久しぶりに行った森林公園の入り口に、誘導員がいました。
今まで1回もいなかったので、何かイベントをやっているのかな?と思っていました。
メイン駐車場は一杯。
その先に見えたのは!
スポーツセンター!!
新しく出来たようです。
何か嫌な予感が走ります。
そのまま通り過ぎて、いつも止める更に奥の駐車場へ車を止めました。
この近くにはコンクリートで出来た地蔵菩薩などが、怪しく座っています。
この辺りは昔、仏教学校があったそうです。
それで、ここで手を合わせるとパワースポット的なものを感じることができます。
ここは大丈夫でしたが、もうひとつの場所で手を合わせたとき!
「なんか重い!」
直ぐやめました。
やっぱり森林公園の中も歩くと前に比べて、気持ち良い感じが薄くなり何か違います。
ひょっとしてと思い、スポーツセンターを見に行くと、メイン駐車場に続く道の一本が以前は通れたのに、ガードレールで通行止めになっていました。
多分、これだなと感じました。
このように環境が変わると、周りに影響します。
このままだと、ますます衰退していくことでしょう。
人の都合だけでやったことは、自分達に返ってきます。
ひとつ大切な場所がなくなってしまいました(ToT
今度は、また日常に戻ります。
こういった繰り返しが必ずあることって、何があると思いますか?
必ずあることです!
それは時間です。
時間と書くと、カレンダーや時計などのきっちりしたものを想像するでしょうが、ぼくの言う時間はもっとアバウトなものです。
例えば、四季、朝と夜、天気などがそうです。
これらは必ず、「時」と共に変化し繰り返します(四季が無い?ところは除いてください。)
去年と同じ夏、昨日と同じ朝、この前と同じ雨など、繰り返しています。
しかし、よくよく観察してみると「同じような」であって「同じ」ではないのです。
同じような夏はありますが、同じ夏はありません。
同じような朝はありますが、同じ朝はありません。
同じような雨はありますが、同じ雨はありません。
ちょっと、くどいですね(^^;
実は、この同じような繰り返しで、ぼくたちに何かを判らせようと働いているのです。
そんなこと考えたこと、あります?
そして、今回と前回と前々回は目線が違うだけで、どれも共通していることなのです。
ぼくたちは、この「同じ」という中身を判るために、目線の違う「同じような」表面を繰り返しているのです。
前回で「中身が判るまで、表面が違う同じことを繰り返している」ということを書きました。
これを小さい目線で見れば日常のことになりますが、大きい目線で見ればどうなると思いますか?
それは、「輪廻転生」です。
つまり、ぼくたちは人間の中身が判るまで、表面が違う人間を繰り返しているのです。
あるときは侍、あるときは外人、あるときは女性など、様々なパターンをどれかが引っ掛かるまで体験しているのです。
前回の例で、嫌だった人(性格)に本当にストレスを感じなくなったとき、その繰り返しは終了します。
それは、そのストレスが人によって違うので「こうなればいい」という決まったものではありません。
相手を許すことかもしれませんし、自分の意見を相手に伝えることかもしれません。
でも本当にクリア出来ていれば、次に同じことが来てもストレスになるようなことはありません。
これと同じ様に、人間の中身が判りきったら違う人間を繰り返す必要は無い訳です。
とはいえ、すぐ死ぬ訳では無く寿命というものがありますので、今生で人間終了ということです。
苦しい?人間をやり直すことはありません。
これが「本当か!」と問われれば、ぼくは「多分(^^;」としか答えられません。
しかし、自然の法則、宇宙の法則、真理、理(ことわり)などと言われるものは、全てこの世に表れていると思っています。
そこにどれだけ気付いていけるかが、鍵となるのだと感じています(^^
これは武術の先生から学んだことです。
ぼくのやっている武術は、内部感覚が非常に重要となります。
感覚というのは、人それぞれであり、どんな言葉、どんな動作、どんな表現で表しても正確に伝えることは難しいのです。
そのため武術の先生は、あらゆる言葉、動作、表現、方法で練習を組み立てます。
誰がどの方法で引っ掛かるか予想出来ないからです。
「その人の傾向である程度は予想できるが、まさかこの方法で引っ掛かるとは思わなかった」ということを言われます。
このように、ぼくたちは中身が同じことを言われていても表面が違っていると、別のものと考えてしまいます。
自分が、中身と表面が一致することを体験するまで、いろいろなパターンを体験することとなっています。
どの体験のパターンが引っ掛かるか判らないのです。
例えば、自分にとって嫌な人が居たとして、それがストレスになっていたとします。
その人が居なくなれば、ストレスが無くなると思っています。
それで、実際にもう二度と会わないところへ行ったなら、ストレスはなくなります。
しかし面白いもので、今度は違う人と出会い、嫌だった人と同じ様な性格だったりします。
そしてまたストレスとなります。
学ばなければならない中身は同じです。
でも表面が違います。
これは中身が判るまで、続きます。
つまり、ぼくたちは何かが判るまで、表面が違う同じことを繰り返しているのです。
「自分には、これぐらいが似合っている!」
こんなこと、思ったことがあると思います。
これって「自分にはそれ以上無理だ!」って思っているからだと思いますか?
本当に思っていたら、それ以上のことは望みませんよね。
でも、ほとんどの人はそれ以上を望みながら、そう思い込もうとしているのです。
なぜだか判りますか?
それは、それ以上を望むなら、今までの自分を変えないといけないからです。
「無理だと思い込む」という作業をすることで、自分に限界を作って、それ以上変えないようにするためなのです。
自分で自分を縛っているのです。
ぼくたちは、常に安定を求めています。
自分を縛ることで、今ある安定を維持しようとします。
しかし、この安定がぐらついたとき、縛りがなかなか解けません。
自分で作った限界で、自分自身を苦しめます。
もし苦しいと感じたなら、自分が作った限界の結び目を解いてくださいね(^^