朝起きて、トイレの窓から顔をのぞかせ、
「きょうは快晴だな」と思った。
青空がたくさん見えている。
きょうはいろいろやらないとな、きのうは雨で少ししか庭仕事とかできなかった。
それでまずは昨日発見した、古タイヤ(誰かが捨てていった布団の下の地面に埋まっていたやつ)を何とか掘り起こして捨ててやろうと思った。
こんなものが埋まっていては神さまがさぞ気分が悪いとおっしゃることだろう、まったくそうに決まっている。
スコップを持っていって、現場でどんどん作業をした、休む間もなく、次々土を掘り起こし、さっさとタイヤを掘り出してしまおう、これじゃあ、おとついのTEPCOの若い作業員と一緒だな、庭の中に電柱をかつて支えていたワイヤーを固定していた金属の杭のようなものがありそれを取ってくれることになって若い人が二人来て作業したんだけれど、結局深くて掘っても取れなかったのだ。
チクショウ、
「このタイヤ(端のほうは)このコンクリートの下に埋まっているのか?」
どんどん作業していって、心臓が苦しくなってきたりもしたけれど、休むことなく作業を続け、なんとか掘り出すことができ、捨ててやった。
「はあはあ」(息が)しながらもわたしはこれで心が軽くなり、せいせいした。
かなり神さまもやすらいだことだろうし、これでまたこの土地の運勢もよくなったことだろう。
そう考えたけれど、さてこれをどう処分すべきか‥‥。わたしに悪いカルマが来てはいけないので、しばし悩んで再び考えたのだった。
これを捨てていったのはだれか知らないけれど、この土地はまるでいろいろな人のゴミ捨て場になっている。
わたしがしばらく来なかった間に、昨年は庭にあったものすごくたくさんのごみの処分をしたのに、また今年、このありさまだ、わたしがせっかく昨年苦労して作った(土地の斜面の土が流れないように作った)柵の上に見事にかぶせるようにしてきれいな柵を隠し、古い汚い汚れた布団を捨てていったのだ、きのうそれを発見し、しかも、夏が過ぎてそれが草木の根っこを引っ付けてなかなか取れないものだから、雨の中、スコップを持ってきて下の土から掘ってそれを取ってのけるとその時同時に掘った下、この古タイヤが顔を出してきたわけだ。
正規でいえば、タイヤの持ち主だった人がタイヤ処理料をどこかに払って持って行ってもらうのだろうけれど(わたしは被害者であるけれど、誰かに訴えて持ち主を探してもらったりする暇もないし)、簡潔にいって、ここがゴミ捨て場になっているのでは話にならない、この別荘地専用の大きなゴミ捨て場もどこかで見たけれど――。
タイヤに関していうと、わたしの庭の隣の土地と道路の間にはっきりと目立つように捨ててやった。
こうしておけば、いつか管理組合の人が見てあるいは通報されて、
「誰だこんなところに古タイヤを捨てたのは!」ということになり、「ゴミの処分は各自で法令を守ってやること!」
というような通達を出し、この別荘地が、そういうコンセンサスになっていくのではないか、あるいは、
「勝手に他人の土地にゴミを捨てないでください」というおふれでも出すのではないかという、ささやかだけれど、希望的観測を抱いて、もうすっかり使われなくなって久しい荒れたその土地と道路の間くらいに捨てておいてやったのだ。
けれど、心臓はもう限界だった。
もうきょうは大したことはできないな。
窓から見える景色。
東の窓から見える青空や緑。
ウグイスも鳴いている。
シジュウカラも遠くで鳴いている。
ときにはヒヨドリも来ている。
庭の花もいろいろたくさん咲いている。
花が多いからハチもけっこう来ている。
これはタイヤが出てきた近くにあった足元のなにかの実。
トカゲがおとついのように、ひなたぼっこしに出てきている。
わたしを見つけるとすぐ隠れるけれど、どうもいなくなると出てきて玄関前の石の上で日に当たって体を温めている。
夕方には散歩に出かけた。
富士山がきょうは見えているかなと思ったけれど、もうすっかり曇っているのには驚いた。
心臓の調子もすっかりよくなっていたけれど、もうきょうは力仕事とか、庭や家をよくする作業はやめておくことにしたので、手ぶらで、なにも考えず、昔のようにただ歩いていった。
花が咲いていて人がいないというのは最高ではある。
日が暮れていて、5時ころだけれど、けっこうもう人がどこかから帰ってきていて、車が止めてあったりする。
ここは別荘というけれど、5時にはけたたましいサイレンみたいのが鳴るし、人のいるところは臭いし、道路は夜になると街灯ですごく明るいし、(もしかしたらこれは都会というより人の目の行き届かない田舎の特徴かもしれないけれど)勝手に人の土地にごみを捨てに来たり、ステレオやラジオを大きな音で鳴らす人が毎日いて部屋に聞こえてくるし、ルールが守られない人間が確実に存在する都会と同じようなところがある。
それでもまあわたしのいるところはまだこの時期夜は寒いので、人が来ず、空気が良くて山菜もあるし、都会とは別世界の心地よさがあるということもできる。
公園まで行って、念入りにラジオ体操をし、人には会わないように注意などして帰路についた。
さっきまではまったく見えなかった山だったけれど、いまは山端(やまのは)が、幽玄のように見えていた。
幽玄な一人目をやる山端は
厚く明るい雲と馴染んで