(※この記事を書いたのは、12月11日(日)第11話「二〇三高地」を見る前日の事です。
第11話「二〇三高地」についての感想は、記事の一番最後の所で『追記』として
書いておきました。)
まず最初に、
我々にとって「日露戦争」とは
一体どういうものであるのか?
この事から考えていきたいと思います。
しかしあらかじめ予告しておきますが、今回の記事では、『坂の上の雲』のストーリー
のネタバレも、全く“お構いなし”で書くつもりですので、その辺はご了承下さい。
“『坂の上の雲』のネタバレ”と言っても、まずなにより、NHKのドラマの方の
ストーリーと、原作である司馬さんの小説とは
全くの別物です。
それはNHK自身もちゃんと自覚していて、エンディングの部分で


<原作「坂の上の雲」より>と書いて、しっかりと“言い訳”をしている。
<原作「坂の上の雲」>ではなくて、さりげなく「より」と挿入して、「決して原作
そのままのストーリーではありませんよ」と“ことわり”を入れている。
原作の『坂の上の雲』は、基本的に“日露戦争の描写”がストーリーの中心で、確かに
ドラマ同様、秋山真之・好古兄弟と正岡子規がストーリーの中心人物として描かれては
いるが、それは「序盤だけ」である。
子規は前半、というか全体の三分の一にも満たない段階で死去。その後は全く出番が無い。
(ドラマの方は、全13話中、第7話の「子規、逝く」まで、随分と引っ張ってるけど)
2つ前の記事でちょっとだけ触れました、あの“媚中回”として悪名高い「第4話:日清
開戦」について、実は原作では“日清戦争”の描写にはあまりページを割いていません。
あくまで主題は“日露戦争”の方なのですから。わざわざあんな原作を冒涜するような
“媚中配慮”なんかを強引に盛り込むくらいなら、原作通り、もっと描写を簡素化して
さっさとスルーすりゃ良かったのに。
この“恨み節”については、後で詳しく触れるつもりです。
また先週、今週と、ストーリーの舞台となっている“旅順総攻撃、二〇三高地”については
実は原作ではこの部分が、司馬さんが一番力を入れて書いている場面である。その主役は
児玉源太郎であり、更に、その陰(負)の部分は全て乃木、というか伊地知幸介に背負わ
されている。この辺りのストーリーには、秋山真之・好古兄弟はほとんど出番が無い。
もちろん最終盤には“日本海海戦”へと至る、最後のクライマックスも用意してはあるのだ
けれども、旧陸軍に属していた経験のある司馬さんは、自分のコダワリとして“旅順総攻撃、
二〇三高地”にこそ、一番力を入れて書いたものと思われる。
なんにしても、司馬さんの原作は“日露戦争の描写”が中心なのであって、ドラマのように
秋山真之・好古兄弟と正岡子規(あと広瀬武夫)ばかりが描かれているという訳ではない。
またドラマでは真之の妻も度々登場しているが、原作では全然登場しない。そもそも原作
では女性キャラにはほとんどスポットは当てられていない。
いえね、別に、いいんですよ。ドラマが原作の通り、そのままやらなくても。
それで面白くなっているんであればね!
と言う訳で、ネタバレと言っても、ドラマと原作は全然別物なので、その点はあまり気に
しなくてもいいと思われる。原作は、ひたすら“日露戦争の描写”が続きますから。
同じく司馬さんの小説である『翔ぶが如く』の“西南戦争の描写”と同様に。
「“日露戦争”そのものの、この先の結果がネタバレになる」?
そこまで行くと、さすがにどうしようもありませんねw
この際ですから少しは日露戦争の歴史を学ばれていった方がよろしいかも知れませんw
「日本海海戦では日本が勝ちます!」
というのがネタバレ扱いになってしまうようでは、今回の記事は全然先に進めませんw
え~、ようやく最初のテーマに戻れます。
我々にとって「日露戦争」とは
一体どういうものであるのか?
