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2020.5 紀伊半島の深山へ 第10回 色川・大野の棚田 |
眺望が開けたポイントから、紀伊半島の山々を眺めます。 だいたい南東方向かな。幾重にも連なってますね。
このポイントなんですが、眼下にはこんな広い校庭が。 そう、ここも廃校になった学校跡になります。 周囲に民家も見当たらず、山々を見晴らすこんな凄い立地に学校があったんですねぇ。
1980年に閉校となった籠小学校跡。木造校舎が今も残っています。 こちらは定住希望者の支援施設「籠ふるさと塾」として活用されているようです。 定住希望者が住居や農地を決めるまでの間、ここに入居するんだとか。 自分が訪れた時には校庭に家族連れがいましたけど、移住されるご一家でしょうか。
県道45号線と合流してから更に2kmちょい進むと斜面に開けた大きめの集落が現れます。 色川と呼ばれる地区で、地名は大野になりますね。 現役の小中学校もあって、しっかりと活きた集落です。
県道43号線で古座川町から那智勝浦町内に入ったこの辺りは棚田多発地帯。 斜面に作られた棚田の周りに大中小の集落が点在しています。
色川・大野地区の棚田はその中でも規模は大きい方でしょうか。 石積みの棚田に民家が混ざり合う、美しい風景が見られます。
集落内に駐車場として用意されている所はなく、道幅があって通行の邪魔にならない 場所を探してそちらの少し車を置かせてもらい、カメラ片手に撮り歩きへ。。。
集落内を流れる小さな川に沿って、集落を分けるように細長い林がありますが、 多分人工的にこういう形になっているんだろうと思います。
棚田の枚数は結構な数ですが、使われていない棚田もありますね。 過疎化が進んで休耕田が増えつつあったため、地元で棚田を守ろうという活動が始まり 少しずつですが休耕田が甦りつつあるんだそうです。
また、上で紹介した籠ふるさと塾のように移住・定住者を積極的に受け入れようという 活動も功を奏しているようで、色川地区の人口約350人のうち約半数が移住者とのこと。 そして家族連れの移住者も多いため、地区の小中学校も維持されているそうです。
こちらが現役の色川小・中学校。 とても新しく綺麗な校舎ですね。木造でしょうか…。以前は小学校と中学校で別々の 木造校舎だったそうですが、老朽化と生徒数減で統合されたんですね。 ただ2020年度の生徒数は小学校で20人、中学校で9人、一見少ないですが 移住者増による影響か、ここのところ増加傾向にあるようです。
奇しくもこの新型コロナ騒動でテレワークが一気に普及し、別に都会でなくてもいろんな 仕事ができる環境が整いつつあります。 これまでの人の動きは便利な都会に向いた流れが圧倒的でしたが、この苦境を機に 逆の流れも増えて行くことを期待したいですね。 やっぱり若い世代がいることがその地域の活力につながると思います。
石垣と勾配のある集落歩きはなかなか楽しいものがありました。
最後に、色川郵便局。 手持ち現金が少し心許なかったので、こちらのATMで現金を少し下ろしました。 山奥の集落から現金を持ち出してしまって恐縮です…。
それにしても地名は大野なのに学校も郵便局もほぼ色川ですね。 色川は周囲の集落も含めた地区の総称で、その中心地が大野ってことでしょうね。
続く
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2020.5 紀伊半島の深山へ 第9回 和歌山険道43号線 |
前回記事のラストで紹介した謎の構造物を反対側から撮影したもの。 テッペンにちょっとした窪みを施してあるのがヒントになるのか…? もうゴムを引っ掛けて飛ばすくらいしか想像できません(恥
それにしても小川の流れも美しいですね…。
小川に沿った杉林を行く県道43号線。 道の中央部分が苔で緑がかってます。バイクは要注意か。
更に奥地へと進んで行くと、田川地区の小さな集落に県道ごと越えて行く吊り橋を発見。 思わず車を停め、橋へと向かいます。
田川地区にあるその名も田川橋。1tの重量制限表示があります。 調べると車道橋のようで、車でも渡れるようです。積載重量含めて1t未満であれば。
結構狭い上にグレーティング。 ここを車で渡るのはかなり怖いと思います。 竣工は1959年ということで、60年以上が経過した橋、となります。 まぁ車道橋なのである程度管理はされてますよね?ね?
