米国戦争犯罪の歴史的記録 ミシェル・チョスドフスキー
Global Research 13 September 2013
http://www.globalresearch.ca/americas-war-against-the-people-of-korea-the-historical-record-of-us-war-crimes/5350591
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(なお文中の説明で、( )はチョスドフスキーが解説したもの、[ ]は岩間が解説したものであることを区別しました)
ミッシェル・チョスドフスキーの次の文章は、2013年7月27日の朝鮮休戦記念日の記念式典の際に、韓国のソウルで述べられたものです。
平和へのメッセージ。和平合意と米軍の朝鮮からの撤退に向けて。 序論1953年7月27日の休戦記念日は、朝鮮の戦没者を追悼する日です。
それは、国の再統一と主権のための歴史的な戦いにおいて重要な日です。
私は、2013年7月27日の休戦記念日の60周年記念式典に参加する機会を得て光栄に思います。
この平和と再統一についての議論に貢献する機会を持てたのは、「反戦、平和、民衆行動」の運動団体のお陰です。
*
休戦協定は紛争を止めるための紛争当事者による合意です。それは戦争の終わりを意味します。
1953年の休戦協定の背後では、紛争当事者の一方、つまり米国が過去60年間、朝鮮民主主義人民共和国に戦争をすると一貫して脅してきたのです。
米国は何回も休戦協定を破ってきました。米国はずっと戦時体制のままでした。西側のメディアと国際社会に何気なく無視されてきたことですが、米国は半世紀以上の間、北朝鮮を標的とした核兵器を積極的に配備してきました。これは休戦協定の13b条項に違反するものでした。
休戦協定は存続しています。しかし米国はいまだに朝鮮と戦争状態です。休戦条約は平和条約ではなく、和平合意は一度も署名されていませんでした。
米国は、休戦協定を利用してきました。その目的は、国連の偽りの命令で、朝鮮の37,000人の米軍の駐留を正当化すると同時に、継続した軍事的脅威の環境を作り出すことでした。この「潜在的な戦争状態」は過去60年間続いてきました。大切なことは、この韓国での米国の駐留には、アジア大陸を永久に根拠地にしようとする米軍のねらいがあることです。
この式典での私たちの目的は、広範囲に及ぶ平和条約を呼びかけることです。その平和条約は、1953年に署名された休戦協定を無効にするだけでなく、朝鮮からの米軍の迅速な撤退と朝鮮国家の再統一の基礎を構築するでしょう。
より幅広い歴史的見地からの休戦記念日 朝鮮に対してだけでなく、ワシントンの「アジア基軸」として、米国が中国とロシアに対して脅威を増大させていることを考えると、この記念式典は特に重要です。例えば、アフガニスタンとイラクの違法な占領、リビアとシリアに対する米・NATOの戦争、イランに対する軍事的脅威、イスラエルに対するパレスチナ人たちの長期にわたる闘い、サハラ以南での米国に支援された戦争と反乱は米軍の脅威の典型です。
1953年7月27日の休戦協定は、米国主導の戦争の歴史で重要な出来事です。1940年代に策定されたトルーマン・ドクトリンの下、朝鮮戦争(1950-1953)は、地球規模の軍事化プロセスと米国主導の戦争のお膳立てをしました。和平合意の観点からの「講和」は、ワシントンの「戦争屋」の行動計画とは直接的に対立するものです。
*
ワシントンは世界規模の軍事行動計画を策定しています。4つ星のウエスリー・クラーク元陸軍大将(退役)(写真右)は国防省高官の言葉を引用しています。
「私たちは5年間で7か国を排除するだろう。イラクで始め、次にシリア、
レバノン、リビア、ソマリア、スーダンそして最後にイランだ」1
(デモクラシー・ナウ2007年3月2日)
朝鮮戦争(1950-1953)は、第2次世界大戦に続いて米国によって着手された最初の重要な軍事作戦でした。いわゆる遠回しに「冷戦」と呼ばれていたものの手始めとして始められたものでした。多くの点でそれは第2次世界大戦の継続でした。日本の植民地支配下にあった朝鮮の地は、日を追うごとに新植民地帝国アメリカ合衆国に譲り渡されました。
ポツダム会談(1945年7月~8月)で、米国とソ連は朝鮮を38度線で分割することに合意しました。
米軍が入ってきた後は、朝鮮の「解放」はありませんでした。全く逆でした。
過去を振り返ってみると、米国軍事政府が1945年9月8日に南朝鮮で創設されました。8月15日の日本の降伏の3週間後のことです。そのうえ、韓国における日本の役人たちは、この軍政移行を保証するために、ホッジ将軍に率いられたアメリカ軍政庁(USAMG)(1945-48)を助けました。ソウルの日本人の植民地統治者たちと韓国の警察官たちは、新しい植民地支配者と結託して働きました。
最初から米軍事政府は、「朝鮮人民共和国」*臨時政府の承認を拒否しました。「朝鮮人民共和国」は重要な社会改革に全力を上げていました。その改革には、土地の分配、労働者の権利を守る法律、最低賃金の立法制定、南北朝鮮の再統一が含まれていました。
[*訳注 1945年9月6日、建国準備委員会は、全国各地の145の人民
委員会と連携して、全国人民代表者大会を開き、「朝鮮人民共和国」の
設立を宣言。主席は李承晩(イ・スンマン、副主)席は呂運亭(ヨ・ウニョン)だった
が、当時米国に亡命中の李承晩の承認を得たものでなく、国内の活動家
が勝手に李承晩の名前を使ったものであった。朝鮮共産党(後に南朝鮮
労働党になる)の朴憲泳(パク・ホニョン)も政権に参加している左右の勢力
の合作の政府であった。米国はこの政府を認めず、短命の幻の政府に
終わった。出典:池上彰(2014)『そうだったのか!朝鮮半島』集英社
より要約]
「朝鮮人民共和国」は反植民地主義の非同盟国であり、次のことを要求していました。「米国、ソ連、英国、中国との緊密な関係を作ること、そして内政に干渉するいかなる外国の影響力にも絶対反対すること」。
「朝鮮人民共和国」は、アメリカ軍政庁によって1945年9月の軍事法令で廃止されました。民主主義、自由、独立はありませんでした。2
日本が敗北した帝国としての扱いを受けていた一方で、南朝鮮は植民地の領土と同一視され、米国の軍事的支配と米国の占領軍によって管理されていました。
*
米国の都合のいいように選ばれた李承晩(写真左)が、ダグラス・マッカーサー元帥の個人用飛行機で、1945年10月に米国からソウルに連れてこられました。
朝鮮戦争(1950-1953) 朝鮮戦争中とその後に、米軍によって朝鮮の人々に対して犯された犯罪は、現代史の中では先例のないものでした。
さらに、次のことを理解することが大切です。それは、1950年代に米国に支援をされ、米国によってなされたこれらの人類に対する犯罪は、何年にもわたって、世界の他の地域での「殺害モデル」となり、米国の人権侵害を定着させることになったのです。
朝鮮戦争はまた、政治的反体制活動家を標的にした暗殺を特徴としていました。それは、その後、インドネシア、ベトナム、アルジェンチン、グアテマラ、エルサルバドル、アフガニスタン、イラクを含む多くの国々で、CIAによって実行に移されました。
これらの反体制運動家を標的にした殺害は、いつもCIAの指図通りに行われ、米国に支援された傀儡政府や軍事独裁政権によって実行されました。より最近では、民間人を標的にした暗殺が米国議会で「合法化され」、いわゆる「新しい基準」となりました。
(朝鮮戦争の真っただ中の)1952年に初めて出版されたI・F・ストーンの『秘史朝鮮戦争』によれば、米国は意図的に偽りの行動の口実を探し、北側に38度線を超えさせるように駆り立て、ついには全面戦争に導きました。
「(I・F・ストーンの本は)朝鮮戦争の起源に疑問を投げかけました。米国
が国連を操り、米国軍部と韓国独裁国家が和平交渉の妨害工作を行っ
て、戦争を引き出したと証言しまし*た」。3
ストーンの説明では、ダグラス・マッカーサー(写真左)は「平和を回避するためにあらゆる可能なことを行った」ということです。
米国の侵略戦争は、「自衛」を装った先制攻撃として行われます。マッカーサー元帥に関するI・F・ストーンの歴史的な陳述を真似て言うなら、60年後に米国大統領バラク・オバマと彼の国防長官のチャック・ヘーゲルも「平和を回避するためにあらゆる可能なことを行っています」。
敵に「先に発砲させる」ように駆り立てるこのお決まりのやり方は、米国軍事理論としてしっかり確立されています。それは「戦争の口実となる事件」を生み出すことです。それは「自衛」を根拠として、侵略者[米国]に軍事介入する口実を与えます。そのやり方は、1941日本によるハワイ真珠湾攻撃を特徴付けています。真珠湾攻撃は、策略と挑発によって引き起こされました。米国の当局者はその策略と挑発の知識を向上させていました。真珠湾は米国が第2次世界大戦への参戦を正当化するものでした。
1964年のトンキン湾事件は、米国が北ベトナムに戦争をしかける口実でした。その事件の後、米国議会によってトンキン湾決議の採択がありました。この決議はリンドン・B・ジョンソン大統領に共産主義国北ベトナムに戦争を仕掛ける権限を与えました。