2つ前の記事の最後で書きましたが、青山繁晴さんがいつも仰っている
“幕末維新”の頃は「日本の青春時代である」というお話。
『坂の上の雲』のタイトルにもあるように、まさに“坂を駆け上がっていた時代”です。
あ~、そう言えば、2年半前の“プロジェクトJAPAN・JAPANデビュー(反日)
台湾番組”の冒頭で、NHKが嬉しそうにアテツケて喋ってましたね。
(※ニコ動とyoutubeに自分が動画を上げてます。冒頭の2分頃からのナレーションです。
背後の暗~いBGMは、NHKの反日・厭戦・自虐プロパガンダには絶対に欠かせませんw)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6790086
http://www.youtube.com/watch?v=UXEX7XfFU9k&feature=channel_video_title
『1859年、JAPAN、世界デビュー。それから60年後、第一次世界大戦で戦勝国
となった日本は、世界の一等国に登りつめます。
しかし、1945年、太平洋戦争に敗れ、日本は焦土と化しました。
日本は、なぜ坂を転がり落ちていったのか?
開港から敗戦までの変遷をたどるシリーズJAPANデビュー。第一回のテーマは
アジアです』
(以下略。ナレーションのバックには、暗~いBGMを想定して読んで下さい)
NHKは『日本は坂を転がり落ちていった』と、
嬉しそうにのたまってましたね。この時。
前回の記事で
(以下、抜粋転載)
それはそもそも『坂の上の雲』、というか“日露戦争のドラマ”そのものが、“サヨク
イデオロギー”が黙って見過ごす事のできない、思想的に、政治的に“やっかいな代物”
であるのだから、当然の事だ。
(以下略。以上、抜粋転載終了)
と書きましたが、反日サヨク及び媚中・媚朝鮮サヨクは「日本が坂を駆け上がっていた
時代」が大嫌いである。
まあ中国人、朝鮮人達が嫌うのはもっともな事であろう。
日本にとことんヤラレまくっていた時代なのだから。
今の時代の感覚で、感情論優先で、その時代を眺めれば、そういう見方もできるだろう。
と言っても、中国人、朝鮮人達自身がそう言うのならまだしも(完全に内政干渉ですが)
日本人自身が、そのように過度に自虐的に受け取る必要など無い。
とにかく現在、その時代の歴史を積極的に開陳するという事は、サヨク勢力の力が強い
このご時世では完全に“タブー”とされている。
だからこそ、NHKのスペシャル大河『坂の上の雲』も延期に延期を重ねたのであり、
江川達也のマンガ『日露戦争物語』は、どう見ても「日清戦争物語」としか言いようが
ない、尻切れトンボの形で“未完”に終わった(江川達也の描く、歴史内容の是非は
ともかくとして)。
前回の記事でも少し触れたように、1980年=31年前の映画『二百三高地』を最後に、
日露戦争の映画などは全然作られなくなり、テレビドラマとしても、そのようなもの
(=日露戦争を背景としたもの)は、全く放送されていない。
極一部の歴史ファンや歴史小説ファンを除けば、“日露戦争のドラマ”を知っている
人達の方が“絶滅寸前の少数派”である。メディア界や教育界が世論をそのように
仕向けてきたのだから、当たり前の話である。
日清戦争(明治27年=1894年)は、日本のKO勝ちだった。
日露戦争(明治37年=1904年)は、日本の判定勝ちだった。
(※先述のNHK台湾番組のナレーションにもあるように、実際の日本の(最初の)
ピークは“日露戦争の勝利”ではなく、“第一次大戦”で、その後、第一次大戦の
戦後不況と関東大震災へと続く事になる)
『ロシアに勝った、勝ったと言って、いい気になるな!結局、最後は太平洋戦争で
ボロ負けしたじゃないか!日本人にとって必要なのは“戦争の反省”だけで十分だ!』
確かにもっともな話ではある。
(とは言っても、大東亜戦争の敗戦の事は徹底的に放送して、日露戦争の事は一切
放送しないというのは、あまりにも極端過ぎるであろう。比率で言うと99.9%対0.1%
というぐらいの割合である)
しかも勝ったとはいえ、日露戦争の戦死者、戦傷者の数もオビタダしいものである。
さらには戦場は極東に限られており、日本がロシアの奥地にまで攻め入って、相手を
降伏させた勝利という訳でもない。
しかしそれでもなお、“日露戦争”には大いなる意義があったのだ。
皆さんは“大攘夷”という言葉を聞いた事があるだろうか?
