ハマスを勝たせたアメリカの「故意の失策」

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ハマスを勝たせたアメリカの「故意の失策」

2006年2月2日  田中 宇

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 パレスチナで1月25日に行われた議会(評議会)の選挙は、議会の132議席のうち76議席(58%)を、イスラム原理主義の「ハマス」が獲得し、圧勝した(ハマス支持の少数政党の4議席を加えると80議席、61%)。従来の与党だった政教分離派の「ファタハ」(PLO主流派、アラファトが作った政党)は43議席しかとれなかった。(関連記事

 1993年のオスロ合意によってパレスチナ暫定国家が作られた以来、ファタハはずっと与党で、欧米と協力し、イスラエルと交渉しつつ、パレスチナ国家の建国と発展を実現しようとしてきた。ところがその後、イスラエルとアメリカの政界では、パレスチナ・アラブ側との和解を嫌う右派(タカ派)がどんどん強くなった。ここ数年、イスラエル軍は「テロ防止」の名目で、パレスチナ人の町に外出禁止令を出したり道路封鎖をしたりして経済活動を阻害し、パレスチナ人の生活は悪化する一方だった。(関連記事

 ファタハが運営する自治政府内では横領などの腐敗もあり、パレスチナ人は現状の政治体制に不満を募らせていた。「腐敗撲滅」を宣伝文句に掲げて選挙に臨み、圧勝したハマスは、イスラム教の相互扶助の精神にのっとって貧困層のために病院や学校を経営しており、人々の信頼はあつかったが、パレスチナ政府で政権を担当した経験はなかった。人々はハマスが政権をとったら状況が改善されると確信していたわけではなく、藁をもすがる気持ちでハマスに投票した。

▼「ヒッピーの町」でも完勝したハマス

 イスラエルの過酷な占領政策がパレスチナ人の気持ちを根底から変えた例は、パレスチナ国家の暫定的な首都であるヨルダン川西岸の町ラマラでの投票結果から見て取れる。(パレスチナ国家は東エルサレムを首都とする構想だが、イスラエルが占拠しているのでラマラに行政府を置いている)

 ラマラには、歴史的にキリスト教徒が多く住んでおり、イスラム教徒が多いパレスチナの中では、飲酒や、女性の肌の露出度が高い欧米ファッションに対する社会的な寛容度が比較的高い地域として知られてきた。敬虔なイスラム教徒は、ラマラを「ヒッピーの町」と呼んだりしていた。(関連記事

 そのため、1月25日の議会選挙に際しては、ラマラの選挙区では、アッバス議長が率いる政教分離派の与党「ファタハ」が、他の地域に比べると優勢であると予想されていた。ところが開票してみると、キリスト教徒に割り振られた1議席を除き、すべての議席がハマスの候補者によってとられてしまった。(関連記事

 ハマスは、厳格なイスラム社会を作ることを目指しており、ハマスが以前から優勢なガザ地区では、すでに酒屋や、酒類を出すレストランは、公式なかたちでは全く存在していない。自由を好むラマラ市民は、ハマスを勝たせたら、飲み屋や酒屋がラマラからも消え、女性が頭髪を露出して歩くことも規制されるかもしれないと予測していただろうが、それでも彼らはハマスに投票した。イスラエルによるパレスチナ社会への破壊行為は、それほどに深刻な打撃を与えていたということになる。(関連記事

 パレスチナ議会(評議会)は任期が4年だが、オスロ合意に基づく初めての選挙が1996年に行われた後、イスラエル側の態度硬化と、パレスチナ側の抵抗運動(アルアクサ・インティファーダ)による混乱のため、2000年の選挙は行われず、今回が2回目の選挙である。ハマスはオスロ合意に反対して1回目の選挙に出馬しなかったため、今回が初めての国政選挙参加だった(すでに市町村議会選挙には出ていた)。ハマスは、初めての出馬で、いきなり圧勝し、与党になってしまった。

▼選挙延期で談合したのに・・・

 以前の記事に書いたように、ハマスの優勢は投票日前に分かっていた。イスラエル側の事前の世論調査は、ハマスはパレスチナ人の60-70%に支持されているという結果を出しており、この調査は、実際の選挙の結果をほぼ正確に予測していたことになる。

 ファタハは、オスロ合意によってパレスチナ国家を認められたのと引き替えに、イスラエルの国家主権を認めたが、ハマスは、オスロ合意はパレスチナ人を弱い状態に押し込めておくためのものであるとして反対し、イスラエルが消滅するまで戦うことを組織目標として掲げている。

 イスラエル側は、ハマスがファタハを破って政権に就く選挙の実施は避けたかった。パレスチナ側でも、ファタハのアッバス議長(大統領)は、選挙をすれば負けると分かっていたので、なるべく延期したかった。もともと議会選挙は昨年7月に行われる予定だったが、アッバスは治安の悪化を理由に、今年1月まで延期した経緯があった。