I・F・ストーンの分析は、「標準的な話」に異議を唱えています。その標準的な話というのは、朝鮮戦争は北朝鮮が挑発されたわけでもないのに一方的に行なった攻撃で、1950年6月30日に始まり、朝鮮全体にソ連の影響を拡大するためにソ連の指示で行われたもので、完全に韓国、米国、国連を驚かせたものだったということです。
しかしそれは予期しない驚きだったのでしょうか。少なくとも70両の戦車
を使って7万人の兵士による同時に4つの異なった地点で開始された
攻撃が、果たして予期しない驚きだったというのはあり得ることなので
しょうか。
ストーンは、韓国、米国、国連から出された報告書を集めます。
その報告書は6月25日以前に認知されていたことを文書にし
たものです。米国CIA長官のロスコ―・H・ヒレンロエッター准将
がその報告書について述べたことが報告されています。「『今
週か次の週に侵略があり得る状況が北朝鮮にある』ことに米
国の情報機関は気付いていた」(p.2)と。ストーンは次のように
書いています。「米国の一流の軍事コメンテーターで国防総省
の信頼できる友人であるニューヨーク・タイムズ紙のハンソン
・ボールドウィンが報告したことは、それら(米国の軍事文書)
は6月の初旬に38度線に沿って北朝鮮人民軍の際立った集
結が始まっていることを示しているということでした。(p.4)
どのようにして何故そんなに早く、トルーマン大統領は6月27日
までに韓国で米軍に戦闘させることを決定したのでしょうか。
ストーンが強く主張したのは、朝鮮での戦争とその結果として
生じる東アジアの不安定化を、米国の国益として見ていた
人々が米国政府と軍の中にいたということでした。4
フランスのヌーヴェル・オプセルヴァトワール[仏の報道週刊誌]の編集者クロード・ブルデによれば:
「もしストーンの論文が現実に一致するならば、私たちは軍事史
全体の最大の詐欺の前にいることになります。罪のない詐欺の
問題ではなく、恐ろしい策略の問題です。その中では、和平が可
能な時にそれを阻止するために、意識的に策略が利用されてい
ます」。5
名高い米国人作家のレオ・ヒューバーマンとポール・スウィージーの言葉では:
「私たちが達した結論は、(韓国大統領)李承晩は意図的に北朝
鮮人たちを挑発したということです。北朝鮮人たちが大挙して
38度線を超えて報復することを李承晩は願っていました。北側
の人たちは、巧妙に罠にはまりました」。6
1950年6月25日、国連安全保障理事会決議82採択の後、占領国日本で米軍を率いていたダグラス・マッカーサー元帥が、いわゆる国連軍総司令官(UNCOM)に任命されました。ブルース・カミングズによれば、朝鮮戦争は「第2次世界大戦中の帝国日本に対する航空戦と強い類似性がありました。そしてしばしば同じ米軍の指導者たちによって指揮されました」。その中にはダグラス・マッカーサーやカーチス・ルメイ将軍がいました。
朝鮮の人々に対する米国の戦争犯罪 大規模な戦争犯罪が、朝鮮戦争(1950-1953)の最中に米軍によって犯されました。核兵器は朝鮮戦争中に使われませんでしたが、「民間人の大量殺害」戦略が広く行われました。これは第2次世界大戦中に考案されたものでした。罪のない民間人の殺害政策は、第2次世界大戦の最後の数週間に米軍と英軍によってドイツの都市への大規模な空襲と空爆で実行されました。辛辣な皮肉ですが、軍事的標的は保護されました。
軍事的目標を標的とする口実の下で民間人を殺害するこの非公式の政策は、朝鮮戦争の最中に、そしてその後の戦争でも米国の軍事行動を大きく特徴づけるものとなりました。ブルース・カミングズによれば:
*
1950年8月12日、米軍は北朝鮮に625トンの爆弾を投下しました。2週間
後、毎日の投下トン数は約800トンにまで増加しました。米国の戦闘機は
第2次世界大戦の太平洋での作戦よりも多くのナパーム弾や爆弾を投下
しました。7
38度線より北の領土は、大規模な絨毯爆撃にさらされました。その結果、78の都市と数千の村が破壊されました。
それ(1950年―53年の朝鮮戦争)について消し去ることができないことは、
北朝鮮に対する米国の空爆の異常な破壊性でした広範囲にわたる。
継続的な焼夷弾攻撃(主にナパーム弾による)から、核兵器と化学
兵器を使うという脅し、そして戦争の最終階では巨大な北朝鮮段
のダムの破壊までありました。その結果、北朝鮮のほとんどすべての
頑丈な建物が破壊されました。8
米国のウィリアム・F・ディーン少将は「彼が見た北朝鮮の都市と村のほとんどは、がれきか雪におおわれた荒
れ地だったと報告しました」。北朝鮮に対する爆撃を調整したカーチス・ルメイ将軍は、あつかましくも次のよ
うに認めました:
3年かそこらにわたり、私たちは人口のなんと20%を全滅させました……
私たちは北朝鮮そして南朝鮮のすべての町を焼き尽くしました。9
ブライアン・ウィルソンによれば:
いま信じられていることは、38度線の北側の人々は、1950年から1953年
の37カ月の長い「熱い」戦争で、800万人から900万の人口のほとんど
3分の1を失いました。交戦が原因で一つの国が被った死亡率では、
おそらく前例のないパーセンテージです。10
また朝鮮真実和解委員会によって文書で記録されているように、韓国の米軍によって広範囲に及ぶ戦争犯罪がなされました。韓国の情報源によれば、朝鮮戦争の最中に韓国でほとんど100万人の民間人が殺害されました。
「朝鮮戦争の初期、米国の当局者は監視していて、写真を撮り、彼らの韓国
の同盟者による大規模な処刑について密かに報告をしました。内密の大量
虐殺は、1950年半ばの数週間の内に、通常、告訴も裁判もなしで、10万人
あるいはそれ以上の左翼の人々とその同調者と思われる人々を殺害した
と考えられています」*。11
[* 訳注 (上記は補導連盟事件のことを述べていると思われるので、その
事件について注を加える) 朝鮮戦争の中でも一番の悲劇は、保導連盟
事件だった。保導連盟とは、韓国が建国された後、共産主義からの転向者
やその家族を再教育するために設立された国民保導連盟のことである。
この連盟に登録すれば、共産主義者として処罰されないことになっていた。
しかし、朝鮮戦争が勃発すると、彼らは潜在的な敵とみなされ、李承晩の
命令により各地で多数の連盟員が虐殺された。ソウルを占領した北朝鮮
軍にとっても、保導連盟員は韓国側に協力した存在となり、やはり処刑の
対象になった。犠牲者の数は20万人から120万人と言われている。
出典:池上彰(2014)『そうだったのか!朝鮮半島』集英社より要約]
第2次世界大戦中に、英国はその人口の0.94%を失い、フランスは1.35%を失い、中国は1.89%を失い、米国は0.32%を失いました。朝鮮戦争の時には、朝鮮民主主義人民共和国は人口の25%以上を失いました。北朝鮮の人口は、朝鮮戦争の前の1950年には約800万から900万人でした。米国の情報源は北朝鮮で155万人の民間人が死亡、215,000人の戦闘で死亡したことを認めています。行方不明兵と戦争捕虜が120,000人、戦闘部隊の負傷者が300,000人でした。12
韓国の軍事情報は、民間人の死者、負傷者、行方不明者の数を250万人と見積もっています。そのうち、およそ990,900人は韓国内の人々です。別の見積もりでは、民間人と戦闘員の朝鮮戦争での死亡者数を350万人としています。
北朝鮮は世界の安全への脅威か? 過去60年間、ワシントンは北朝鮮の政治的孤立の原因の一つとなってきました。ワシントンは、北朝鮮の産業基盤と農業を含む国家経済を不安定化しようとしてきました。ワシントンは、朝鮮国家の再統一の過程を絶えず阻止してきました。
韓国では、米国は政治制度全体にその締め付けを維持してきました。その締め付けは、李承晩の最初の任命から、政府の非民主的で抑圧的な形態を維持してきました。その政府の形態は、大部分が米国の利益に役に立ってきました。
米軍の駐留は、韓国の経済・金融政策に支配的な影響を及ぼしました。
米国人にとっての重要な質問。米国の侵略の結果、人口の4分の1を失った
国がどのように米国本土に脅威となるのでしょうか。
そのすぐ近くの国境に37,000人の米軍がいる国が、どのように米国の脅威となり得るのでしょうか。
戦争犯罪の歴史を考えると、北朝鮮の人々は彼らの祖国への米国の脅威をどのようにとらえているのでしょうか。朝鮮戦争で愛する人を失っていない北朝鮮の家族は一家族もありません。
朝鮮戦争は、第2次世界大戦に続いてすぐに行われた米国主導の最初の重要な戦争でした。
米国とNATOの同盟国は、遠回しに「戦後」と呼ばれる途上で、世界の主要な地域で数多くの戦争と軍事介入を行ってきました。その結果、何百万人もの民間人が死亡しましたが、米国は民主主義と世界の平和の守護者として擁護されました。
戦争のプロパガンダ 嘘が真実になる。
現実が逆さまにされる。
歴史が書き換えられます。北朝鮮は脅威として喧伝される。
米国は侵略国家ではなく、侵略の「犠牲者」だ。
これらの概念は、ニュースのネットワークに流される戦争のプロパガンダの一部です。
