2019年06月 | page 1 | 日本人の縄文思想と稲作のルーツ
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Archive2019年06月 1/1

「海彦」は何故「山彦」に負けたのか

「海彦」は何故「山彦」に負けたのか(西日本の古代)海彦・山彦物語は記紀にある神話ですが、弟(山彦)が兄(海彦)を従えるという儒教に反することが描かれております。「儒教の教えは聖徳太子の17か条の憲法にもあること」から、その教えは分かっていたと思われますが、なぜ、儒教に反するようなことが記紀に描かれているのか、謎です。また、山彦は三男となっていますが、なぜ三男なのか、これも謎です。今回は、これらの謎に...

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神武天皇時代の日本の地理的中心地は奈良だった

神武天皇時代の日本の地理的中心地は奈良だった(西日本の古代)これまで、古代遺跡数との関連で邪馬台国の所在地を検討してきました。この結果、奈良県は弥生時代遺跡が少なく、魏志倭人伝に描かれているような背景は無かったこと、一方、福岡県(北九州)は弥生時代遺跡数が多く、かつ南部には投馬国があり、邪馬台国が北九州にあったことはほぼ間違いない、という結論に達しました。一方、奈良の纏向(まきむく)遺跡に王宮跡の...

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文字は何時頃から使われていたのか

文字は何時頃から使われていたのか(西日本の古代)前回まで、先進地の倭国と後進地の吉備国の状況について検討してきました。そして、先進地と後進地の違いですが、文字が使われていたかどうかが一つのポイントと思われます。関連し、今回は、「文字は何時頃から使われていたのか」について愚考しますまず、先進地の北九州の倭国は文書を持って中国に朝貢しましたので、文字は使われていたことは明らかです。この証拠として、西新...

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岡山は古代日本の中心地だった

岡山は古代日本の中心地だった(西日本の古代)前回まで、福岡(北九州)は、マレー系民族が多く、水田稲作導入が早く、国家も早く形成されたことを指摘しました。一方、その他の地域は稲作導入について700年の遅れがあり、国家形成も遅れたことを指摘しました。関連し、今回は、北九州を除けば、岡山(吉備)は古代日本の中心だったことについて愚考します。前回、岡山は、弥生時代遺跡数、古墳時代遺跡数が圧倒的に多く、東海・...

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北九州に古代国家が先に作られた

北九州に古代国家が先に作られた(西日本の古代)前回まで、弥生時代と古墳時代の中心地は、九州は福岡県、近畿・中国・東海地域は岡山県であったことを紹介しました。今回は、それらは西日本の中心地だったこと、さらには、北九州に古代国家が先に作られたことについて愚考します。まず、「文化庁の参考資料:平成24年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数」を基に、奈良、岡山、島根、福岡、宮崎について、旧石器時代、縄文時代、弥生時代...

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東海・近畿の古代中心地は静岡県と三重県か

東海・近畿の古代中心地は静岡県と三重県か(西日本の古代)拙ブログでは、古代最大の謎である邪馬台国の場所を解明するため、その背景となる弥生遺跡数や古墳時代遺跡数について検討してきました。そして、奈良に邪馬台国があったとするなら、その地域近隣はどのような状況であったのかを検討してきました。その結果、九州では福岡県、中国・近畿では岡山県が突出して弥生時代と古墳時代遺跡数の多いことが分かりました。関連し、...

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