『雨に濡れて作業するのは嫌になった』(220501)

 きょうは雨が降ってきた。別荘に来ると雨が降ることが多いけれど、名古屋のベランダや部屋の植物が枯れないですむので、いいようで悪いような、といったところ。

 雨なので散歩に出かけるのだけれど、あちこちが空気が悪いのは驚く。

「これじゃあ名古屋と同じじゃないか」
 なんてまた今回も思ったりする。

 もともと香料で臭かった家が今回来ると香料を使ってないのだけれど、家の前に近づくとものすごく臭くなっていて、100mや200mは離れているのに、うちの家の中にまでにおってくるのだ。

 もしかしてコロナワクチンのせいで、人間はすごく臭くなったんじゃないかと前々から思っている。

 臭いということは病気に違いないわけで、コロナワクチンで人間のなにかどこかが病気になって悪臭を発散している、のではないかという気がする。なにしろワクチンによっていくらかでも遺伝子を改変しているわけで、コロナに対する免疫を目的にしていても、そうでない部分働きも体内に注入した遺伝子にはあるわけで、それその働き(これが病気ということ)が仮に免疫同様低下していくとしても、常に体内で働くので、体は健康を維持するためにそれと常に戦わなければならず、一つには、その結果の悪臭なのではないのかなと。

 におい成分を体外へ排出してもしても、元(の反応)が続いている、むしろ現実はそれが悪化しているので、どんどん臭くなっているんじゃないのかなと。

 とにかく人間は臭くなったし、臭い人は余計にどんどん臭くなってきているのである。


 歩いて行って、時々出会う花。

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 これはシャクヤクではなく、シャクナゲである。

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 はじめシャクヤクかなと思ったけれど、シャクナゲである。

 調べたら原種の原産地はネパールや中国の高山地帯、チベットとかで見られる。寒いところが好きなようである。


 別荘というのは、連休になると、人が増えるので、人が働いているときに来るのがいいわけではあるけれど、じゃあ休日に名古屋におれるかといえば、昔と違い名古屋のわたしのいる団地は、休日になってもみんな、どこにも遊びにいかない人ばかりなので困るといえる。


別荘に来て空気のいいところを

思いあくがる苦労かな




 庭に植える木はどれがいいかなとか考えて適した種類の木を探すと、どうやら暖かいところで育つようなものが多いのだった。


調べると好きな花木は暖かい

所に適しているのが多い



『鳥が来る』(220430)

 部屋にいると時々「ガタガタッ」と激しい音がするので見に行くと何もない。何度かそういうことがあって、屋根に何か来ているんだろうと思っていたけれど、一度、窓ガラスのところ(外側)に来て暴れている鳥がいた。

 ここで営巣でもしようと思っているのか。今は春だし、雌を招き寄せようとしているのかもしれない。

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『きょうは三十日(土曜日)だけれどどうでもいいので忘れている』(220430)

 28日に仕事を終え、そのまま行こうかとも思ったけれど、もしや疲れているだろうからやめておこう。

 いったん家に帰って休憩し、晩ご飯を食べ、家を出たのは夜中の12時前、車で走ってきて、29日(金曜日)の0時半ころ、豊田のICから高速に乗り、車で走ってきて夜明け前ころに別荘に着いて、軽い食事(吹雪饅頭半分とバナナを食パンにはさんだものとコーヒーとくるみ)をとって、夕方近くまで寝ていた。

 家の中で走ったりして体を鍛え、それからまた食事をし、名古屋で途中まで見ていた映画『敬愛なるベートーベン』を鑑賞し、早々と寝た。

 トイレに行くと雨が降っていて、これはダメだなと、また寝ていた。

 時々目が覚めたけれど、そのたびに雨が降っていることを確認、もう夜のご飯は抜きだな、ふとんの中で気功などもして、夜明け前までかなりよく寝れて、トイレの窓から空を見ると雲は晴れているので、(きょうは)そのうち明るくなってくるのだろう。

 ふとんの中で5時半ころまで寝ていて、ウグイスとかが鳴かないなあ、今年はやはり静かになったなあ、などと思いながら、起きて水(コントレックス)を飲み、ごみを捨てに行き、使えそうな空ビンをもらってきて、なんだかんだと気になる庭のことを(何かもう忘れたけれど)少しだけすませ、コーヒーを飲んだ。


別荘に着いて翌朝のコーヒーは

きのうと違った美味さなりけり




 今年も蜜を集めているハチたちが、生け垣のつつじの花に来ている。


花蜂は朝から夕まで働いて居り



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『きょうは晴れのち曇り夜は雨だった』(220405)

 朝起きて、トイレの窓から顔をのぞかせ、
「きょうは快晴だな」と思った。

 青空がたくさん見えている。

 きょうはいろいろやらないとな、きのうは雨で少ししか庭仕事とかできなかった。

 それでまずは昨日発見した、古タイヤ(誰かが捨てていった布団の下の地面に埋まっていたやつ)を何とか掘り起こして捨ててやろうと思った。

 こんなものが埋まっていては神さまがさぞ気分が悪いとおっしゃることだろう、まったくそうに決まっている。

 スコップを持っていって、現場でどんどん作業をした、休む間もなく、次々土を掘り起こし、さっさとタイヤを掘り出してしまおう、これじゃあ、おとついのTEPCOの若い作業員と一緒だな、庭の中に電柱をかつて支えていたワイヤーを固定していた金属の杭のようなものがありそれを取ってくれることになって若い人が二人来て作業したんだけれど、結局深くて掘っても取れなかったのだ。

