そんなものは味わいたくないし、したくない‥‥
この世に真実と誠実を求める限り、それが消えることはありません。
それを感じているのは自分自身であり、決めているのは自分自身だからです。
起こる出来事に真実も虚偽もありません。
ただ起こっているだけです。
それをどこまでを真実だとし、どこまでを虚偽だとするかによって変わってくるのです。
ある出来事を虚偽だとすれば、自分を騙したとして対象に何かしらの自己防衛の行動をするでしょう。
ジョークだとすれば、自分を本気で騙そうとしたのでは無いとして、自己防衛は解かれ対象に対しての行動が変わるでしょう。
虚偽と感じるものをどこまで虚偽と見抜けるかが、この世の虚偽を消す方法です。
起こる出来事は変わりません。
自分の中の虚偽が消えるのです。
その集大成がこの世を幻想とさせるのです。
ドラマ、アニメ、映画、夢のように実在していない幻想と感じることができれば、起こる出来事に対しての感じ方は違ったものになります。
嘘が嘘であり、フェイクがフェイクであり、偽りが偽りであり、虚偽が虚偽である。
この世の嘘もフェイクも偽りも虚偽も幻想です。
幻想と知りながら虚偽と真実を自分で選んで取り入れることが、自分の世界を創ることとなるでしょう(^^
ただそのフェイクをどうするかは、みなさん次第です。
ぼくたちはこの世界はひとつしかないと思ってしまいます。
しかし立場や環境、知識や経験によって各自の世界があり、多種多様になっています。
たとえば一般人には芸能界は未知の世界です。
芸能界での業界用語があり、芸能界での礼儀があり、芸能界の役割があり、芸能界のルールがあります。
芸能の世界がある訳です。
そして芸能にも伝統的なものからお笑い的なものまで各世界があります。
その世界に上手く染まることが出来れば、その世界を生きることが出来ます。
しかし上手く染まることが出来なければ、その世界を去ることになります。
またはその世界に染まらず必死にしがみついているか、頑張って新しい世界を作ろうとするかです。
この芸能の世界が一般の世界とは違うにもかかわらず、どちらかがどちらかの世界を批判するのはよくあります。
「演出」と「やらせ」、「質の提供」と「口パク」など、片方にとってはフェイクでなくても片方にとってはフェイクになってしまいます。
自分たちの世界では通用することも、他の世界では通用しないんです。
こんなことが自分の世界と自分以外の世界の間にはお互い沢山あります。
もしフェイクに気づいてしまったら了解しますか?
しませんか?
まあ結論を出す必要はありませんが、自分が感じたものは観てくださいね(^^;
早いものであれから3年経ちました。
しかし復興の進みは良いとはいえません。
支援を頑張っている人もいますが、支援を装っている人もいるようです。
最近は、某作曲家のゴーストライターのことで双方の会見がありました。
あと某細胞もゴタゴタしてますね。
どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか。
当事者では無い人には、一生真実は判らないでしょう(^^;
こういうとき、人はどのような自分かを知らされます。
当事者自身もそうですが、ぼくたち自身もです。
何もしていないのに、文句ばかり言ったりします。
対象自体がすばらしいと言っていたのに、それ以外も判断基準に入れていたりします。
期待を裏切られた途端、態度が急変したりします。
怒りや失望に囚われるのではなく、どうしてこのようなことになるのか自分をよく観詰てみることのほうが大切だと思います。
自分が信じるもの、信じていたものの基準にフェイクが紛れ込んでいるかもしれません。
何がフェイクなのか!
観破ってくださいね(^^