受け入れると言うのは前向きに感じます。
あきらめると言うのは後向きに感じます。
でもそれは言葉のニュアンスの問題で、どちらにも前向きと後向きが存在します。
それは、自分で納得して決めるなら前向きです。
自分が納得していないのに、無理に納得させようと決めるなら後向きです。
「納得して受け入れる、納得してあきらめる」のと「納得できないけど受け入れる、納得できないけどあきらめる」では、違うと思いませんか?
物事が上手く進んだり、良くなったりするためには、抵抗するのを止めなさいと言われています。
この抵抗を止めることを、後者の納得できない方でやってしまうと、それは逆にずっと残ってしまいます。
よく「夢をあきらめました」と言いながら、ずっと後になって「あきらめた夢が叶いました」というのを聞いたりします。
これは結局、受け入れやあきらめをしたように取り繕って本当は受け入れやあきらめもできていなかったからで、その後本当に受け入れやあきらめが納得できるようになったとき、次に進んだんだと思います。
でもこれって納得の先延ばしですよね?
つまり納得できるかどうかが大事なんだと想います。
納得できるまで、本当の意味で受け入れることもあきらめることもできないということです。
だから、自分の本当の想いが大切なんです。
自分の本当の想いが納得するまで、自分を観詰める必要があるんです。
納得するまでとことんやるか先延ばしにするかは人それぞれですが、先延ばしのまま忘れてしまわないようにしてくださいね(^^
「きみ、何がしたいの?彼女とどうなりたいの?」
世界救済を託された男の子と女の子。
でも何をしたらいいか判らない男の子が高僧にアドバイスを求めます。
その返答が上記のものです。
ぼくたちも、誰かの期待や社会での役割の為に、何かをしようとしたり、何かになろうとしていることがあります。
それらを優先してしまい、いつしか自分の本当の想いを無かったことや奥底へ追いやったりします。
でもその前に大切なのは、自分の本当の想いです。
いくら誰かの期待や社会での役割に応えたところで、本当の想いから外れていれば自分自身にしこりが残ります。
このしこりに苦しみ、避けるためにいろいろな代替品に逃げたところで無くなりはしません。
しこりを無くす方法は、自分だけが知っています。
高僧の言葉を自分に変えてみてください。
「自分、何がしたいの?自分、どうなりたいの?」
自分の本当の想いは、自分だけが知っています。
もう一度!
「自分、何がしたいの?自分、どうなりたいの?」(^^
だから何?ということなんですが、特に意味はありません。
そして特に何もありません(^^;
いや、あったのかな?なかったのかな?という状況ですね。
まあいいや!
そのシンクロ中に、久しぶりに見直すことがありました。
虹と言えば、真っ先にこのアニメを思い出します。
最近、偶然にもこのアニメを題材にしたパチスロ第2弾が登場しました。
その題材になったものが「交響詩篇エウレカセブン」です。
ぼくはパチスロとかやりませんが、このアニメではいろんなことを考えさせられました。
映画「マトリックス」も真理や東洋思想を元に作られていることは、多くの人が知っていると思いますが、このアニメも真理や哲学やスピリチュアルやツインソウルなどを絡ませたストーリーで、すぐに引き込まれビデオにとって何回も見直すほどでした。
しばらくずっと見ていなっかたのですが、それが今パチスロ導入記念で11/28までバンダイチャンネルにて無料配信しています。
それで久しぶりに見直しました。
今見ても、やっぱり良いと思います。
SFアニメなので好き嫌いはあるかもしれませんが、要所々に大切なことが出てきますので、お時間があればご覧ください。
あとこれは「エヴァンゲリオン」などをリスペクトしたらしいので、似ている場面も多いそうです。
最後に要所々に出て来る大切なことを、ひとつだけ書いておきます。
「きみ、何がしたいの?彼女とどうなりたいの?」
だけど見たことに喜びすぎていたら、本質からズレていってしまいますので気をつけたいと思います(^^;
最近、世界的に異常な出来事が多く起こっていますよね。
それについてある人は陰謀論、ある人は宇宙人論、ある人は滅亡論など、自分の信じる情報をブログで発信しています。
そんなブログもチェックしているのですが、数名の人はお疲れモードになっていました。
次から次へと出て来る新しい情報、新しい真実など、更新してもしても増えるばかりで、いつまでたっても終わらない状況に虚しさを感じたようです。
そこで、ふと立ち止まってみたときに初めて気がつくものがあります。
でもそれは初めてではありません。
今までも、自分の目の前にちゃんとありました。
しかし、それには興味がなかったので見過ごしていただけでした。
ある意味では、それに気づく準備が出来たと言っていいと思います。
それは古くもあり、新しくもあり、自分が避けていたものでもあり、本当は興味があったものかもしれません。
お疲れのときにこそ、そんなチャンスは表れます。
チャンスを逃さないように、しっかり掴んでほしいと思います(^^