この加速具合はまだまだ続きそうですが、みなさん大丈夫でしょうか?
信じていたものが崩れてしまった人も、信じていたものが実を結んだ人も、今後どうなるのかを予想することは難しいと思います。
これだけ波が大きく荒れていれば当然そうなります。
そんな荒れた大波の中でも平気で生きていくには、今までの常識ではあまり役に立たないと思います。
やはり、今までの自分の基準を変える自分革命的なことが必要でしょうね。
まあ、それをさせるためにいろいろ起こして揺さぶっているんですけど、多くの人は今までのものにしがみついちゃうんです。
それは、そっちのほうが大丈夫だと勘違いしちゃうためです。
ぼくたちが生きているこの世界は幻想です。
儚い幻にしがみついても、いずれは消えていくものです。
そんなものが大丈夫なわけありません。
その幻想を実在と思い込み、幻想として観れないと大切なものを逃してしまいます。
本当に大丈夫なものは、初めから「ここ」にあり、消えることもありません。
その「ここ」は、みなさんの中にあります。
人としての命が消える前に、自己革命して基準を「ここ」に変えてくださいね。
最近あるドラマを見ていて思ったことがあります。
登場人物の大人を見ていると、誰かのためと言いながら、自分の思い通りにしたい人が多いこと多いこと。
そんなのを見ていると、自然なものが込上げてきます。
「気持ち悪!」
自分の素直な気持ちを押し込め、それを隠すために他人を思い通りに動かして、誤魔化そうとしています。
人には「大人になれ」と言いながら、全然自分が大人じゃない。
っていうか「大人」の基準って何ですか?
正直、ドラマでも現実世界でも何も変わらないですね。
きっと、多くの人が思っている「大人」はいないでしょう。
だって、「大人」って架空のものですから。
成りたい自分を目指すのはいいですが、それは自分でやりましょう。
他の人に強制しないように(^^
その中の数人とチャットみたいな会話をしていました。
初めて同士なんで、たわいもない話をしていたんですが、そこに新しい人が参入してきたんです。
しばらくは普通の会話だったんですが、ある一人の発言に参入者がツッコミを入れたんですね。
そのツッコミに対して、言われた人がツッコミで返したら、そこから複数対参入者のバトルが勃発です(^^;
その要因が「言葉」の解釈の違いだったんです。
だからどっちが悪いわけでもなく、ただお互いの解釈が違うから、いつまで経っても平行線なんです。
その平行線をずっと見ていると判ってくるのは、どちらも「自分は正しくて、相手が間違っている」ということを基準に、相手を正そうとしているんですね。
こうなると「自分が間違ってました」と、どちらかが認めるまで続きます。
だって、それは「自分の考え」を否定されないため、つまり「自己肯定」を守る争いですから。
結局、参入者が怒って去って幕引きとなりました。
が‥‥
ぼくがある発言したことで、今度はその矛先がこっちに来てしまいました(T T)
途中で終わってしまった争いに、くすぶってた一人が再発火ですね。
それは「言葉は万能じゃない」という発言でした。
自分が正しいと信じている人にとっては、自分の発言は「絶対的に正しい」となりがちです。
だから、あれこれ言ってくるんですけど、その信じてる根拠が自分の常識やネットの情報って(^^;
あまりにも視野が狭すぎやしませんか?
自分の常識なんて、世の中のほんの一部分を元に作ったものですし、ネットの情報なんてすべて載ってるわけでもなく、偽のものもたくさんあるんですけどね。(現にその情報源が間違いが多いと指摘されているところでした)
こういう人には、人の言葉は入っていくことがほとんどありませんので、終焉させるためにぼくからあやまりました。
すると急激に鎮火したようで、「どう?自分のほうが間違ってなかったでしょう!」という感じの発言で終了しました。
「自己肯定」が守られたんで、治まったのでしょう。
多分この人には、その間他の人が話題をそらそうとした発言や、冷め気味だったのも見えてなかったと思います。
自分の外から自分を肯定するものを集めても、不安は無くなりません。
みなさんは、自分の中から観つけてくださいね。
それにしても、何かのきっかけで急に噴出する人が多過ぎます。
今回のことで、「面倒くさいな~」とか、「かわいそうだな~」とか、「やっぱり、伝えなきゃな~」など、複雑な気持ちが湧いてきます。
う~ん、どうしよっかな~
ひさしぶりに身体が絶不調なんです。
目的に対して、現実が追い付いてきてないのが関係してるのは、自分でも判っていました。
それが出ちゃったんです。
でも、その不調に乗っかって強引に進展させました。
そこからどうするかは、これからの自分次第。
なんだけど‥‥
周囲の反応がすごいんだよね。
不調の心配よりも、不調に関係することばかりではなく、関係ないことも非難中傷。
それを観てると、その人たちが何を一番大事にしてるかがよく判ります。
結局、自分たちの思い通りにいかないことが気に入らないということ。
自分たちが信じている道が正しくて、それに沿っていないことは受け入れられないんですよね。
自分たちの選択で、今の自分たちが出来上がっている。
自分たちが、今の自分たちを作っているなんて思ってもいない。
だから自分たちの未来も、今の自分たちが基準になって、その延長線上にしかないんですよね。
でも、人生というのは何が起こるかなんて誰にも判らないんです。
きっかけがあれば、簡単に変わるものです。
そして、自分の選択次第でも簡単に変わるんです。
それに気づいてもらうために、この現象が起きて体験してるんですよね。
ですから、この体調が悪くなるのも強引に進展させるのも周囲の反応も、それぞれにとって悪いことではありません。
それぞれにとって必要なことが起こっているだけです。
起こったことから、何かに気づき何かを学びとれば、そこから何かが変わり始めます。
それが感じ取れれば、それらは天の恵みだということが判るはずですよ(^^
3/11の東日本大震災の地震と津波とは、また違った自然の脅威が今尚続いています。
まずはお亡くなりになられた方のお悔やみと、被災された方の回復及び自然災害の早期収拾をお祈り申し上げます。
今回、皮肉にも唯一原発が稼動している九州地方です。
何とか直撃を免れましたが、単なる偶然なのでしょうか?
東日本から今日に至るまで、日本は何を優先させて来たのでしょう。
その答えを再度見せ付ける一歩手前まで来ているのかもしれません。
同時に、各自が何を選びどうしてきたかの答えも、見え始めてくるのかもしれません。
あのときから基準を観直した人にとって、今はどのように映っているのでしょう。
あのときから基準を観直さなかった人にとって、今はどのように映っているのでしょう。
そして、これからどのような基準で進んでいくのでしょう。
もし今が満たされているなら、観直す必要はないかもしれません。
しかし違うなら、今からでも観直したほうがいいと思います。
この世を去ることになっても、この世に残ることになっても後悔のないように生きてください。