中国 - 寺島メソッド翻訳NEWS
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今年2024年は辰年:シルクロードやBRICKSロード、そして中国ロードが発展する

<記事原文 寺島先生推薦>
Year of the Dragon: Silk Roads, BRICS Roads, Sino-Roads
筆者:ぺぺ・エスコバル(Pepe Escobar)
出典:ストラテジック・カルチャー(Strategic Culture) 2024年1月12日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年2月2日


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中国、ロシア、イランは、より平等で公正な体制に向けた戦いを次の段階へと進めるだろう、とペペ・エスコバルは書いている。

 白熱する2024年を迎えるにあたり、4つの大きな潮流が相互接続されたユーラシア大陸の進展を決定づけるだろう。

 1. 金融・貿易の統合が当たり前になる。ロシアとイランはすでに金融上のやり取り伝達体系を統合し、SWIFT(国際銀行間通信協会)を迂回してリヤルとルーブルで取引している。 ロシアと中国はすでにルーブルと人民元で決済し、中国の巨大な工業能力とロシアの巨大な資源とを結びつけている。

 2.ソ連後の同地域の経済統合は、ユーラシア大陸に偏っていたが、今後はユーラシア経済連合(EAEU)を経由するのではなく、上海協力機構(SCO)と連動した流れが主流となる。

 3.ハートランドに親欧米派が大きく進出することはなくなるだろう。中央アジアの「親米スタン諸国」は、SCOを通じて組織される単一のユーラシア経済に徐々に統合されていくだろう。

 4.覇権国たる米国とその衛星国(欧州と日本/韓国/豪州)が、BRICSの3強国(ロシア、中国、イラン)に代表されるユーラシア統合と、北朝鮮、そしてBRICS10に組み込まれたアラブ世界と対峙することで、衝突はさらに先鋭化するだろう。

 ロシアの最前線では、他の追随を許さない政治学者であるロシアのセルゲイ・カラガノフがこんな頭ごなしの言い方をした:「我が国の根源がヨーロッパにあることを否定すべきではありません。確かに今まで、ヨーロッパは我が国に多くのものを与えてくれました。しかし、ロシアは前進しなければなりません。ただし進む方向は西側ではなく、東と南です。そこに人類の未来があるからです」と。

 東と南にある国は、龍の国だ。今年は辰年なのだから。


毛沢東と鄧小平がつけた道筋

 2023年に中国人が鉄道で移動した回数は36億8000万回で、これは過去最高記録である。

 中国は、2030年までにAIの世界最先端国になる道を急速に歩んでいる。例えば、テック業界大手の百度(バイドゥ)社は最近、ChatGPTに対抗する「文心一言(Ernie Bot)を販売し始めた。中国のAIは医療や教育、娯楽業界で急速に拡大している。

 効率が鍵だ。中国の科学者たちはACCELチップを開発した。ACCELチップのディープ・ラーニング能力は1秒間に4.6兆回の演算をおこなえるが、それと比べてこれまでのNVIDIAのA100は1秒間に0.312兆回の演算しかこなせなかった。

 中国では毎年、米国よりも100万人以上多いSTEM(科学・技術・工学・数学)分野の学生が卒業している。これはAI分野にとどまらない。アジア諸国は科学や数学の競技会で常に上位20%に入る。

 オーストラリア戦略政策研究所(ASPI)は地政学に関してはお粗末な研究しかできていないかもしれない。しかし少なくとも、同研究所は44の重要技術分野で地球のどんな国々が先頭を走っているかについて示す公共事業をおこなっている。

 それによると、中国は37分野で先頭であるとされている。いっぽう米国は7分野だ。両国以外の国はどの分野においても先頭とはされていない。中国が1位とされている分野は、防衛、宇宙、ロボット工学、エネルギー、環境、生物工学、先端材料、量子技術、そしてもちろんAIである。

 中国はいかにしてここまで来たのか? いまこそ、モーリス・メスナーが1996年に出版した『鄧小平の時代:中国社会主義の運命への探求、1978-1994年』を読み返すと、非常に勉強になる。

 まずは、毛沢東政権のもとで、何が起こったのかを把握しておく必要がある。

 「1952年から1970年代半ばまで、中国の純農業生産高は年平均2.5%の割合で増加した。なお、日本の工業化が最も激しく進んだ時期(1868年から1912年まで)における工業生産高の伸び率は1.7%だった」

 産業分野においても、全ての分野で生産高は向上した。具体的には、鉄鋼生産や石炭、セメント、木材、電力、原油、化学肥料の分野だ。「1970年代半ばまでに、中国はジェット機や大型トラクター、鉄道機関車、近代的な外航船舶も大量に生産するようになった。中華人民共和国はまた、大陸間弾道ミサイルを備えた重要な核保有国となった。1964年には初の原爆実験に成功し、1967年には初の水爆が製造され、1970年には人工衛星が軌道に打ち上げられた」

 毛沢東のおかげだ。彼は中国を「世界で最も遅れた農業国のひとつから、1970年代半ばまでに第6位の工業大国へと変貌させた」。ほとんどの主要な社会的・人口統計的指標において、中国は南アジアのインドやパキスタンだけでなく、「一人当たりGNPが中国の5倍である『中所得』諸国」と比べても上位に立っていた。

 これらすべての躍進が鄧小平政権に引き継がれた。「1950年代から1960年代にかけての、集団化された農民によって建設されたダム、灌漑施設、河川堤防などの大規模な灌漑・治水事業がなければ、鄧小平時代の個人農家における高収量は実現しなかっただろう」。

 もちろん歪みはあった。鄧小平による推進が、官僚特権階級が主導する事実上の資本主義経済を生み出したのだから。「すべての資本主義経済の歴史がそうであったように、国家権力は中国の労働市場の確立に大きく関与した。実際、中国では、非常に抑圧的な国家機構が、労働の商品化において特に直接的かつ強制的な役割を果たした。この過程は、歴史的に前例のない速さと規模で進行した」

 鄧小平の経済的大躍進が、社会的にどのような災厄をもたらしたかについては、いまだに議論が尽きない。


悪徳政治のもとでの帝国

 習近平時代が困難な状況に対して毅然として立ち向かい、さらには解決しようとしているなかで、さらに状況を困難にしている要因に、中国と覇権国家米国とのあいだの悪名高い「構造的矛盾」が常に干渉してくる点があげられる。

 米国の政争において、中国に轟々と非難を浴びせかけることほど、正しい一手はなく、2024年には制御不能になるに違いない 。この11月の大統領選で民主党が大失敗し、共和党大統領になるとすれば、大統領がトランプになろうがなるまいが、ロシアではなく中国を最大の脅威とする冷戦3.0あるいは4.0が勃発することは疑いない。

 そして台湾の大統領選も間もなくだ。独立派候補が勝利すれば、緊張関係は飛躍的に高まるだろう。それに加えて、ホワイトハウスの住民が熱狂的な嫌中論者になればどうなるかを想像してみてほしい。

 中国が軍事的に弱かったときでさえ、米帝国は朝鮮半島でもベトナムでも中国を打ち負かすことはできなかった。いまなら、米国が南シナ海の戦場で中国を打ち負かす可能性はゼロ以下だ。

 米国をとりまく状況は最悪だ。

 覇権国アメリカのハードパワー(軍事力)とソフトパワー(経済力他)は、ウクライナにおけるNATOの屈辱的な敗北と、ガザでの虐殺への加担によって、暗黒の虚無に投げ込まれた。

 同時に、BRICS10を率いるロシアと中国の戦略的友好関係が、グローバル・サウスにかなり現実的な選択肢を提供し始めたことで、米帝国の世界での経済力は非常に大きな打撃を受けようとしている。

 中国の学者たちとの交流は、私にとって貴重なものなのだが、彼らがいつも思い起こさせてくれるのは、歴史の舞台とは一貫して、貴族階級及びあるいは金権政治家が互いに戦いあう遊び場であったという事実だ。いま西側連合は、金権政治のなかで最も有害な部類にあたる悪徳政治の方向に「導かれて」いる。

 中国がいみじくも、「十字軍国家」と名付けた西側諸国は、いまや経済的にも社会的にも軍事的にも疲弊しきっている。さらに悪いことに、ほぼ完全に脱工業化している。少なくとも、十字軍の中で脳が機能している人々は、中国からの「切り離し」が大きな災いをもたらすことを理解している。

