こちらは『中古ゲームソフト裁判はそれからどうなったのか(前編・裁判開始まで)』の続きとなります。まず前半をお読みくださいませ。
■中古ゲームソフト裁判はそれからどうなったのか(前編・裁判開始まで) : Timesteps
前半では、1990年代後半にゲームメーカーが中古ソフトの撲滅キャンペーンを展開し、それまで中古ソフトを取り扱っていたショップ側(ARTS加盟店)と対立し、裁判所での審理が始まるところまでを書きました。今回はその東京、大阪地裁での判決から確定判決、そしてその後について書いてゆきます。
■目次
▶地裁判決は分かれる
▶地裁判決から高裁判決までの出来事
▶高裁においてショップ側勝訴の判決
▶SCEの独禁法違反決定
▶最高裁判決
▶その後の企業・団体
▶中古ソフト市場はなくなってほしくない
かくして東京地裁と大阪地裁、二つの裁判所でゲームの中古販売についての審理が行われる状態となったわけですが、まず1999年5月、東京地裁での判決、すなわち株式会社上昇がエニックスを訴えた裁判の判決が下されます。
ここではゲームと映画の性質は異なり、ゲームは映画に類するものと認められない、すなわち著作権法の「映画の著作物」ではないとされ、ショップ側の上昇の勝訴、エニックスの敗訴となります。その後、エニックス側は東京高裁に控訴。
しかし同年10月の大阪地裁における、ゲームメーカー6社がショップチェーンでARTSに加盟するアクトを訴えた裁判では、「ゲームソフトは著作権上の“映画の著作物”であり、頒布権は存在する」とされ、メーカー6社側が勝訴しアクトが敗訴。アクトが控訴します。
かくして同じ中古ソフト裁判において、東京、大阪で地裁判決がねじれ状態となり、舞台はそれぞれの高裁に移されることとなりました。
■「ゲームは“映画の著作物”ではない」エニックスが敗訴
■ASCII.jp:東京地裁、中古ゲームソフトの販売で中古ソフト店勝訴の判決--エニックスは控訴へ
■「ゲームは映画の著作物。中古ソフトの頒布差し止め」メーカーの主張認める
地裁判決が下りて控訴された1999年から東京、大阪高裁において審理が始まるわけですが、その時期にはいろいろな事が起こっています。
まず、SCEに対して公正取引委員会が勧告及び審判を開始したことは前編で書きましたが、今度は1999年11月にセガの当時の流通子会社であったセガ・ミューズに、当時販売中だったハード、ドリームキャスト関連製品の販売価格拘束の疑いで、公正取引委員会が関連会社数十カ所を立ち入り検査することになります。容疑は小売りへの価格拘束。
その後自社で販売部門を新設し小売店と契約し直すことになりました。
■SBG: NEWS - 公取委が価格拘束の疑いなどでセガ・ミューズに立ち入り検査
■ファミ通.com ニュース/セガ・ミューズの立ち入り検査打ち切り
また、1999年3月にはショップ側の穏健派であった団体、ACES側に所属していたブルートが約80億円の負債を抱えて倒産。これはACES側に所属していたために中古を扱えなくなっていた加盟店が次々に離脱してしまったことで経営難に陥ったことが主な要因と言われています(ちなみにARTSへの加盟はフランチャイズではなく店舗単位)。
さらに2000年3月4日にはプレイステーションの後継となる「PS2」が発売となりますが、その折、SCEはメーカー姿勢に従っていたACES加盟ショップも含めバックマージン全廃の方針となります。それによりACES参加企業も中古ソフト販売を開始することなります(ACESはその後自然消滅)。
あと2000年頃になると以前は中古全面廃止一辺倒に見えていたメーカー側の姿勢がやや軟化し、「中古販売そのものに反対している訳ではありません」とし、問題は現在の無許諾販売にあり、新しいルールを作りあげる環境を整えたいというアピールがなされるようになります。以下は2000年春の東京ゲームショウのパンフレットより。
■CESA、「中古ソフト販売を条件付き許諾」に向けて行動開始
2001年3月27日、東京高裁において判決が下されます。結果は地裁判決を支持してエニックスの訴えを退ける判決となり、ショップ側の勝訴。
この判決においては、ゲームソフトは著作権上の「映画の著作物」と認める判断がされたものの、しかしそれであっても多数の人が視聴する映画のフィルムの場合とは異なり、音楽CDや書籍と同じく大量に複製されるゲームソフトにおいては頒布権は存在しないとされます。
そして3月29日には地裁ではメーカー側勝訴だった大阪での裁判も判決が下され、メーカー6社の判決を退け、地裁から逆転する判決となりました。