昔の幕末物で、“薩英戦争”の場面の描写で、大久保利通が喋るセリフの定番として
よく使われていた言葉である。
“薩英戦争”の事を自分が語り始めると、とても一日二日では終わりそうにもありま
せんので、大部分をハショッて書きますが、要するに薩摩・久光公の配下の者が、
大名行列に闖入してきた英国人を殺傷して(=生麦事件)、その報復として英国
艦隊が薩摩に攻め込んで来て砲撃戦となり、“両者痛み分け”となった事件である。
それまで攘夷派として(生麦事件でも)名を馳せた薩摩藩ではあったけれども、
直接西洋と戦ってみて、敵の火力の強大さを悟り、その後一転して、西洋の技術
から学ぶべき所は学び、その技術を吸収して力をつけて、時間をかけてでも自力を
あげる事に力を注ぎ、その蓄えた自力をもって最終的に西洋を打ち払う=“攘夷を
果たす”、これこそが“大攘夷”である。というような大久保利通のセリフだった
と思う。また大久保はこうも言っていた。「攘夷!攘夷!と叫んで、目先の事だけ
にとらわれていても仕方がない」と。
(※変な話に飛んでしまいますが、自分はTPP問題で、感情的な反米・反TPPを
唱えている連中=“「攘夷!攘夷!」と叫んでいる連中”に対しても、目先の事に
とらわれている“攘夷派”として、大久保同様の見方をしています)
“薩摩隼人”らしからぬ、深謀遠慮な性格の持ち主の“一蔵ドン”ですが、司馬さんに
言わせると、幕末の薩摩藩の動きは、他藩と比較しても「レベルが数段上」との事。
薩英戦争後の薩摩藩の駐日英国公使館員達との関係、薩摩藩の英国留学生達の話、
五代才助(友厚)、寺島陶蔵(宗則)、グラバーやモンブラン達の話をし始めると
また話があさっての方向に果てしなく行きそうなので、とりあえずここではスルーします。
一つだけ余談として話しておくと、“日露戦争のお話”でも重要な登場人物として、
“薩摩人”が数多く登場します。長州人は基本的には陸軍が中心ですが、薩摩人は
海軍が中心、といっても薩摩の場合は、陸軍でも有名な軍人が数多く登場します。
幕末の時代から活躍していて、日露戦争時も現役で残っているのは、大山巌・野津
道貫・東郷平八郎あたりか。薩摩以外では立見尚文なども維新の戦さの経験者で、
この辺りは小説などでも、よく登場する面子でもある。
別格として、政治家の伊藤博文、山県有朋、井上馨らの長州人達もいますが、先に
も少し書きましたが、司馬さんの『翔ぶが如く』で、「西南の役」にも触れておけば、
〔幕末>西南の役>日清・日露戦争〕の歴史のラインが分かり易くなります。
特に今“旅順総攻撃、二〇三高地”で苦戦している乃木と児玉の二人の長州人に
ついては、『翔ぶが如く』でも司馬さんの乃木・児玉像として存分に描かれています。
余談はここまでで終わり。“大攘夷”の話に戻る。
その史料的典拠がどこから出て来たものだったかは忘れましたが、大久保利通が
喋るセリフとして、もっぱら使われてきた“大攘夷”。
幕末の不平等条約、主にその不平等の対象とされるのは“領事裁判制度”と
“関税自主権”(が無い事)である。どちらも幕末のゴタゴタの内に、強制的に押し
つけられたものと言ってよいだろう。