 中国との戦争に向けた西側諸国の傲慢で無分別な衝動を排除することはできない。中国側は、西側が再び永遠の戦争を始める口実を与えないように、細心の注意を払って自制している。

 その代わりに、中国は米帝国がよく使う戦術を逆に繰り出している。米帝国とその属国(日本、韓国)に対して、希土類の輸入で制裁を加えているのがその一例だ。さらに効果的なのは、BRICS10カ国、オペック・プラス加盟国、EAEU加盟国、そしてほとんどのSCO加盟国の全面的な支援を得て、米ドルを回避し、ユーロを弱体化させようとするロシアと中国の協調的な動きである。


台湾という難題

 中国が繰り出す絶妙な一手を一言で言えば、戦力をまったく駆使せず「規則に基づく国際秩序」を終わらせるというものだ。

 台湾は戦火が交わされないままの大きな戦場であり続けるだろう。大雑把に言って、台湾の人々の大多数は中国との統一を望んでいないし、かといって米国がけしかける戦争に乗ろう、とも思っていない。

 一番欲しいのは現状維持だ。中国も別に焦っていない。鄧小平の計画では、2049年までのいつかで台湾が戻ればいい、と考えていた。

 いっぽう震えるほど焦っているのは米帝国だ。またぞろ「分断して統治せよ」の手法を駆使して、混乱を深め、止めようのない中国の台頭を弱体化させようとしている。

 大規模かつ繊細な文書の読み取りをとおして、中国政府は、台湾のあらゆる動きをつぶさに追跡している。 中国側は、台湾側が平和的な環境で繁栄するためには、交渉する内容が存在するうちに交渉する必要があることを知っている。

 頭脳明晰な台湾人なら誰でも--そして台湾には科学に詳しい一流の頭脳の持ち主がたくさんいる--、米国が自分たちのために戦って死んでくれるとは期待できないことを知っている。まず第一に、米帝国が中国と通常戦争をする勇気がないことを知っているからだ。負けるのがわかっているからだ。しかも(米帝国がいかなる手段を行使しても)惨敗することを知っているからだ。核戦争も起こらないだろう。

 中国の学者たちが私たちに好んで思い出させてくれる事実は、19世紀に清朝(1644-1912)のもとで中国王朝が完全に分断されたとき、「中満支配層は自分たちはこうであるという思い込みを放棄することができず、強硬な必要な措置をとることができなかった」ことだ。

 いまは例外主義者国家たる米帝国が、自分たちの神話的な自己の姿に対する思い込みを保とうとして、宙返りを繰り返しているのだ: ナルキッソスは自分で作った池の中で溺れ死んだ。

 辰年の今年は、主権が支配する年になると言っても言い過ぎではないだろう。米帝国はハイブリッド戦争を仕掛けようと躍起になっており、自国を他国に売りさばいて私腹を肥やした清朝時代の買弁のような、帝国に喜んで追随する商売人支配者層はグローバル・サウスを絶えず妨げる障害となるだろう。しかし、少なくとも、より平等で公正な体制に向けた戦いを次の段階に進めるための、気骨、資源、組織、視座、そして普遍的な歴史観を備えた3つの極が存在する:それは、中国、ロシア、イランだ。

ローランド・ボーア「わたしたちは中国の社会主義的民主主義をもっと語る必要がある」

<記事原文 寺島先生推薦>
Roland Boer: We need to talk more about China’s socialist democracy
出典:Friends of Socialist China  2023年9月26日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年11月11日


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ローランド・ボーア氏の論文を掲載させていただきます。氏は、中国・大連理工大学の教授で専門はマルクス主義哲学です。『中国の特色ある社会主義:外国人のための案内書』(シュプリンガー、2021年)の著者です。この論文は、西側諸国に広く無知が蔓延している中国の社会主義的民主主義体制について、非常に貴重な入門書となっています。


私たちは中国の社会主義的民主主義体制について、もっともっと話す必要がある。なぜか?理由はたくさんあるが、主な理由は、少数の「西側」諸国からの中国批判に行動計画を決めさせてはならないということだ。そこで、次のような主張を提案しよう:中国の社会主義的民主主義体制はすでにかなり成熟しており、他のどの民主主義体制よりも優れている。実は、これは私の提案ではなく、多くの中国の専門家の提案である。彼らは、中国の社会主義的民主主義体制がすでにその潜在的な資質を発揮しつつあることをはっきりと認めている。もちろん、この制度がどのように機能し、どのように絶えず改善されているのかについては、もっと多くのことを知る必要がある。

話を進める前に、「民主主義」の意味に関する先入観や思い込みを捨てていただきたい。もしあなたが数少ない「西側」諸国の出身であれば、何年も前に毛沢東が指摘したように、「民主主義」に関する思い込みをあなたの頭から洗い流す必要があるだろう。「民主主義」それ自体というものは存在せず、民主主義の歴史的形態があるだけである。その中でも、西欧型の資本主義的民主主義は、限られた政党の候補者による定期的な選挙に限定されたものであり、ひとつの形態に過ぎない。

これとは対照的に、社会主義的民主主義は100年以上の発展を遂げ、まったく異なるものであり、ますます成熟している。


概要

まず概要から説明すると、中国の社会主義的民主主義体制には、7つの統合された構造、すなわち、制度形態がある。選挙民主主義、協議民主主義、草の根民主主義、少数民族政策、法による統治、人権、共産党の指導である。図を使って説明しよう。

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明らかに、私はここでこれらの構成要素すべてを扱うことはできないし、ましてや実践から生まれる政治理論も扱えない。これらの問題については、『中国の特色ある社会主義::外国人のための案内書』(スプリンンガー、2021)に書いたので、そちらを参照していただきたい。そこには中国語の著作への大量の言及がある。ここでは、選挙制民主主義、協議制民主主義、基層(草の根)民主主義に焦点を当てたい。


選挙民主主義

中国では、選挙民主主義は主に人民代表大会に関して行われている。中国が世界の舞台の中心に躍り出たことを受け、年に一度、通常は3月か4月に開催される全国人民代表大会(NPC)への注目は(一部には誤った見方もあるが)高まっている。選挙で選ばれた数千人の代表が北京に集まり、重要な決定を下す。実際、全国人民代表大会は中国の最高立法機関であり、何事も法律となるには全国人民代表大会の承認を得なければならない。

しかし、全国人民代表大会はより広範な組織の一部である。全国人民代表大会には5つのレベルがあり、最も基本的な階層は村や少数民族の郷、町にある。

1. 全国人民代表大会(1954年9月初開催)
2. 省、自治区、中央政府直轄の市の大会
3. 大都市小区と自治県の大会
4. 分区されていない都市、市区、県、自治県の大会
5. 村、少数民族郷、町の大会

中国の人口が14億人であることを考えると、全国にきわめてたくさんの人民代表大会があることになる。

選挙はどのように行われるのか? すべての人民代表大会には、代表を選出する必要がある。

なるほどすばらしい仕組みだが、しかし、人々は投票するのだろうか? 18歳以上のすべての国民には選挙権があり、選挙が有効であるために必要な候補者の数と有権者の数については厳格な規定がある。すべての国民に投票権があり、選挙区内の有権者の50%以上が実際に投票して初めて選挙が成立する。過半数の票を得た候補者が当選する。

誰が選挙に立候補できるのか? 国民であれば誰でも選挙に立候補することができる。候補者はすべての政党や大衆組織から推薦を受けることができ、直接選挙では有権者10人以上、間接選挙では代議員10人以上の推薦者があれば、候補者を推薦することもできる。

何人が立候補者するのか? 基本的な約束として、候補者の数は選出される代議員の数より多くならないといけない。直接選挙では、候補者の数が選出される代議員の数より30%~100%多くなければならない。間接選挙での候補者の数は、選出される代議員の数より20%~50%多くなければならない。

なぜ直接選挙と間接選挙を区別するのか? 人民代表大会の下位2段階の選挙は直接選挙であり、地元の人々が候補者に投票する。次の3段階は間接選挙で、簡単に言えば、下位の人民代表大会の代表が上位の人民代表大会に選出される可能性があるということだ。したがって、3000人ほどの代表が全国人民代表大会(全人代)のために北京に赴く準備をするまでには、すでにこの任務のために彼らを選出するための非常に詳細な過程が存在している。