朝鮮戦争が終わって以来、韓国のニュース・ネットワークに注ぎ込まれた米国主導のプロパガンダは、朝鮮民主主義人民共和国を韓国の安全への脅威として示すことによって、南北朝鮮間の紛争と不和を煽ることに絶えず貢献してきました。
恐怖と威嚇の雰囲気が広がり、韓国の人々に米国の「和平の役割」を受け入れさせます。世論の目から見れば、37,000人の米国の占領軍の駐留は韓国の安全にとっては「必要なもの」としてみなされています。
米軍の駐留は、北朝鮮の侵略に対して「韓国を守る」手段として告知されています。同様に、そのプロパガンダのキャンペーンは、米国の干渉主義の正当性を維持する目的で、韓国社会の分裂を生み出そうとするでしょう。この一連の行為の目的は不和を生み出すことです。うんざりするほど繰り返される「北朝鮮の脅威」は、朝鮮はひとつの国であり、ひとつの国家であり、ひとつの歴史であるという考えを、人々の内面の意識の中で、弱体化します。
「トルーマン・ドクトリン」 歴史的に第2次世界大戦の後に、1948年の国務省の簡単な説明の中で、外交政策顧問のジョージ・F・ケナンによって考案されたトルーマン・ドクトリンが、米国の拡張主義の冷戦の骨組みを確立しました:
この1948年の文書が言っていることは、冷戦時代の「封じ込め」から「先制攻撃」の戦争までの米国外交政策の継続性です。それは丁寧な言葉で、米国は軍事手段を通じて経済的かつ戦略的支配を模索すべきだと述べています。
そのうえ、私たちは世界の富のおよそ50%を所有していますが、その人
口は6.3%にすぎません。この不均衡は、私たちとアジアの人々の間で特
に大きいです。この状況では、私たちは必ず恨みや憤りの対象となるでしょ
う。来るべき時期における私たちの仕事は、国の安全保障に実害を受け
ることなく、この不均衡の地位を維持してくれる関係パターンを考案するこ
とです。そうするために、私たちは感傷主義と空想は捨てねばなりません。
そして、私たちの注意は、あらゆるところで我が国の直接の目的に集中
日させなければなりません。私たちは今、利他主義と世界への善行の贅沢
をする余裕があると言って、私たち自らを欺く必要はありません。(…)
この状況では、極東に関する私たちの考えを明確に示してきた多くの概念を
いま放棄した方がいいだろう。私たちは、好かれるとか気高い国際的利他
主義の信頼できる人としてみなされたいという強い願望を放棄すべきです。
私たちは、兄弟に対して責任を負う者[聖書の『創世記』に由来する表現]の
立場に自らを置くことを止めなければなりません。そして、道徳的イデオロ
ギー的アドバイスをすることをやめなければなりません。私たちは、人権、
生活水準の向上、民主化というような、極東にとってあいまいで非現実的な
目標について話すことをやめねばなりません。私たちが直接の支配権の概
念について扱わなければならない日はそんなに遠くではありません。私たち
が理想主義的なスローガンによって邪魔されることが少なければ少ないほ
どよいでしょう。13
影響力のある独立した国際機関としての国連システムを崩壊させる計画は、1946年に国連が始まって以来、米国の外交政策の計画段階にありました。その計画された崩壊は、1946年に定義されたように、トルーマン・ドクトリンの不可欠の部分でした。国連が始まった時から、ワシントンは自分たちの有利になるように国連を支配しようとする一方、国連システムを弱体化させ、最後には破壊しようとしてきました。
ジョージ・ケナンの言葉では:
「時々、国連は有用な目的を果たしてきました。しかし、概して解決よりも
多くの問題を生み出しました。そして、私たちの外交努力をかなり拡散する
ことにつながってきた。そして、重要な政治目的のために国連の多数派を
利用する努力をする中で、いつの日にか私たちに敵対するかもしれない
危険な武器と私たちは戯れている。これは、非常に注意深い研究と配慮が
私たちの側に必要な状況である。」
ワシントンは「国際社会」に公式に関わってきたけれども、国連にはかなりリップサービスをしてきました。近年、ワシントンは機関としての国連を卑劣な手段で攻撃してきました。第一次湾岸戦争以来、国連は主にゴム印[形式的に承認する人]として振る舞ってきました。国連は米国の戦争犯罪に目をつむってきました。国連は国連憲章に違反をして、アングロサクソン系の米国人の侵略者を代表して、平和維持活動を行ってきました。
韓国と東アジアに適用されたトルーマン・ドクトリン トルーマン・ドクトリンは、第2次世界大戦後の米国軍事戦略の頂点にあたるものでした。それは、1945年8月の広島と長崎への原爆投下と日本の降伏で始まりました。(ハリー・トルーマン、左)
*
東アジアでは、韓国を含む日本の植民地帝国を米国が奪い取ることだけでなく、戦後の日本の占領の中に、トルーマン・ドクトリンが存在しました。(朝鮮は1910年の日韓併合条約の下、日本に併合されました。)
第2次世界大戦での帝国日本の敗北に続き、東アジアと東南アジアの米国の勢力範囲が、日本の「大東亜共栄圏」の地域で確立されました。
米国の勢力範囲には、フィリピン(第2次大戦中に日本によって占領された米国の占有地)、タイ(第2次大戦中、日本の保護領)、インドネシア(第2次大戦中に日本に占領され、1965年のスハルトの軍事独裁政権が確立後、米国の代理国家となる)が含まれていました。このアジアでの米国の勢力圏は、その支配をフランスの元植民地インドシナの所有地に広げました。これには第2次大戦中に日本の軍事占領下にあったベトナム、ラオス、カンボジアが含まれていました。
米国のアジアでの支配権は、主に日本、フランス、オランダの植民地の管轄下にあった国々で勢力圏を確立することに基づいていました。
連続性:トルーマン・ドクトリンからネオコンまで ブッシュ政権下でのネオコンの政策は、(二大政党の)「戦後」外交政策の枠組みの全盛期として見るべきです。その政策は、現在の戦争と残虐行為計画に基づいていて、それには拷問部屋と強制収容所の設立、そして禁止されている民間人への広範な武器使用が含まれます。
朝鮮、ベトナム、アフガニスタンでの戦争からラテン・アメリカ、東南アジアでのCIAの支援を受けた軍事クーデターまで、その目的は米国の軍事支配と世界経済支配を確保することでした。その目的は「トルーマン・ドクトリン」の下、最初に策定されたものです。60年以上の期間にわたって、ハリー・トルーマンからバラク・オバマまで、著しく政策が違っているにもかかわらず、この世界軍事政策を実行してきました。
米国の戦争犯罪と残虐行為 私たちが論じているのは、犯罪的な米国の外交政策です。犯罪は国の一人あるいは大勢の指導者に付随しているものではありません。それは国家政策全体に付随しているものです。それは、様々な民間機関や軍事機関であり、それと同様に米国の外交政策形成の背後にある強力な企業利益であり、ワシントンのシンクタンクであり、軍事機構に融資をする債権機関です。
この期間は、1950年の朝鮮戦争を初めとして、中東や中央アジアでの戦争に及ぶまで、広範囲に及ぶ戦争犯罪によって特徴づけられます。その結果、1,000万人以上の人々が死んでいます。この数字は、貧困や飢餓や病気で死んだ人々は含まれていません。
戦争犯罪は、米国そして外交政策の組織犯罪の結果です。私たちは単に個々の戦争の犯罪者を論じているのではなく、いろんなレベルの政策立案者たち巻き込んで、戦争犯罪を命令する過程を論じているのです。そこではみな確立された指針とやり方に従っています。
米国の財政的支援を受けた犯罪と残虐行為の歴史的記録に関して、ブッシュ政権とオバマ政権を際立たせているものは、強制収容所、標的を絞った暗殺、拷問部屋が公然と軍事介入の合法形態であると考えられていることです。それが「世界的な対テロ戦争」や欧米流の民主主義の流布を維持しているのです。
朝鮮戦争の歴史的重要性:米国の世界戦争計画 朝鮮戦争はその後に続いた米国の軍事介入のお膳立てをしました。朝鮮戦争は第2次世界大戦後の「軍事的ロードマップ」の最初の手始めでした。半世紀に及ぶ、米国主導の戦争、特殊作戦、クーデター、秘密作戦、米国に支援された反政府運動と政権転覆の「軍事的ロードマップ」です。主権を有する政府を倒すことに力を注ぐCIAの秘密作戦は言うに及ばず、世界戦争の計画が、米国の軍部の地域的指揮系統を通じて、世界の重要な地域で実行されてきました。
この世界的な征服の計画は最初、いわゆる「トルーマン・ドクトリン」の下で確立されました。「トルーマン・ドクトリン」は、国防総省が後に(冷戦のあとネオコンの下で)名付けた米国の「長い戦争」を始めました。
私たちが論じていることは、世界戦争、世界的な征服の過程、軍事化と企業の拡張主義です。企業の拡張主義が推進力です。「経済的征服」が、情報作戦と軍事作戦を伴って実行に移されます。財政的・金融不安定化が主権国家に向けられた経済的戦争の別のメカニズムです。
ジョージ・W・ブッシュの大統領選挙に先行する2,000年に、ワシントンのネオコンのシンクタンクである「アメリカ新世紀プロジェクト」(PNAC)が、米国軍部のための4つの中心任務を規定しました。
・米国本土を防衛すること