 昨年12月下旬には、イスラエルが「1月の選挙では、東エルサレムでの投票を許可しない」と発表した。東エルサレムはパレスチナの首都になる予定の地域だが、イスラエル側が占領を続けており、治安維持の名目で投票禁止が発表された。これに対してアッバスは「東エルサレムで投票が許可されないので、投票を延期せざるを得ない」と表明した。イスラエルに責任をなすりつけ、アッバスは2度目の投票延期を実現できる状況が作られた。

 イスラエルにとっても、投票が延期されてハマスの台頭がしばらく食い止められるのは好都合だった。昨年のガザ撤退に続いて、ヨルダン川西岸地域からも撤退し、イスラエルとパレスチナ側を隔離壁によって分断し、ブッシュ政権の「中東民主化」戦略の失敗によって今後さらに加速しそうなパレスチナ・アラブ側の「過激化」に備えるための時間的な余裕を作れるからである。東エルサレムでの投票禁止問題を口実にパレスチナ議会の選挙を延期することは、アッバスとイスラエル政府の間で、目くばせ的な談合が行われた結果だったに違いない。(関連記事

 ところがその後、議会選挙は予定どおり実施されることになった。なぜか。それは、アメリカ政府がアッバスに「選挙を予定どおり実施しなければ、経済支援を打ち切る」と圧力をかけたからだった。(関連記事

▼あまりにお粗末なアメリカの予測

 アッバスはパレスチナ社会での不人気を挽回しようと、昨年夏に欧米の反対を押し切って政府職員の給料を引き上げた。この問題を口実に、ブッシュ政権は、今年1月の選挙が延期される気配が濃厚になってきた昨年12月に、パレスチナ自治政府への経済支援を凍結した。そして「選挙を予定どおり行えば、凍結を解除する」と宣言した。(関連記事

 パレスチナ自治政府は財政が貧困で、欧米からの経済支援がなければ、政府職員や治安部隊への給料すら払えない。1月25日に選挙を実施せず、凍結が続けば、2月1日に支払い予定の職員の給料が払えなくなる。職員のうち6万人は武装した治安維持部隊で、彼らに給料を払わなかったら、反乱が起きる懸念があった(アッバスに対する不満から、すでに小規模な反乱が何度も起きていた)。アッバスは泣く泣く選挙を実施した。そして事前の懸念どおり、大敗した。

 ブッシュ政権がアッバスに「予定どおり選挙をやれ」と圧力をかけたのは、ブッシュが頑固に続けている「中東民主化戦略」の一環だった。この戦略は「民主化を実現すれば、中東の有権者は平和を好む政党を勝たせるはずで、テロ撲滅につながる」という理論に基づいているのだが、パレスチナの場合、この理論が破綻していることは、選挙前から分かっていた。

 ハマスは、米政府によって「テロ組織」と見なされている。事前の調査で「テロ組織」のハマスが圧勝して平和を好むファタハが野党に転じることが明らかに予測されていたのに、米政府は「テロ撲滅のための民主化戦略」だと言って、アッバスに選挙をやらせた。イスラエル政府も以前から「中東民主化戦略は失敗するのでやめた方が良い」とブッシュに忠告していたが、無視され続けており、ブッシュがアッバスに圧力をかけて選挙を実施させるのを黙って見ているしかなかった。

 パレスチナの選挙後、あまりにお粗末な「中東民主化戦略」に対する釈明を記者団に問われたライス国務長官は「(国務省内では)誰もハマスが勝ちそうだとは予測していなかった」と述べた。確かにCIAは「ハマスは善戦するが、議会の最大勢力がファタハである状況は変わらないだろう」と予測していたが、イスラエル政府は、その予測は甘すぎると見ていた。(関連記事

▼繰り返される失策は過失ではなく故意?

 米政府の予測間違いは、非常にお粗末な「重過失」的な失態であるが、これが始めてのケースではない。2003年のイラク侵攻前には「フセイン政権さえ倒せば、イラクは簡単に民主化できる」という根拠の薄い予測を掲げ、中東や軍事の専門家の反対を押し切ってイラクに侵攻し、案の定、ゲリラ戦の泥沼にはまっている。イラクでは最近の選挙で反米・親イランのシーア派のイスラム主義勢力が優勢となり、米軍が撤退したらイラクは反米の国になる道筋がすでにできている。(関連記事

