2018年11月 | page 1 | 日本人の縄文思想と稲作のルーツ
FC2ブログ

Archive2018年11月 1/1

関東にも弥生人は来たのか

関東にも弥生人は来たのか(稲作と日本人)前回は、関東の水田稲作の始まった時期について検討しました。人口増加の様子を見ると、その人口増加は急激であり、稲作民族が来て人口が増えた印象があります。関連し、今回は、関東に稲作民族が来たのか愚考します。まず、人口増加率ですが、古代の遺跡の数から人口を推定しました小山修三(1983)のデータを用い、前回の水田稲作開始時期を考慮して計算しますと、下表のとおりです。す...

  •  2
  •  -

関東の弥生時代は2200年前頃から始まった

関東の弥生時代は2200年前頃から始まった(稲作と日本人)前回は、九州で流行していた装飾古墳が、関東でも多いことについて愚考しました。これは、関東地方は九州と同じように水田稲作が発展し、人口も増え、古代国家が多く出現したためと思われます。関連し、今回は、関東の弥生時代、すなわち水田稲作は何時頃始まったのか、愚考します。まず、遺跡の数から古代の人口を推定した小山修三(1984)のデータを基に縄文時代から古代...

  •  0
  •  -

装飾古墳が何故関東にも多いのか

装飾古墳が何故関東にも多いのか(邪馬台国と日本人)前回、装飾古墳が九州(倭国)で多いこと、そのルーツは中国南部にあり、マレー系民族によってもたらされたことを紹介しました。一方、装飾古墳は九州に次いで関東に多いことが知られております。関連し、今回は、「装飾古墳が何故関東にも多いのか」愚考します。まず、Wikipedia によれば、装飾古墳が関東で北九州に次いで多いことが紹介されています。その記事の一部を紹介し...

  •  2
  •  -

北九州の装飾古墳ルーツ愚考

北九州の装飾古墳ルーツ愚考(南方系と日本人)これまで倭国や百済はマレー系民族によって作られた国であることを検討してきましたが、彼らの残した遺跡に装飾古墳もあります。関連し、今回は、北九州の装飾古墳のルーツについて愚考します。まず、関連の「装飾古墳のルーツも中国華中、華南」の記事の一部を引用しますと次のとおりです。日本の九州に顕著に発見される装飾古墳のモチーフは、稚拙ではあるが、中国南部のワ族崖画や...

  •  0
  •  -

済州島民のDNA、モンゴル人虐殺の真実

済州島民のDNA、モンゴル人虐殺の真実(南方系と日本人)前回、韓国済州島の先住民族はマレー系民族であったことについて愚考しました。その済州島の歴史を見ますと、モンゴル人(元朝)が済州島を支配したことがありますが、元朝が滅びたとき、元朝の過酷な支配に怒っていた住民がモンゴル人のほとんどを殺したと言われております。今回は、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果から、そのモンゴル人虐殺が分かるの...

  •  2
  •  -

韓国済州島の先住民族はマレー系と思われる

韓国済州島の先住民族はマレー系と思われる(南方系と日本人)前回、韓国にも前方後円墳があること、その場所は朝鮮半島南西部で、先住民族は稲作民族のマレー系であったことを愚考しましたが、その南方には済州島があります(上の地図参照)。済州島はその位置関係から、先住民族はマレー系民族であったと思われます。関連し、今回は、韓国済州島の先住民族はマレー系と思われることについて愚考します。「済州島に関するWikipedi...

  •  0
  •  -

朝鮮半島の前方後円墳は倭国と同じマレー系民族が多く居た地域に建造された

朝鮮半島の前方後円墳は倭国と同じマレー系民族が多く居た地域に建造された(邪馬台国と日本人)5世紀後半、倭王「武」が六国諸軍事安東大将軍として中国南朝に認められ、朝鮮半島南部を倭国の支配下に置きましたた。関連し、前回、この時期、倭王「武」に、これらの地域に任ぜられた大王が、倭国と同じ前方後円墳を朝鮮半島の前方後円墳は朝鮮半島南西部に建造したと思われることを紹介しました。しかし、倭王「武」の支配下にな...

  •  2
  •  -

朝鮮半島の前方後円墳と倭王「武」の関係

朝鮮半島の前方後円墳と倭王「武」の関係(邪馬台国と日本人)日本に3世紀頃から建造が始まった巨大な前方後円墳がありますが、そのルーツは日本であることは明らかです。しかし、朝鮮半島にも日本式の前方後円墳があることが知られております。今回は、なぜ前方後円墳が朝鮮半島にあるのかについて愚考します。まず、朝鮮半島で前方後円墳の多い地域は百済南西部に偏っています。Wikipedia によれば、上の地図のとおりです。日本...

  •  0
  •  -