候補者は審査されるのか? もちろん。人々の幸福に真に貢献するために必要な技術と能力を備えた、経験豊かで質の高い人材が必要だからだ。彼らが中国の社会主義体制の支持者(批判的ではあったとしても)であるべきなのは言うまでもない。

選挙民主主義は改善できるのか? 政治制度が停滞し、今や分断されつつある数少ない西側諸国とは異なり、中国の選挙民主主義は常に発展途上にあると考えられている。中国における膨大な分析と研究に当たれば、多くの提案が見つかる。人民代表大会の選挙制度を改善する、都市部と農村部における一票の重さの平等の原則を確保する、人民代表大会の常務委員会の能力を強化し、人民代表大会が開かれていないときにその仕事を引き受けるようにする、農村部からの出稼ぎ労働者も含め、有権者全員が投票できるようにする、賄賂を排除し、より効率的な機能を確保するために、統治機関の監督を改善する、などである。

ひとつ疑問が残る。西側諸国の党派間の対立に基づく政治に慣れた観察者は、(COVID-19のような)あらゆることが政治的な点数稼ぎの焦点となるため、全国人民代表大会における投票の仕組みを理解するのに苦労する。たいていの決議案は圧倒的多数で可決される。では、全国人民代表大会は単に空欄( )にその意思を「ゴム印」で押すだけなのか。そんなことはない。さて今度はその仕組みを理解するために、協議民主制に目を向けてみよう。


協議民主主義

この項では、まず歴史から話を始めよう。全国人民代表大会の歴史は1940年代にさかのぼるが[1]、協議民主制の実態と実践はさらに古く、根深い。その鍵は、長い革命闘争の間に解放された紅色地区で発展した「大衆路線(群众路线 qunzhong luxian)」にある。大衆路線の実践と理論に関する初期の精緻な記述は、毛沢東、鄧小平、周恩来などの著作に見られるが、「大衆から大衆へ」というスローガンを作ったのは、もちろん毛沢東である。このスローガンは、非党大衆の意思を中国共産党の政策に統合するという具体的な経験から生まれた実践である。

ここで使われている用語を理解する必要がある。そもそも、「大衆(群众 qunzhong」という用語は含蓄に富んでおり、中国共産党の根幹をなす農村と都市の労働者を指している。同時に、「大衆」という言葉は「人民 renmin)」という言葉と大きく重なる。この観点から、「党が人民を指導する」「人民を中心とする」(以人民为中心yi renmin wei zhongxin)といった表現は、「党が大衆を指導する」「大衆を中心とする」という意味でもある。さらに、「大衆組織」は中国の政治体制において重要な役割を果たしている。大衆組織は、ブルジョア市民社会に見られるような、国家と緊張関係にある社会組織でもなければ、共産党組織でもない。大衆組織は別個のもので、深い政治的根源と長い歴史を持つ「大衆的性格(群众性 qunzhongxing)」がある。つまり、これらは統治機構とは直接関係のない大衆の関心事を代弁しているというのだ。

大衆路線はどのように機能するのか? 学者の馬英徳(2017、p.27)の言葉を引用しよう。大衆路線は「広く動員された大衆の意見に耳を傾けるため、包括的である。大衆の意見が研究され、中央組織の意見となる。理性によって導かれ、大衆の行動を通じて意見が常に検証される。協議と意思決定を結びつける反省を通じて均衡を達成し、大衆の意見が行動に昇華される」。

このような長い実践の歴史から、新中国では協議民主主義と呼ばれるものが生まれた。今日では、以下のようなさまざまな形態がとられている。

1)中国人民政治協商会議(CPPCC)の多くのレベルにおける制度化。中国人民政治協商会議(CPPCC)は、中国共産党大会(CPC)と同時に開催され、中国人民代表大会(NPC)の多くの委員会や代表に対して、立法に関する詳細な助言や協議を行う。

2) 多レベルの中国人民政治協商会議にはあらゆる代表集団からの代表が含まれる。他の8つの政党、少数民族、宗教団体、大衆組織、移民労働者のような新しい社会集団など、である。これらのグループからの代表が人民代表大会に選出されないということではなく、人民代表大会にも選出されるからである。

3) 協議と意見の反映の形態は拡大し続けている。これには、昔ながらの、しかしかけがえのない実践である、顔を合わせての話し合いが含まれるが、現在ではこれに加えて、オンラインでの相談や意見の反映、提案の募集、その他もろもろによって補完されている。携帯電話の無数のアプリも、意見の反映や意見表明に利用できる。何十年もの経験から、中国の人々はこのような慣習に慣れており、あらゆる問題について声を上げる。

4)大衆組織や社会組織、複数の階層からなる人民代表大会、あらゆる階層の党組織(党建設にも関わる)、農村や都市の住民自治組織、地方からの出稼ぎ労働者など、数多くの会議が開かれる中で、協議が標準的な慣行となっている。この民主主義の実践は、都市と農村の統治形態、政策課題(地方予算から国家5ヵ年計画まで)、草の根レベルの直接選挙の構造、労使関係に影響を及ぼしている。

5) 基層レベルまたは草の根レベルの民主主義も協議民主主義の一形態であるが、この実践については次節で述べる。

つまり、中国には2つの実質的な民主主義の実践形態があり、それぞれが長い歴史を持ち、そして極めて重要なことに、それぞれが互いに関わり合い、影響を与え合っているのである。両者が協力し合う方法は、深い文化的歴史と、非対立的矛盾が社会主義建設の鍵であるというマルクス主義的な強調点の両方を持っている。しかし、これでは理論から逸脱してしまうので、前節の最後に提起した疑問、すなわち中国人民代表大会の投票方式に話を戻そう。

欧米流の対立政治、「泥仕合」、政治的点数稼ぎ、政治家が名誉毀損や誹謗中傷で訴追されない「議員特権」に慣れた人々にとって、中国の慣行は少し奇妙に映るかもしれない。その鍵は、選挙制民主主義と協議制民主主義の弁証法的相互作用にあり、選挙制民主主義と協議制民主主義は互いの長所を補い合い、それぞれの限界を解決することができる。

全国人民代表大会の場合、法案が採決にかけられるまでに、審議と協議の極めて長く困難な過程を経ている。先に述べたような多くの機関で何度も会議が開かれ、意見が求められ、意見の相違が遠慮なく述べられる。実際、反対意見も奨励され、合意が得られるまで、討論、修正、さらなる討論が繰り返される。そうして初めて、立法案は全国人民代表大会で採決されるのである。


草の根民主主義

協議型民主主義の明確な形は、「基層的段階(基层jiceng)」民主主義であり、英語では「草の根民主主義(grassroots democracy)」と呼ばれている。ひとつの段階としては、この形の民主主義は人類史上最も古い形態である。私たちはこれを「基層的共産主義」と呼ぶかもしれないが、それは何千年もの間、さまざまな形で再現されてきた。例えば、フリードリヒ・エンゲルスは、ヨーロッパの古い慣習、特にドイツの「マルク協会(Markgenossenschaft)」にとても注目していた。そしてマルクスは、すでに1880年代にロシアの社会主義者からの質問に答えなければならないことに気づいた。ロシアの社会主義者は、資本主義の発展のすべての段階を経ることなく、ロシアの「村コミューン」が共産主義への道を提供できるかどうかを議論していたからだ。

より具体的な段階では、草の根民主主義は、社会主義民主主義体制の一部として、中国で何十年にもわたって独自の形態を発展させてきた。私たちは、革命闘争の時代や紅地区の政治機構、農村部に典型的な「小議会」(小议会xiao yihui)や1950年代の都市部の委員会(ほとんど自然発生的なもの)の中に、草の根民主主義が出現していることに気づく。ここで私が関心を抱いているのは、新千年紀の最初の10年間から草の根民主主義が発展する新たな段階である。今までに、何十万とは言わないまでも、何万もの地域の事例があり、そこから洞察を得ることができる。そして、草の根民主主義の実践に関する分析や研究を掘り下げると、膨大な量の資料が見つかる。

