懐かしい風景を求めて 2021年09月
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懐かしい風景を求めて
懐かしいもの、昭和なもの大好きな変わり者です。 旅行に写真にドライブに野球に酒に多趣味な管理人が気ままに書いてます。
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ねじまき

Author:ねじまき
中高時代は鉄道好き、大学以降は旅行好き、社会人でカメラに目覚め、ここ数年でまた鉄道熱が復活した管理人です。
表題の通りノスタルジックな風景が大好きで、廃墟・ホーロー看板・木造駅舎・商店街・坂道・酷道などをこよなく愛す変な人です。



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2020.5 紀伊半島の深山へ 第15回 下里の町並み
DSC_1103.jpg

ずっと山間部をうろうろし続けてましたが、かなり久しぶりに沿岸部へ出て来ました。
出合小学校跡から太田川に沿って下り、河口にあたる下里に到着。
紀勢線の下里駅は下車経験がなく、初訪問です。

DSC_1104.jpg

下里駅(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字下里)
1935年、紀勢中線が紀伊勝浦から延伸され、終着駅として開業。
その1年後の1936年に串本まで延伸されて途中駅に。
紀勢線でよく見られるタイプの木造駅舎に近いですかね。
出入口部分が少し引っ込んでいるのがちょっと独特なつくりでしょうか。

DSC_1108.jpg

建物財産票。「標」じゃなくて「票」?どっちが正しいんですかね…?
昭和10年、ということで開業した1935年から今も現役の駅舎になりますね。

DSC_1109.jpg

駅から伸びる駅前通りはなんと県道235号線。
南平野の棚田から命の危険を感じながら走破した県道と同じです。
まぁ、南平野下里停車場線なので駅前まで来てて当然なんですが…。

DSC_1111.jpg

1985年に無人化されていて、駅員がいなくなって久しいですね。
2019年度、一日平均乗車人員は72人。

DSC_1112.jpg

相対式ホーム2面2線の交換可能駅。
向かいのホームには跨線橋で結ばれています。

DSC_1115.jpg

時間は17時半すぎ。少し町歩きに出てみます。
下里地区は住宅街になっていて、太田川を挟んで下里駅や下里中学校がある北東側と、
下里郵便局や下里小学校がある南西側とに分かれています。

DSC_1116.jpg

駅から太田川に出る手前にある、津波避難タワー。
2017年に完成したもので、200人が避難可能なんだそうです。

DSC_1121.jpg

太田川の両岸集落を繋ぐ唯一の橋である旭橋から河口を眺めて。
ちょうど引き潮でした。それにしてもメチャクチャ久々に海を見た気がします。

DSC_1128.jpg

西側の集落内の風景。
道幅が広い道はなく、古い木造建築が多く見られるイイ感じの集落です。
上の写真の奥に見える建物には懸泉堂と掲げられていました。
調べると懸泉堂は私塾として開かれたもので、洋風な木造建築は1924年の築。

DSC_1133.jpg

懸泉堂から下里小学校の方へと続いて行く道。
うねり具合が素敵です。

DSC_1137.jpg

既述のとおり大きい道がないので現在地が掴みづらく、軽く迷路のような感じも。
まぁそれほど大きな集落ではありませんが…。
確か前にこの近くの紀伊田原駅前を歩いた時にも似た経験をしています。

DSC_1140.jpg

下里駅を起点に約30分の集落歩きでした。

DSC_1141.jpg

本当は電車で降り立ちたかった下里駅でしたが、木造駅舎が急に無くなると悲しいので
来れるチャンスがあるうちに訪問を優先させました。まぁこの辺は割り切るしかないですね…。



続く




2020.5 紀伊半島の深山へ 第14回 出合小学校跡
DSC_1078.jpg

前回記事のラストで紹介した超険道235号線を気合で通り抜けて向かった先が
コチラの廃校の木造校舎でした。
県道45号線と県道234号線との分岐地点、太田川と小匠川の合流地点の少しだけ
下流側にある出合小学校跡になります。

DSC_1079.jpg

県道から少し高い位置にあって普通に走っていたら気付かないと思われます。
上記の分岐を目印に県道45号線を行くと、太田川と反対の山側に少し上がるスロープが
あるので、そこを上がるととても広い校庭と、その奥に3つの木造校舎が佇んでいます。

DSC_1081.jpg

校庭の隅にあった、高低差をうまく生かした滑り台。
このデザインは見たことないですね…。

DSC_1082.jpg

1989年に下流の太田小学校に統合されるかたちで閉校となっています。
閉校時の全校生徒は8人だったそうです。

DSC_1084.jpg

向かって左側の校舎に出合小学校の札がまだ残されていました。

DSC_1086.jpg

向かって正面にある校舎。窓から内部を拝見。

DSC_1088.jpg

閉校した後は選挙の投票所として使われた時期があるとのこと。
今も教室の中には選挙用の掲示板が大量に積み上げられておりました。

DSC_1089.jpg

体育室…って何の部屋でしょう…?
体育の授業をする部屋?体育教師の部屋?