こちらにおいても著作権上の「映画の著作物」と認め、更に頒布権も存在するとされましたが、その頒布権は初回で消尽するために中古販売時点では及ばないとされます。
これにおいて、東京大阪どちらの高裁でも中古ソフト販売が違法ではないとされました。この判決を不服として、メーカー側が最高裁に上告。
■中古ゲームソフト訴訟、エニックス「法律の解釈の枠を越えた判決!」
■「ゲームソフトは頒布権の対象外」ARTS側の勝訴会見
■大阪高裁も中古ゲームソフト販売にゴーサイン、メーカー側逆転敗訴 | マイナビニュース
さらに2001年8月、以前から行われていた公正取引委員会におけるSCEに対する審決が18回の審判を経てなされ、独占禁止法第19条の規定に違反するとの決定となり、SCEはこれを受け入れます。
結果として、「PSソフトの価格を販売店が自由に設定するもの」ということの周知を徹底し、PSハードおよびソフトの卸売り販売の制限条件について,契約書から削除することになります。ただし、当初はその容疑として審判が行われていた「PS用ソフトの中古品の取り扱いの制限」が主文に盛り込まれず、SCEからのリリースでは「当社の主張が勘案された」結果とされました。
■ゲーム事件簿#2
■平成10年(判)第1号株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメントに対する審決
■SBG:公正取引委員会の審決にSCEがコメント
そして2002年4月25日には、最高裁判所第壱小法廷においてメーカーの上告を裁判官5人の全員一致により棄却。これにより中古ソフト販売が合法であるという判決が決定することとなりました。
■裁判所 | 裁判例情報:検索結果詳細画面
判決要旨によると、『家庭用テレビゲーム機に用いられる映画の著作物の複製物を公衆に譲渡する権利は,いったん適法に譲渡された複製物について消尽し,その効力は,当該複製物を公衆に提示することを目的としないで再譲渡する行為には及ばない』とされ、ここにより頒布権は一度適法に譲渡された時に消尽するとされ、中古ソフトの販売が著作権法違反ではないという判決が確定することになりました。
ちなみに最高裁判決を前にして、中古ソフトを取り扱っていたTSUTAYAを経営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社 (CCC)は、中古ソフトを販売したときにその売り上げから2%を還元するシステムを発表しました。しかしこれはメーカーと合意したわけではなく、CCCの提示でした。ただし両方とも最高裁による中古ソフト販売合法判決を受けてか、立ち消えになったようです。
■中古ソフト訴訟、最高裁はメーカーの上告を棄却 ~ARTS会見「無制限に流通をコントロールする権利を認める必要はない」~
■ASCII.jp:最高裁、中古ゲームソフト販売でメーカーの上告を棄却
■CCC、TSUTAYAでの中古販売、メーカーへの還元率は2%
この2002年の最高裁判決をもって、中古ソフト裁判は一応の決着を見たわけですが、同時にこのあたりを境にして、コンシューマゲーム市場は縮小してゆき、とりわけ中古ソフトを扱うビジネスはそれ以上の早さで縮小してゆきます。
その要因は様々ですが、やはり携帯電話の普及におけるソーシャルゲームの台頭が一因としてあるでしょう。また、DSリリース後にはマジコンが広まり、それによりソフトのコピーが起きてしてしまったことも要因としてあるかもしれません。
2007年、中古ソフト裁判でARTSの中核企業のひとつであった「カメレオンクラブ」を経営する株式会社上昇が、民事再生法の適用を受けることになります。その後は店舗数は縮小されることになりますが、現在でも東北関東圏、そして本社のある山口で店舗を展開(ただし愛媛のカメレオンクラブ四国は別会社の経営)。また山口近県を中心にぼっくり屋などリサイクルショップを経営し、実店舗、そしてネットサイトでゲーム以外のリユース事業を今も展開しているようです。
また、明響社はその後アクトと2006年に合併、社名はNESTAGEとなりましたが、2010年に民事再生法申請。
そこで大手レンタル経営のゲオが支援に乗り出し、2014年に同社に吸収合併されることになりました。尚、両社のショップであった「TVパニック」と「わんぱくこぞう→wanpaku」は2008年のNESTAGE経営危機時にだいぶ整理され、閉鎖、もしくは同業他社に売却されて名前が変わりました。現在でも「TVパニック」というゲーム専門店自体は検索すると出てきますが、同系列だったものかは不明です。