こうした実践の多くは、参加型予算編成に始まり、地方自治の他の多くの分野へと広がっていった。人里離れた山間部の村落、大都市の都市地区、そして多くの町や小さな都市で見られる。非常に多くの事例の中から2つの事例を挙げてみよう。ひとつは、江蘇省無錫(むしゃく)市の参加型予算編成に関するもので、もうひとつは、河南省の小さな県級市である滕州(とうしゅう)市のものである。


江蘇省無錫市

無錫市の参加型予算編成は2006年に始まり、「陽光財政(阳光财政yangguang caizheng)」として知られている[2]。これは、一部の市行政官の腐敗と闘う長い過程の初期段階を示すもので、予算や事業に関わる重要な事柄に地元住民を参加させるために開発された。無錫市の過程は3段階に分けられる。

第1段階:この段階は総合的な協議の段階であり、「会議の前に大衆が推薦する事業」として知られている。コミュニティ(地域共同体)の近隣委員会、住民グループ、住民自身を最大限に活用し、あらゆる段階で意見とフィードバック(意見の反映、調整)が求められる。ソーシャルメディアも意見を集めたり、アンケートを実施するために利用される。

第2段階:これは決定段階であり、「会議での人気投票によって決定される項目」として知られている。手順は以下のとおり:a) くじ引きや過去の代表から会議に参加する住民を選ぶ。その際は庶民や地方人民代表大会の代議員を含めることに重点を置く、b) 第1段階で作成された提案から項目ごとに詳細な報告を行うことから始まる会議を招集する c) 住民代表との広範な協議、討論、対話(住民が理解できない項目や不満のある項目の説明を含む) d) 住民代表による投票を実施する。その際は優先度の高い支出項目と低い支出項目を特定することに重点を置く

第3段階:最終段階は、「会議後の大衆による追跡監視」と呼ばれ、実施進捗状況に焦点が当てられる。この段階では、事業執行責任者は住民委員会にその事業の各段階について常に情報を提供し、定期的に現地調査を行うことが求められる。完成後、住民代表や専門家が事業に対する評価を行い、地域住民もその事業の成果について自治体に意見表明することができる。これらの評価は、新しい事業計画を開発するための過程の一部となる。


河南省滕州市

滕州市は、第一次産業を中心とする小さな県級市である。今では、滕州で民主的審議の対象となるのは、予算だけではなくなった[3]。農村建設の長期計画から家族計画、農村協同医療に至るまで、多岐にわたっている。こうした民主的な活動では、誠実さ、公平さ、政治的意識の高さを評価され、参加者が選出される。新しい利益団体や新興の社会組織からも代表者が選出されるよう、割当が適用される。明らかに、彼らはあらかじめ決められた結果を出すために「人選」されたものではない。また、欧米の制度に見られるような、世論を求めるふりをしてすでに決まったことを進めるような形だけの手法でもない。その代わり、中国の草の根には実質があり、真の代表がいる。

滕州のやり方は「4+2」方式と呼ばれるもので、「4回の会議と2回の公示」である。具体的には

第一回会議:地元の中国共産党支部は幅広い協議と詳細な調査を行い、予備的な提案を行う。

第二回会議:村の「二つの委員会」が中国共産党支部の提案を討議する。

第三回会議:村中の中国共産党委員が集まり、村の「二つの委員会」の意見を討論し、さらに世論を集める。

第四回会議:村民代表会議または村民決議会議が前の会議での提案を討議し、投票する。

第一回目の公告:村民会議の決議事項を7日間以上公告する。

第二回目の公告:決定事項の実施結果を村民に適時に公表する。

無錫市と郴州市は、何千何万とあるこのような慣行のうちの2つの例に過ぎない。重要なのは、彼らは画一的な手法をとらず、十分に試行された的を絞った実行方法をとっていることだ。つまり、草の根民主主義の各実践は、地域の関心事や現実から生まれるということだ。絶え間ない分析と改善提案によって、その手法は洗練され、滕州のように手法が拡大される。経験を重ねることで、参加者は実践に慣れ、より効果的に参加できるようになる。


社会主義的民主主義の実践

本稿では、選挙制民主主義、協議制民主主義、草の根民主主義についてのみ記すことができたが、こうした実践が中国でいかに広範に行われているか、またその背景には実に長い歴史が横たわっていることを洞察していただければ幸いである。全体像を把握するためには、法の支配(この10年でさらに大きな発展を遂げた)、社会主義的人権(社会経済的幸福に焦点を当てた)、少数民族、社会主義的民主主義が中国共産党の指導力を必要とし、そのような指導力によって実際に強化される方法についての資料を提示する必要があるだろう。

しかし最後に、中国における社会主義的民主主義は所与のものではないことを強調しておこう。政治体制が停滞し、萎縮している欧米諸国とは異なり、彼らは社会主義的民主主義に「到達した」とは感じていない。その代わり、中国の社会主義的民主主義は常に進行中である。的を絞った実践、慎重な拡大、社会主義的民主主義のさらなる教育、あらゆる集団からの完全な代表の確保、参加の強化と奨励―これらその他は、単に改革と刷新の絶え間ない実行過程の一部なのである。

おそらく読者は、なぜ私が中国の専門家から引き出した、社会主義的民主主義の潜在的優位性が中国で実現され始めているという観察から始めたのか、おわかりいただけるだろう。現地での私自身の観察によれば、社会主義的民主主義はすでに大きな成熟を遂げている。ただ、私の中国の友人、同僚、同志たちにとっては、社会主義的民主主義はまだ発展途上なのである。


<参考文献>
Boer, Roland(2021)『中国の特色ある社会主義:外国人のための案内書』、シンガポール: Springer, 2021.

Bu Wanhong(2015)『论我国基层协商式治理探索的成就与经验---基于民主恳谈会与 "四议两公开 "工作法的分析(中国における草の根協議型統治の成果と経験について―民主フォーラムと「四会二公」における作業方法に基づく分析)』、河南大学学报(社会科学版)2015 (9):45-52.

Ma Yide(2017)『憲法の枠組みの下での協議民主制の役割とそれに伴う法の支配』、中国の社会科学38 (2):21-38.

毛沢東(1940)「新民主主義について(1940年1月)」『毛沢東著作選集第2巻』:339-84。北京:Foreign Languages Press, 1965.

沈建林、譚世山「参与式预算的中国实践、协商模式及其转型―基于协商民主的视角(中国における参加型予算の実践・協議・変革―協議民主主義の視点に基づく)」湖北社会科学(湖北社会科学)2016 (3):23-26.

[1] この実践は1940年の毛沢東の指示に従ったものである:「中国は今、全国人民代表大会から省・県・区・郷の人民代表大会に至るまで、各級がそれぞれの政府機関を選出する人民代表大会制度を採用することができる」(毛沢東1940:352)。

[2] この例は沈建林と譚世山(2016)から引用した。

[3] 滕州の例は、Bu Wanhong (2015)による。

リヤドを訪れた習近平の提案「石油を買います。支払いは人民元です。」

<記事原文 寺島先生推薦>

アラビアの習と「石油人民元」の推進

Xi Jinping has made an offer difficult for the Arabian Peninsula to ignore: China will be guaranteed buyers of your oil and gas, but we will pay in yuan.