それらの不平等な制約を乗り越えて、「西欧列強と互角の存在になりたい!」と
いうのが当時の日本人達の宿願であった。
歴史の教科書で習った人もいると思うが、よく知られる所で井上馨の“鹿鳴館外交”
の話がある。“文化”の面で西洋を見習い、鹿鳴館で西洋の服を着て、舞踏会を催し
西欧化に努めるが、結局は失敗に終わった、と。
ビゴーが描いた「猿まね」の風刺絵と一緒によく教科書などに載っているはずである。
(ちなみに井上馨の外交は、決してそんな単純な外交政策ではなかったと、自分は
思うけれども)
そこから先は決して教科書は書かないと思うが、『所詮、西欧列強が他国を評価する
“ものさし”は、“文化”などではなく“武力”であり、西欧列強と互角に認められる為
には“富国強兵”に努めるしかない、と日本は悟った』というのが、よくある小説など
の書き物に見られる筋書であるが、“鹿鳴館外交”の失敗の影響かどうかは別として、
当時の日本の政治家は、元々そんな事はとっくに分かっている。
明治初頭の岩倉使節団が、ドイツのビスマルクからとっくに耳にしている話である。
日清戦争の際に、“領事裁判制度”の撤廃=治外法権の撤廃を西欧列強に認めさせた。
日露戦争に勝利した後、ほどなくして“関税自主権”の回復を西欧列強に認めさせた。
果たしてここに、日本の“大攘夷”が見事に達成された。
幕末から数えること、約40年がかりの“大攘夷”である。
「日露戦争でロシアの軍に勝った!」うんぬんの話も、もちろんそれはそれで
大切な話ではあるが、もっと大切な事は、この“日露戦争”をもってようやく、
“維新の攘夷”が成就された、という事である。
日本がやっとの事で“真の自立”を果たしたのである。
こんな素晴らしい話が他にあるだろうか?!
今の日本がおかれた状態を省みても、羨ましい限りの話である。
40年も頑張ってきて、やっとつかんだ“真の自立”である。
そりゃサヨクさん達が、この“日露戦争のお話”を
日本人に見せたがらないのはもっともな事だよな。
なんせ奴らは「反米!反米!(=攘夷!)」などと偉そうに叫んでいても、
実際の所は“日本の真の自立”などは全く望んでいないのだから。
米国その他の戦勝国(特に中国)に、「永遠に隷属していろ!日本は!」
と考えている連中なのだから。
“大攘夷”の話の最後のシメとして、司馬さんのエッセイで読んだことのある、
司馬さんの祖父についてのお話を一つ。
司馬さんの祖父は播州出身で、大阪の米相場などに手を出していた人らしい。
ちなみに司馬さんの父親は、祖父が50才の時の子供なので、司馬さんと祖父とは
かなり歳が隔たっていて、面識はないらしい。
その祖父は幕末には攘夷主義者であった。そして明治の世になっても、ずっと
チョンマゲを結い続けていた。
しかしその祖父も“日露戦争”が終わって、ようやくチョンマゲを切る事にした。
「日露戦争が終わって、ようやく攘夷が終了したので」マゲを切ったのだ、との事。
さて最後に、前回の記事でも書いたように、NHKのドラマ『坂の上の雲』に
対しての、自分のフラストレーションをぶちまけて、終わっておきますか!
まず一番最初に触れなければならない事は、
日本軍の勝利シーンが完全に消し去られている!
