2021年05月 | page 1 | 日本人の縄文思想と稲作のルーツ
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Archive2021年05月 1/1

縄文人DNAはなぜ減少したのか愚考

縄文人DNAはなぜ減少したのか愚考(日本人のルーツ)田植えは平安時代から始まったことについて検討してきました。しかしながら、田植えは弥生時代から行われていたという古代史関連書物がいまだに散見されます。この問題については後程さらに検討します。さて、拙ブログでは、Y染色体ハプログループ分類から、現代人の男系の縄文系の人々は、アイヌ系35%、マレー系A20%、その他10%、合計65%居ることを紹介してきました。詳し...

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田植えは東北北部にも争いの古代史を作った

田植えは東北北部にも争いの古代史を作った(関東・東北の古代)前回、平安時代中期(10世紀頃)、田植え(移植栽培)の普及により東北北部でも稲作が可能になり、人口が増え、豊かになってきたことを紹介しました。そして、平安時代後期となると、岩手県南部の平泉に藤原三代による黄金文化が栄え、このことが、マルコポーロによって黄金の国ジャパンと紹介されるようになったとも言われます。この黄金文化の前に、豪族と中央貴族...

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田植え技術は東北を変えた

田植え技術は東北を変えた(関東・東北の古代)前回、田植え(稲移植栽培)は平安中期(900年頃)に始まったことを指摘しました。そして、この稲移植栽培は、代掻きによる漏水防止があるため水が温まり、春の寒い時期の稲の生育を大幅に改善することも紹介しました。このため、移植栽培は、水が冷たく稲の生育が抑制されてきた地域、すなわち、東北や中山間地域の稲作を可能にしました。そこで、今回は、東北、特に北東北(青森、秋...

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田植え開始と武士の出現関係愚考

田植え開始と武士の出現関係愚考(稲と鉄)前回、稲移植栽培(田植え)は、田植え前に水と土を混ぜるという代搔き(しろかき)作業があるため、漏水が少なくなり、この結果、水が温まり、稲の成長が早まる多収技術であること、それは平安時代中期頃(900年頃)に始まったことを指摘しました。また、その増収効果は、人口増大からみると、200年当たり1.7倍近くあったことを人口増大曲線から推察し、その効果が大きかったことを推察...

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