日本は連日の猛暑で今のところ収まっておりますが、イギリス、西ドイツ、ベルギー、トルコ、中国などは大洪水が発生し多大な被害を及ぼしているようです。
特に中国では、人災による被害も加わって拡大してしまったとの噂もあります。
世界中で実際に、どれくらいの被害があるのか定かではありませんが、多くの人の無事を祈っております。
只今、日本ではオリンピックの真っ最中ではありますが、ここまで来るのに数多くの失態がありました。
次から次へと問題があふれてくる場面に、みなさんは何を感じましたか?
ぼくは、ちょっと前に書きましたが「もっと実直に生きましょう!」という言葉が、ピッタリのような気がします。
国も個人も、改心することを求められているのかもしれません。
そのための因果応報を、それぞれに与えられているというのは無情かもしれませんが、そう捉えています。
なかなか進展していなかったアメリカのことも、隠しきれずにどんどん明るみになってきています。
日本のメディアなどではほぼ報道しませんが、日本語で事実を元に情報を教えてくれている人たちもいますので、探してみてください。
また日本も他人事と捉えて、改心しないのであればその報いは受けることになると思います。
しかしそれは、もう遅いのかもしれません。
何を優先してきたか、それによって何が育ってきたか、今の日本の現状がそれを物語っていますよね。
ですが例え手遅れでも、ぼくたちは意識を純粋にしていくことが出来ます。
そうすれば、因果応報も巻き添えも超えていける可能性が出て来ます。
今、何をしていくべきか!
よく感じてくださいね(^^
さぼってました、すみません(^^;
選挙結果は、日本を引っ張ている党の圧勝でしたね。
連立の党はパワーダウン。
女性知事の党も失速。
分裂した党は快進撃。
他の小規模の党は似たり寄ったり。
あれから1ヵ月。
みなさんの目にはどう映っているでしょうか?
私には日本を引っ張ている党は、今のところ変わるつもりがないように映っています。
このままでいくのなら、ちょっと覚悟をしておいた方がいいように感じます。
今は良いも悪いも表面に出やすい時なので、1日で簡単にひっくり返ってしまうこともあります。
変なことに巻き込まれないように、巻き込まれても回避できるように、自分の中心を大切にしてください。
そして自分を中心に、ごく身近の幸せを多く感じとってくださいね。
そうすることで、周りに幸せが拡がっていき、それが自分に返ってきやすくなります。
周りが乱れ始めたら、気をつけてくださいね(^^
さっそく午前中に投票してきました。
ひさびさですが、今回も気で未来を予測してみましょう。
今回ダントツに気が強かったのが、現在日本を引っ張ている党でした。
経済政策の失敗?や安保などの問題に対してイマイチなので、今回も気がイマイチかと思いきや意外でした。
何か結果の出るような働きをするのかもしれませんね。
連立の党もまあまあです。
市長が辞めた党は弱かったので、あまり活躍は期待できないと思います。
他は似たり寄ったり。
ですが驚いたことに、全体には気が強めなので日本としては良くなるかもしれません。
それがスムーズに行くのか、痛い目を見て反省し新たな道を行くのかは判りませんけど。
どちらのせよ、まだまだ揺さぶられるような出来事は起こると思いますよ。
世界はそういう流れですからね。
早く抜け出すように催促してるってこと。
ということで、LINE@でも「観直すためのヒント」を受け取れるように作成中です。
ぼく自身もいろいろと新たな流れを実感中です(^^
最近ちょっと衝撃的だったことがあります。
それは、あの富士山が世界文化遺産になるかもしれないというものです。
富士山といえば日本にとって霊峰なのですが、昔の人が「 この山って何かすごいパワーを感じる! 」みたいなのから、信仰として今に伝わってるんだと思います。
まあ、ぼくは昔の人ではないので本当にそうなのかどうかは判りませんけど、写真からでも間違いなくパワー的なものを感じます。
でもその霊峰とされるものも、長い時間が経つにつれて歴史としての霊峰としか認識されなくなってきてしまったようです。
本来は、この山そのものの素晴らしさに畏敬の念を抱き、そこに本来の自分を写すことが大切であって、世界に認めてもらうことは関係ないし、街の発展にも関係ないことです。
よって、霊峰を霊峰として感じられるならばこんなことはしませんが、それが感じられなくなってしまったために、ラベルを付けて着飾ろうとしているのだと思います。
それはまるで、ぼく達の社会で自分の存在を周りにより高く見せるために、より高い肩書きを求めているように見えます。
もしラベルが付いてしまったら、それは「 かつて霊峰として信仰のあった世界文化遺産の富士山 」という認識で、常識化されていってしまうと思います。
本当はラベルを付けること自体に良い悪いはありませんが、本来の姿を隠して判りづらくしてしまうのは、あまり喜ばしいことではありません。
そうなると、ほとんどの人が本来のものを感じようとすることも次第に薄れていくんだろうな。
それにしても、昔の自分だったらこんなこと想いも感じもしなかったんですよね。
そういう意味では、少しは成長したんだなと自画自賛(^^;
最近日本は、自国を愛する心が無いと言われています。
国を愛する心?
国を愛するとは、何でしょう?
国の名前を愛すること?
民族を愛すること?
土地を愛すること?
歴史を愛すること?
伝統文化を愛すること?
優越感を愛すること?
独善を愛すること?
きっと、もっとあるでしょう。
でも、どれもあっているような、間違っているような‥‥。
使いようによって、どんなものにも変化してしまうものが、はたして基準になるのだろうか?
ならば、基準は全部ひっくるめて愛するものにしてみたらどうでしょうか?
自も他もひっくるめて全部愛する心。
「愛全心」なんてどうでしょう?
全部愛するということは、違いを愛すること。
こっちのほうが必要だと思います(^^