが、おそらく1999年1月の危機よりもはるかに深刻なものになるだろう。
言い換えれば、ルイス・イナシオ・ダ・シルヴァ大統領が採用したマクロ経済政策は、近い将来、債務不履行と通貨の崩壊を招き、ブラジルを「ドル化」の道へと導く可能性がある。アルゼンチンと同様の「カレンシーボード制」が課される可能性もある。つまり、米ドルがブラジルの代理通貨となるということだ。これは、その国が経済主権を失うことを意味する。その国の中央銀行は機能しなくなる。アルゼンチンの場合と同様、金融政策は米国の連邦準備制度(FRS)によって決定されることになるだろう。
米州自由貿易地域(FTAA)の交渉には公式には含まれていないものの、西半球における共通通貨として米ドルを採用することが非公開で議論されている。ウォール街は、最終的にはブラジルを含む残りの国内の銀行機関を排除または買収し、西半球全体に支配を拡大しようとしている。
米ドルはすでにエクアドル、アルゼンチン、パナマ、エルサルバドル、グアテマラなど中南米5カ国に導入されている。「ドル化」の経済的・社会的影響は壊滅的である。これらの国では、ウォール街と米連邦準備制度が金融政策を直接支配している。
ブラジルの労働者党政府は、IMFの経済政策が同国の経済・社会危機を深刻化させる上で重要な役割を果たしたアルゼンチンの事例から教訓を学ぶべきである。
現在の金融政策の流れが逆転しない限り、ブラジルは「アルゼンチン・シナリオ」の二の舞を踏むことになり、経済的・社会的に壊滅的な結果をもたらすだろう。
ルーラ大統領政権の下での見通し
労働者党新政権は、新自由主義に対する「代替案」として、貧困緩和と富の再分配に尽力していると主張しているが、その金融・財政政策はウォール街の債権者の手に委ねられている。
「Fome Zero(フォメ・ゼロ)」(「ゼロ・ハンガー」)は、「貧困との闘い」プログラムと説明されているが、これは「費用対効果の高い貧困削減」に関する世界銀行のガイドラインにほぼ一致する。後者は、社会部門の予算を大幅に削減する一方で、いわゆる「的を絞った」プログラムの実施を求めている。保健と教育に関する世界銀行の指令は、債務返済義務を果たすために、社会支出の削減を求めている。
IMFと世界銀行は、ルイス・イグナシオ・ダ・シルヴァ大統領の「強固なマクロ経済基盤」への取り組みを称賛している。IMFの見解では、ブラジルはIMFの基準に適合しており、「順調に推移している」という。世界銀行もまた、ルーラ政権を称賛している。「ブラジルは財政責任を念頭に置きながら、大胆な社会プログラムを推進している」と述べている。
「もう一つの世界は可能」?
「新自由主義との闘い」を掲げる政府が、「自由貿易」と「強力な経済政策」の強硬な支持者となる場合、どのような「代替案」が可能だろうか。
表面的な部分や労働者党のポピュリズム的なレトリックの裏側では、ルーラ大統領の掲げる新自由主義的な政策は実質的にはそのまま残っている。
ルーラを政権の座に就かせた草の根運動は裏切られた。そして、ルーラの側近にいた「進歩的」なブラジル知識人たちは、この過程において大きな責任を負っている。さらに、この「左派の順応」がもたらすものは、最終的にはウォール街の金融機関がブラジル国家を支配する力を強めることである。
「もう一つの世界」は空虚な政治スローガンに基礎をおいては成立し得ない。また、それは、ブラジル社会、国家システム、国家経済内の権力関係の真の変化を伴わない「枠組み」 の変化からも生じるものではない。
表面的には「進歩的」に見えるが、発展途上国を支配し略奪する「グローバリスト」の正当な権利を黙認している「新自由主義に代わるもの」についての議論からは、意味のある変化は生まれない。
Brazil: Neoliberalism with a “Human Face”. Lula Presidency = Extended Dollarization, Subservient to the Washington Consensus
ウォール街の債権者の管理下にあるブラジルのマクロ経済政策
筆者:ミシェル・チョスドフスキー (Prof Michel Chossudovsky)
出典:Global Research 2024年10月26日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年11月20日