という事である。『坂の上の雲』のドラマの全編に渡って。
ある意味、NHKによる驚異的な力技である。
なにしろ、日清・日露の両戦役で、ほぼ不敗を誇った我が軍勢である。
それと全く同時代のドラマを描くにあたって、我が軍勢の“勝利シーン”を
一切映し出さないで遂行してしまおうというのだから、その徹底ぶりには、
毎度の事ながら「さすがNHK」と呆れる他は無い。
あの“媚中回”「第4話:日清開戦」の話に触れるとムナクソが悪くなるので、
とりあえず昔見つけたブログのリンクなどを貼る程度にしておこう。
この第4話について一言だけ、一番大切な事を指摘しておくと、
『先にも書いたように“日本が自立を目指した”事が最大のテーマであるはずの
物語で(もっともNHKのドラマは、その事=“日本の自立”などは、ストーリー
の中で全く重要視せずにドラマを作っているので、最初から問題外なのだが)、
自ら“表現の自由”を放棄して、中国様に必要以上に媚びて、ドラマ製作をしてる
姿勢こそが、“日本の自立”とは全く正反対で、本末転倒なんだよ!』
って所です。
侵略者を強調、反日プロパガンダと化したNHKスペシャルドラマ第4回日清開戦
http://syuun.iza.ne.jp/blog/entry/1377446/
『坂の上の雲』、4話で『谷底のドツボ』と化す
http://temple.iza.ne.jp/blog/entry/1377800/
坂の上の雲 第4話 日清開戦 で媚中NHKが原作レイプ
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1261368294/
この第4話であった“反日・自虐・媚中シーン”を指摘していくとキリがないし、
ムナクソも悪いので、
「日本軍の勝利シーンが完全に消し去られている!」
という所に限定するとしても、この第4話の内容は空前絶後のシロモノである。
先に「日清戦争はKO勝ちで、日露戦争は判定勝ち」と書いた。
「日露戦争は判定勝ち」というのは、陸の戦いにおける“辛勝につぐ辛勝”、
及び“オビタダしい戦死傷者数”を指しての事である。
一方、海の戦いでは、日本がロシアを圧倒していて、海に限定するとすれば、
「日本のKO勝ち」と言っても言い過ぎではない。
ただし海の戦いは“攻撃の戦い”ではなくて、自国領の制海権を保つ為の戦い
なので、重要な事には間違いないが、進撃する事を担っている最前線の戦い
という訳ではなく“後方支援での戦い”という事は否めない。
日清戦争の方は、陸海ともに日本の完勝である。
(※楽勝という訳ではない。戦さに楽な戦さなど、あるはずがない)
清国の不沈艦と言われた「定遠、鎮遠」などとも戦ったので、当初は各国から
日本海軍の劣勢が予想された「黄海海戦」も、日本海軍の完勝に終わったが、
ドラマでは完全に無視された。その前の回の第3話でわざわざ「定遠」を登場
させておきながら。
日清戦争の「黄海海戦」は、日清戦争の海戦の中では一番重要な海戦である。
実は日露戦争でも「黄海海戦」という同じ呼び名の海戦があるが、これも重要な
戦いであったのだが、先日の第10話では「(日本の)海軍がロシアの旅順艦隊を
仕留めそこなった」などというコメントと、テキトーでいい加減な海図だけで、またも
やスルーされていた。
この日露戦争の「黄海海戦」は、後の「日本海海戦」に繋がる“伏線”を含んだ
戦いであって、「旅順艦隊を仕留めそこなった」などという程度の戦いではない。
この戦いでも日本海軍はロシアの艦船をかなり撃破している。日本側はほとんど
損害を受けずに。
しかし日本軍が敵側を撃滅するシーンは(「日本海海戦」がどのように扱われる
かはまだ分からないが)、NHKのこのドラマでは“ご法度”なので、特に
日清・日露と共に負け知らずだった海軍の戦いは、ほとんどスルーさせられる
ものと思われる。
浦塩(ウラジオストック)艦隊と戦っている上村艦隊(第二艦隊)の動き、こちらも
蔚山沖海戦という重要な戦いで勝っているが、今の所、完全に無視されている。
セリフでさえ登場していないはずである。「日本海海戦」のパートに入ってから
少しは回想シーンか何かでやるのかどうか知らないが、秋山兄弟以外はどうでも