別のブログを拝見すると裏手の校舎の方まで探索されている記事なんかもありますが、
そこに至るルートも怪しい感じだったので深入りは止めておきます…。

DSC_1099.jpg

長閑な風景が見られる太田川沿い。
朝から山の中を移動し続けてもう夕刻が近づいて来ました…。

DSC_1101.jpg

こちらは太田川沿いの長井地区で見かけて気になった木造建築。
(出合小への往路の運転中に見つけて、復路で停車して撮影しました)
もともとは何か公的な施設として使われていたような雰囲気でしたが、詳細は不明。



続く




2020.5 紀伊半島の深山へ 第13回 妙法小学校跡
DSC_1024.jpg

口色川、小阪と過ぎてそのまま進むと、県道43号線沿いに自然に還りつつある
古い木造校舎があります。

DSC_1025.jpg

こちらは1993年に休校となっている那智勝浦町立妙法小学校跡
校庭にあるコンクリート構造物はプールですね。
そしてプールと校庭を見下ろすように木造校舎、講堂が計3棟かな?

DSC_1033.jpg

県道沿いにあった門柱から校舎へと続く上り階段、その途中に校歌が書かれていたで
あろうブロックがありましたが、字が消えまくっていて解読は不能。。。

DSC_1037.jpg

妙法小学校の木造校舎。
閉校ではなく休校扱いとのことですが、そのまま再開なんて無理そうな感じです。
災害時の避難場所にも指定されているようですが、それもまた不安な気が…。

DSC_1042.jpg

DSC_1046.jpg

荒れた校舎内にはいろいろなモノが散乱。
壊れた傘にオルガンも。オルガンは弾けるのかな…?

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給食室。

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落っこちた理科室。

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教室には机がひとつだけ。机上には地球儀。

DSC_1058_2021090412421398b.jpg

引きで撮ると机の後ろはこんな凄いことになっていました。
爆弾でも投げ込まれたかのような崩れっぷり。
校舎の表側はそうでもないかと思いましたが、裏手の崩壊は相当進んでいるようですね。

DSC_1066.jpg

場所は変わって南平野地区。
南向きに開けた斜面に田んぼや畑が広がっています。

DSC_1065.jpg

南平野の棚田として紹介されているページもあったんですが、実際に行ってみると
休耕田になってしまったのか、山々をバックに水が張られた棚田、という風景には
出会えませんでした…。

DSC_1069.jpg

さて、古座川からずーっと県道43号線を進んで来ましたが、それもここまで。
次の目的地への最短ルートになる県道235号線(南平野下里停車場線)
走ったんですが、この道はヤバかったですね!
ひさびさに「命の危険を感じる道」でした。他でもなかなか無いレベルです。

尾根の上をずっと走るルートで、右も左も谷。
路面の悪さも当然あるんですけど、この道は何より道幅が狭くてガードレールが無い。
(でもガードレールがあったらその分狭くなって擦りそう、そのぐらいの狭さ)
路肩もボロボロで、軽で走ってるのに脱輪・転落しないか肝を冷やしながら走りました。
落ちるくらいなら山側に車体を擦ってok、くらいの気持ちで。

全く余裕が無かったので、道中の写真は一枚もありません…。
興味のある方はyoutubeに走行動画があるのでご確認ください。
「和歌山県道235」で出て来ますよ…。

恐らくこの道は避けて口色川から県道45号線を下るのが正解でしたね…。



続く




2020.5 紀伊半島の深山へ 第12回 小阪の棚田
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続いても県道43号線沿いにある小阪の棚田です。
ここは周辺に数ある棚田の中でも規模が最大、そして最も美しい棚田と言えるでしょう。
水が張られた棚田が太陽の光を反射して素晴らしい景観を作り出しています。

ここでもお茶の栽培は盛んなようですね。
広く開けた谷の3分の2が田んぼ、3分の1が茶畑といった感じか。

棚田の方はこちらも休耕田が増えていたところ、棚田を守ろうという地元の尽力によって
だいぶ復活してきたそうです。
今自分が見せて頂いているこの風景は、そのたゆまぬ努力の上に成り立っているものだと
いうことを肝に銘じたいと思います。どんな風景であってもその風景を作り上げる努力を
されている方がいらっしゃるものです。感謝の気持ちを忘れずにいたいですね。。。



続く




2020.5 紀伊半島の深山へ 第11回 口色川の棚田
DSC_0951.jpg

大野・色川の中心地から東へ1.5km、次に開けた谷筋が口色川です。
色川の入口だから口色川。「口~」という地名は口熊野など和歌山では他にもありますね。

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谷筋にある口色川の棚田。ここの棚田も石垣がキレイですな。
同じく色川地区のいち集落で、移住者が多いようです。

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面白い郵便受けがあったのでアートフィルターで遊んでみました。
よく見ると田んぼだけじゃなくて茶畑も多い。

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古座川の明神橋あたりからずっと県道43号線。
もう付き合いも長くなって来ましたね。

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白い石垣の口色川の棚田。

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谷筋を流れる小川。
こうして見ると茶畑の方が目立つような。

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色川茶というブランド名があるんですね。
昭和50年度農業構造改革事業とあったので、その頃から始まったんでしょう。

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棚田には徐々に水が入りつつありました。

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谷筋から車を停めた県道沿いまで上がる近道になりそうな道を進んで行くと、
名もなき神社?を発見。神社の先で道路まで続きそうな道を発見して上っていると、
実は私道だったみたいで民家の飼い犬が駆けつけて来て厳重警戒されてしまったので、
大人しく元の道へと戻って大回りで車まで歩くことに…。

DSC_0973.jpg

この口色川集落から県道45号線が分岐して下里方面へと下って行きます。
上の古い案内図は県道分岐の交差点にあったもの。

自分はもうしばらく県道43号線と寄り添います…。

DSC_0976.jpg

口色川の一つ東側の谷。すぐ下でさっきの谷と合流しているので同じ谷と言って良いかも。
県道43号線からは谷筋を真っすぐ見通せ、とても良い撮影ポイントになっていました。



続く