ぼくたちが、普段使っている「愛」と言うと、自分以外に対して「愛してる」や「愛しい」と感じることだと思います。
そこには、自分を心地良くさせたり、高揚させたりするものなどがあるはずです。
ですから、「苦しい」「悲しい」などの自分を心地良くさせないもの、落ち込ませるものなどは「愛」ではないと考えます。
そして心地良く無いときには「何でもっと愛してくれないんだ」とか「もっと自分を愛してほしい」または「愛が冷めた」、「昔は愛してた」など、愛が無かったり消えたりしてしまいます。
こういった変化する「愛」は「本当の愛」では無いと言われています。
では「本当の愛」とは何かということになりますよね(^^;
「本当の愛」とは永遠であり変化しないものと言われています。
そうすると「本当の愛」は、どこか特別で、特別なところに有って、簡単には手に入らないと感じてしまいませんか?
そうすると「自分達の愛は永遠に変わることがないはずだから、本当の愛だ」と特別なものだと思いたくなってしまうのです。
そして、いつしか勘違いだったということも‥‥
ある意味では間違いないと思います。
しかし、ある意味では間違いだと思います。
まず「本当の愛」を知るためには「本当でない愛」を知る必要があります。
この「本当でない愛」が、普段ぼくたちが使っている「愛」です。
ですが、この「本当でない愛」は「本当の愛」とは全く別という訳ではないのです。
「本当の愛」というのは、全ての条件がありません。
「本当の愛」だけが在ります。
こういう意味では、永遠であり変化しません。
しかし、「本当の愛」は流動しています。
そのため、流動のとき変化を起こします。
その変化は、いろんな「かたち」になって現れます。
どんな「かたち」かと言いますと、ありとあらゆる全てです。
ですから、先に書いた心地良いものだけでなく、心地良くないものも「本当の愛」から変化した「かたち」であって、「本当の愛」では無いとは言えないのです。
こういう意味では、変化するものとなります。
そこで、この「かたち」は「本当の愛」の「一部」「影」「子供」など表現されることもあります。
つまり「本当の愛」は、自分のすぐ目の前にあって、すでにそれに触れて手にしているということなんですね。
でも、そんなこと感じないと思います。
なぜ感じられないかと言いますと、それは 前回の記事 にチラッと書いてあります。
「本当の愛」は、みんなの周りにあふれているんですよ(^^
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