田川橋から、これから進む方向を望みます。山深いなぁ…。
因みにこの田川地区には瀧川寺という紅葉が美しいお寺さんがあるようです。 時期じゃないので寄りませんが、秋に通られる方は是非。 「地蔵紅葉」として古座川町指定天然記念物になっているとか。
更に進んで行きます。 道中には何本かの名もなき吊り橋が対岸へと伸びていました。 渓流釣りの釣り人か、山の管理をされる方くらいですかね、利用するのは。
県道43号線は小森川集落手前で小川と離れ、急な上り坂で一気に高度を上げて行きます。 道幅は狭いですしガードレールのない区間もまあまあありますが、路面は意外と良く、 上り坂はそんなストレスもなく走ることができます。
問題は坂を上り切って尾根を越えた先。 上りはずっと左側に谷間の視界が開けていたのが尾根を越えて右に移り、しばらくは 良いのですが、道が斜面の林の中を進むようになると路面が急激に悪化します。
落ち葉が多く、落石もところどころに。 路肩は弱くなで肩状になっている上にガードレールもなし。 でも何より気を遣ったのが路面の凸凹ですね。長年整備されていないであろう路面は 大きな窪みがいくつもあって停まる寸前のスピードしか出せず、難儀しました。 あとから地図で調べると極悪区間は約3.3kmでしたが、速度が遅いだけに長かった…。 県道番号が43号と若い方なので油断してましたね。和歌山県道、侮れん。
幾分路面が良くなったあたり、道路わきに養蜂箱が点々と設置されていました。 人の手が入っている事が感じられるもの、久しぶりに目にした気がします。
少し道幅があるところに駐車して、養蜂箱へ接近。 西洋ミツバチか日本ミツバチかは判別できませんが、せっせと蜜集め中でした。 この山の中で集めているのは何の蜜でしょうか…。
そして少し開けた谷に久しぶりの民家を発見。 と言っても恐らく1,2軒だけで、それも住んでるかは分からない「ポツンと一軒家」状態。 茶畑はキレイに見えたので多分管理をしている方がいらっしゃると思うんですが…。
続く
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2020.5 紀伊半島の深山へ 第8回 小川小学校跡と滝の拝 |
古座川も河口に近くなりつつありましたが、ここで海には出ず、支流の小川に沿う 県道43号線に入り、北へと上がって行きます。 その道中で廃校が目に入ったのでちょいと立ち寄ってみました。
こちらは小川小学校跡で、中規模な木造2階建ての校舎です。 1991年に休校となり、そのまま2005年に閉校となったそうです。 因みに小川はここも「こがわ」。城川沿いの小川と同じ読み。
校庭はゲートボール場として使われているようですね。 このスピーカーはもう響くことは無いのか…。 もしかすると町内放送とかで使われているかも知れませんが。
小川小学校跡から2kmほど北上を続けると、名勝・滝の拝(たきのはい)に至ります。
川床が一面甌穴(ポットホール)だらけの物凄い景観。 県の天然記念物にも指定されているそうです。 滝の拝という場所があるのは前から地図で見て知ってましたが、訪問はこれが初めて。
滝の拝の脇を行く県道43号線沿いには小さな集落が形成されています。
ホントに小さい集落で道沿いに100mも続かないくらいの規模。 地名を調べると、ここも小川ですね。小川簡易郵便局もここにあります。
集落内にあった青看板。 地元の方か、あらかじめ調べた人でないとどれも分からない地名かと思います…。 自分はこの先を奥地へ進み、口色川を目指して行きます。
小川の流れが切り開いた谷で平地はほとんどない中、綺麗な藤棚がありました。 地元の方が手入れをされている藤棚なんでしょうね。
簡易郵便局の脇から見上げた民家と、若い緑。
橋から見下ろす滝の拝の瀞(とろ)。透明度は抜群ですね。 夏場にはこの瀞に集まるアユを餌なしで釣り上げるトントン釣りという地元ならではの 風物詩が見られるんだとか。
滝の拝は一面に見られる甌穴の一部が流れで浸食されて細い渓流瀑が形成されたもの、 とのことで滝のことを指す名称のようですが、この一帯をひっくるめて滝の拝と呼ばれて いるような気がしますね。
自分が車を停めたのは近年整備されたと思われる道の駅・滝之拝太郎。 (もともと小川中学校の木造校舎が建っていた場所とのこと) 道の駅からはあえて南回りで滝の拝の景観を楽しみながら走りました。
滝の拝から少し上流へと進んだところで県道沿いに見つけた謎の構造物。 三角形の物体が3つ並んでいますが、何なのかサッパリ分からず。 昔ファミコンであったエキサイトバイクのコースを作るパーツみたいな感じです。 (分かりづらい例えでスイマセン…)