はじめに
ルーラが最初にブラジルの大統領として権力の座に就いたのは2003年1月。20年以上前のことだ。
2023年1月にルーラ労働者党政権が再び政権に就いたが、どのような結果が予想されるか。
西欧だけでなく西半球全体で、左翼は根本的な意味合いを検討することなくルーラ大統領を支持してきた。2023年のルーラ政権成立は、米国帝国主義に対する勝利、と深く考えることもなく一括りにされている。
カザンBRICS+サミットでの最近の動きでは、間違いなくワシントンの指示で、ルーラはベネズエラのBRICS加盟に拒否権を行使した。
左翼としてのエチケット
「進歩的」や「左派」というレッテルが貼られている一方で、主要な閣僚の任命はすでにワシントン・コンセンサス*によって承認されていた。事実上、それは「左派的な特徴を持つ中道右派政権」である。
ワシントン・コンセンサス*・・・Washington Consensus。国際経済研究所の研究員で国際経済学者のジョン・ウィリアムソン(英語版)が、1989年に発表した論文の中で定式化した経済用語である。この用語は元来、1980年代を通じて先進国の金融機関と国際通貨基金(IMF)、世界銀行(世銀)を動揺させた開発途上国の累積債務問題との取り組みにおいて、ウィリアムソン曰く「最大公約数」とする、以下の10項目の政策を抽出し、列記したものであった。
1.財政赤字の是正
2.補助金カットなど政府支出の削減
3.税制改革
4.金利の自由化
5.競争力ある為替レート
6.貿易の自由化
7.直接投資の受け入れ促進
8.公営企業の民営化
9.規制緩和
10.所有権法の確立
(ウィキペディア)
この点において、2002年の選挙に先立つ当初から、ブラジルの労働者党(PT)指導部がワシントンとウォールストリートにいかに取り込まれていたか、を振り返ることは重要である。
2003年1月、ポルトアレグレで開催された世界社会フォーラム(WSF)に集まった「左派」は、ルーラの労働者党(PT)がウォール街とIMFの要求を受け入れたことを認めないまま、ルイス・イナシオ・ダ・シルヴァ[訳注:「ルーラ」が俗称]の就任を新自由主義に対する勝利として称賛した。(参考までに、2001年に設立された「進歩的」な世界社会フォーラム(WSF)は、CIAと歴史的なつながりを持つフォード財団から資金援助を受けてきた)
IMF専務理事の言葉 (2003年4月)
「IMFはルーラ大統領とその経済チームの意見に耳を傾ける」
しかし、そのチームは、ブラジルの外部債権者を含む米国企業資本の利益のために任命されたものだった。2002年8月、ルーラ政権閣僚の構成はすでにワシントン・コンセンサスで承認されていた。
ルーラは、著名なウォール街の銀行家をブラジル中央銀行の頭取に選んだ。すなわち、米国の銀行カルテルのためにドル化されたトロイの木馬として行動するためである。フリートボストン (シティグループに次ぐブラジル第2の対外債権者) の前社長兼CEOであるエンリケ・デ・カンポス・メイレレスは、ブラジル中央銀行の総裁に正式に選ばれた。代わりに、国営投資銀行ブラジル銀行はシティグループに引き渡されていた。
国家の財政および金融政策は、ウォール街、IMF-世界銀行、米国連邦準備制度の手に委ねられていた。2002年8月、ブラジルの選挙運動が最高潮に達したとき:
国際通貨基金は、ブラジルに対する投資家の信頼回復を目的とした300億ドルの救済策を提供することに合意した、・・・この異例の大規模融資は、ブラジルの2640億ドルの公的債務の債務不履行(デフォルト)の可能性を未然に防ぐことを目的としている。それはまた、左派の候補者が世論調査をリードし、市場を揺るがしている10月の大統領選挙 [2002] の不確実性からブラジルの脆弱な財政を切り離すことも意図されている。・・・
米国の銀行がブラジルの借り手に対して有する債権は、2002年3月末時点で267.5億ドルに達しており、シティグループとフリートボストン・ファイナンシャルが最大の損失を抱えていると、政府機関である連邦金融機関検査協議会が発表した。(2002年8月ウォール・ストリート・ジャーナル、強調は筆者)
これはどういう意味か?