いいと思っているNHKのこのドラマでは、それも難しいだろう。
とにかく「日本の勝利しかない海戦」については、日清・日露共に、NHKは
“完全に無視”を決め込んでいる。
海戦だけではない。陸戦もそうである。
日清戦争の方の、朝鮮半島での勝ち戦、しかも一番重要な陸戦、「平壌の戦い」
までNHKは無視した。
“日本の勝利”は全て「勝利した」というコメントだけの勝利である。
(というかコメントさえ無く、完全に無視される事の方が多いくらいなのだが)
日本軍が他国の軍を蹴散らしたり、圧倒するシーンをNHKの映像で流す事は
許されていないのである。
その点が、先にも書いたが、第4話の内容が空前絶後のシロモノなのである。
日本側が派手にヤラれているシーンしか、陸海共にないのに、コメントだけで、
なぜか 「日本側が勝利している」 というドえらいシロモノである。
(オマケに「高陞号事件で沈没、溺死したシナ兵達が可哀そう~」という印象操作
込みである。海上輸送を沈められた事件なぞ、それこそ先に書いた日露戦争での
浦塩艦隊に、日本だって散々ヤラれてるわ!NHKは無視してるけど)
好古が遼東半島で惨敗するシーンも描かれていた。
迫りくる清国兵達の威圧感は、日本人の視聴者にもビンビン伝わってくる迫力である。





「これが敗走に敗走を重ねているシナの陸兵か?」と目を疑うばかりの精強ぶりだ。
NHK(というか渡辺謙)のコメント上では、これが「負けている軍勢らしい」ですけどねw
シナの軍勢に好古達が蹴散らされた直後に、なぜか既に陥ちている旅順要塞での
乃木と伊地知の場面に移り変わる。清国勢は逃げたらしいです。清国兵が逃走する
シーンなどNHKは絶対に放送しませんけどね。このシーンも「コメントだけで日本が
勝った」というパターンと、さして違いはありませんね。
我々としては「ふぅ~ん、そうですか。勝ったんですか。へぇ~」ってなもんです。
次は海上の真之の番である。
真之の艦に直撃弾をくらって大惨事の場面。親しかった部下の花田は血まみれで戦死
します。真之の艦の戦死者は三名との事ですが、とても戦死者三名で済みそうな被弾に
は見えませんな。ちなみにこんなシーンも原作には全くありません。
でもって、どうやったのか、映像はもちろん、説明も一切無いので分からないが、清国
の威海衛の艦隊は降伏したそうです。提督の丁汝昌は毒をあおって自決したそうです。
丁提督は立派な軍人だったそうです。NHKの媚中配慮もキメ細やかで素晴らしいですね。
そして最後は、例のレオ曹長と子規(シナで反日映画に出演しているという、またネット
上のサヨク達からも大人気の香川照之)が演じる最凶の「反日・自虐」場面ですが、
詳しくは述べますまい。知りたい人は(知らない方が良いと思うけど)上記のリンクから
たどってみて下さい。顛末が書いてあると思います。
この悪名高い「レオ曹長と子規」の場面ですが、「反日・自虐」のプロパガンダも確かに
大いに問題はあるが、それ以上にNHKが密かに挿入している、日本国民へ向けての
“(洗脳)メッセージ”があるので、その事を指摘しておきたい。
この場面でNHKが一番強調したかったのは、この部分である。

「この子の親は、お前らに殺された」

「いつかきっと、この子が親の敵(かたき)を討つ」
NHKが製作するシナ絡みの“歴史ドキュメント番組”=“反日プロパガンダ番組”では
度々垣間見られる、NHKによる“中国人達の気持ちの代弁”=「日本人は中国人の怨み
を思い知れ!」またはその“怒りの気持ち”を“威圧”に変換して「中国様はこんなにも
怒っているので、日本人はくれぐれも中国様に逆らうなどという事を考えない
ようにしろッ!!」という恫喝を含めた印象操作である。
こいつら反日サヨクは、日本の視聴者に対しては、ドラマの中などで「戦さは嫌いじゃ!」
「敵に怨みを晴らすなど、負の連鎖を産み出すだけじゃ!」みたいな反戦・厭戦プロパ
ガンダばかりやり続けているが、“シナ人(たまに朝鮮人も)”が「怨みを晴らす」事に
ついては、諸手を挙げて“大賛成”するという“異常な奴ら”なのである。
話を「日本軍の勝利シーンが完全に消し去られている!」の件に戻す。