・複数の、同時に起きている主戦場で、決定的な勝利をおさめること
・危機的な地域における安全保障環境を作るために「警官」の役割を果たす
こと
・「軍事革命(ハイテク化された軍事技術)」をして、米軍を変革すること
ジョージ・W・ブッシュの国防副長官ポール・ウォルフォイツ、国防長官ドナルド・ラムズフェルド、副大統領ディック・チェイニーは、2,000年大統領選挙に先立って「アメリカ新世紀プロジェクト」(PNAC)に青写真の作成を委託しました。
「アメリカ新世紀プロジェクト」(PNAC)は、征服のロードマップを概説する。
それは、中央アジアと中東の至るところに米国の「前進基地」を直接配置することを要求している。「その目的は、米国の世界の経済的支配を保証するために、いかなる潜在的な『競争相手』も押さえつけ、米国の『自由市場』経済のいかなる代替手段も抑圧することだった」。
戦場と違って、いわゆる「警察機能」は世界の軍事的治安維持を意味しています。それは、懲罰的爆撃と米国特殊部隊の派遣などを含む、様々な軍事介入の手段を使います。「警察機能」はイランに対する米国の戦争計画の最初の局面で考えられました。それらは、いわゆる戦場に「代わるもの」として採用される特殊な軍事介入と確認されました。
この文書には見せかけはありません。その目的は厳密に軍事的なものです。平和維持や民主主義の普及における米国の役割の議論はありません。15 主なPNACの文書は、「新しい世紀のための、米国の防衛、戦術、軍隊、資源の再建」という表題がつけられています。(PNACのウエッブサイトhttp://www.newamericancentury.org)
米軍による韓国占領は東アジアの軍事化 ワシントンは、韓国と北朝鮮だけでなく、北朝鮮と中国の間にも政治的分裂を作り出すことに熱中しています。その目的は最終的に北朝鮮を孤立化させることです。辛辣な皮肉ですが、韓国の米軍施設は軍事的包囲過程の一環として中国を脅すために使われています。同様に、ワシントンは国家間の政治的分裂を作ろうとすると同時に、隣国間での戦争を煽ってきました。(例えば、1980年代のイランーイラク戦争、インドとパキスタンの間の対立)
国連司令部の委任(UNC) 60年後、偽りの国連命令で、米軍による韓国軍事占領が広く行われています。言っておく価値があることは、国連は正式に国連軍司令部を創設したことは決してなかったことです。国連安全保障理事会による正式な決定なしに、米国によってその司令部は作られました。1994年、国連事務局長ブトロス・ガリは北朝鮮外務大臣への書簡の中で次のことを明らかにしました。「安全保障理事会は、その管理下の補助機関として統合軍を設立したことはなく、そのような統括部隊の創設を勧告(1950年)し、その部隊は国連の権限下にあるべきだと明記しただけです」。
米韓合同軍司令部(CFC) 韓国は今もなお米軍の軍事占領下にあります。朝鮮戦争と休戦協定の署名に続いて、韓国軍はいわゆる国連軍司令部の管轄下に置かれました。この配置は、韓国軍のすべての部隊が事実上米国の指揮官の支配下にあることを意味しました。1978年、米国の将軍が代表を務める米韓二国間の合同司令部が創設されました。実質的に、これはいわゆる国連司令部に関してのレッテルの変更でした。今日まで韓国軍は米国の将軍の指揮下にあります。
米国が韓国軍の戦時作戦統制権を2015年に韓国に返還する時、米韓合
同司令部はもともと廃止されることになっていましたが、これは韓国の防衛
を弱体化する可能性があるという恐れがここにきて出てきました。この気持
ちの変化は、北朝鮮のますます増加する好戦的な言辞の中で出てきました。
朴槿恵は、状況説明会の時に軍の高官たちに、北朝鮮のいかなる挑発に
対しても「即座の強力な反撃」を加えるよう述べました。北朝鮮の脅威は
「かなり深刻である」と彼女は考えていると言いました。そして付け加えま
した。「国民や我が国に対する挑発があったら、いかなる政治的考慮も
せず、軍は迅速に強力に反応すべきである」。16
在韓米軍(USFK) 1957年、在韓米軍(USFK)が創設されました。それは「米国太平洋軍に従属する統合軍」と記されています。それは、ロシアと中国を含むその地域の第三国を攻撃するために配備できるものでした。米国防省の最近の数字では、韓国に現在(2013年4月)、在韓米軍の下に37,000人の米軍部隊が駐留していることを確認できます。
米軍によって統合されている在韓米軍は、1978年に創設された米韓合同軍司令部(CFC)とは違うものでした。米韓合同司令部は、米陸軍大将と副司令官である韓国陸軍大将によって指揮されています。(United States Forces Korea | Mission of the ROK/US Combined Forces Command参照)
現在の在韓米軍司令官は、ジェイムズ・D・サーマン大将です。彼はまた米韓合同司令部の指揮官と国連司令部の指揮官を引き受けています。(United States Forces Korea | USFK Leadership参照)
国防省から命令を受けているサーマン将軍は、韓国の大統領、最高司令官である朴槿恵より優位に立っています。
理論上は韓国の指揮下にある韓国軍(陸軍、海軍、空軍)の通常の兵士は、60万人以上の現役兵と200万人以上の予備兵から成り立っています。しかし、米韓合同軍司令部の条項によれば、これらの部隊は事実上、米国の大将が代表を務めている米韓合同軍司令部の指揮権下にあります。
このことが意味していることは、在韓米軍37,000人に加えて、事実上、米国の指揮系統が韓国軍の全実戦部隊に対する管理権を持っているということです。本質的に、韓国はその国軍を統制していないということです。韓国軍は本質的には外国の利益に奉仕しています。
毎年、米韓は北朝鮮に向けられた軍事演習を行っています。これらの軍事演習は、北朝鮮への通常攻撃と核攻撃のシミュレーションを行い、休戦協定と重なる7月下旬にしばしば行われます。
一方、韓国の西海岸と済州島の米軍基地が、軍事的包囲の過程の一環として中国に脅威を与えるために使用されます。米韓合同軍司令部の米韓合意から、米国指揮下の韓国軍が、その地域の米国軍事作戦と連携して配備されます。その軍事作戦は、在韓米軍 (USFK)や米国太平洋軍(USPACOM)と活発に連携しています。
韓国は米国武器産業にとって数十億の大鉱脈です。過去4年間の間に、韓国は世界で4番目に大きな武器輸入国で、「米国がその武器購入の77%を占めています。注目すべきことは、これらの武器は韓国の納税者のウォンで購入され、事実上米軍の管理下にあることです。その米軍は、米国の司令官が代表を務めている米韓合同軍事司令部の統合部隊であることは明らかです。
最近の進展の中で、韓国大統領は北朝鮮への先制攻撃の可能性をほのめかしました。
ロンドン・テレグラフによれば、朴槿恵は以下のように述べました。「国軍の
最高司令官として、私は北朝鮮による突発的な挑発について軍の判断を
信頼するでしょう。それは北と直接対決するものだからです。全く動転せず
に人々の安全を守る義務を果たしてください」。
朴槿恵の国防相はまた、平壌に対する積極的な「抑止政策」を約束し、ソウル
は北朝鮮の核とミサイル基地への先制攻撃を考慮していると提起したようで
した。19
朝鮮の核問題。誰が誰を脅しているのか? 歴史的背景:広島と長崎:1945年8月6日、 8月9日マンハッタン計画の下での初期の米国核兵器政策は、「抑止」と「相互確証破壊」 (MAD) *という冷戦の考えに基づいていたわけではありません。
[* 訳注 米ソ冷戦時代(1960年代)に提唱された核抑止
理論。米ソ両国が、自国の核戦力の非脆弱性(相手の攻撃
に対する残存能力)を向上させて相手の先制攻撃から自国
の核戦力の一部が必ず生き残るようにし、報復攻撃で相手
を確実に破壊できる第二撃能力を確保することによって、核
攻撃を相互に抑止することができるとするもの。出典:Weblio
辞書/提供外務省]
朝鮮に関連する米国の核政策は、1945年に広島と長崎への原爆投下に続いて確立されました。この原爆投下は主に民間人に向けられたものでした。
その戦術的目的は、「大量の死傷者を出す事件」を引き起こすことでした。その結果数万人が死亡するはずでした。その目的は軍事的征服の手段として国全体を威嚇することでした。軍事的な標的は主な目的ではありませんでした。「巻き添えの被害」という見解が民間人の大量殺害の正当化として使われました。広島は「軍事基地」で民間人は標的ではないという公式の口実の下で行われました。
ハリー・トルーマン大統領の言葉では:
「私たちは世界史の中で最もおそろしい爆弾を発見した。この兵器は日本
に対して使われることになっている。私たちはそれを使うことになる。軍事
的標的、兵士たち、水夫たちが標的であり、女性や子どもたちは標的
ではない。たとえジャップたちが野蛮人で冷酷で無情で狂信的であっても、
公共の福祉のための世界のリーダーとして私たちはその恐ろしい爆弾を
古都や新しい首都に落とすことはできない。…標的は純粋に軍事的なもの
となるだろう。…それはこれまで発見されたなかで最も恐ろしいもののよう