 またエジプトに対しては、在野の専門家たちが「選挙をしたらイスラム主義のイスラム同胞団が台頭してしまう」と予測したのに、米政府は「アメリカ型のリベラル主義を信奉する野党が躍進する」と、ここでもお粗末な予測を発し、エジプトのムバラク大統領に圧力をかけ、昨年11月に議会選挙を実施させた。その結果は、イスラム同胞団が候補者を立てた選挙区の6割で当選した半面、リベラル派は惨敗した。ブッシュ政権は、独裁者のムバラクよりもアメリカ色の強いリベラル派を勝たせるつもりだったが、結果は、より反米のイスラム同胞団の台頭を招いた。(関連記事

 これらの度重なるお粗末な戦略を、単なる「過失」の連続と考えるには無理がある。法律の世界では「ひどい過失(重過失)」と「故意の失敗」は、ほぼ同じことであると見なされていると聞くが、ブッシュ政権にも、これが当てはまる。イラク、イラン、パレスチナ、エジプト、シリア、ロシア、北朝鮮、ベネズエラなど、ブッシュ政権が「民主化する」と言って介入した国々はすべて、以前より強くて反米の政権になる方向に動いている。それなのに、ブッシュは全く懲りず、頑固に「民主化」の方針を続けている。こうした状況からは、ブッシュ政権が「故意の失敗」を繰り返しているのではないかという疑念が湧く。

▼ハマスの譲歩を蹴ったアメリカ

 1月25日の選挙でハマスが勝利した後も、ブッシュ政権の重過失的な中東民主化戦略は続いている。新たに実現しつつある重過失は「ハマスとイランに、反米・反イスラエルの連合戦線を組ませること」である。

 選挙前、イスラエル政府は「ハマスが政権をとったら、パレスチナ人の代表としてイスラエル側と交渉しなければならなくなるので、イスラエル国家の存在を認めざるを得ない。責任ある立場についたら、ゲリラやテロの活動も抑制するはずだ。ハマスは政権をとることで穏健化する」と分析していたが、選挙直後から、その分析通りの兆候があらわれた。

 1993年にパレスチナ暫定国家が作られて以来、政権を持ったのはファタハだけだったから、ハマスはこれまで一度も国家運営をしたことがない。議会選挙に勝って単独与党になり、組閣しなければならなくなったが、未経験なのでろくな政権運営ができない。そのためハマスは、これまで政権を執っていたアッバス大統領らファタハに、政権内に残ってほしいと要請し、連立政権を作ろうとした。

 アッバスは、ハマスがイスラエルを敵視する姿勢をやめることを、連立を組む条件として出した。欧米も「イスラエル敵視をやめたら、凍結している資金援助を再開する」と表明した。

 これに対してハマスは「イスラエルがパレスチナ占領地から完全に撤退し、パレスチナ国家の樹立を認め、難民問題の解決にも協力するなら、イスラエルと長期に停戦しても良い」というところまで譲歩した。イスラエルのこれまでのやり方から見て、完全に信用して敵視を永久にやめるのは時期尚早だが、その一歩手前のまでなら譲歩しても良いということだった。(関連記事

 だが、ハマスをテロ組織と見なしているアメリカのブッシュ政権は、これでは不足だと主張して「イスラエル敵視を完全にやめない限り、ハマスを援助しない」と言い続けた。ハマスは「脅しには屈しない」と言い返し、イスラム諸国に助けを求めた。(関連記事

▼派閥を超える反米・反イスラエルの結束

 サウジアラビア、エジプト、マレーシアなどは、アメリカとの関係悪化を恐れ、ハマスに資金を出そうとしなかったが、反米・反イスラエルの方針を掲げるイランは、石油価格高騰で国庫が急速に豊かになっている産油国でもあり、欧米に代わってハマスに経済援助をしても良いという姿勢を見せた。(関連記事

 同じイスラム主義でも、ハマスはスンニ派、イランはシーア派で、従来の中東の常識で考えると、両者が親密な関係になることは考えにくかった。しかし、イラク侵攻後の中東で強まるばかりの反米・反イスラエル意識は、イランがハマスを支援するという、常識を覆す事態を生んでいる。イランは最近、シリアのバース党アサド政権や、エジプトのイスラム同胞団といったスンニ派の各勢力とも「反米・反イスラエル」を軸として、親密な関係を構築している。(関連記事

 イランがハマスに接近したのを見て、イスラエルやEUは慌てた。ハマスがイランからの支援を受け、欧米からの援助がなくてもパレスチナ政府を運営することに成功したら、その後のパレスチナは欧米の言うことを聞かなくなり、イランと組んでイスラエル敵視を強めかねない。そのため、パレスチナに対する国際援助の3分の2を拠出するEUは、援助を止めないことを決定した。だがアメリカは、まだ強硬姿勢を変えておらず、欧米間で足並みが乱れている。(関連記事

▼カディマが負けたらイスラエルは終わり?