ブラジル国家機構の2つの主要な銀行、すなわちブラジル中央銀行と巨大なブラジル銀行は、それぞれブラジルの2大外部債権者、すなわちフリート・ボストン・ファイナンスとシティグループに引き渡された (上記) 。
2003年ルーラ政権閣僚
ルーラ大統領の副大統領であるジェラルド・ホセ・ロドリゲス・アルキミン・ジュニア副大統領(元サンパウロ州知事)は、ブラジルの対外債権者のために国有財産の民営化を推進する新自由主義者である。また、オプス・デイ*ともつながりがある。
オプス・デイ*・・・キリスト教のローマ・カトリック教会の組織のひとつ、属人区である。カトリック信者が世俗社会での自らの職業生活を通して、自己完成と聖性を追求することを目的にしており、仕事や家庭生活など、日常生活のあらゆる場面において、キリストと出会うように援助する組織。創立者は、聖ホセマリア・エスクリバーである。(ウィキペディア)
サンパウロの前市長であるフェルナンド・ハダッドは、ルーラ大統領の財務大臣である。
ヴィクトリア・ヌーランド、ブラジルへ
グローバリストがルーラ候補を支持していることは、昨年2022年4月、ネオコンの国務省特使であるヴィクトリア・ヌーランド (2014年のマイダン・ウクライナのクーデターで重要な役割を果たした) がブラジルを「非公式訪問」した際にボルソナロ大統領との面会を断固として拒否したことで確認された。
「アマゾンの「統治」へのEUの参加を約束し、ウクライナにおけるロシアの特別軍事作戦を非難した後、ルーラはタイム誌の表紙を飾り、今年 (2022年) の選挙争いではグローバリスト・エリートたちのお気に入り候補者となった。選挙制度へのアメリカの支持に熱狂し、電子投票のための強力な運動を行なってきたブラジルの覇権的なメディアも、グリーン資本主義とロシアに対する制裁に同調し、今やグローバリストの政策のすべての要素を兼ね備えているように見えるルーラを支持している」。
ウクライナでの戦争に関するルーラの立場は、2022年5月のタイム誌とのインタビューで概説されている。
「プーチンはウクライナに侵攻すべきではなかった。しかし、有罪はプーチンだけではない。米国とEUも罪を犯している。ウクライナ侵攻の理由は何だったのか? NATO?であれば、米国と欧州は「ウクライナはNATOに加盟しない」と言うべきだった。そうすれば問題は解決しただろう。
彼の政権の本質は何なのか。
強力な右派勢力によって構成される擬似左派政党(労働者党)のブラジル政府は、ウォール・ストリートと米国国務省の利益に奉仕することになるだろう。
推進力となっているのは、グローバリストの金融機関による対外債務、広範囲にわたる民営化、実質的な経済資産の取得である。
地政学はきわめて重要である:
ワシントンの意図はまた、ルーラ政権が米国の覇権主義的政策を具体的な方法で損なうことのないようにすることでもある。
ワシントンから見ると、ルーラの実績は「非の打ちどころがない」。
1. 「彼は地球上で最も人気のある政治家だ。私はこの男が大好きだ」とバラク・オバマは語った(2007年)。
2. 彼はジョージ・W・ブッシュの友人だ。
3. 彼はアメリカの「平和維持活動」で私たちを助けてくれた。合法的に選出された進歩的な大統領ジャン・ベルトラン・アリスティドに対して米国が支援した2004年2月28日のハイチ・クーデターを、ルーラは非難しなかっただけでなく、彼の労働者党 (PT) 政府は国連ハイチ安定化ミッション (MINUSTAH) の「平和維持」「安定化」活動 (非公式にはワシントンを代表して) の後援の下、ブラジル軍のハイチへの派遣を命じた。
ジョージ・W・ブッシュは、ブラジル軍がMINUSTAH(国際連合ハイチ安定化ミッション)に参加したルーラ大統領に感謝の意を伝えた。
「ハイチでのあなた (ルーラ) のリーダーシップに感謝します。あなたが国連安定化軍を率いてきたことに感謝しています」。
ブラジル軍は、MINUSTAH(国際連合ハイチ安定化ミッション)の下で13年間ハイチに駐留し、合計37,000人の部隊を派遣した(p .1) 。
これは和平の取り組みではなかった。アリスティド大統領は誘拐され国外追放された。MINUSTAH(国際連合ハイチ安定化ミッション)は、アリスティド大統領の進歩的な政党ファムニ・ラヴァラスに対する弾圧行為に関与した。
4. ルーラ大統領はIMFにとって信頼できる友人であり続けるだろうか?前IMF専務理事ハインリッヒ・ケラーの言葉によると:
「私はルーラ大統領に深く感銘を受けています。特に、他の指導者にはない信頼性があると思うからです」。(2003)
5. さらに、ルーラはジョー・バイデンの確固たる支持者であり、今ではカマラ・ハリスの確固たる支持者だ。
「バイデンは世界の民主主義の息吹です」とルーラは言った。(クリスティアーヌ・アマンポールC.AmanpourとのCNNインタビュー、2021年3月)
人間の顔をした新自由主義は便利な偽装だ。
労働者党(PT)の草の根(底辺党員たち)は、再び欺かれることになった。
主権国家としてのブラジルの未来はどうなるのだろうか?