だが、最も役に立つものになり得る」。20(ハリー・S・トルーマンの1945年
7月25日の日記)
「最初の原子爆弾が広島の軍事基地に投下されたことに世界は気づくだ
ろう。それは、最初の攻撃で出来る限り民間人の殺害を避けることを望ん
だからだ」。
(1945年8月9日のハリー・S・トルーマン大統領の国民へのラジオ演説)
(注:最初の原爆は広島に8月6日に落とされました。2番目の原爆は8月
9日に長崎に落とされました。トルーマンの国民へのラジオ演説と同じ日
でした。)
米国政府と軍の高官たちは、広島が軍事基地だと誰も信じていませんでした。トルーマンは自分自身にも米国民にも嘘を言っていました。今日に至るまで、日本への核兵器の使用は、戦争を終わらせ、最終的には「人命を救う」ために必要な犠牲であったとして正当化されています。
広島ドクトリンが朝鮮に適用される:韓国に貯蔵され、配備される米国の核兵器 朝鮮戦争の時、米国は北朝鮮への核兵器の使用を予想していました。1950年6月の朝鮮戦争の開始の10カ月前、ソ連が1949年8月29日に最初の原爆のテストを行ったしばらく後のことでした。必然的にソ連による原爆の所有は、朝鮮戦争の最中には米国による核兵器の使用に対する抑止力として働きました。
朝鮮戦争のすぐに後に、北朝鮮に関する米国の核兵器政策に転換がありました。核兵器の使用は、中国とソ連を含む冷戦の核保有国は介入をしないだろうという前提があったので、北朝鮮に対しては先制攻撃の原則で考えられていました。
朝鮮戦争が終わってからわずか2・3年後、米国は韓国での核弾頭の配備を始めました。議政府(ウィジョンブ)と安養市(あにゃんし)でのこの配備は、1956年には構想されていました。
米国が核弾頭を韓国に持ち込む決定をしたことは、休戦協定の第13項(d)のあからさまな違反であることを述べておかなければなりません。休戦協定では、交戦中の両派が朝鮮に新しい兵器を導入することを禁止していました。
実際の核弾頭の配備は、1958年の1月に始まりました。朝鮮戦争が終わってから4年半後のことです。「5つの核システムの導入がありました。オネスト・ジョン地対地ミサイル、マタドール巡航ミサイル、核爆破資材(ADM)核地雷、280mmカノン砲、8インチ(203mm)榴弾砲」。21(核情報:朝鮮での米国核兵器 参照)
デイビー・クロケット自走ミサイル[戦術核兵器]は韓国に1962年7月から
1968年7月の間に配備されました。その核弾頭は最大0.25キロまでの
選択的核威力を持っていました。その自走ミサイルはわずか34.5キロ
(76ポンド)の重さでした。戦闘爆撃用の核爆弾は1958年3月に到着しまし
た。その後1960年7月から1963年9月の間に、3つの地対地ミサイル(ラク
ロス、デイビー・クロケット、サージェント)が続きました。対空そして地対地
の二つの任務を持つナイキミサイルが、1961年1月に到着しました。そして
最後に155ミリ榴弾砲が1964年10月に到着しました。増強のピーク時
には、950近くの核弾頭が韓国に配備されました。
| | |
オネスト・ジョン | デイビー・クロケット | ナイキ・ハーキュリーズ |
[写真はウイッキペディアから]
4つのタイプの武器は数年だけ配備されましたが、他のタイプは数十年間、
配備されたままでした。8インチ榴弾砲は1991年暮れまで配備され、それは
韓国で米国の核兵器配備の33年間ずっと配備された唯一の兵器でした。
最後まであった他の兵器は、空中散布式の爆弾(B61核爆弾を最後に、
いくつかの違ったタイプの爆弾が何年にもわたって配備された)と155ミリ
榴弾砲核砲弾でした。22
公式には米国の韓国での核兵器の配備は33年間続きました。その配備は中国とソ連と同じように北朝鮮も標的にしていました。
韓国の核兵器プログラム 米国による韓国での核弾頭配備と同時期に、かつそれと連携して、韓国は1970年代初頭に自分自身の核兵器プログラムを始めていました。表向きの話では、米国はソウルにその核兵器プログラムを放棄させ、核分裂物質を生産する前の1975年4月に「核不拡散条約(NPT)に署名をさせるよう圧力をかけた」ということです。23
実際に韓国の核の構想は、米国の監視のもとで最初1970年代の初頭からありました。そして北朝鮮を脅すために米国の核兵器の配備の構成部分として進展していました。
その上、このプログラムは1978年に公式には終わっていたのに、米国は科学的専門知識そして核兵器使用の韓国軍人の訓練を促進していました。そして留意すべきことは、米韓合同軍司令部の合意の下、韓国のすべての作戦部隊は米軍司令官を長とする統合部隊の下にあるということです。つまり、韓国の軍部によって設立された軍事施設と基地は事実上共同施設であるということを意味します。韓国には全部で27の軍事施設があります。24
韓国からの核兵器の公式の撤去 軍事情報筋によりますと、韓国からの核兵器の撤去は1970年代の中頃に始められました。
鳥山(オサン)空軍基地の核兵器貯蔵場所は、1977年暮れに稼働が取り止
めになりました。この縮小はその後何年もの間続き、韓国の核兵器の数
は1976年のおよそ540発から1985年のおよそ150発の砲弾と爆弾に減少
しました。1991年の大統領の核イニシャティブの時までに、およそ100の
核弾頭が残っていましたが、そのすべてが1991年12月に引き上げられ
ました。25
公式声明によれば、米国は1991年12月に韓国の核兵器を引き上げました。
米国本土と米国潜水艦からの北朝鮮に対する核攻撃計画 この韓国からの核兵器撤去は、北朝鮮に向けられた核戦争の脅威を決して修正するものではありませんでした。それどころかそれは核弾頭の配備に関する米国の軍事戦略の変化に関係していました。北朝鮮の大都市は、韓国の軍事施設からより、むしろ米国本土からと弾道ミサイル搭載原子力潜水艦(SSBN)から核弾頭の標的となりました:
1991年12月の韓国からの(米国)核兵器の引き上げの後に、シーモア・ジョ
ンソン空軍基地の第4戦闘航空団が北朝鮮に対する核攻撃計画の任務を
負わされまし た。それ以来、非戦略核兵器での北朝鮮に対する攻撃計
画は、米国本土の戦闘機の任務となってきました。これらのひとつが北
カリフォルニアのシーモア・ジョンソン空軍基地の第4戦闘航空団です。
「私たちは朝鮮シナリオを使って朝鮮での戦争のシミュレーションをしま
そした。… のシナリオは、…核兵器使用を考慮した国家司令上層部
による決定をシミュレーションしました。… 私たちは戦術核兵器を航空機
に搭載するために、航空機、乗組員、(兵器を)積み込む人員を確認しま
した。…
15分以内に標的への攻撃能力をもつトライデントD5潜水艦発射弾道ミサ
イルは、在韓米軍のための「基幹システム」です。弾道ミサイル潜水艦
と長距離爆撃機からの攻撃です。
非戦略空中散布式爆弾に加えて、太平洋をパトロールしているオハイオ
・クラスの戦略潜水艦に搭載された弾道弾ミサイルが、北朝鮮に対する
任務も持っているようです。1998年からのドッド監察官の報告は、トライデ
ント・システムを「基幹システム」としてリストアップしました。そのシステム
は、米国太平洋軍と在韓米軍によって、「彼らにとって特に重要なもの」
として見なされています。
トライデント・システムの主な任務はロシアと中国の標的に対して向けら
れていましたが、低い弾道のD5ミサイルは、北朝鮮の緊急を要する標的
に対して、素早く(12-13分)攻撃する特別な能力をもっています。他の
米国の核兵器システムは、そんなに早く弾頭を目標に向けることはでき
ません。2、3隻の弾道ミサイル搭載原子力潜水艦は、いつでも太平洋で
「厳戒態勢」にあります。その潜水艦は、指定されたパトロール地域から、
ロシア、中国、北朝鮮を警戒しています。
長距離戦術爆撃機は北朝鮮に対する核攻撃の役割を割り当てられて
いるかもしれません。しかし詳細はほとんど分かっていません。空軍の
地図は、北朝鮮へのB2爆撃機の攻撃の役割を提案しています。地面を
貫通するB61-11核爆弾の指定された運搬装置として、B2爆撃機は
に北朝鮮で深く埋められた地下施設対する潜在的な核攻撃の任務の
ための強力な候補です。
B61-11地中貫通型核爆弾(爆発能力は広島型爆弾の3分の1から6倍)、そしてロバスト地中貫通型核爆弾用の運搬装置としてB2ステルス爆撃機は、北朝鮮の標的に対する重要な役割を担っている。最近の新たな性能向上で、8時間以内にB2爆撃機の核攻撃準備を可能にしています。26
公式には米国の韓国での核兵器の配備は、33年間続いたということで
すが、多くの核弾頭が韓国に今もなお貯蔵されている証拠があります。
「当時の韓国政府は核兵器の撤去を正式に発表してきましたが、米国の
陳述はそれほど明確ではありませんでした。その結果長い間、特に南北
朝鮮で、韓国に核兵器が残っているという噂が根強く残っていました。
しかし、1991年の太平洋軍総司令部の機密解除された部分で、核兵器
撤去については1998年に太平洋軍によって正式に発表されました」。27
(核情報プロジェクト:韓国からの米国の核兵器の撤去)