習近平は、アラビア半島にとって無視しがたい提案をした:中国はあなたの石油とガスの買い手になることを保証するが、支払いは人民元で行う。

筆者:ペペ・エスコバル(Pepe Escobar)

出典;The Cradle

2022年12月16日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2023年1月8日



写真出典:The Cradle

 一週間前にリヤドに降り立った中国の習近平国家主席はサウジ・アラビア王室の華やかな歓迎を受けた。このアラビアの習近平をペトロユアン(石油人民元)時代の幕開けを宣言した人物と認定することはとても魅力的なことだろう。

 しかし、それよりももっと複雑なことがある。ペトロユアンの動きが意味する地殻変動的な動きもさることながら、中国の外交が、とりわけ傷ついて獰猛になっている帝国に対して、直接の対決を避けているという点であまりにも洗練されているからだ。だから、ここには(ユーラシアの)目に映るよりもずっと多くのことが起こっていると言えるのだ。

 アラビアでの習近平の発表は巧妙だった。それは人民元の国際化も同封されていたからだ。習近平は、今後、中国は上海石油と国立天然ガス取引所を通じて、石油取引に人民元を使用すると述べ、ペルシャ湾の君主制諸国家に参加を呼び掛けた。世界の石油市場においては現在も、取引の80%近くがドル建てで行われている中でのことだ。

 表向きの目的は、アラビアの習近平とその高官や経済界の首脳たちからなる大規模な中国代表団が、湾岸協力会議(GCC)の指導者たちと会談し、貿易拡大を推進することだとされている。北京は、「GCCから一貫して原油を大量に輸入する」ことを約束した。また、天然ガスも同様だ。

 中国は5年前から地球上で最大の原油輸入国であり、その半分はアラビア半島から、4分の1以上はサウジ・アラビアから輸入している。リヤドでの習近平への豪華な歓迎の前奏曲として、貿易範囲を拡大し、GCC全体の戦略的/商業的な友好関係の強化を賞賛する特別論説が発表されたのも不思議ではない。そこには「5G通信、新エネルギー、宇宙、デジタル経済」もしっかりと含まれていた。

 王毅外相は、中国とアラビアの「戦略的選択」を倍加させた。300億ドルを超える貿易取引が正式に締結されたが、その多くは中国の野心的な一帯一路構想(BRI)の計画に大きく関連している。

 そして、習近平がアラビアに築いた2つの重要なつながり、BRIと上海協力機構(SCO)に話が及んだ。

アラビアにとってのシルクロード

 一帯一路構想(BRI)は、2023年に「一帯一路フォーラム」が復活し、北京によって本格的に後押しされることになる。最初の2回の半年ごとのフォーラムは、2017年と2019年に開催された。2021年には何も起こらなかった。これは中国の厳格なゼロ・コビド政策のためだったが、今やこの政策はあらゆる実用的目的のために放棄された。

 2023年は、BRIが10年前に習近平によって、まず中央アジア(アスタナ)で、次に東南アジア(ジャカルタ)で開始されたことから、ある意味を孕んでいる。

 BRIは、ユーラシア大陸を横断する複雑で多様な軌道もつ貿易/連結の推進を体現しているだけでなく、少なくとも21世紀半ばまでは中国の包括的な外交政策概念である。したがって、2023年のフォーラムでは、一連の新・再設計構想が前面に打ち出されることが予想される。その構想は新型コロナ後の債務危機の世界、とりわけ、負荷の大きい大西洋主義対ユーラシア主義の地政学・地経済圏に適応したものとなるであろう。

 もうひとつ重要なことは、習近平が12月にアラビアを訪れる前の9月に、サマルカンドに行ったことだ。それは、新型コロナ収束後に彼が行った最初の海外出張だったが、イランが正式加盟したSCO(上海協力機構)首脳会議に参加するためのものであった。中国とイランは2021年に25年間の戦略的友好関係を締結し、4000億ドルの投資を行う可能性がある。これは、中国の西アジア戦略のもう1つの柱である。

 上海協力機構(SCO)の常任理事国9カ国は、現在、世界人口の40パーセントを占めている。サマルカンドにおける彼らの重要な決定の1つは、二国間貿易、そして全体的な貿易を、自国通貨によって拡大することであった。。

 そしてこのことはさらに、リヤドと完全に同期してキルギスのビシュケクで起きていることに私たちを結びつける。すなわちそれは、ユーラシア経済連合(EAEU)の政策実施機関であるユーラシア最高経済会議が開催されたことを意味する。

 キルギスを訪れたロシアのプーチン大統領は、これ以上ないほど素直にこう言った。「相互決済における各国通貨への移行作業が加速している。共通の決済のための基礎基盤を作り、金融情報伝達のために各国の制度を統合する作業が始まっている。」

 次回のユーラシア経済最高会議は、一帯一路フォーラムに先立ち、2023年5月にロシアで開催される予定である。これらを統合すると、今後の地理経済的な進行表の輪郭が得られる。その進行表には、ペトロユアン取引(人民元建てによる石油売買)の推進と、それと平行して「共通決済のための基礎機構」、そして何より、米ドルを回避する新たな代替通貨の推進が含まれることになる。

 ユーラシア経済連合(EAEU)のマクロ経済政策責任者であるセルゲイ・グラジエフは、中国の専門家と一緒になって、まさにそれを設計しているのだ。

全面的な金融戦争

 ペトロユアン(人民元建てによる石油売買)への移行は大きな危険をはらんでいる。

 どのような深刻な地政学的ゲームの筋書においても、ペトロダラー(米ドル建ての石油売買)が弱体化すれば、50年以上続いた帝国による無銭飲食の終焉を意味することは明らかである。

 簡単に言うと、1971年、当時の「策略家ディック」リチャード・ニクソン大統領は、金本位制から離脱した。そしてその3年後、1973年のオイルショック*の後、アメリカはサウジの石油大臣、悪名高いシェイク・ヤマニに断れない提案を持ち掛けた。「我々は米国ドルであなたの石油を買い、その代わりにあなたは我々の国債と大量の武器を買い、我々の銀行に残っているものをすべて再利用してください」という提案だった。
*1973年、第4次中東戦争の際、アラブ産油国がアメリカやオランダなどのイスラエル支持に対抗して原油の原産や値上げを行い、世界経済に大きな影響を及ぼしたこと。(広辞苑)

 その合意が開始の合図となった。ワシントンは、そのとき突然に、何の裏付けもない、ヘリコプター・マネー*を無限に分配できるようになり、米ドルは、一方的に押し付けられた「規則に基づく国際秩序」に従わない30カ国に対して一連の制裁を行うことができる究極の覇権兵器となったのだ。
*米国の経済学者ミルトン・フリードマンが提唱した金融政策のひとつ。文字通り、まるで「ヘリコプターからマネー(お金・現金)をばらまく」ように、中央銀行や政府が国民に対して無条件に(制限、条件、対価等無く)現金を給付すること。(ウィキペディア等)

 この帝国主義の船を衝動的に揺り動かすことは忌み嫌われる。だから、北京とGCC(湾岸協力会議)は、ゆっくりと、しかし確実に、目立った宣伝も控えて、ペトロユアンを採用するだろう。この問題の核心は、やはり、欧米の金融カジノにお互いがさらされていることである。

 中国の場合、例えば、1兆ドルもの米国債をどうするか。サウジの場合、ペトロダラーが西側金融システムの主役である以上、イランが享受しているような「戦略的自治」を考えることは難しい。帝国がとりうる対応の選択肢には、ソフトクーデターや政権交代から、リヤドに対する衝撃と畏怖、それに続く政権交代まで、あらゆるものが含まれている。

 しかし、中国―そしてロシア―が目指しているのは、サウジ・アラビア(および首長国)の苦境をはるかに超えるものである。北京とモスクワは、石油市場や世界の商品市場といったあらゆるものが、基軸通貨としての米ドルの役割にいかに結びついているかを明確に示している。

 そしてその基軸通貨としての米ドルこそが、EAEU(ユーラシア経済連合)の議論、SCO(上海協力機構)の議論、これからはBRICS+の議論、そして西アジアにおける北京の二本立ての戦略を弱体化させることに焦点を合わせているのである。

 北京とモスクワは、BRICS*の枠組みの中で、さらにSCOとEAEUの中で、2014年のマイダン後の最初のロシア制裁と2018年に放たれた事実上の対中貿易戦争以来、その戦略を緊密に連携させてきた。
*ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ

 2022年2月にモスクワがウクライナとNATOに対して発動した特別軍事作戦が実質的に対ロシア戦争に発展した今、私たちはハイブリッド戦争の領域を超えて、全面的な金融戦争に深く踏み込んでいるのである。

急速に漂い始めているSWIFT*
* SWIFTは、国際的な銀行間の取引を行う仕組み。今回のロシア制裁では、そこからロシアを排除することが合意されている。swiftlyは「速く」の意。

 グローバル・サウス*全体は、集団的(制度的)な西側が、G20参加国の外貨準備を、それが核の超大国の外貨準備金であったとしても、横取りに等しい、凍結にすることもあるという「教訓」を学んだ。ロシアに起こったことなら、他のどの国にも起こりうることだ。もう「規則」なんて存在しないのだ。
*経済的に豊かではない「南」の国々。アフリカ、ラテンアメリカ、アジアの新興国など。

