2013.02.10(Sun)
静おばあちゃんにおまかせ (2012/07/12) 中山 七里 |
「正義というのはね、困っている人を助けること、飢えている人に自分のパンを分け与えること。定義なんてそれで充分」
一見頼りなげながら、次々と事件を解決する捜査一課の若手刑事・葛城公彦。
しかし、彼のお手柄の裏にはある秘密の存在が…。
それは、日本で二十番目の女性裁判官で現在は退官し孫娘と暮らす高遠寺静。
彼女は自宅にいながらにして、公彦と円の話だけで事件の真相を見抜いてしまう、スーパーおばあちゃんだった!?
中山七里さんといえば、『さよならドビッシー』などに始まる音楽家ミステリを始めとするシリーズの作者。
そして私が読んだのは『要介護探偵の事件簿』(感想は、こちら)という、玄太郎おじいちゃんの痛快ミステリです。
今回のお話は『静おばあちゃん』ですから、先に挙げた作品と対を成す作品なのかな、と。
『要介護探偵~』で私が一番好きだったのが、玄太郎おじいちゃんが繰り出す啖呵の数々。
そこにも期待していたのですが、それは予想通りw
静おばあちゃんも、自身が法の番人だったという経緯から、様々な持論を孫の円に対して展開していきます。
玄太郎おじいちゃんの啖呵ほどの爽快感はないものの、人生の先輩からの訓戒、とでもいうかのような、じっくり噛み締めたい言葉が多かったですね。
事件としても、玄太郎おじいちゃんの話に比べると、静おばあちゃんは控えめそのもの。
自身が事件現場に出向くことはなく、刑事として事件に関わる葛城と、現場に同行する女子大生・円の話を聞くのみ。
いわゆる安楽椅子探偵モノですね。
ですので自然と、葛城と円のストーリーが話の中心になっていきます。
そうしていくつかの事件を解決していく静おばあちゃん。
ですが、前の玄太郎おじいちゃんと比べて、いささか物足りなさを感じたのもまた事実。
もっと、静おばあちゃんに前面に出て来て欲しかったのになーと思った最終局面。
驚きました。
まさかまさかの、静おばあちゃんの、正体。
なるほど、前面に出てこられない訳です。
が…。
ミステリとしては、反則スレスレ、という感じもしないではないですね。
だって、ミステリに非現実的な要素を取り入れるというのは…ねえ。
実は『要介護探偵の事件簿』を読んだ後に『さよならドビッシー』も読んだのです。
その直後、の話には茫然としました。
そして今回。
どちらも、「この1冊のみ」という決然としたものが見られます。
それぞれの人生の先駆者たちが見抜く人の世の暗い影。
どちらにも「自身の正義」というものがあって、それを軸に事件を解決していきます。
とりわけ、法の番人でもあった静おばあちゃんの「正義」の定義。
冒頭に引用しましたけれど、非常に単純、かつ簡素。簡素ゆえに隙がない。
考えてみれば、この作品に収録された事件の全ての根底にあるのが「個々の正義」なのかもしれません。
静おばあちゃんの定義の後に言うのも何ですが、「正義」という言葉は非常に脆いものです。
「正義」というのは、非常に多面的なもので、180度違う角度からみても、そこにはひとつの持論となる「正義」が存在する。
「平和」という言葉と同じくらい、空疎で危うい言葉だな、と思います。
静おばあちゃんの名言も数ありますが、今の私に一番必要なのは
「仕事の価値はね、組織の大きさや収入の多寡じゃなくて、自分以外の人をどれだけ幸せにできるかで決まるのよ」
日々色々迷いは尽きませんが、この言葉を柱に頑張ってみてもいい。
ストンと自分の心に落ちてきた言葉でした。
静おばあちゃんに感謝。
中山さんは、こういう人生の先駆者を本当に素敵に描かれます。
まだまだ、他にもこういった作品を作り出して欲しいなあ。
期待していますw