最近の報告は、北朝鮮に対して先制攻撃用の核兵器が、韓国に貯蔵されていることをほのめかしています。そのような行為は北朝鮮全体を強烈な核放射線地域にすることになることはよく理解されていることです。
ブッシュ政権の2001年の核戦略見直し:核先制攻撃 ブッシュ政権は、2001年の核戦略見直しで、9.11後の新しい「先制攻撃」核戦争ドクトリンの概要を確立しました。つまり、それは非核保有国に対して「自衛」の道具として核兵器が使えるというものでした。
北朝鮮に向けられた「米国の核攻撃能力の必要性」が、ネブラスカ州オマハの米国戦略軍司令部で世界的な攻撃任務の一部として確立されました。いわゆるCONPLAN8022です。この計画は、中国やロシアだけでなく北朝鮮も含む多くの「ならず者国家」に対して向けられたものでした。
2005年11月18日、北朝鮮を含む核戦争演習テストの成功後、新しい
宇宙地球攻撃統括部隊(Space and Global Strike command)がアメ
リカ戦略軍(STRATCOM)で始動しました。朝鮮に対する現在の米核
攻撃計画は、3つの役割を果たすようです:第一は戦争行為に前に、
北朝鮮の行動に影響を与えることを目的とする、伝統的な戦争抑止
という曖昧に定義されたものです。
この役割は2001年の核戦略見直しによって、戦争抑止だけでなく、北朝
鮮に大量破壊兵器追求をやめさせるまで幾分広げられました。
北朝鮮が50年間核兵器と対決してきた後に、どうして核兵器能力を増加
させることで北朝鮮が大量破壊兵器(核兵器プログラム)追求を思いとど
まると、ブッシュが信じたのか、それは謎です。28
核戦争の脅威:北朝鮮対米国 西側のメディアは口をそろえて北朝鮮の核の脅威に焦点を合わせますが、朝鮮の歴史を見直す時、重要なことは核能力が非対照的なことです。
半世紀以上にわたって、米国が核兵器で北朝鮮を脅してきた事実は、西側メディアによってほとんど認識されていません。
どこに脅威があるのでしょうか。
米国と北朝鮮の間の核兵器能力の非対称性は強調されなければなりません。
Arms Control.org[軍縮](2013年4月)によれば、米国は
「5,113の核弾頭を所有しています。それには、戦術核兵器、戦略核兵器、
未配備の核兵器が含まれています」。最近の新しい戦略兵器削減交渉(
START)の声明によれば、米国は5,113以上の核兵器から、「1654の戦略
核弾頭を、展開されている729の大陸間弾道ミサイルと潜水艦発射弾道
ミサイルと戦略爆撃機に配備しています」。29
その上、アメリカ科学者連盟によれば、米国は500の戦術核弾頭を所有しています。
2013年4月3日、米国務省は、ロシアとの新しい戦略兵器削減交渉
(START)のデーター交換で、新しい事実が書かれた印刷物を発行しまし
た。新しい戦略兵器削減交渉で説明する義務がある配備されている核
弾頭数と、それぞれの国が持っている運搬システムの情報を共有しま
した。2010年5月3日、米国国防総省は初めて米国の備蓄品の核弾頭
(5,113)の総数を発表しました。国防総省は、この備蓄品に機能している
核弾頭と機能していない核弾頭を含めています。機能している核弾頭は、
作戦行動可能なものであり、配備されているか配備可能なものです。
機能していない核弾頭は、「作戦不可能な状態で」維持されているもので
あり、トリチウムのボトルが取り外されたものです。(情報源:軍縮協会、
科学者同盟、核分裂性物質についての国際パネル、米国防総省、
米国務省。)30
その一方、同じ情報源によれば、北朝鮮は、
「大雑把に言って4~8個の核弾頭のための十分なプルトニウムを分離し
ました。北朝鮮は2010年に遠心分離機の施設を公表しました。しかし、
核兵器用の濃縮ウランを製造する能力ははっきりしないままです」。31
(Arms Control.org)
さらに、専門家の意見によれば:
「北朝鮮が米国や他の誰かに核武装ミサイルを打ち返す手段があると
いう証拠がありません。これまでのところ、北朝鮮はいくつかの原爆を
製造し、それをテストしましたが、その燃料と核兵器を小型化し、それを
ミサイルに搭載する技術がありません」。32
アメリカの卓越した核科学者の一人、シーグフリード・ヘッカーによれば、
「その最近の脅威にもかかわらず、北朝鮮は核の在庫をまだ多く持って
いません。なぜなら核分裂性物質がなく、核実験の経験を制限してきたか
らです」。33
核戦争の脅威は北朝鮮からではなく、米国とその同盟国から生まれています。
米国の軍事的侵略の暗黙の犠牲者である朝鮮民主主義人民共和国は、戦争に夢中になっている国、米国本土への脅威、「世界平和への脅威」として絶えず描かれてきました。これらの型にはまった非難は、メディアのほぼ一致した意見となってきました。
一方、ワシントンは現在、その戦術核兵器[通常500キロ以下の射距離が短い核兵器のこと]の改良とあわせて、戦略核兵器[威力と射距離が大きい核兵器]の改造に320億ドルをかけています。2002年の上院の決定によれば、これは「周辺の民間人には害のないものである」ということです。
これらの北朝鮮に向けられた潜在的な武力侵略の継続的な脅しと行動はまた、中国とロシアに向けられた東アジアでの広範な米国の軍事的政策の一部と理解されるべきです。
*
(国連安全保障理事会に違反して国連旗を使っている非武装地帯のオバマと朴槿恵大統領)
重要なことは、米国や西側諸国の国中の人々が、北朝鮮やイランよりもむしろ米国が世界の安全への脅威であることがわかるようになったことです。
韓国の経済発展米軍による韓国の軍事的占領は、朝鮮での米国の経済的・金融的利益を大いに支持し保護しています。1945年の始めから、韓国経済の民主化はありませんでした。搾取的日本の工場システムが、朝鮮財閥によって採用されました。それは部分的には日本植民地支配の副産物でした。
最初は、このシステムは極端な低賃金を基礎にしたもので、朝鮮の生産拠点は、西側市場のために低賃金労働の輸出品を生産するために使われました。多くの点で、初期の朝鮮の生産拠点は、朝鮮労働者の権利の低下のもとでの「産業植民地主義」の形態でした。
韓国財閥(チェイバル)の隆盛は、1970年代に始まった経済成長の素晴らしい実績がその源となっています。財閥は「ひとつの持ち株会社のまわりに集められた」多くの会社の集合体です。親会社はしばしば、ひとつの家族や同族会社によって支配されています。一方、後者は韓国の軍事政府の役人たちと緊密なつながりがありました。
韓国の工業と科学技術革命は、西側資本主義への挑戦となりました。米軍の駐留にもかかわらず、韓国はもはや「従属した」経済を持つ「発展途上国」ではなくなりました。競争の激しい世界市場に入れられて、韓国資本主義は日本と西側諸国の多国籍企業と競争をしていました。
1997年のアジア危機*:韓国に向けられた金融戦争 [*訳注 アジア通貨危機のこと。1997年にタイから始まり,アジア各国に
広がった急激な通貨下落とそれによって起こった金融危機・経済危機を
指す。なかでもタイ,インドネシア,韓国はきわめて大きな打撃を受けた。
出典:百科事典マイペディア(平凡社)]
韓国は世界資本主義国家に発展していました。韓国は自国の技術基盤と高度に発達した金融システムを獲得していました。韓国は、世界銀行によっていわゆるアジアの虎[1980年代に急成長を遂げたアジアの国のこと]として分類されていました。
しかし同時に、政治的仕組み全体―それはマクロ経済政策の経営を含んでいました-ワシントンとウォール・ストリートによって支配されていました。米国占領軍の軍事的駐留は言うに及びません。
1997年のアジア危機は重要な転換点でした。1997年暮れに、IMFの緊急援助の押し付けが、あっという間に韓国をひどい不況に追い込みました。社会的影響は壊滅的でした。
主要な金融機関による株式市場と外国為替市場の金融操作を通じて、アジア危機は韓国の事業所を弱体化し、むしばむ一因となりました。その目的は「虎をおとなしくさせ」、韓国財閥を解体し、韓国経済やその産業基盤や金融システムに対して、米国の支配と所有権を取り戻すことでした。
1997年暮れのウォンの崩壊は、外国為替市場での「露骨な空売り」[取引の裏付けとなる株式を確保せずに行う株取引] によって引き起こされました。それは金融戦争の行為に等しいものでした。
いくつかの韓国の財閥は、国際通貨基金(IMF)の命令で、バラバラにされ、解散させられ、倒産を引き起こされました。国際通貨基金(IMF)はウォール・ストリートの利益になるように行動していました。
1997年7月から1999年6月の間に、30の最大財閥のうち11の財閥が崩壊しました。
1997年の国際通貨基金IMFの財政的緊急援助に続いて、韓国の国家経済、ハイテク業種、産業基盤の大部分が、米国と西側の資本によって韓国の債権者と取り決められた様々な詐欺的条項の下で、「盗まれ」ました。
西側の企業は爆買いを続け、金融機関と産業資産を超安値で買い占めました。ソウルの株式市場の下落と結びついて、ウォンの通貨の切り下げは、韓国資産のドル価値を著しく下落させました。