最高裁判決前の2002年2月、ARTS、ACES両方の参加企業が集う形で設立された「日本テレビゲーム商業組合」は、2014年7月に解散を表明。理由は「ゲーム業界では小規模ゲーム専門店の廃業が相次ぎ、代わって様々なコンテンツを扱う大型複合店舗の寡占化が進行しており、当組合も大手の寡占化が進んだ結果、平成25年3月末の大手企業の退会により、業界を代表する店舗数を有することができなくなり、事業継続のための運営費の捻出が困難になったため」とのこと
ARTSは解散の明言などはないですが、サイトも消失しており、活動しているかは不明です。
そして訴訟に参加したメーカーも再編が相次ぎます。セガは経営難の後サミーグループと合併してセガサミーホールディングスのグループとなり、光栄は2010年にテクモと合併コーエーテクモグループとなります(ゲーム部門はコーエーテクモゲームス)。ナムコは2005年にバンダイと合併し、バンダイナムコホールディングスの一員としてバンダイナムコゲームスを経てバンダイナムコエンターテインメントになります。
エニックスは2003年にスクウェアと合併してスクウェアエニックスとなりますが、その年に旧スクウェア子会社であり、再販価格維持と中古禁止でコンビニ販売を押し進めていた流通会社デジキューブが破産しています。
SCEは微妙に会社組織が変更しましたが、形としてはそのまま続いていましたが、2016年に社名が「ソニー・インタラクティブエンタテインメント」と変更になりました。
他のメーカーも含めて詳しくは過去に書いた以下の記事をどうぞ。
■昔から存在したゲーム会社の中身はそれからどうなったのか : Timesteps
最近ではPS4発売前にアクティベーションなどにより「中古ソフトが使えなくなる」という噂が流れましたが、そんなことはなく、中古ソフトでも使用は可能となり、中古ショップでの取り扱いもあります。
■「カメレオンクラブ」の上昇が経営破たん - ITmedia ニュース
■「TVパニック」「わんぱくこぞう」などで有名なNESTAGEが倒産、ゲオがスポンサーに - GIGAZINE
■日本テレビゲーム商業組合が解散を表明 | メディア芸術カレントコンテンツ
■[E3 2013]PS4は中古ゲームを締め出しせず。ディスク版をオフラインでプレイするなら認証も不要 - 4Gamer.net
現在ではスマートフォンの市場がコンシューマを凌駕するようになっています。そこでのゲーム、すなわちソーシャルゲームやアプリはパッケージソフトではなくダウンロードでのゲームが当たり前なので、中古ソフトの出番は原則なくなりました。また、コンシューマ機においてもダウンロード販売がだいぶ増えております。
前述のようにかつて何百店舗も展開されていた中古ソフト中心のショップはだいぶ少なくなり、あったとしても普通の音楽CDや書籍のほか、トレカや妖怪ウォッチのメダルなど他のものと一緒に扱うケースが大半です。むしろブックオフなどの中古書店がゲームソフトも扱っているケースが多いです。
ただ、実店舗の縮小に比べてネット店舗ではソフトの買取りや販売は多く、専門でやっているところから、Amazonなどの大手サイトが書籍などを含めて総合的に買取りをしているケースも存在します。ゲームソフトがローカルから通信を利用するものにシフトしてきたように、中古ソフトもそうなったと言えます。
ただ、これからパッケージの中古ソフトがどうなるか、というのはわかりません。ハードメーカーがアクティベーションなどを導入してしまうと、一気に消滅してしまう可能性もあるわけで。そもそもダウンロードに移行し、パッケージソフト自体がほぼなくなる可能性もあります(ハードなどは実物流通が必要なので、完全にダウンロード移行ということはないでしょうが)。
ただ、もう30年前も前に発売されたソフトがいまだに遊べるのはパッケージソフトとして存在し、それが流通という形で保全されている中古ソフトのおかげであるわけです。そういったアーカイブを(たとえソフトメーカー、ハードメーカーが倒産やゲームから撤退したとしても)保存出来るように、パッケージソフトは消滅して欲しくはないし、中古市場は存続して欲しいと思います。
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その他参考
■「中古ソフト問題」とは何だったのか | ゲームミュージックなブログ
■ゲーム中古裁判のあとの中古ソフト市場の変化 | ゲームミュージックなブログ
■中古ソフトをめぐる法的議論について
■「中古ゲーム訴訟のその後」