続く
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2020.5 紀伊半島の深山へ 第7回 比曽原川から古座川の風景 |
比曽原川に沿って細い町道を東へと進みながら、気になるポイントで停車しながら 川沿いの風景を撮影。なかなかに進みが悪いです(苦笑)
蛇行する川の水深は浅く、先ほど走った城川沿いの風景と何となく被ります。 でも城川は日置川水系、この比曽原川は古座川水系。
新緑は様々な若い緑色が楽しめますね。 山藤の薄い紫色もキレイ。
比曽原川沿いに進む道。 離合不可能なほど狭くはありませんが、それでも対向車には気を遣うくらいの道幅。
道中で通り抜けた小さな小さな集落は石積みが素晴らしかった。 比曽原集落とでも呼ぶべきですかね。地図では午頭神社の北800mほどのところ。
三尾川から古座川に出て、久々のしっかりとした道路、国道371号線を行けば 道沿いに現れるのは、国の天然記念物である古座川の一枚岩。 高さ150m、横幅800mにもなる巨大な一枚の岩。 古座川の河原では川遊びもできそうですね。すぐ近くにはキャンプ場もあります。
写真は道の駅・一枚岩からの撮影です。 前回来たのは2009年3月なので、11年ぶりか…。 確か前回の時は道の駅なんか無かったような気がします。
鶴川橋で国道を離れ、古座川に沿う県道38号線を少し東へ進んだところ、 古座川町明神地区の風景。拙ブログが掲げる「懐かしい風景」ここにあり。
ここには大水にも流されない明神の潜水橋、いわゆる沈下橋があります。
明神郵便局のあたりから脇道に入ると、潜水橋に出ます。 四万十川の車も渡れるような沈下橋とは違い、自転車・歩行者用で幅は結構狭い。 自転車同士が乗ったまますれ違うのは相当怖いと思います。不可能?
周囲のポッコリとした山も何だか可愛らしく、日本離れした風景のようにも感じられました。
なお自分は駐車場所が分からず、上の写真を撮影しているあたり、明神郵便局の東へ少し 進んだところの県道で路肩が若干膨らんだ箇所があったのでそこに駐車しました。 今調べると、郵便局の西400mほどのところにある「みんなの店」という売店?の駐車場を 利用するような案内になっていましたので、お越しの方はそちらへ…。
続く
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2020.5 紀伊半島の深山へ 第6回 大鎌小学校跡 |
初日朝からずっと紀伊山地に埋もれている訳ですが、まだまだ埋もれ続けますよ(笑) 続いては県道36号線を江住に抜ける途中の分岐(コカシ峠)から東へ入り比曽原川流域 へと下ったところ、大鎌地区へとやって来ました。目印は大鎌八幡神社。
大鎌集落内を行く細道は県道ではないので町道かな。 わりと平坦な土地が広がる大鎌地区。 民家数軒が点在しています。10軒あるかないかくらい。
何か凄い崩れかけの物件の前に洗濯物が干してありました。 …ということはこちらにお住まい…??
次の目的地も廃校の木造校舎。 大鎌小学校跡は最初の大鎌八幡神社の裏手の坂の上にあります。
広すぎず狭すぎずの校庭に大鎌小学校の百周年記念碑が佇んでいました。 1879年2月の開校で1978年3月の閉校。99年じゃないかと思うんですけど、百周年って 満百年じゃなくて百年目に入ってたらokなんでしたっけ…?
校庭越しに眺める大鎌小学校の木造校舎。 坂を上がって来たグラウンドよりも更に少し高い位置に校舎は建てられています。 校舎の下には倉庫。写真には入れてませんが、この倉庫の右手には民家があります。
廃校になって早40年以上、手が入らなくなった木造校舎は老朽化が進みます。 屋根瓦は崩れ始めてますね。正面出入口の庇も崩れ、出入口は板で塞がれていました。
窓越しも試してみましたが、上手く校舎内を見ることはできず。 正確には少し見えましたが写真に撮ることはできませんでした。
校庭の端から見下ろす風景。 以前はネットか何かが張ってたんでしょうね。でないと小学生にはかなり危険。
百周年記念碑の隣に立つとても立派なクスノキ。 学校が現役の時代からここのシンボル的存在だったんでしょうね。
この物件も閉校から40年超、老朽化が進み、上述の通りすぐ近くに民家もあることから 倒壊の危険性を鑑みて解体する話が出ているようです。 まだ残っているのは、予算の問題のおかげでしょうか。 いつまでもこのまま、という訳にはいかなそうですね。
小学校の坂道から眺める静かな里山の風景、とても印象に残っています。
続く
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