国際通貨基金(IMF)は直接ウォール・ストリートの利益になるように行動をして、大宇テウグループ[韓国の大手財閥]の廃止を要求しました。それには問題を抱えたいわゆる12の大宇の関連会社の株の処分も含まれていました。大宇自動車は容易に手に入りました。これは自然発生的な破産ではなく、金融操作の結果でした。価値ある生産的資産を外国投資家の手に移すのがその目的でした。大宇は、国際通貨基金(IMF)の合意の下で、2001年に大宇自動車をジェネラル・モーターズ(GM)に売却することを余儀なくされました。同様に韓国最大の企業である現代ヒュンダイは、1997年12月の緊急援助に従って持ち株会社を編成し直さなければなりませんでした。
1999年4月、現代ヒュンダイは事業部の3分の2を削減することと、「グループを5つの独立した企業グループに分割する計画」を発表しました。この新たな取り組みは、西側債権者によって課せられた債務削減計画一部であり、国際通貨基金(IMF)によって実行されました。それは、いわゆる「プログラム」の下で実行に移されました。そうすることで、韓国の大きな財閥は小型化され、より小さな事業体に分割されることになりました。
その過程で、韓国の大きな持ち株会社のものだった多くのハイテク部門が西側資本に買い取られました。
韓国の銀行取引の風景も「米国投資家」によって引き継がれました。国中に支店ネットワークがある韓国第一ジュイル銀行(KFB)は、不正な商取引でカリフォルニアを拠点とするニューブリッジ・グループによってひどく安い値段で購入されました。34
同様の怪しげな取り引きによって、カーライル・グループは2,000年9月に韓美(ハンミ)銀行の支配権を握ることが可能になりました。カーライル・グループの取締役会には、元大統領のジョージ・ウォーカー・ハーバート・ブッシュ(シニア)、彼の国務長官であったステイト・ジェイムズ・A・ベイカー3世、元国防長官のフランク・C・カールッチがいました。韓美銀行は、カーライル・グループに率いられた共同事業体と、JPモルガン・チェース[世界最大級の持ち株会社]によって奪取されました。韓美銀行は、1980年代にバンク・オブ・アメリカと韓国の複合企業のグループの間の共同事業として、設立されていました。
3年後、シティバンク
[ニューヨーク市マンハッタンに本拠を置く米国の大手銀行]は、カーライル・グループから韓美の36.7%の賭け金を獲得し、残っているすべての株を買い占めました。それは「西半球でのシティバンクの最大の取得」と言われました。35
数十億ドルの債務危機の引き金となった1997年のアジア危機に続いて、韓国財閥の破砕と韓国国家資本主義の弱体化を目的としている政府の新しいシステムが韓国で設立されました。言い換えれば、1997年12月の国際通貨基金(IMF)の救済合意の署名は、韓国国家の構造の重要な転換を示しています。韓国の金融規制機関は、韓国以外の債権者の利益に役立つように使われています。
結びの言葉:平和に向けて 米国は今もなお朝鮮と戦争状態にあります。
この戦争状態は米国に支援を受け、南北朝鮮に向けられています。それは、北朝鮮に対する持続的な軍事的脅威(核兵器の使用を含む)によって特徴付けられます。それはまた、1945年9月以来の米国の軍事的占領の下にあった韓国をも脅かしています。
現在は韓国には37,000人の米軍がいます。朝鮮半島の地理を考えると、核兵器の使用は必然的に韓国を巻き込みます。このことを米国の軍事計画者は知っているし、理解しています。「平和条約」に関わる来るべき交渉に先立って強調されなければならないことは、米国と韓国は同盟国ではないということです。
「本当の同盟」は、外国の侵入と侵略に対して南北朝鮮をひとつにまとめ、仲直りさせるものです。
これが意味することは、米国が朝鮮国家全体に対して戦争状態にあるということです。
したがって、平和条約の制定は、平和条約に含まれるべき条件で「合意点」を作るために、韓国と北朝鮮の両者による話し合いの開催を求めています。この平和条約の条件は、いかなる状況においても、米国の侵略者に受け入れさせなければなりません。米国の侵略者は朝鮮半島の軍事的駐留を維持することに関わっているので。
この件について注目する価値があるのは、米国の外交政策と軍事の計画者は、すでに自らの「再統一」のシナリオを確立していることです。韓国で米国の占領軍を維持することが断言されています。同様に、ワシントンが描いていることは、「外国の投資家」が北朝鮮経済に浸透して略奪することを可能にする骨組みです。
ワシントンの目的は、朝鮮の再統一の条件を押し付けることです。2000年に発表されたネオコンの『アメリカ新世紀プロジェクト』(PNAC)は、「統一後のシナリオ」では米軍(現在37,000人)の数は増やさなければならず、米軍の駐留は北朝鮮まで広げられると恫喝していました。再統一された朝鮮では、米国の守備隊の軍事的権限は、いわゆる「北朝鮮の安定化作戦」を実行することになるでしょう。
朝鮮の統一は半島での米国駐留の削減と朝鮮での米軍の基本姿勢の
変化を求めるかもしれませんが、その変化は任務の終わりということで
はなく、本当に変化する技術的現実を反映するものとなるでしょう。その
上、現実的な統一後のシナリオでは、米軍は北朝鮮の安定化作戦の
役割を持つ可能性があります。統一後の朝鮮での米国の駐留の正確な
規模と組織を推測するのは時期尚早ですが、朝鮮での米軍の駐留が、
より大きな長期の戦略的目的に役立つことを認識することは早すぎる
わけではありません。現在のところ、半島の現在の米国守備隊で能力
のいかなる削減も賢明ではないでしょう。それどころか、それらを増強
する必要があります。特に北朝鮮のミサイル攻撃に対する防御や大規
模な砲撃能力の影響を制限する能力を増強する必要があります。
やがて、統一とともに、これらの部隊の構造と人員のレベルは変化
するでしょう。しかし、アジアのこの地域での米国の駐留は続けられる
べきです。36 (PNAC、新世紀のためのアメリカの防衛、戦略、軍隊、
資力の再建、p.18、文中に強調を加えた)
ワシントンの意図は非常に明瞭です。
それゆえに重要なのは、これらの話し合いが、外部の第三者の関与と妨害なしで韓国と北朝鮮の間で行われるべきことです。これらの討議では、北朝鮮に向けられた経済制裁の廃止だけでなく、すべての米国占領軍の撤退に取り組まねばなりません。
米国の軍事駐留を取り除き、37,000人の占領軍を撤退させることは、平和条約の必須条件であるべきです。
平和条約に従って、韓国軍を米国の指揮下に置くという現在の米韓合同軍司令部の合意は、破棄されるべきです。それ以後、韓国軍は韓国国家の指揮の下に入るべきです。
これは抜本的な変化です。というのは、現在の合同軍司令部の合意では基本的に、北朝鮮に対する米国支援の戦争では、米国の指揮権で、韓国軍に戦闘を命ずることができることになっています。それは、韓国大統領と韓国軍総司令官の命令より優先しているからです。
韓国と北朝鮮の間での、経済的、技術的、文化的、教育的協力をさらに発展させるために、二国間協議が取り組まれなければなりません。
経済的主権は中心的な問題です。1997年の国際通貨基金IMFの緊急援助の後に行われた闇取引に対処するべきです。これらの商取引は、不法で詐欺的な買収、韓国のハイテク産業の大部分の所有、そして西側企業資本による銀行取引につながるものでした。同様に、韓国の環太平洋戦略的経済連携協定TPPへの参入の影響も検討されなければなりません。
平和協定には、南北国境の開通も付け加えることになるでしょう。
2000年の6月の第15回南北共同声明に従って、再統一のスケジュールを決めるために、韓国・北朝鮮合同作業委員会が設立されるべきです。
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ミシェル・チョスドフスキーは、受賞歴のある著者で、オタワ大学の経済学(名誉教授)の教授、グローバリゼーションの研究センター(CRG)モントリオールの創設者であり理事長で、globalresearch.caのウエッブサイトの編集者です。彼は『貧困の世界化』『新しい世界秩序』(2013)『対テロ戦争』(2005)の著者です。彼の最も最近の本は、『第3次世界大戦のシナリオに向けて:核戦争の危険』(2011)という題名です。彼はまたブリタニカ大百科事典の寄稿者です。彼の著作物は20ヶ国語以上で出版されてきました。
ミシェル・チョスドフスキーは、クアラルンプール戦争犯罪委員会のメンバーです。その委員会はジョージ・W・ブッシュおよびその他の者たちを「拷問の罪と戦争犯罪」で告訴を始めました。(クアラルンプール戦争犯罪法廷の判決、2012年5月)
ミシェル・チョスドフスキーはcrgeditor@yahoo.comで連絡がとれます。
(翻訳 岩間龍男)
Notes
1 Interview with General Wesley Clark, Democracy Now March 2, 2007.