今回の日露戦争の描写、“遼陽会戦”も渡辺謙の「(ロシアの)全軍退却」というナレー
ションと、画面に映し出されるテロップだけで、日本の勝利は片づけられた。
まあしかし、これは百歩譲って、許せるとしよう。
原作でも、日露戦争の(司馬さんがこだわる)陸戦の方については、「どうやって日本が
勝ったのか、よく分からない。勝てたのが奇跡だ。退却将軍クロパトキンのお蔭だ」という
ような描写が続く。遼陽から奉天まで。
朝鮮半島から鴨緑江の戦いでの勝利を経て、遼陽へやって来ていた黒木為の第一軍
の存在が、遼陽での作戦会議の席に「黒木為」というテロップ付きの俳優を映すだけで
済まされているのは「それって、ちょっとどうよ?」と思うけれども。
ドラマの中での戦況地図も、遼東半島からの進撃路は示してあっても、朝鮮半島からの
進撃路は完全に無視していた。
朝鮮半島絡みの戦さは、NHKは完全に無視するつもりらしい。日清戦争の時と同様に。
日露戦争の仁川沖、蔚山沖の日本が勝った海戦も、当然、無視されている。
日清・日露の両戦役と、朝鮮半島は、切っても切れない密接な関係がある。
ロシアの極東への進出、それを阻む為に戦ったのが日露戦争である。
そして朝鮮半島はロシアの極東支配、また日本へ対する圧力においての
“匕首(あいくち)”としての役割がある、という事は、確かNHKのドラマの中でさえも、
かなり序盤で述べられていたと思う。
そうは言っても、サヨク方面からの物言いでは『多大な犠牲を強いてまで満州の奥深く
まで攻め込まなくても、日本海での海上戦力だけでもロシアの進出を止められたはずだ』
なとという意見もある。
一般的な物言いとして、あながちおかしな意見とは聞こえないかも知れないが、これは
間違いである。
国防というものは、常に最悪のパターンというものを想定しておかなければならない。
その“最悪のパターン”というのは、“朝鮮の寝返り”である。
朝鮮国が寝返って(「寝返る」も何も、元々日本の友邦国などではないのだが)、ロシア
の尖兵となって日本に攻めてくるようになれば、日本の国防にとって、対する戦力は
ロシアの軍勢プラス朝鮮の軍勢という事になる。
11月27日の記事「日本外交の行方」で“日米離間”について書きました。その本質は
日本がアメリカから離れるのどうこうといった単純な話ではなくて、中国が企んでいる
「日本を、対アメリカへ向かわせる“尖兵”として利用する」という事が“日米離間”の
本質であると書きましたが、その形と同じものです。
『朝鮮軍が日本へ攻めてくるだって?何をバカな事をw』とサヨク方面からは笑って
これをごまかそうとするでしょうが、実際歴史上、そういう事がかつてあったのだ。
「元寇」である。
モンゴル軍の手先として、朝鮮の軍勢が北九州へ攻めてきた(ついでにシナの南宋の
軍勢も)。この時、日本侵攻の尖兵役を、進んで買って出た朝鮮人達もいた。
そういうものです。外交の歴史などというものは。
最後に、もう一つだけオマケの余談。
「NHKのドラマ作り」に対する批評をしておきたいと思います。
ドラマの方では、ストーリーをあくまでも秋山兄弟にスポットを当てて、この兄弟を
中心にして描くように設定している。
そのせいかどうかは知らないが、このドラマの中では“二〇三高地”を攻撃する進言を、
真之が児玉に行うという、仰天するような展開になっている。
自分も原作をそれほど憶えている訳ではないが、確かそんな記述は無かったと思う。
最近のNHK大河ドラマにおける腹の立つパターンの一つに、“主人公のエスパー化”
というパターンがある。
「主人公は偉いのよ!主人公はこの後の歴史の展開を全てお見通しなのよ!」とでも
言わんばかりの主人公の超能力ぶりである。そうであるから、最近のNHK大河の
主人公は、偉そうに他人に対して「こうしたほうが良い(=良かったのだ)!」と、
場もわきまえずに説教をたれる。
『篤姫』の時などは特に酷かった。見ていないが今年のも、どうせ同じだったのだろう。
これまで何度か書いた事があるが、『“歴史の流れ”を語る際に、後知恵で歴史にIF
を使う事は許されない。歴史のIFが許されるのは、その時その人が、どういう選択肢
の中で“その決断”をして、なぜ他の選択肢を選ばなかったのか?選べなかったのか?