ミシェル・チョスドフスキー、2022年10月31日、2023年1月14日、2024年10月26日
***
「 人間の顔を持つ新自由主義」に関する以下の記事は、20年以上前の2003年4月25日、2003年1月のルーラ大統領就任直後にグローバル・リサーチによって初めて公表された。
筆者は1990年代半ばにルイス・イグナシオ・ダ・シルヴァにインタビューしている。
* * *
ブラジル:人間の顔を持つ新自由主義
ミシェル・チョスドフスキー
2003年4月25日
ルイス・イナシオ・ダ・シルヴァ(通称ルーラ)のブラジル大統領就任(2003年)は歴史的に重要な意味を持つ。なぜなら、何百万人ものブラジル人が、労働者党PT(Partido dos Trabalhadores )に、支配的な(新自由主義的な)「自由市場」政策に対する真の政治的・経済的代替案を見出したからである。
ルーラの選挙は国民全体の希望を体現している。それは、ラテンアメリカ全体に大規模な貧困と失業をもたらしたグローバリゼーションと新自由主義モデルに対する圧倒的な拒否表明なのだ。
2003年1月下旬にポルトアレグレで開催された世界社会フォーラム(WSF)において、ルーラの反グローバリゼーションの姿勢は、世界中から集まった何万人もの代表者によって称賛された。イラク侵攻のわずか二カ月前に開催された2003年のWSFでの討論は、「もう一つの世界は可能だ」という旗印の下で行なわれた。
皮肉にも、ルーラの勝利を称賛する一方で、2003年のWSFで発言した「自由貿易」や企業主導のグローバリゼーションの有力な批判者たちの誰もが、ルイス・イナシオ・ダ・シルヴァ大統領の労働者党政府がすでにマクロ経済改革の主導権をウォール・ストリートとIMFに委ねていたことに気づいていなかったようである。
ルーラ政権は、世界中の進歩的な運動に支持される一方で、新自由主義モデルの主要な主人公たちからも称賛されていた。IMFのハインリッヒ・ケラー専務理事は次のように述べている:
私はルーラ政権に熱狂しています。しかし、私はむしろ、ルーラ大統領に深い感銘を受けていると言った方が良いでしょう。特に、他の指導者たちが時に欠いている信頼性を、彼は持っていると思うからです。その信頼性とは、成長志向の政策と社会的公正を組み合わせるために真剣に努力しているということです。
これはブラジルにとって、そしてブラジルを超えてラテンアメリカにとって、正しい議題であり、正しい方向性であり、正しい目標です。つまり、彼は正しい方向性を示したのです。次に、ルーラ大統領の指導の下、政権発足から100日間で政府が示した成果もまた素晴らしいものであり、この広大な改革への取り組みをどのよう進めていくかという意図を表明しただけではありません。年金改革や税制改革が優先課題として挙げられていると理解していますが、これは正しいことです。
3つ目の要素は、IMFがルーラ大統領および彼の経済チームの意見に耳を傾けているということです。これはもちろん、ブラジル以外の国々にも当てはまる我々の哲学です。(IMF専務理事ハインリッヒ・ケラー、2003年4月10日、記者会見。強調は筆者)http://www.imf.org/external/np/tr/2003/tr030410.htm)
ルーラ大統領、ブラジル中央銀行総裁にウォール街の金融マンを任命
ルーラ大統領は就任当初、外国投資家に対して「ブラジルは隣国アルゼンチンのようなデフォルトには陥らない」と安心させた(2003年1月、ダボス世界経済フォーラム[WEF])。 もしそう意図しているのなら、なぜアルゼンチン・ペソの劇的な崩壊に一役買った人物(ボストン・フリート社の社長)を中央銀行(疑わしい資金取引に関与したと言われている)に任命したのだろうか。
フリートボストンの社長兼CEOであるエンリケ・デ・カンポス・メイレレスを中央銀行の総裁に任命したことで、ルイス・イナシオ・ダ・シルヴァ大統領は実質的に国の財政と金融政策の運営をウォール街に委ねた。
ボストン・フリートはアメリカで7番目に大きな銀行だ。ボストン・フリートは、シティグループに次ぐブラジル第2の債権機関である。
ブラジルは財政的にがんじがらめになっている。ルーラ政権の金融・銀行部門の主要ポストはウォール街出身者が占めているのだ:
▪中央銀行はフリートボストンの支配下にある。
▪シティグループの元上級幹部であるカシオ・カセブ・リマ氏が、ブラジルの国営銀行大手バンコ・ド・ブラジル(BB)の責任者に就任した。ブラジルにおけるシティグループの業務に携わっていたカシオ・カセブ・リマは、1976年にエンリケ・メイレレスによってボストン銀行に採用された。つまり、BBのトップは、ブラジルの2大商業債権者であるシティグループとフリートボストンと、個人的にも仕事上もつながりがあるということだ。