■中古ゲームソフト裁判はそれからどうなったのか(前編・裁判開始まで) : Timesteps
前半では、1990年代後半にゲームメーカーが中古ソフトの撲滅キャンペーンを展開し、それまで中古ソフトを取り扱っていたショップ側(ARTS加盟店)と対立し、裁判所での審理が始まるところまでを書きました。今回はその東京、大阪地裁での判決から確定判決、そしてその後について書いてゆきます。
■目次
▶地裁判決は分かれる
▶地裁判決から高裁判決までの出来事
▶高裁においてショップ側勝訴の判決
▶SCEの独禁法違反決定
▶最高裁判決
▶その後の企業・団体
▶中古ソフト市場はなくなってほしくない
地裁判決は分かれる
かくして東京地裁と大阪地裁、二つの裁判所でゲームの中古販売についての審理が行われる状態となったわけですが、まず1999年5月、東京地裁での判決、すなわち株式会社上昇がエニックスを訴えた裁判の判決が下されます。
ここではゲームと映画の性質は異なり、ゲームは映画に類するものと認められない、すなわち著作権法の「映画の著作物」ではないとされ、ショップ側の上昇の勝訴、エニックスの敗訴となります。その後、エニックス側は東京高裁に控訴。
しかし同年10月の大阪地裁における、ゲームメーカー6社がショップチェーンでARTSに加盟するアクトを訴えた裁判では、「ゲームソフトは著作権上の“映画の著作物”であり、頒布権は存在する」とされ、メーカー6社側が勝訴しアクトが敗訴。アクトが控訴します。
かくして同じ中古ソフト裁判において、東京、大阪で地裁判決がねじれ状態となり、舞台はそれぞれの高裁に移されることとなりました。
■「ゲームは“映画の著作物”ではない」エニックスが敗訴
■ASCII.jp:東京地裁、中古ゲームソフトの販売で中古ソフト店勝訴の判決--エニックスは控訴へ
■「ゲームは映画の著作物。中古ソフトの頒布差し止め」メーカーの主張認める
地裁判決から高裁判決までの出来事
地裁判決が下りて控訴された1999年から東京、大阪高裁において審理が始まるわけですが、その時期にはいろいろな事が起こっています。
まず、SCEに対して公正取引委員会が勧告及び審判を開始したことは前編で書きましたが、今度は1999年11月にセガの当時の流通子会社であったセガ・ミューズに、当時販売中だったハード、ドリームキャスト関連製品の販売価格拘束の疑いで、公正取引委員会が関連会社数十カ所を立ち入り検査することになります。容疑は小売りへの価格拘束。
その後自社で販売部門を新設し小売店と契約し直すことになりました。
■SBG: NEWS - 公取委が価格拘束の疑いなどでセガ・ミューズに立ち入り検査
■ファミ通.com ニュース/セガ・ミューズの立ち入り検査打ち切り
また、1999年3月にはショップ側の穏健派であった団体、ACES側に所属していたブルートが約80億円の負債を抱えて倒産。これはACES側に所属していたために中古を扱えなくなっていた加盟店が次々に離脱してしまったことで経営難に陥ったことが主な要因と言われています(ちなみにARTSへの加盟はフランチャイズではなく店舗単位)。
さらに2000年3月4日にはプレイステーションの後継となる「PS2」が発売となりますが、その折、SCEはメーカー姿勢に従っていたACES加盟ショップも含めバックマージン全廃の方針となります。それによりACES参加企業も中古ソフト販売を開始することなります(ACESはその後自然消滅)。
あと2000年頃になると以前は中古全面廃止一辺倒に見えていたメーカー側の姿勢がやや軟化し、「中古販売そのものに反対している訳ではありません」とし、問題は現在の無許諾販売にあり、新しいルールを作りあげる環境を整えたいというアピールがなされるようになります。以下は2000年春の東京ゲームショウのパンフレットより。
■CESA、「中古ソフト販売を条件付き許諾」に向けて行動開始
高裁においてショップ側勝訴の判決
2001年3月27日、東京高裁において判決が下されます。結果は地裁判決を支持してエニックスの訴えを退ける判決となり、ショップ側の勝訴。
この判決においては、ゲームソフトは著作権上の「映画の著作物」と認める判断がされたものの、しかしそれであっても多数の人が視聴する映画のフィルムの場合とは異なり、音楽CDや書籍と同じく大量に複製されるゲームソフトにおいては頒布権は存在しないとされます。
そして3月29日には地裁ではメーカー側勝訴だった大阪での裁判も判決が下され、メーカー6社の判決を退け、地裁から逆転する判決となりました。
