そして、どっちが正しいかの判断はつけにくくなっています。
そんなとき、みなさんならどっちを選びますか?
「他人のことを思いやって」
「自分のためを思って」
まあ、どちらが良いかはその時によりますので総合的な判断になると思いますが、今は結果もすぐ出てきやすいので答え合わせもしやすいかもしれません。
ただ同じ判断でも、人によって真逆の結果になるときがあります。
ある人は危険に遭い、ある人は難を免れ、ある人は批判され、ある人は許される。
この差は何だと思いますか?
多分、だいたいは日頃の行いや運を想像するんじゃないかと思います。
そういう目でよくよく観察してみると、ものすごく順調に行っている人が突然変なことをして急転直下したり、全然注目も浴びていなかった人が突然表に出てきて賞賛されたりと、いかにも運が関係しそうな話題がたくさん出て来ていますよね。
そうすると運とは、やっぱり「消耗品」だなと感じます。
それぞれに先天的な運や後天的な運が有り、それを自分で気づく気づかないに関わらず消耗し無くなったときにそれなりのことが起こり、消耗せずに溜まったときにそれなりのことが起こるというものなんでしょう。
だから普段から、自分がどんなことに運を使って消耗しているか知っておくといいかもしれません。
運が良いと喜んでばかりいるとどんどん消耗して無くなったとき、その反動に打ちのめされてしまうでしょう。
そうならないためには、それ以上の運を養うか消耗しないようにするしかないでしょうね。
自分は平気!自分は大丈夫!というのは実は運の無駄遣いをしているのかもしれません。
どこに運を使うのか、今は特に自分で管理することも必要な時代だと思いますよ(^^
それは、自分と周囲の違いです。
同じ時を生きているはずなのに、なぜこんなにズレがあるのか。
価値観の違いは判っているつもりでしたが、実際にいろんな人と接することで、より深く実感はしていました。
しかし、ただ価値観の違いを実感しただけでは、どうもしっくりこないんですね。
それが「フッ」と、答えのようなものがやってきました。
それは、生き方の違いでした。
ほとんどの人は生を意識して生きています。
だから生きていくために、必要なものを一生懸命求めていきます。
ぼくは死を意識して生きています。
だから死んでいくために、必要のないものを一生懸命捨てていきます。
この違いは、想像以上に大きいものです。
なぜなら真逆ともいえるからです。
死を意識しているからといって、悲観しているわけでも、特別質素な暮らしをしているわけでもありません。
そして、少しのことでも幸せを感じやすく、どんな失敗もわりかし失敗とは感じていません。
それは、自分を信じて後悔のないように生きているからだと思います。
今のところは(笑)
今後、この違いがどう影響するのか何となく観えてはいますが、ハッキリするのはまだ先かな(^^