従来の体制は維持される。中央銀行の新しい労働者党チームは、退任するフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ総裁が任命したチームと全く同じである。退任するアルミニオ・フラガ中央銀行総裁は、ウォール街の金融家(かつ投機家)ジョージ・ソロスが所有するクオンタム・ファンド(ニューヨーク)の社員であった。
ルーラ大統領がブラジル中央銀行総裁に任命したエンリケ・デ・カンポス・メイレレスは、ウォール街およびIMFと緊密に連携し、前任者(同じくウォール街が任命した人物)の政策枠組みを維持している。すなわち、引き締め金融政策、全般的な緊縮財政、高金利、規制緩和された為替制度である。後者は、ブラジル通貨レアルに対する投機的攻撃と資本逃避を助長し、その結果、外国債務を雪だるま式に膨れ上がらせた。
言うまでもなく、ブラジルにおけるIMFプログラムは、国家銀行システムの最終的な解体に向けたものであり、元シティバンクの幹部であるブラジル銀行の新総裁が重要な役割を果たすことは間違いない。
IMFが「熱狂している」のも当然である。ブラジル経済および金融管理の主要機関は、同国の債権者の手に握られている。このような状況下では、新自由主義は「健在」であり、ポルトアレグレの精神をモデルとした「代替案」のマクロ経済政策は、実現不可能である。
「キツネにニワトリ小屋の管理を任せる」
ボストン・フリートは1998-99年にブラジル通貨レアルに投機したいくつかの銀行や金融機関の一つで、1999年1月13日の「ブラック・ウェンズデー」にサンパウロ証券取引所の壮絶な崩壊につながった。後にフリートと合併したボストン銀行は、1億ドルの初期投資から始まった「レアル・プラン」の過程で、ブラジルに45億ドルの利益をもたらしたと推定される。(ラテン・ファイナンス1998年8月6日)。
言い換えれば、ボストン・フリートは国の財政的苦境の「解決策」ではなく「原因」である。ボストン・フリートの元CEOを中央銀行の総裁に任命することは、「キツネにニワトリ小屋の管理を任せる」ことに等しい。
新経済チームは、同国の債務危機を解決し、ブラジルを財政安定へと導くことを約束している。しかし、彼らが採用した政策は、まったく逆の効果をもたらす可能性が高い。
アルゼンチンの繰り返し
ルーラ大統領の中央銀行総裁であるエンリケ・メイレレスは、アルゼンチンの物議を醸したドミンゴ・カヴァロ財務大臣の熱心な支持者であった。カヴァロは、メネム政権下で重要な役割を果たし、同国を根深い経済・社会危機へと導いた・・
1998年のインタビューで、当時ボストン銀行の社長兼最高経営責任者(CEO)であったメイレレスは次のように語っている:
ラテンアメリカで最も根本的な出来事は、アルゼンチンのドミンゴ・カヴァロ政権下で安定化計画が開始されたことでした。これは、価格や資金の流れを管理するのではなく、通貨供給量と政府財政を管理するという意味で、これまでにない手法でした。(Latin Finance、1998年8月6日)
注目すべきは、メイレレスが言及した「通貨供給量の管理」とは、本質的には国内企業への信用供与を凍結することを意味し、生産活動の崩壊につながるという点である。
その結果、アルゼンチンの破綻が示すように、破産が相次ぎ、大量の貧困と失業につながった。カヴァロ財務大臣の政策の矢面に立たされた1990年代、アルゼンチンの国営の国および州立銀行のほとんどが、産業や農業に融資を行なっていたが、それらの銀行は外国の銀行に売却された。シティバンクとボストンのフリート・バンクが、IMFが後援するこれらの不運な改革の受益者であった。
「昔々、政府所有の国立銀行や地方銀行が国の債務を支えていた。しかし、90年代半ば、カルロス・メネム政権は、これらの銀行をニューヨークのシティバンク、ボストンのフリート銀行、その他の外国の経営者に売却した。元世界銀行顧問のチャールズ・カロミリスは、これらの銀行の民営化を『本当に素晴らしい話』と表現している。誰にとって素晴らしいのか? アルゼンチンは1日に7.5億ドルもの外貨保有高を流出させている」。 (ガーディアン、2001年8月12日)
ドミンゴ・カヴァロは「ドル化」の立役者だった。ウォール街を代表して、彼は植民地時代の「カレンシーボード制」*でペソを米ドルに固定した責任があり、その結果、対外債務が急増し、最終的には通貨システム全体が崩壊した。
カレンシーボード制*・・・Currency Board system。為替政策の一つ。端的に言えば、国内に流通する自国通貨に見合っただけのドルを中央銀行が保有するという制度。その結果、自国通貨は100%、中央銀行の保有するドルにバックアップされるため、為替レートを固定するという政策に信認がもたらされる。中央銀行は自国通貨の流通量に見合ったドルの保有を義務づけられる為、無秩序に通貨増発が出来なくなる。(ウィキペディア)© Phot
カヴァロが実施した「カレンシーボード制」の取り決めは、シティグループとフリート銀行を筆頭に、ウォール街が積極的に推進していた。