2 Martin Hart-Landsberg, Korea: Division, Reunification, & U.S. Foreign Policy. Monthly Review Press. New York, 1998 pp. 65–6). The PRK was abolished by military decree in September 1945 by the USAMG.
3 Jay Hauben, Book Review of I.F. Stone’s “Hidden History of the Korean War”, OmnyNews, 2007, http://www.globalresearch.ca/the-hidden-history-of-the-korean-war/5342685
4 Ibid.
5 Quoted in Stephen Lendman, America’s War on North Korea, Global Research, http://www.globalresearch.ca/americas-war-on-north-korea/5329374, April 1, 2013
6 Ibid
7 Bruce Cumings, Korea: Forgotten Nuclear Threats, 2005
8 Ibid
9 Quoted in Brian Willson, Korea and the Axis of Evil, Global Research, October 2006.
10 Ibid.
11 AssoCIAted Press Report, http://www.globalresearch.ca/us-coverup-extrajudicial-killings-in-south-korea/9518, July 6, 2008
12 Wikipedia
13 George F. Kennan, State Department Brief, Washington DC, 1948
14 Ibid.
15 The main PNAC document is entitled Rebuilding America`s Defenses, Strategy, Forces and Resources for a New Century, The PNAC website is: http://www.newamericancentury.org
16 Chosun Ibo, April 13, 2013
17 See United States Forces Korea | Mission of the ROK/US Combined Forces Command.
18 See United States Forces Korea | USFK Leadership
19 U.S.- S. Korea Military Gameplan | Flashpoints | The Diplomat, April 4, 2013
20 President Harry S. Truman, Diary, July 25, 1945
21 See The nuclear information project: US Nuclear Weapons in Korea
22 Ibid.
23 Daniel A. Pinkston, “South Korea’s Nuclear Experiments,” CNS Research Story, 9 November 2004, http://cns.miis.edu
24 See List of United States Army installations in South Korea – Wikipedia, the free encyclopedia
25 The Nuclear Information Project: Withdrawal of US nuclear weapons from South Korea
26 Ibid
27 The Nuclear Information Project: Withdrawal of US nuclear weapons from South Korea, emphasis added
28 Ibid, emphasis added
29 ArmsControl.org, April, 2013
30 Ibid
31 Ibid
32 See North Korea: What’s really happening – Salon.com April 5, 2013
33 Ibid
34 See Michel Chossudovsky, The Globalization of Poverty and the New World Order, Global Research, Montreal, 2003.
35 See Citibank expands in South Korea – The New York Times, November 2, 2004.
36. Project for A New American Century (PNAC), Rebuilding America`s Defenses, Strategy, Forces and Resources for a New Century, Washington DC 2000, p. 18, emphasis added
The original source of this article is Global Research
Copyright © Prof Michel Chossudovsky, Global Research, 2017
<新見コメント>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「朝鮮の人々に対する米国の戦争: 米国戦争犯罪の歴史的記録」をやっとブログ「寺島メソッド翻訳NEWS」に載せることができました。岩間龍男さんが翻訳されたものですが、私も翻訳しようとしていた英文なので協力し、編集してみました。まだまだ不完全ですのでみなさまのご指摘をいただき、より読みやすい翻訳にしていきたいと思っています。
最新のチョスドフスキーの原稿もGlobal Research(2018.1.23)*に載っていますが、この英文は2013年9月13日のもので、少し前のものですが、現在の北朝鮮をめぐる危機的状況の原因を、歴史を追って解き明かしてくれます。1945年日本の敗戦から、1950年からの朝鮮戦争、その後の韓国へのアメリカの核兵器配備など、北朝鮮核ミサイル実験の脅威を煽り立てるマスコミの言論がいかに間違っているかを歴史的事実をもとに解き明かしてくれています。朝鮮戦争後すぐに、アメリカは停戦協定に違反して韓国への核兵器配備始め、最高で950近くの核弾頭を33年間配備していました。その脅威に対して、いかに北朝鮮が自国を守ろうとしてきたかがよくわかります。
*North Korea and the Dangers of Nuclear War: Towards the Implementation of a Peace Project
「北朝鮮と核戦争の危機: 和平プロジェクトの実施に向けて」
By Prof Michel Chossudovsky Global Research, January 23, 2018
https://www.globalresearch.ca/what-you-need-to-know-about-north-korea-and-the-dangers-of-nuclear-war/5615328
もう一つ私が興味を抱いた点は、I・S・ストーンが「朝鮮戦争は北が侵攻をしてくるように、南が38度線を越えて挑発して起こったものだ」という視点を取り上げて説明している点です。和田春樹やブルース・カミングを読んでも、朝鮮戦争開始の説明で、南が38度線を越えてたびたび挑発していたことは書かれていますが、それよりも北とソ連、中国との開戦承認に到るまでのやりとりに多くをさかれています。アメリカの開戦に至までの交渉記録は余りありません。
チョスドフスキーはI・S・ストーンの論をさらに敷衍して、日本の真珠湾攻撃、ベトナムのトンキン湾事件も「挑発を仕掛けておいて、相手に攻撃させる」作戦であったように、朝鮮戦争も南の挑発から戦争を起こさせたのだとすると、アメリカが戦争を起こす手口が一貫して理解できます。それをチョスドフスキーは「トルーマン・ドクトリン」から解き明かしてくれます。
イタリアで共産党が優勢であったとき、グラッジオ作戦で犯行が左翼勢力がやったものであるように見せかけ、左翼勢力を追い落としていったように、イラクで大量破壊兵器があると宣伝してイラクを壊滅させていったように、リビア、シリアで独裁政権に対する民主化運動であるかのように装って、アメリカが偽旗作戦で他国を破壊していった例はきりがない。
私たちはこの視点から朝鮮戦争を見直すことが重要であると思いました。そして現在の北朝鮮脅威論がどのようにでっち上げられているかを見極めるためにも、このチョスドフスキーの文章は貴重なものです。
なお翻訳の説明で、( )はチョスドフスキーが解説したもの、[ ]は岩間が解説したものであることを区別しました。