本質から変化して粗さによって宇宙、神仏、霊、人などに共振するか変わってきます。
本質はものすごく微細なため他と共振していると、そこから変えることが簡易ではありません。
そのため共振しているものを無くすことが必要になってきます。
無くすことによって選択は自由になりますから、その微細な本質と共振できる可能性が拡がります。
その可能性の中で上手く本質と共振できれば万々歳となります。
もし神仏と共振したいなら、それに合うように共振すればいいということです。
欲を手放すというのは、粗いものとの共振を無くしていくことなのでしょう。
普段の出来事でも心を奪われている状態は粗いものと共振している状態で、心を奪われていない状態なら粗いものと共振していない状態なので、より微細なものとの共振しやすい方向へと行きやすくなります。
そうやってその都度粗さ(欲)との共振を無くしていき(手放していき)、より微細なものと共振するようにして本質に近づいていくことが大切なんですね。
だからといって粗いものとの共振が悪い訳ではありません。
ただその粗いものとの共振をいつまでも大事にする必要は無いと思います。