「カレンシーボード制」のもとでは、通貨の発行は外部債権者によって管理される。中央銀行は事実上、存在しなくなる。政府は外部債権者の承認なしには、いかなる形の国内投資も行なうことができない。米国連邦準備制度が通貨発行のプロセスを引き継ぐ。国内生産者への信用供与は、外部(ドル建て)債務を増やすことによってのみ可能となる。
金融詐欺
アルゼンチン危機が頂点に達した2001年、主要債権銀行は数十億ドルを国外に移した。2003年初頭に開始された調査では、アルゼンチンの元財務大臣ドミンゴ・カヴァロの犯罪への関与だけでなく、シティバンクやエンリケ・メレイユ(メイレレス)が社長兼CEOを務めていたボストン・フリートを含む複数の外国銀行の関与も指摘された:
「深刻な経済危機を乗り越えるために戦っているアルゼンチンは、2002年1月、資本逃避と脱税を標的にし、米国、英国、スペインの銀行支店を警察が捜索し、当局は元大統領にスイスにある財産の由来について説明を求めた。昨年後半には260億ドルもの資金が違法に国外に持ち出されたとの主張が、警察の行動を促した。同日遅く、警察はシティバンク、ボストン銀行(フリート)、スペインのサンタンデール銀行の子会社を捜索した。(中略)違法な資本移動に関連するさまざまな訴訟では、2001年12月20日に退任したフェルナンド・デ・ラ・ルア前大統領、ドミンゴ・カヴァ経済大臣、中央銀行総裁を辞任したロケ・マッカローネなどが訴えられている。(AFP、2003年1月18日)
アルゼンチンの金融詐欺に関与した銀行、すなわちエンリケ・メイレレスが指揮するボストン・フリートを含む銀行は、ロシア連邦を含む他の国々でも同様の不透明な資金移動業務に関与していた:
「情報筋は連邦捜査官の話として、10行にも及ぶ米国の銀行がロシアから150億ドルもの資金を流用するために利用された可能性があると伝えた。ロシアのマネーロンダリング (資金洗浄) 計画の中心にあるとされるベネックス・インターナショナルの口座を保有しているとして、フリート金融グループなどの銀行が調査を受けている」。(ボストン・ビジネス・ジャーナル、1999年9月23日)
ブラジルの金融改革
ウォール街の隠された意図は、最終的にアルゼンチンのシナリオを再現し、ブラジルに「ドル化」を強いることであると、ありとあらゆる状況が示している。この計画の基礎は、フェルナンド・エンリケ・カルドーゾ大統領(1994-2002)就任当初の「レアル・プラン」の下で確立された。
フェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(FHC)の政党PSDB(ブラジル社会民主党)を統合したエンリケ・メイレレスは、より抜本的な金融改革の採用に向けた舞台設定において、裏方として重要な役割を果たした:
「1990年初頭、私 (メイレレス) はアメリカ商工会議所の役員で、ブラジル憲法改正のためのロビー活動を担当していました。同時に、私はブラジル国際銀行協会の会長でもあり、外国銀行に対する国の開放と資金の流れの開放の取り組みを担当しました。私は、ジャーナリスト、政治家、教授、広告の専門家など、主要な人々に接触する広範な運動を始めました。私が活動を始めたとき、誰もが絶望的だと言いました。国は決して市場を開放しないだろうし、自国産業を守ることになるだろう、と。数年かけて約120人の代表者と話をしました。民間部門、特に銀行家は市場開放に激しく反対しました。(ラテン・ファイナンスop cit)
憲法改正
憲法改正は、ウォール街が経済および金融の規制緩和を計画する上で要の問題だった。
1990年のフェルナンド・コロール・デ・メロの大統領就任当初、IMFは1988年憲法の改正を要求していた。国民議会では、IMFを「国家の内政に重大な干渉をしている」と非難し、大騒ぎとなった。
1988年憲法のいくつかの条項が、IMFが提案した予算目標の達成を妨げていた。この予算目標は、コロール政権との交渉中であった。 IMFの支出目標を達成するには、公務員の大量解雇が必要であり、連邦公務員の雇用保障を保証する1988年憲法の条項を改正する必要があった。また、連邦政府の財源から州や市町村レベルのプログラムに資金が提供されるという資金調達方式(憲法に定められている)も問題となっていた。この方式により、連邦政府が社会支出を削減し、その代わりに収入を債務返済に充てるという動きが制限されていた。
短命に終わったコロール政権の間に阻まれていた憲法改正の問題は、コロール・デ・メロ大統領の弾劾の直後に再び提起された。1993年6月、イタマル・フランコ暫定政権の財務大臣であったフェルナンド・エンリケ・カルドーゾは、1988年憲法の改正の必要性を指摘しつつ、教育、保健、地域開発の分野で50%の予算削減を発表した。
IMFの憲法改正に関する要求は、後にフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(FHC)大統領の政策綱領に盛り込まれた。銀行部門の規制緩和は、当時上下両院で労働者党の反対に遭っていた憲法改正手続の主要な柱であった。
