2009.02.27(金)
青森県屈指の大地主に生まれ、才にも恵まれながら、生涯4度の自殺未遂を起こし、絶望の、淵から、希望を謳いあげ、今でも若者に愛されている「太宰」は未完の青春文学の大家である。一部の「自ら招いた破滅型の私小説家で傲慢である」というのは当たらないと思う。
■彼ほど聖書を深く読んだ作家も珍しい。作品のいたるところに、聖句が引用されています。「汝隣人を愛せ」という祈りが彼の愛の表現形式を生んだと思う、又終戦直前に故郷に帰り、名作と言われた『津軽』の中の『惜別』の中に(僕は孔孟の「思想を軽んじていません、色々あるが、僕は、礼だと思う。愛の発想法です、人間の苦しみは、愛の表現の困難に尽きるといって好い、この表現の拙さが人間の不幸の源泉なのではあるまいか〉と書いている。
■実は太宰の最大のテーマは愛,即ち「正しい愛情」=母への優しい希求だったのかと思います。(母の優しさを求めて行動しても、見つからない、だからデカダンス(不良)に陥らざるを得なかったのです、その結果「苦悩」が起こったのです)この「不良」とは優しさの逆説なのです。世間でよく言われる人は悪人で、悪人といわれる人に善人がいるのだ、と戦後狸寝入りしている文化人を批判し、戦後民主主義を否定したわけです。「如是我聞」で志賀直哉に噛み付いたのも、「斜陽」のかず子にも言わせています。知識や威厳で仮面をかぶっているものに、対する、猛烈な抵抗を試みています。
■太宰は、政治、社会を対象とはせず、個人対個人の世界です。だから、自分の内面のいやらしさを告白して、一種のいやがらせ的な、抵抗もあると思う。自負と自嘲、裏切り、に対する罪悪j感、滅亡する地主の恐れ、(もう生きてはいけません〉といいながら『ヴィヨンの妻』で(あなた人非人でも好いじゃない)<妻美智子への謝罪か?>と言わせたり究極は、『人間失格』の最後に「私たちの、知っている葉ちゃんは、とても素直で、良く気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも・・・神様みたいないいでした」と自己弁護、否(聖化)さえしている矛盾も感じられます。
■現代の暗い世相に照らしても、(母の愛)は永遠なものでいくら、名家、金持ち、秀才でも家族愛、特に母親の愛がなければ、幸福な人生は送れないものだと痛感した。
- 関連記事