 ロシアは2014年から、中国のCIPS*と並行して、自国のSPFS**決済制度を改良している。どちらも、欧米主導のSWIFT決済制度を回避するもので、中央アジア、イラン、インド各地の中央銀行でますます利用されるようになっている。ユーラシア大陸では、VISAやMastercardをやめて銀聯(ぎんれい)カードやMirカードを使う人が増えている。東南アジアで大人気のAlipayやWeChatPayもそうだ。
*中国の金融決済制度 **ロシアの金融決済制度

 もちろん、ペトロダラー、そして依然として世界の外貨準備の60%弱を占める米ドルは、一夜にして消滅することはないだろう。アラビアの習近平は、かつての「超大国」ではなく、グローバル・サウスの一部のグループによって推進されている激震の最新章に過ぎないのである。

 自国通貨と新たな世界的代替通貨での取引を優先事項の最上位に位置づけている国は、南米から北アフリカ、西アジアに至るまで、多数ある。それらの国々はBRICS+もしくはSCOへの加盟を熱望している。またその両方への加盟を望んでいる国も少なくない。

 これ以上ないほどの利害関係があるのだ。そしてそれは、従属し続けるのか完全な主権を行使するかということなのだ。そこで、この困難な時代の最高の外交官であるロシアのセルゲイ・ラブロフが国際政党間会議「主権強化の基礎としてのユーラシア選択」において最後に述べた重要な言葉を残しておこう。

 「今日の緊張の高まりの主な理由は、西側共同体が、あらゆる手段を使って、歴史的に減少しつつある、国際舞台における彼らの支配力を維持しようと頑強に努力していることである.....経済成長、財政力、政治的影響力という独立した中心が強くなるのを妨げることは不可能である。その中心は、私たちの共通の大陸であるユーラシア、ラテンアメリカ、中東、アフリカに出現しているのだ。

 みなさん、お早くご乗車願います。独立主権列車が出発します。

マニフェスト・デスティニー(天命)の成就―中国とロシアは成功する、米国が失敗したところで


<記事原文 寺島先生推薦>
Manifest Destiny Done Right. China and Russia Succeed Where the U.S. Failed

マシュー・エレット(Matthew Ehret)

2022年1月22日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年5月22日

欧亜(ユーラシア)諸国がどんな犯罪を犯したから米国とNATOの軍産複合体の標的になるのか

 「未来を予測する最良の方法は、未来を作り出すことである」
――エイブラハム・リンカーン

 世界は新しい冷戦に吸い込まれつつある。旧来の鉄のカーテン、反共のレトリック、さらには西側一極支配の戦争タカ派による核の軍刀の振り回しがある。第一次冷戦とは異なり、この新しい冷戦は、ロシアと中国、そしてイランが、「一帯一路」構想に参加しつつある国々とともに緊密に連携しているのが特徴である。

 中国、ロシア、イランなど、これらの欧亜(ユーラシア)諸国はどんな犯罪を犯したから、米国とNATOの軍産複合体の標的になるのか。



 それは、科学技術官僚(テクノクラート)による独裁・一極支配に服従しないことを選択したことである。 

 少し前のボリス・エリツィンや趙紫陽が、縮小する地政学の檻の中に閉じ込められるという陰鬱(いんうつ)な運命を、幸福感に満ちて受け入れたようにではなく、今日の欧亜の知識人たちは、文明を脅かす多面的危機の唯一の解決策が未来にあることを認識したのである。これは平凡な言い回しに聞こえるかもしれないが、地政学的な観点から言えば、未来は創造性の生きる場所である。

 資源が独占され、人類の基本的権利に敵対する社会病質的な選良(エリート)によって支配体制が形成されているとき、闘いを成功させるための唯一の抵抗の道は、不正なゲームのルールを変更し、新しい資源を創造することである。これは、1)新しい発見をする機会を増やすことで実現される。そしてその発見が2)新しい資源を生み出し、3)新しく発見された原理を新しい技術改良に変換し、4)人類の(知的、精神的、肉体的)生産力を増大させるのである。もし、1~4のステップが現在は存在しないとしたら、それらはどこにあるのだろうか?

 もう一度言う。「未来」である。

 未来の肯定的な理想が目的を達成する上で(1)、社会を前進させるという概念は、かつて西洋文明の大部分を支配していた強力な概念であった。人間は創造主の生きた姿に似せて作られ、絶え間ない創造のプロセスに参加することができるという考え方は、科学の進歩、自由、主権、生活の質の向上、人口増加において、これまでにない大きな飛躍を促す力強い概念であった。初期の米国では、この概念は「マニフェスト・デスティニー(天命)」として知られるようになった。......神がもっている計画とは、最高の文明を拡大し、進歩の果実をすべての人に与えることである。これは聖書の命令を実現するためであり、人間性を「豊かにし、広げる」、「大地を富かにし、自然を制御する」ことが期待されているのである。

 この思想から人類に多くの財が生まれたが、この思想は諸刃の剣でもあり、もし暴君や奴隷所有者や帝国主義者によって使われると大きな損害を与えるものであった。なぜなら彼らはしばしば次の事実を無視するからである。すなわち、すべての人間は創造主から譲ることのできない権利を与えられているのであり、正しい血統、宗教、言語、人種的特徴を持っていると感じる少数者だけのことではないのだ、という事実を。

 19世紀の開拓時代に流行した「天命」(マニフェスト・デスティニー)の美徳を称える絵画。


欧亜大陸の新たな「天命」の誕生

 ロシアでは、このような未来志向が、21世紀の「ロシアの天命」のような形をとっていて、シベリア極東や北極圏、さらには中央アジア、モンゴル、日本、中国などへ文明を拡大しようとしている。多くの人はしばしば、世界の出来事を「下から上へ」と近視眼的に分析しようとするが、次のことは明らかである。

 2018年以降、ロシアの東部開発という大志は、中国のBRI「一帯一路」構想の北部拡張とますます合体している。それは「極地シルクロード」と名付けられ、鉄道、道路、通信基地、港湾、エネルギー計画、海の回廊の成長を拡大した。海の回廊は、人類の文明を寄せ付けないと長く考えられていた氷の地域を通るのである。

 中国は「一帯一路」構想のかたちをとった中国版「天命」の誕生を見たのである。これは2013年に発表され、変革、相互接続、相互勝利(ウィンウィン)の力を発揮し、8年前にそれの熱狂的支持者が想像したものさえこえてしまった。短期間のうちに、3兆ドル以上が140カ国が参加する大中小の社会基盤整備に費やされた(参加の度合いはさまざまである)。


 世界各地に建設された数千のBRI計画に目を向けると、高速鉄道(磁気浮上式、在来式を含む)、総合開発回廊、新しい先端都市、新しい産業拠点、パイプライン、そして、宇宙開発、原子力、核融合研究、量子コンピューターなどに関連する先端科学の構想が数多く存在することがわかる。

 これらの開発回廊は、北はロシア、中央アジア諸国を経由して伸張してきて、そのなかには「BRIの中間回廊」がある。最近では、中国からパキスタン、イラン、イラク、シリア、レバノンに至る南ルートが開花し、2022年1月12日についにシリアが署名した。また、アフリカ諸国も積極的に乗り出し、アフリカ54カ国中48カ国以上がBRIに署名している。現在、中南米18カ国、アラブ20カ国が参加している。

多様性を犠牲にしてまで合体する必要があるのか?