一方、当時ボストン銀行のラテンアメリカ事業の責任者であったエンリケ・メイレレスは (片方の足はフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(FHC)の政党PSDB(ブラジル社会民主党)に、もう片方の足はウォール街に置きながら)、憲法改正を支持するロビー活動を水面下で行なっていた:
「最終的に、私たちは合意に達し、それが憲法改正の一部となりました。1993年に初めて憲法改正が検討された際には、実現しませんでした。十分な票が集まらなかったのです。しかし、フェルナンド・エンリケ・カルドーゾが大統領に就任した後、憲法は改正されました。私が携わった合意は、実際に改正された憲法の最初の項目の一つでした。私(メイレレス)自身が関わったこの変更は、最終的にはブラジルの資本市場の開放の始まりを意味したと思います。ブラジルでは、1988年の憲法で義務付けられているように、資本の流れ、外国資本によるブラジルの銀行の買収、ブラジルに支店を開設する国際銀行に対する制限があり、これらはすべて資本市場の発展を妨げていました」。(1998年8月6日付『Latin Finance』誌)
レアル・プラン
レアル・プランは、フェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(FHC)が財務大臣であった1993年11月の選挙のわずか数カ月前に立ち上げられた。レアル[訳注:ブラジル通貨]の米ドルへの固定相場制は、多くの点でアルゼンチンの枠組みに倣ったものだが、「カレンシーボード制」を制定することはなかった。
レアル・プランの下では、物価の安定は達成された。通貨の安定は多くの点で架空のものであった。それは対外債務の増加によって支えられていた。
この改革は、多数の国内銀行の消滅を促すものだった。これらの銀行は、フェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(FHC)大統領(1994-2002)の任期中に開始された民営化プログラムの下で、一握りの外国銀行に買収された。
1999年1月、外国からの債務が雪だるま式に膨れ上がり、ついに金融破綻を招き、レアルは暴落した。
IMF救済融資の冷酷な論理
IMFの融資は、資本逃避を助長することを主目的としている。実際、1998年10月の選挙でフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(FHC)が再選された直後にブラジルに供与された数十億ドルの融資パッケージは、この論理に基づいていた。この融資は、1999年1月の金融崩壊のわずか数ヶ月前に供与された:
ブラジルの外貨準備高は、1998年7月の780億ドルから9月には480億ドルに減少した。そして今、IMFは「韓国型」の救済策として、最終的にはG-7諸国における多額の公的債務の発行を必要とする「貸し戻し」をブラジルに申し出た。ブラジル当局は、自国は「危機に瀕していない」と主張し、求めているのはアジア危機の「伝染的影響」を食い止めるための「予防的資金」(「救済」ではなく)であると主張している。皮肉なことに、IMFが検討している金額(300億ドル)は、まさに(3ヶ月の間に)資本逃避という形で国外に「持ち出された」金額に等しい。しかし、中央銀行はIMFからの融資を外貨準備高の補充に充てることができない。救済資金(10月に米議会が承認したIMFへの米国の拠出金180億ドルの大部分を含む)は、ブラジルが現在の債務返済義務を果たせるように、つまり投機家たちに返済できるようにすることを目的としている。救済資金は決してブラジルに入らない。(ミシェル・シュスドフスキー著『ブラジルの金融詐欺』参照)
2002年9月に大統領選挙を数ヶ月後に控えた時期にIMFが314億ドルの予防的融資を行ったのも、同じ論理に基づいている。
(参照:IMF、ブラジル向け304億米ドルの緊急融資を承認。http://www.imf.org/external/np/sec/pr/2002/pr0240.htm
このIMF融資は、機関投資家や投機筋にとって 「社会的セーフティーネット」となっている。
IMFは中央銀行に数十億ドルを投入し、外貨準備は借り入れ資金で補充される。IMFの融資は、中央銀行が規制緩和された外国為替市場を維持し、国内金利を非常に高い水準に維持することを条件として付与される。
いわゆる「外国人投資家」は、国内短期債(非常に高い金利)への「投資」収益をドル建てで国外に送金することが可能である。言い換えれば、IMFから借り入れた外貨準備金は、ブラジルの国外債権者によって再流用されている。
ブラジルにおける一連の金融危機の歴史を理解する必要がある。ウォール街の債権者が主導権を握る中、対外債務の水準は上昇し続けた。IMFは数十億ドル規模の新たな融資で「救済」に乗り出したが、その融資には常に、広範囲にわたる緊縮政策の導入と国有資産の民営化が条件として付されている。主な違いは、このプロセスが現在、新自由主義に反対を唱える大統領の下で進められていることだ。