こちらにおいても著作権上の「映画の著作物」と認め、更に頒布権も存在するとされましたが、その頒布権は初回で消尽するために中古販売時点では及ばないとされます。
これにおいて、東京大阪どちらの高裁でも中古ソフト販売が違法ではないとされました。この判決を不服として、メーカー側が最高裁に上告。
■中古ゲームソフト訴訟、エニックス「法律の解釈の枠を越えた判決!」
■「ゲームソフトは頒布権の対象外」ARTS側の勝訴会見
■大阪高裁も中古ゲームソフト販売にゴーサイン、メーカー側逆転敗訴 | マイナビニュース
SCEの独禁法違反決定
さらに2001年8月、以前から行われていた公正取引委員会におけるSCEに対する審決が18回の審判を経てなされ、独占禁止法第19条の規定に違反するとの決定となり、SCEはこれを受け入れます。
結果として、「PSソフトの価格を販売店が自由に設定するもの」ということの周知を徹底し、PSハードおよびソフトの卸売り販売の制限条件について,契約書から削除することになります。ただし、当初はその容疑として審判が行われていた「PS用ソフトの中古品の取り扱いの制限」が主文に盛り込まれず、SCEからのリリースでは「当社の主張が勘案された」結果とされました。
■ゲーム事件簿#2
■平成10年(判)第1号株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメントに対する審決
■SBG:公正取引委員会の審決にSCEがコメント
最高裁判決
そして2002年4月25日には、最高裁判所第壱小法廷においてメーカーの上告を裁判官5人の全員一致により棄却。これにより中古ソフト販売が合法であるという判決が決定することとなりました。
■裁判所 | 裁判例情報:検索結果詳細画面
判決要旨によると、『家庭用テレビゲーム機に用いられる映画の著作物の複製物を公衆に譲渡する権利は,いったん適法に譲渡された複製物について消尽し,その効力は,当該複製物を公衆に提示することを目的としないで再譲渡する行為には及ばない』とされ、ここにより頒布権は一度適法に譲渡された時に消尽するとされ、中古ソフトの販売が著作権法違反ではないという判決が確定することになりました。
ちなみに最高裁判決を前にして、中古ソフトを取り扱っていたTSUTAYAを経営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社 (CCC)は、中古ソフトを販売したときにその売り上げから2%を還元するシステムを発表しました。しかしこれはメーカーと合意したわけではなく、CCCの提示でした。ただし両方とも最高裁による中古ソフト販売合法判決を受けてか、立ち消えになったようです。
■中古ソフト訴訟、最高裁はメーカーの上告を棄却 ~ARTS会見「無制限に流通をコントロールする権利を認める必要はない」~
■ASCII.jp:最高裁、中古ゲームソフト販売でメーカーの上告を棄却
■CCC、TSUTAYAでの中古販売、メーカーへの還元率は2%
その後の企業・団体
この2002年の最高裁判決をもって、中古ソフト裁判は一応の決着を見たわけですが、同時にこのあたりを境にして、コンシューマゲーム市場は縮小してゆき、とりわけ中古ソフトを扱うビジネスはそれ以上の早さで縮小してゆきます。
その要因は様々ですが、やはり携帯電話の普及におけるソーシャルゲームの台頭が一因としてあるでしょう。また、DSリリース後にはマジコンが広まり、それによりソフトのコピーが起きてしてしまったことも要因としてあるかもしれません。
2007年、中古ソフト裁判でARTSの中核企業のひとつであった「カメレオンクラブ」を経営する株式会社上昇が、民事再生法の適用を受けることになります。その後は店舗数は縮小されることになりますが、現在でも東北関東圏、そして本社のある山口で店舗を展開(ただし愛媛のカメレオンクラブ四国は別会社の経営)。また山口近県を中心にぼっくり屋などリサイクルショップを経営し、実店舗、そしてネットサイトでゲーム以外のリユース事業を今も展開しているようです。
また、明響社はその後アクトと2006年に合併、社名はNESTAGEとなりましたが、2010年に民事再生法申請。
そこで大手レンタル経営のゲオが支援に乗り出し、2014年に同社に吸収合併されることになりました。尚、両社のショップであった「TVパニック」と「わんぱくこぞう→wanpaku」は2008年のNESTAGE経営危機時にだいぶ整理され、閉鎖、もしくは同業他社に売却されて名前が変わりました。現在でも「TVパニック」というゲーム専門店自体は検索すると出てきますが、同系列だったものかは不明です。