その決断を下した当事者達の心境を省みる際にのみ、歴史のIFは許されるのである。
「その時こうしていれば(=別の選択肢を選んでいれば)、その後の“歴史の流れ”は
こんな風に(都合良く)なったかも知れないのになあ」などという空想を巡らして、自説
(及び自分のイデオロギー)に都合良く利用する為に、歴史にIFを使う事は許されない』
という事である。
であればこそ、歴史の面白みがあるのであり、ドラマの面白みも、また同じである。
人間は神様ではないのだから、一寸先の事さえ、何も分からない。
ドラマの中に“エスパーや神様”が登場しても、シラけるだけである。
そんな予知能力があるのなら、そいつは株でも先物でもロト6でも買ってりゃ良い。
「日本軍の勝利シーンが完全に消し去られている!」の件について、先にいろ
いろと書きましたが、
「“日本海海戦”をNHKがどのように描くのか?」
自分がこのドラマに注目しているのは、今やこの一点に絞られている。
これまでNHKが完全に無視を決め込んできた“日本軍の勝利シーン”。
自分の予想としてはおそらく、“日本海海戦”でのロシア艦隊の壊滅シーンは、いくら
NHKといえども、このシーンだけは、ある程度描かざるを得ないだろう。
問題は、NHKがこの際にどうやって日本国民(=視聴者)から、“敵艦隊撃滅の
快感”を取り除くか?という所にある。
真之が、戦さの悲惨さを目の当たりにして「坊さんになる」と言い出すのは、原作にも
書かれている場面である。
おそらく、NHKはこれを使うであろう。
日清の海戦で部下の花田を失い、旅順港閉塞作戦では親友の広瀬を失った。これに
日本海海戦で斃れた戦死者達の映像を繋げて、これらを“海戦大勝利”にかぶせる
ことによって、“日本国民(=視聴者)の爽快感”を取り除くのだろう。そして真之に己の
気持ちを語らせるという形になるのだろう。
ちなみに原作の方では、真之が「坊さんになる」と言い出すのは、花田(そもそも原作
にいない)や広瀬という個人の友情の問題ではなく、砲弾でもろくも弾け飛ぶ、肉片
などを目の当たりにしての事だったと自分は記憶している。
よく知られているように、司馬さん自身が決して戦争を賛美するような小説家ではない。
司馬さん自身も小説の中で、日露戦争の負の部分を大いに描き出している。
もちろんNHKは、その“負の部分のみ”を大いに利用する。
“正の部分”には、一切無視を決め込みながら。
最終的には、日露戦争における“日本の自立”という部分も、日露戦争後の、これは
司馬さんもよく指摘する所であるからNHK的にも絶対に利用する事であろうが、
“日比谷焼打事件”をかぶせてきて、“日露戦争の勝利”という“日本国民(=視聴者)
の爽快感”自体も拭い去ってしまうつもりなのだろう。
“大攘夷”=“日本の自立”という“正の部分”には、一切無視を決め込みながらも。
(※最後に、今回は「アジア人が最初に白人を真正面から破った戦争=“日露戦争”」という
視点については、割愛しました。まあそれも、広い意味では“大攘夷”と同義と言えるでしょうし)
※追伸 12月11日21:30
本日の第11話「二〇三高地」見ました。
なんだよ、やればできるんじゃねえか。NHK。
この回だけは、評価しても良いと思う。
もちろん百点満点という訳ではないが、これまでの他の回に比べれば
十分「及第点」の内容であった。
司馬さん、及び歴史ファンへの配慮、そして何より“先人”に対する
最低限の敬意を欠かさなかった事は、率直に評価する。
というか、それが当たり前なんだよ。
いつものNHKが“異常”なんだよ。
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