優先するのは表面的な見せかけの幸せ。
命に直接関わるなど大事なことは、後回し。
ぼくたちの夢や希望、期待や信頼を託すのを、自分たちのために使用することが当然のように振舞い、当然のように主張している今の時代の人たちは、人の欲望が暴走した姿のようだ。
表面的なやさしさは余裕がなくなれば簡単に消し去り、表面的な苦しみは満たされれば簡単に増長し、表面的な平和を望んでは平和に嫌気がさし、表面的な理想を今も掲げ続けている。
しかし一部の人は、もう限界が来ていることを感じているのではないだろうか?
今から十年前くらいには、タオの神様やタオの先生から「古い偶像は、もう中身は無い虚像になってきている」というような話を聞いた。
信じていたものが何とか機能していた時代の終わりに、もうすでに片足を突っ込んでおり、これから本物ではないものはどんどん消えて無くなっていく流れに入っていくのだ。
当時のぼくは悟るために、物事を客観的に判断することを実践しており、その実体験等からも同じことを感じており、スムーズに受け取ることができた。
表面的な解決法では、振り回されるだけで何も変わらない。
ずっとみんなに伝えようとしてきたけど、どれくらいの人が本気で受け入れてくれたのだろう。
そしてどれくらいの人が行動し、どれくらいの人がそれに気が付いたのだろう。
偶像は崩壊してきている。
これから何に頼るべきなのか。
それは目には見えないものが導いてくれる。
しかし神でも仏でもない。
それは外側にはない。
初めから自分の内側の奥底に備わっている。
それは「見る」ものではなく「観る」もの。
自分の内側の奥底を観ることができれば、おのずと本当に大切なものも観えてくる。
そして進むべき道も観えてくる。
そのとき神も仏もその他のすべても、自分と共に歩んでくれるだろう。
自分が大人になってみて、周りを見渡すと全然立派ではないように見えます。
そして自分自身も全然立派ではないように思います。
大人はあたかも全てを知っているかのようにあれこれ言ってきますが、フタを開けてみればほとんどは思い込みで作られていて、中身が不十分です。
建て前ばかりを大切にして、本当のことには知らぬ不利。
あわよくば、それを利用して自分が良ければそれで良し。
今、時代の大きな流れの変化によって、価値観が変わってきています。
大人は今までの習慣を引きずり、それを子供達に押し付けようと必死です。
しかし、もう崩壊寸前の世界に素直に合わせるほど子供達も未熟ではありません。
その反動が様々な出来事を生んでいることに、もうそろそろ気づいてもいいのではないでしょうか?
大人ってどういう人のことを指すのでしょう?
子供ってどこまでが子供なんでしょう?
子供と大人の境目ってあるのでしょうか?
本当に大切なものが、どこに転がっているのかを、今一度見直してみてください(^^