最高裁判決前の2002年2月、ARTS、ACES両方の参加企業が集う形で設立された「日本テレビゲーム商業組合」は、2014年7月に解散を表明。理由は「ゲーム業界では小規模ゲーム専門店の廃業が相次ぎ、代わって様々なコンテンツを扱う大型複合店舗の寡占化が進行しており、当組合も大手の寡占化が進んだ結果、平成25年3月末の大手企業の退会により、業界を代表する店舗数を有することができなくなり、事業継続のための運営費の捻出が困難になったため」とのこと
ARTSは解散の明言などはないですが、サイトも消失しており、活動しているかは不明です。
そして訴訟に参加したメーカーも再編が相次ぎます。セガは経営難の後サミーグループと合併してセガサミーホールディングスのグループとなり、光栄は2010年にテクモと合併コーエーテクモグループとなります(ゲーム部門はコーエーテクモゲームス)。ナムコは2005年にバンダイと合併し、バンダイナムコホールディングスの一員としてバンダイナムコゲームスを経てバンダイナムコエンターテインメントになります。
エニックスは2003年にスクウェアと合併してスクウェアエニックスとなりますが、その年に旧スクウェア子会社であり、再販価格維持と中古禁止でコンビニ販売を押し進めていた流通会社デジキューブが破産しています。
SCEは微妙に会社組織が変更しましたが、形としてはそのまま続いていましたが、2016年に社名が「ソニー・インタラクティブエンタテインメント」と変更になりました。
他のメーカーも含めて詳しくは過去に書いた以下の記事をどうぞ。
■昔から存在したゲーム会社の中身はそれからどうなったのか : Timesteps
最近ではPS4発売前にアクティベーションなどにより「中古ソフトが使えなくなる」という噂が流れましたが、そんなことはなく、中古ソフトでも使用は可能となり、中古ショップでの取り扱いもあります。
■「カメレオンクラブ」の上昇が経営破たん - ITmedia ニュース
■「TVパニック」「わんぱくこぞう」などで有名なNESTAGEが倒産、ゲオがスポンサーに - GIGAZINE
■日本テレビゲーム商業組合が解散を表明 | メディア芸術カレントコンテンツ
■[E3 2013]PS4は中古ゲームを締め出しせず。ディスク版をオフラインでプレイするなら認証も不要 - 4Gamer.net
中古ソフト市場はなくなってほしくない
現在ではスマートフォンの市場がコンシューマを凌駕するようになっています。そこでのゲーム、すなわちソーシャルゲームやアプリはパッケージソフトではなくダウンロードでのゲームが当たり前なので、中古ソフトの出番は原則なくなりました。また、コンシューマ機においてもダウンロード販売がだいぶ増えております。
前述のようにかつて何百店舗も展開されていた中古ソフト中心のショップはだいぶ少なくなり、あったとしても普通の音楽CDや書籍のほか、トレカや妖怪ウォッチのメダルなど他のものと一緒に扱うケースが大半です。むしろブックオフなどの中古書店がゲームソフトも扱っているケースが多いです。
ただ、実店舗の縮小に比べてネット店舗ではソフトの買取りや販売は多く、専門でやっているところから、Amazonなどの大手サイトが書籍などを含めて総合的に買取りをしているケースも存在します。ゲームソフトがローカルから通信を利用するものにシフトしてきたように、中古ソフトもそうなったと言えます。
ただ、これからパッケージの中古ソフトがどうなるか、というのはわかりません。ハードメーカーがアクティベーションなどを導入してしまうと、一気に消滅してしまう可能性もあるわけで。そもそもダウンロードに移行し、パッケージソフト自体がほぼなくなる可能性もあります(ハードなどは実物流通が必要なので、完全にダウンロード移行ということはないでしょうが)。
ただ、もう30年前も前に発売されたソフトがいまだに遊べるのはパッケージソフトとして存在し、それが流通という形で保全されている中古ソフトのおかげであるわけです。そういったアーカイブを(たとえソフトメーカー、ハードメーカーが倒産やゲームから撤退したとしても)保存出来るように、パッケージソフトは消滅して欲しくはないし、中古市場は存続して欲しいと思います。
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その他参考
■「中古ソフト問題」とは何だったのか | ゲームミュージックなブログ
■ゲーム中古裁判のあとの中古ソフト市場の変化 | ゲームミュージックなブログ
■中古ソフトをめぐる法的議論について
■「中古ゲーム訴訟のその後」