インドにはさまざまな聖者が、たくさんいるそうです。
そしてニセモノも多いらしい(^^;
ぼくは、日本で毎年行われていた「マーター・アムリターナンダマイー・デーヴィー」のダルシャンに、3~4回くらい参加したことがあります。
アンマ(通称)は「抱きしめる聖者」とも言われており、日本で開催中にものすごく多い希望者(数千人くらい?)にハグをします。
毎回1日だけの参加でしたが、アンマ(通称)にハグをしてもらい、近くで瞑想してどんな感じだったかを書きたいと思います。
以前にも書きましたが「気」は、「無」というのがふさわしい感じです。
「無」といっても無いということではなく、止まっているという感じです。
ですから「自我」がより強調されて感じやすくなります。
しかし止まっているせいか雑念が沸くということはなく、どちらかというと「自我」が独りぼっちにされるような感じでした。
また数十年前、ある呼吸法で有名になった日本のヨーガの人ですが、インドの師に付いて瞑想をして認められたと本人から聞いた憶えがあります。
この方のセミナーに参加したときの話と「気」を感じた印象が、やはり「無」でした。
ただ深く入る感じではなかったですね。
あと、まだセミナーに参加してないですが、ここ数年前から日本で活動されている日本の人が気になっています。
この方もインドで修行されて悟ったとされる方です。
なんでも悟りのエネルギーを伝授されるとのことで、ちょっと興味があります。
直接感じていないのではっきり書けませんが、写真や動画で「気」を感じる限りやはり「無」のような感じです。
このように「インド」系の悟りは、何もないかのような停止の感じがします。
これが「インド」系の特徴なのかもしれませんね(^^