すばらしい響きのように感じます。
フリーエネルギーで、安全に皆が困ることなく電気を使うことが出来れば、どんなにいいことでしょう!
今の経済システムが崩壊し、新しいシステムで皆が潤うようになれば、どんなにいいことでしょう!
他にも、いろいろ囁かれていますが、それが本当に平等でしょうか?
電気が無くても、困らずに過ごしている人もいるのではないでしょうか?
潤ってなくても、困らず過ごしている人もいるのではないでしょうか?
動物、植物等には、関係の無いことではないでしょうか?(むしろ迷惑かも)
平等、平等と言っていますが、自分と違う世界があること、または自分が理想とする世界になっていないことを、許せないだけのような気もします。
自分と違う世界の人が、平等という世界になることを望んでいるのかも疑問ですよね。
しかも、人によって平等の定義が違いますしね。
このように平等を強く訴える人達から見れば不平等の世の中ですが、そうでない人達から見れば不平等とは感じていないでしょう。
この違いは何だと思いますか?
それは、今が困らず過ごしている人達からすれば、困っていないのだから変える必要は無いわけです。
自分に困ったことがあるから、変えたいと思うのです。
こちらが不平等と見える中でも、他方がそこに満足できるものがあれば、問題ないわけなんですね。
世の中や人の心は、常に変化していくものです。
それは、みなさん判ると思います。
それによって困ったことが、現れるでしょう。
そして不平等を感じるかもしれません。
しかし、みんなに困ったことが現れるなら、それは平等とも言えなくはありません。
また、人はどんな状況でも満足することが出来ます。
どんなに変化しようともです。
それも、みんなに与えられているもの。
すなわち、平等です。
みなさんにも、それが見つけられることを願っています。
本当の平等は、ずっと自分のそばにあるんですよ(^^
ですが、この世の中において、みんな等しく同じなんて不可能なんです。
みんな同じ収入で、みんな同じ服を着て、みんな同じ車に乗って、みんな同じ家に住んで、みんな同じ仕事をして、みんな同じ食事など、何もかも同じになんて無理ですよね。
そこで、出来たのがルールというものです。
世の中のルールというものは、出来るだけ同じ価値観、同じ目線で判断しようとするものです。
このルールがあると、いろいろな事をスムーズに運び易くなります。
一部の人にとっては(^^;
ルールは、自分と相手の価値観のぶつかり合いです。
または、お互いの妥協点とも言えます。
ですから、たとえ自分が納得いかなくても、相手が納得いかなくてもルールに従わなければいけません。
納得いくことも、いかないこともお互いにあるのだから、同じとも言えます。
そうするとルールとしては平等です。
しかし、実際にはルールとして平等だったはずなのに、いつしかルールが破られ争いが出てきます。
これはどうしてでしょうか?
ルールというのは、お互いの価値観のぶつかり合いでしたよね。
価値観が変われば、もうそこには以前の平等は無くなります。
なぜなら納得いくこと、いかないことのバランスが崩れますから。
この状態の方に、ルールとしての平等を訴えても納得させるのは難しいです。
だって、平等という言葉を出されても、不平等にしか感じられませんからね。
このように、価値観で作られる平等は、すごく不安定なものなのです。
国と国とのルール、行政と国民とのルール、会社と社員のルール、夫婦間のルールなど、ルールは様々な所にあり、それによって平等が約束されていると思っていても、そうではないのです。
この世の中で使われる平等とは、すばらしいもののようですが、みなさんを苦しめるものでもあるんですね(^^