しかし、2002年9月に承認された数十億ドル規模の新たなIMF「予防融資」は、選挙の数ヶ月前にフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(FHC)によって交渉されていたことに留意すべきである。IMF融資とその条件は、ルーラ大統領の任期中に債務が雪だるま式に膨れ上がる素地を作った。
(ブラジル—意向表明書、経済政策に関する覚書、技術的覚書、 ブラジリア、2002年8月29日を参照。http://www.imf.org/external/np/loi/2002/bra/04/index.htm#mep、ブラジリア、2002年8月29日)
ドル化
中央銀行と財務省がウォール街の権力者たちに支配されているため、このプロセスは最終的にブラジルを再び金融・為替危機に導くことになるだろう。1998年から1999年と同じ金融操作を基盤とする類似した論理ではあるが、おそらく1999年1月の危機よりもはるかに深刻なものになるだろう。
言い換えれば、ルイス・イナシオ・ダ・シルヴァ大統領が採用したマクロ経済政策は、近い将来、債務不履行と通貨の崩壊を招き、ブラジルを「ドル化」の道へと導く可能性がある。アルゼンチンと同様の「カレンシーボード制」が課される可能性もある。つまり、米ドルがブラジルの代理通貨となるということだ。これは、その国が経済主権を失うことを意味する。その国の中央銀行は機能しなくなる。アルゼンチンの場合と同様、金融政策は米国の連邦準備制度(FRS)によって決定されることになるだろう。
米州自由貿易地域(FTAA)の交渉には公式には含まれていないものの、西半球における共通通貨として米ドルを採用することが非公開で議論されている。ウォール街は、最終的にはブラジルを含む残りの国内の銀行機関を排除または買収し、西半球全体に支配を拡大しようとしている。
米ドルはすでにエクアドル、アルゼンチン、パナマ、エルサルバドル、グアテマラなど中南米5カ国に導入されている。「ドル化」の経済的・社会的影響は壊滅的である。これらの国では、ウォール街と米連邦準備制度が金融政策を直接支配している。
ブラジルの労働者党政府は、IMFの経済政策が同国の経済・社会危機を深刻化させる上で重要な役割を果たしたアルゼンチンの事例から教訓を学ぶべきである。
現在の金融政策の流れが逆転しない限り、ブラジルは「アルゼンチン・シナリオ」の二の舞を踏むことになり、経済的・社会的に壊滅的な結果をもたらすだろう。
ルーラ大統領政権の下での見通し
労働者党新政権は、新自由主義に対する「代替案」として、貧困緩和と富の再分配に尽力していると主張しているが、その金融・財政政策はウォール街の債権者の手に委ねられている。
「Fome Zero(フォメ・ゼロ)」(「ゼロ・ハンガー」)は、「貧困との闘い」プログラムと説明されているが、これは「費用対効果の高い貧困削減」に関する世界銀行のガイドラインにほぼ一致する。後者は、社会部門の予算を大幅に削減する一方で、いわゆる「的を絞った」プログラムの実施を求めている。保健と教育に関する世界銀行の指令は、債務返済義務を果たすために、社会支出の削減を求めている。
IMFと世界銀行は、ルイス・イグナシオ・ダ・シルヴァ大統領の「強固なマクロ経済基盤」への取り組みを称賛している。IMFの見解では、ブラジルはIMFの基準に適合しており、「順調に推移している」という。世界銀行もまた、ルーラ政権を称賛している。「ブラジルは財政責任を念頭に置きながら、大胆な社会プログラムを推進している」と述べている。
「もう一つの世界は可能」?
「新自由主義との闘い」を掲げる政府が、「自由貿易」と「強力な経済政策」の強硬な支持者となる場合、どのような「代替案」が可能だろうか。
表面的な部分や労働者党のポピュリズム的なレトリックの裏側では、ルーラ大統領の掲げる新自由主義的な政策は実質的にはそのまま残っている。
ルーラを政権の座に就かせた草の根運動は裏切られた。そして、ルーラの側近にいた「進歩的」なブラジル知識人たちは、この過程において大きな責任を負っている。さらに、この「左派の順応」がもたらすものは、最終的にはウォール街の金融機関がブラジル国家を支配する力を強めることである。
「もう一つの世界」は空虚な政治スローガンに基礎をおいては成立し得ない。また、それは、ブラジル社会、国家システム、国家経済内の権力関係の真の変化を伴わない「枠組み」 の変化からも生じるものではない。
表面的には「進歩的」に見えるが、発展途上国を支配し略奪する「グローバリスト」の正当な権利を黙認している「新自由主義に代わるもの」についての議論からは、意味のある変化は生まれない。
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