Archive2020年04月 1/1
水田稲作3000年の画期は鉄器導入と移植技術
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水田稲作3000年の画期は鉄器導入と移植技術(記事まとめ)前回、4回に渡り、古代の水田稲作普及関係について検討してきました。関連し、今回は、水田稲作について記事まとめをします。まず、水田稲作普及の経過概略を1000年単位で上の表に示しました。その内容は下記の通りです。水田稲作は、中国南部で7000年前以上に始まりました。詳しくは「稲作民族が江南地方から大挙移住してきたのか」 を参照願います。その稲栽培法は乾田直...
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なぜ10世紀に古代集落が台地から消えたのか
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なぜ10世紀に古代集落が台地から消えたのか(稲と鉄)前回、低地水田稲作と高地畑作の比較を行い、水田稲作の人口増大効果が畑作の3倍程度あったこと、そして、その高地(中山間地)には、弥生時代を過ぎた古墳時代に水田稲作は広がったことを指摘しました。一方、日本の歴史には、10世紀頃、台地にあった古代集落の消滅が指摘されています。10世紀というのは、移植栽培(田植え)が始まった頃と拙ブログで指摘している時代です。...
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畑作は生産性が低かったのか
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畑作は生産性が低かったのか(稲と鉄)弥生時代の特徴に、生産性の高い水田稲作の導入があったことが知られております。このため、稲作が始まると、高地(台地)の人々の多くは稲作適地の低地(平野部)に移住したと言われます。しかし、東京の遺跡事例では、台地の人々は弥生時代になっても低地に移住しなかったことが分かりました。詳しくは「弥生時代に東京は畑作の方が多かった」 を参照願います。このことは、弥生時代、低地...
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北九州の初期水田開発は石器で行われていた
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北九州の初期水田開発は石器で行われていた(稲と鉄)前回、朝鮮半島で生産された鉄器の導入について検討しました。そして、3000年前に北九州で始まる稲作に、僅かですが南方由来の鉄が使われたと愚考しました。一方、弥生時代の鉄について、「弥生時代ってどんな時代だったのか?」(藤尾慎一郎編 2017)に最近の情報が詳述されています。(上の写真参照)その記事では、縄文時代の鉄器発見、すなわち、北九州の水田遺跡(福岡県...
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稲と鉄は別々に導入された
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稲と鉄は別々に導入された(稲と鉄)前回、海人族のルーツについて検討し、その正体は日本人の20%を占める縄文時代から居る海洋系マレー(マレー系A)であったことを指摘しました。一方、マレー系には日本に水田稲作をもたらした稲作系マレー(マレー系B)も居たことも指摘してきました。水田稲作民族は中国江南地方から3000年前頃から来ていたことが明らかになっていますが、水田稲作には水路造成など鉄器が不可欠であることも指...
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古代海人族のルーツは海洋系マレーと思われる
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古代海人族のルーツは海洋系マレーと思われる(日本人のルーツ)拙ブログでは日本人のルーツについて検討してきました。関連し、今回は、「古代海人族のルーツは海洋系マレー」だったことについて愚考します。まず、海人族と呼ばれる人々は海神(わたつみ)の子孫と呼ばれ、福岡県の宗像大社など関りのあるいくつかの神社が海神の神社として知られております。その海神の言われですが、《 「記紀」に見る日本の原点 》によれば下記...
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