 中国もロシアも、未開発の資源や労働力、技術的なニーズなど大きな可能性を秘めた大国である一方、文化、宗教、言語、民族など、あらゆる分野の多様な小集団を抱え込んでいる。

 1億4600万人のロシア国民の大多数は、国土の西端5分の1に住んでおり、人口の80%がバルト海からカスピ海に広がる都市部またはその近辺に住んでいる。他方、シベリア北東部はカナダの1.3倍の広大な面積を持つのに、分散する国民が2400万人しか住んでいない。



 中国も同様の問題に直面しており、人口密度と発展部門が西側ではなく、東側の太平洋沿岸に密集している。中国の人口の94%近くはいまだに河北――騰沖(雲南省)線の東側に住んでおり、広大な内陸部には人口のわずか6%しか住んでいない。

 ロシアは193の民族を抱え、人口の20%近くを占めている。中国は漢民族が人口の91%と圧倒的に多いが、56の民族が1億1300万人存在し、その多くがチベット、新疆、内モンゴルに散らばって住んでいる。


 欧亜大陸の指導者が直面する対外膨張の課題は、次のようなものである。科学と産業の発展を、多民族・多言語の領土を越えて国内外に拡大し、その過程で何百、何千という小さな文化集団の文化遺産を破壊することなくおこなうことは、どのように可能なのか。世界史の中であまりにも頻繁におこなわれてきたように、発展は常に小さな民族の文化的多様性を犠牲にしておこなわれなければならないのか、それとも両方の要素の均衡をとる有機的な方法があるのか?

悪しき「天命」にならない方法

 皮肉なことに、最近まで「天命(マニフェスト・デスティニー)」の概念は、米国と伝統的に結びつけられてきた。しかし米国は、人口の大半が大陸の東半分に集中しているという点で、中国やロシアと人口学的な特徴を共有している。



 しかし、悲しいことに、アメリカの膨張を形づくった勢力、特に「天命」が最も影響力を持った最初の125年間は、この試練に惨敗することがあまりにも多かった。アメリカは最初の125年間で、1776年には13の後進植民地から1900年には45の工業先進州へと成長した。この間、奴隷に反対したベンジャミン・フランクリン、ジョン・ジェイ、ジョン・クインシー・アダムス、エイブラハム・リンカーン、チャールズ・サムナー、ウィリアム・スワード、ウィリアム・ギルピンの賢明な声は、あまりにしばしば英国崇拝の「ディープステート(闇の政府)」という寄生階級によって覆された。この階級は、北部のウォール街と南部の奴隷権力を牛耳っていたからだった。

 アメリカの中枢に潜むこのヒドラ(多頭の生物)は、「天命」という独自の倒錯した考えを持ち、先述の偉大な政治家たちの大志とは正反対に位置していた。

 ベンジャミン・フランクリンやアレクサンダー・ハミルトンのような奴隷制度廃止論者を率いる人物は、宗教的改宗を強要したり地元の伝統を押しつぶすことなく、知識や技術スキル、科学、技術進歩の成果を黒人や先住民に分け与えることを奨励したのに対し、北部と南部で力をもった「闇の政府(ディープステート)」は征服者のムチによってのみ力を拡大しようとしたのである。



 南部の「天命」の倒錯は、アンドリュー・ジャクソン、ジェファーソン・デイビス、アルバート・パイクが推進したものであり、黒人奴隷を増やし、黒人と先住民を「優れた」白人が踏みつけにすることを想定していた。つまり彼らを、檻のような農園や居留地に囲い込み、自分の運命に口を出すことができなくするのである。

 ジャクソンの1830年のインディアン強制移住法は、先住民の貴重な土地を空にして、それを南部の綿花栽培農家に素早く引き渡した。彼らはアフリカからの黒人奴隷の流入を急速に拡大し、自由州と奴隷州の間の緊張を高め、1861-65年の必然的な南北戦争に至ったのであった。


 しばしば忘れ去られていることは、イタリアの国家主義者マッツィーニとつながりのあるフリーメーソンの一員でもあったフランクリン・ピアース大統領(1853-1857)の下、当時の陸軍長官ジェファーソン・デイビス(後の南部連合大統領)とアルバート・パイク将軍が、奴隷州を通る大陸横断鉄道の「南部代替案」を進める責任者だったことである。

 1863年にリンカーンによって建設が開始された北部鉄道は、産業発展を広め、最終的に中国と結ぶことを目的としていたが(2)、南部鉄道は単に奴隷を主人の支配下に置くための鉄の檻として機能した。このように、南部連合の「天命」は、アフリカ大陸をイギリスの支配下に置こうとした「ケープからカイロに至る鉄道」のセシル・ローズの人種差別的構想や、アフリカからインドに至るグリーンエネルギー網を強要する今日のEU・ロンドンの「グリーンベルト構想」/OSOWOG計画」と何ら変わりはなかったのである。


 南北戦争中、英国は武器、軍艦、後方支援、カナダの情報拠点、資金を、喜んでカナダの反乱軍に提供し、その結果、リンカーンは初期に二つの前線(一つは南部、もう一つは大英帝国)で戦争をすることになるところだった(3)。

 アメリカの「天命」を正当に守る者たちは、戦争を避け、外交に頼って領土を拡大しようとしたが(1804年のルイジアナ購入、1848年のオレゴン領土、1867年のアラスカ購入など)、ウォール街とバージニアの奴隷勢力の「アメリカ」は、帝国的野心を広げるために隣人と喧嘩することを常に喜んでいた(1846-48年のメキシコ戦争や1893年のハワイ王政打倒を参照)。

 残念ながら、かつて英国の帝国主義に抵抗したアメリカの伝統は枯れ果て、今日の共和国は、抜け殻のような悲しむべき存在になってしまった。連邦政府の権力の地位から本物の愛国者を排除した。今日のアメリカは、産業基盤を空洞化させ、キリスト教的価値観や科学的進歩への信仰といった文化的つながりを破壊し、将来への展望を持たない虚無的消費者の疎外された国家となったのである。

アメリカの火の車(金融・保険・資産 VS 製造業)経済

20世紀における環境保護植民地主義の成長

 先住民を部族居留地という形でゲットー化させる人種差別的なプログラムは、何世代にもわたって先住民を社会の他の部分から隔離し、依存、貧困、薬物乱用、乳児死亡率、自殺が、全米平均より何倍も高いというサイクルに彼らを閉じ込めてしまった。

 また、このような扱いを受けている先住民は、「人間の生態系管理」という名の下で、より広範な大陸開発計画を阻止しようともくろむゲームマスター(取り仕切る人)により利用され、その計画への参加を阻害されている。 

 1960年代後半以降、先住民の集団をその地域の生態系の単なる延長として扱うことがますます流行っている。この両者(先住民集団と地域生態系)は、コンピューターモデルによって定常均衡で存在するものとされている。そのモデルは、何十年にもわたって先住民保護地区と最適な先住民増加を計算するために使われてきたものである。



 フランクリン・ルーズベルトやJFKが推進した大規模な経済成長政策が頓挫した理由を理解しようと努める者にとっては(JFKの場合は1960年代後半のベトナム戦争開始時と重なる)、この人種差別主義者による先住民保護区の利用と生態系管理は極めて重要である。

 自然保護公園や連邦政府がインフラ投資を一切禁止している広大な土地は、多くの人が信じているような温厚な自然愛好家によるものではなく、冷徹な計算による政策の結果であり、「限られた資源」という小さな管理世界に社会を閉じ込めようとする地政学的ゲームマスターによるものだったのである。


画像はイメージ。保護区(上)と国立保護区(下)。北米科学アカデミー

 リベラルな帝国主義者たちは、利己的な白人植民者によって長い間虐待されてきた先住民の窮状に「ワニの涙(ウソの涙)」を流す一方で、1970年代を通じて先住民の女性への集団不妊手術を支援し、先住民を、清潔な飲料水、持続する電力、医療、質の高い仕事すら無い状態に保つことに余念がなかった。

 アメリカ大陸横断鉄道(欧亜大陸にまで延長できる)の最も熱心な推進者の一人は、リンカーンの協力者のウィリアム・ギルピン(南北戦争中のコロラド州知事)だった。彼は、先住民保留地を「先端領域に接する刑務所の壁岩のようなもの」と鋭く指摘した。

 この新しいタイプの近代的な植民地主義の裏では、腐敗した部族指導者の金庫に資金が注入されることが多かった。彼ら部族指導者は、石油カルテルに資源を搾取させることに満足し、部族民を援助金依存と技術成長ゼロの悪循環に閉じ込めたままにしてきた。

 この観点から見ると、アフリカに適用された同様の新植民地政策の適用に、明確な並行関係を見出すことができる。

中国――尊厳ある「天命」

 西側の「ファイブ・アイズ」に管理された政治家たちが声高に非難しているにもかかわらず、BRI(一帯一路)のアフリカ提携国や自国少数民族に対する中国のアプローチは、西側支配者が何世代にもわたって展開してきた搾取と文化虐殺の悪しき伝統とまったく対照的である。
*「ファイブ・アイズ」:英国、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの5カ国。スパイ衛星で通信傍受した情報を共有している。