 イスラエルでは3月28日に議会選挙が予定されている。従来、シャロン首相が率いる中道派の新政党「カディマ」が優勢で、シャロンが脳出血で倒れたが、後を継いだエフド・オルメルト首相代行が、シャロンが途中までやった「パレスチナ占領地からの一方的な撤退」を継続する方針を掲げ、引き続き国民からの強い支持を受けていた。オルメルトのカディマ政権は、次は西岸地域からイスラエル人入植者を撤退させる方針で、すでに強硬な入植者が多いヘブロンなどでは、軍が入植地の強制撤去に着手している。(関連記事

 しかしハマスの勝利以来、イスラエルの世論は、占領地からの撤退に対し、やや消極的になっている。この先ハマスが欧米との関係を絶ってイランの傘下に入り、イスラエルに対する攻撃姿勢を強めた場合、カディマ支持が減り、ネタニヤフのリクードが優勢になって選挙に勝ち、4月にはネタニヤフが政権をとって占領地からの撤退政策を打ち切り、ハマスとの対決姿勢を強める可能性がある。(関連記事

 イスラエルにとって唯一の頼みの綱であるアメリカの覇権力が弱まる一方、中東全域で反米・反イスラエルの勢力がどんどん強くなっている。シャロンは、こうなることをイラクが泥沼化した2003年秋ごろには見抜き、国内右派の反対を押し切ってガザからの一方的な撤退を実施したが、その戦略は正しかったことになる(一方的な撤退でなく、パレスチナ側と交渉していたら、ハマスが選挙に勝った時点で交渉が頓挫し、危機になっていた)。(関連記事

 今後、ネタニヤフが政権に就き、シャロンの撤退策を破棄して、再び好戦的なパレスチナ弾圧策に戻った場合、イスラエルは、イランをはじめとする中東全域で台頭するイスラム主義勢力との絶望的な戦いに突入することになり、最終的には戦争によるイスラエル国家の消滅もあり得る事態になる(ただし、ネタニヤフは政治嗅覚が鋭いので、政権を執っても好戦的な戦略を採らず、カディマの撤退政策を引き継ぐ可能性もある)

 アメリカのイスラエル支持者の間では、3月の選挙ではオルメルトのカディマを勝たせないと大変なことになるという意識があり、ブッシュ政権に対し、わざわざハマスとイランをくっつけてカディマを不利にする「重過失」はやめろ、という圧力がかかっている。現時点(2月2日)では、ブッシュ政権がハマスに対する態度を軟化させるかどうか、まだ見えてこない。

 以前の記事「イスラエルとロスチャイルドの百年戦争」に書いたように、欧米には親イスラエル派のふりをして、実はイスラエルを潰そうとする勢力がおり、ブッシュ政権もこれまでの行動から、彼らの代理人であるという感じもする。だとしたらブッシュ政権は、短期的にはイスラエルの言うことを聞いても、長期的にはイスラエルを潰そうとする計略を隠然と続けるはずである。この件については、事態が進展したら改めて解説する。

▼キューバ危機との類似

 米政府が、ハマスとイランをくっつけようとしている「重過失」は、1959年の革命で社会主義国になったカストロ政権のキューバに対してやったことと似ている。キューバは貧乏で小さな国なので、革命を成功させたカストロはアメリカと敵対したいとは思っておらず、アメリカと交渉して関係を正常化しようと考えていた。しかし米政府はキューバに対する強硬姿勢を崩さず、困ったキューバはソ連に援助を頼まざるを得なくなり、ソ連のミサイルがキューバに持ち込まれる「キューバ危機」に発展した。

 当時アメリカの政界では、冷戦を激化させて国防予算を急増させようとする「軍産複合体」の勢力が強くなっていた。アメリカの重過失的な失策によって、キューバがソ連の傘下に入り、アメリカのすぐ近くに親ソ連の国ができたことで、アメリカ人は「冷戦」の危機をひしひしと感じ、軍産複合体は国防予算は急増させることに成功した。キューバに対する失策は「故意の失敗」だったと思われる。

 キューバに対するアメリカの故意の失策が国防予算の増加を目的としていたようだが、同様に考えた場合、ハマスに対するブッシュ政権の故意の失策は、何が目的なのだろうか。私にとってこの疑問は、イラク侵攻が故意の失策として行われたのではないかという疑いを2003年に持って以来のものだ。(関連記事

 この件に関しては、過去の記事で何回か考察したが、完全には解明されていない。現時点の私の結論は、ブッシュ政権が故意の失策を行う理由は「アメリカが唯一の覇権国である状態を終わらせ、世界を多極化するため」であり、多極化が必要な理由は、前回の記事に書いたように「アメリカを動かしているのは国際資本家で、彼らは多極化によって、世界的な投資効率を改善しようとしている」ということではないか、と考えている。



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