ぼく自身に最近起こったこともそうです。
チベット関係について、いろいろな情報や体験がまだ見ぬ方向へと運んでくれていたんですが、自分勝手なイメージが崩れるような片手落ちの部分を知ることとなりました。
少しは情報を目にしたことはあるので、そんなに驚きはしませんでしたが、しょうがないのかな~という気持ちもあります。
それはチベット仏教(密教)が僧の生活手段としているということ、教えのダークな面もあるということです。
実際に現地に行った訳ではないので真相はわかりませんが、一般人の崇拝心を利用している僧も沢山いるようです。
あっ、だからといって、教え自体がダメってことではないですよ、多分。
真相はわかりませんけど(^^;
昔とは時代が変わって、時間の流れも変わってきているので、伝えるほうも本来の方法から変わらざる負えないかもしれません。
また、他にも風習や文化という日本とは異なる面も少なからず影響し、そのままでは難しいようにも思います。
何でもそうですが、これは素晴らしいと過剰に持ち上げるものをそのまま信じ込むのは危険です。
運が良くなってくると、この先も右肩上がりになっていくとイメージし、調子に乗りやすくなります。
綺麗な言葉は受け入れやすいですが、そればっかりだと綺麗じゃない言葉を完全に拒絶するようになります。
しかし、この世は二元によって成り立っています。
表があるなら裏があります。
逆に、裏があるなら表があります。
良いことばかりを求めることは、追い風のようで向かい風だったりします。
このように片方だけでなく両方あることを忘れないようにすれば、どんなことも妄信することなく本質を観ることに馴染んでくると思います(^^
つまり旧暦の新年の始まりです。
ぼくはどちらかというとこっちの方を目安にしていろいろ行動しています。
今年もどんなことがあるのか楽しみです。
とは言え、世の中の荒れ方というか乱れ方が激しいですね。
よっぽど歪みを溜め込んでいたという証なんだと思います。
天災、人災も多いですが、有名人の不祥事も目立ちます。
みなさんは有名人に対して、憧れや希望を持っていますか?
自分には無い輝きを放つ遠い存在と思っていた人も多いのではないでしょうか?
しかし、ここ数年で過去の有名人が当時の裏側を告白したり、現在非常に苦労されている姿を見せたりすることが増えてきました。
世間一般のイメージの裏側というか奥側を、どんどん公表しています。
最近ではよく家族や日常のプライベート的なことも公表していますね。
それらを見てると、自分らとそんなに変わらないと思ってしまいます。
そう思った人たちの中には、見ていた側から見られる側へと変わる人もいます。
たとえ有名でなくても自分も輝けることに気づいてしまったんですね。
気づいた人は、有名人に希少価値を置かなくなります。
なぜなら有名人のイメージを通り越して向こう側に立っているからです。
それは、人気があるないとか稼ぎが多い少ないとかは関係ありません。
自分らしく輝ける場があればいいということです。
ひと昔前と比べると、自分を活かした活動をする人が大幅に増えました。
今後もっと増えていくと思います。
もっと先には、現在とは違った形態になっているのかもしれませんね(^^