 チベットや新疆で見られるのは、文化遺産センター、爆発的な識字率、伝統的な言語や歌、物語、踊りの賞賛と教育が政府の全面的な支援を受けていることである。

 この文化的成長の証がすべての少数民族区域に広がっていると同時に、長寿、人口密度、生活の質、貧困削減、乳児死亡率削減、高度な産業技術、清潔な水、インターネット、豊富な電力の享受などにも劇的な成長が見られる。

 宗教の面では、59の仏教寺院と253の教会は言うに及ばず、現在2万4400以上のモスクが新疆に存在する。わずか8年の間にサウジアラビアと米国が資金援助してきた中国国内のテロによる破壊にたいして、(アメリカと違って)ただひとつのアラブの国も石器時代に戻すような爆撃を、一度もしてこなかったことは、決して小さな成果ではない。

 チベットでは、高速鉄道と在来線が、貧困に長い間あえいでいた地域社会をより広い世界市場へと導き、耐久性のある技術力と訓練が若い人々の間で生き生きと育っている。




 仏教寺院も政府の全面的な支援で繁栄している。アメリカ民主主義基金NED(CIAの別働隊)が支配する中国とチベットの宣伝機関は、こうした目を見張るような中国人の生活に誰もが気づかないよう配慮してきた。

 西南アジア、アフリカ、そしてその他の地域でも、BRI関連のプロジェクトには中国企業に有利な利権が組み込まれていることは確かだが、インフラ(ハード・ソフト両面)、新しい産業拠点、教育機会が猛スピードで誕生していることは事実である。

 アフリカでは、チベットや新疆で見られたのと同じように、地元の文化的伝統が繁栄していることがわかる。もしあなたが、そんなことを見たことも聞いたこともないというのであれば、エポック・タイムスを捨てて、アフリカのローカルニュースCGTNのアフリカチャンネルを見てほしい。



 中国のアプローチは、IMF=世界銀行=USAIDのプログラムと全く対照的である。そのプログラムは貧しい国々を何十年ものあいだ不当な債務の罠の奴隷状態に置き、魚を買うためのお金は提供しても、自分たちで魚を獲ることは決して許さなかった。一方、中国は大規模な建設計画や製造拠点、そしておそらく最も重要なことだが、高度なエンジニアリング技術の発展を促してきた。

ロシアのマネタリスト(通貨主義者)の障害を克服するために

*マネタリスト:通貨供給や金利操作などの金融政策の重要性を主張する経済学者。主唱者は経済学者ミルトン=フリードマンらで、この考え方は「新貨幣数量説」とも呼ばれる。ケインズ学派とは立場を異にし、1980年代の金融政策に大きく影響を与えた。

 ロシアでは、中央銀行が民営化され、IMFの通貨政策に大きく影響されているため、プーチンの極東構想の実現は、国営銀行が長期的な成長の貴重な手段となっている中国よりもはるかに困難なものとなっている。1990年に設立されたロシアの民間中央銀行は、IMF、WTO、官僚に群がる自由主義的イデオロギーとの根強い構造的な結びつきがあり、「均衡予算」と自由市場の教義が、生産的信用の放出に優先していることに、依然として悩まされている。

 こうした障害にもかかわらず、ロシア独自の「天命」は、セルゲイ・ショイグの「シベリアの巨大開発計画」によって息を吹き返しつつあり、50万から100万の市民が住む5つの新都市の建設が始まっている。

 さらに、9300kmのシベリア横断鉄道と4300kmの南バイカル・アマル幹線鉄道の両方の近代化と複線化、モンゴル・中国さらには日本への統合の拡張・改善が計画されている。これは、モスクワから中央アジア、イランを経てインドに至る国際南北輸送回廊の拡大と連動しており、BRI(一帯一路)と極東構想のもう一つの側面として捉えられるべきである[下の地図参照]。この計画の進捗に伴い、この鉄道路線の貨物輸送量は1億2千万トン/年から2024年には1億8千万トン/年に増加すると予想されている。

 この鉄道拡張は、2019年に採択されたロシアの北方海路開発計画と密接に関連しており、2024年までに年間出荷量を8000万トンに増やそうとしている。この計画には、港や新しい北極圏の採掘拠点に加えて、40隻の新しい船舶(原子力砕氷船の増設を含む)、鉄道、北方海港の建設が含まれており、中国とヨーロッパ間の商品では10日の輸送時間が短縮されることになる。

 さらに、2022年1月15日、プーチンは、バレンツ海までの北極圏鉄道の建設案を2022年5月10日までに提出しなければならないと発表した。この鉄道はネネツ州のインディガ港まで延び、年間8000万トンから2億トンの貨物を処理できる通年型の北極港が建設される予定である。

 中国とロシアは、「氷上のシルクロード」の建設を推進するため、2019年に北極圏科学研究センターを建設することで合意し、2022年にはヤマル島に新たな国際科学研究拠点「スネジンカ(別名:雪の結晶)」の設計開始される予定である。どちらの場合も、宇宙気候学(北極は、気候変動の原動力となる星間宇宙放射の最も密度の高い侵入口)、種の進化、化学に関する純粋な科学研究が、このような新しいセンターでおこなわれる予定である。おそらく最も刺激的な研究分野は、北極圏だけでなく、月や火星といった他の天体で人間の生活を快適に維持するために必要な、新しい人工生態系の設計をテストすることであろう。両国は、今後10年以内に公開される予定の恒久的な月面基地を共同開発することで合意している。

 もし核戦争を回避することができれば、文明間の発展という刺激的な新しい章に沿った発見は、どんなコンピューターモデルでも予測することはできないが、それでもそれは起こるだろう。教育を受け、活性化され、目標に向かう人間の頭脳による創造的発見の解放は、ますます新しい技術を目覚めさせ、まだ経済的な役割を見いだせない何千もの同位体に広く利用できるようになり、原子の新しい用途が見つかるだろう。こうして元素周期表に対する人類の関係を見直すことになるだろう。このようにして、磁気浮上式鉄道、原子力推進システム、新しいエネルギー源がオンライン化され、「近い」「遠い」、「遅い」「速い」という我々の考えを劇的に変え、空間と時間そのものが凝縮されることになるのである。

 植民地時代に旧世界から新世界へ移動するのに何ヶ月もかかったことを思えば、現在の極超音速機による移動はわずか数時間であることがわかるだろう。現在、化学ロケットで火星まで300日かけて移動しているのが、原子力推進で数週間に短縮されるから、このような飛躍的な進歩が期待される。

 理想が過ぎると非難されるかもしれないが、だからどうしたというんだ?

 この過程はいま目の前にすでに展開しつつある。ほんの10年前には多くの人が不可能だと考えていた政治的、科学的現実が、すでに私たちの未来の軌道を変え始めているのだから。

 ただし、もし人類が成熟した自意識のある種へと移行することに、もういちど失敗すれば、すなわち熱核兵器が地球上に散乱する時代になるとすれば、私たちに次の機会が巡ってくる保証はどこにもない。

著者の連絡先:matthewehret.substack.com



(1)「目的論的」とは、物質世界を形成する本質的な目的または設計が存在し、人間の法に対する考えや経済的野心さえも、宇宙の構造に組み込まれたこの目的に合致する程度にのみ良いものであるという考え方を指している。

(2) 大陸横断鉄道の最も強力な擁護者の一人は上院議員のチャールズ・サムナーで、彼は1867年のアラスカ購入を弁護する決議をした(この購入により、ベーリング海峡横断を経てアメリカ大陸からユーラシア大陸へ鉄道と電信が計画されていた)。「アジアの東とアメリカの西を結ぶことは、英国の航海士メアレスが航海の記録を残したときと同様、現在も商業の願望である。もちろん、この結果を助けるものは何でも利点となる。太平洋横断鉄道は今は西に向かって走ることになるが、完成すれば、逆に東へ(アメリカ大陸へ)の新しい高速路になるからだ」。

(3) このイギリスに対する第2次戦線は、1861年、トレント事件により、ほぼ火ぶたが切って落とされた。

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