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 チクショウ、
「このタイヤ(端のほうは)このコンクリートの下に埋まっているのか?」

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 どんどん作業していって、心臓が苦しくなってきたりもしたけれど、休むことなく作業を続け、なんとか掘り出すことができ、捨ててやった。

「はあはあ」(息が)しながらもわたしはこれで心が軽くなり、せいせいした。

 かなり神さまもやすらいだことだろうし、これでまたこの土地の運勢もよくなったことだろう。

 そう考えたけれど、さてこれをどう処分すべきか‥‥。わたしに悪いカルマが来てはいけないので、しばし悩んで再び考えたのだった。


 これを捨てていったのはだれか知らないけれど、この土地はまるでいろいろな人のゴミ捨て場になっている。

 わたしがしばらく来なかった間に、昨年は庭にあったものすごくたくさんのごみの処分をしたのに、また今年、このありさまだ、わたしがせっかく昨年苦労して作った(土地の斜面の土が流れないように作った)柵の上に見事にかぶせるようにしてきれいな柵を隠し、古い汚い汚れた布団を捨てていったのだ、きのうそれを発見し、しかも、夏が過ぎてそれが草木の根っこを引っ付けてなかなか取れないものだから、雨の中、スコップを持ってきて下の土から掘ってそれを取ってのけるとその時同時に掘った下、この古タイヤが顔を出してきたわけだ。

 正規でいえば、タイヤの持ち主だった人がタイヤ処理料をどこかに払って持って行ってもらうのだろうけれど(わたしは被害者であるけれど、誰かに訴えて持ち主を探してもらったりする暇もないし)、簡潔にいって、ここがゴミ捨て場になっているのでは話にならない、この別荘地専用の大きなゴミ捨て場もどこかで見たけれど――。

 タイヤに関していうと、わたしの庭の隣の土地と道路の間にはっきりと目立つように捨ててやった。

 こうしておけば、いつか管理組合の人が見てあるいは通報されて、
「誰だこんなところに古タイヤを捨てたのは!」ということになり、「ゴミの処分は各自で法令を守ってやること!」

 というような通達を出し、この別荘地が、そういうコンセンサスになっていくのではないか、あるいは、
「勝手に他人の土地にゴミを捨てないでください」というおふれでも出すのではないかという、ささやかだけれど、希望的観測を抱いて、もうすっかり使われなくなって久しい荒れたその土地と道路の間くらいに捨てておいてやったのだ。

 けれど、心臓はもう限界だった。

 もうきょうは大したことはできないな。

 窓から見える景色。

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 東の窓から見える青空や緑。

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 ウグイスも鳴いている。

 シジュウカラも遠くで鳴いている。

 ときにはヒヨドリも来ている。

 庭の花もいろいろたくさん咲いている。

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 花が多いからハチもけっこう来ている。

 これはタイヤが出てきた近くにあった足元のなにかの実。

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 トカゲがおとついのように、ひなたぼっこしに出てきている。

 わたしを見つけるとすぐ隠れるけれど、どうもいなくなると出てきて玄関前の石の上で日に当たって体を温めている。

 夕方には散歩に出かけた。

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 富士山がきょうは見えているかなと思ったけれど、もうすっかり曇っているのには驚いた。

 心臓の調子もすっかりよくなっていたけれど、もうきょうは力仕事とか、庭や家をよくする作業はやめておくことにしたので、手ぶらで、なにも考えず、昔のようにただ歩いていった。

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 花が咲いていて人がいないというのは最高ではある。

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 日が暮れていて、5時ころだけれど、けっこうもう人がどこかから帰ってきていて、車が止めてあったりする。

 ここは別荘というけれど、5時にはけたたましいサイレンみたいのが鳴るし、人のいるところは臭いし、道路は夜になると街灯ですごく明るいし、(もしかしたらこれは都会というより人の目の行き届かない田舎の特徴かもしれないけれど)勝手に人の土地にごみを捨てに来たり、ステレオやラジオを大きな音で鳴らす人が毎日いて部屋に聞こえてくるし、ルールが守られない人間が確実に存在する都会と同じようなところがある。

 それでもまあわたしのいるところはまだこの時期夜は寒いので、人が来ず、空気が良くて山菜もあるし、都会とは別世界の心地よさがあるということもできる。

 公園まで行って、念入りにラジオ体操をし、人には会わないように注意などして帰路についた。

 さっきまではまったく見えなかった山だったけれど、いまは山端(やまのは)が、幽玄のように見えていた。

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幽玄な一人目をやる山端やまのは

厚く明るい雲と馴染んで



『ウグイスがまるでふつうに鳴いている』(220405)

 昨年は、鳥たちがどれもこれも騒がしく、けたたましく、うるさいほどに悩ましげだったけれど、今年はありがたいことに、来てみると、名古屋と同じくらいの音量で、鳥たちの心持もおだやかなようだった。

 ウグイスも昨年はすぐそばに来てまるでけたたましく、
「ホーホケッッキョ!!」と騒ぎ立てるように鳴いていた。

 去年は初めて出会うわたしに驚きと興奮となどがあって騒々しかったけれど、今年はもうわたしに鳥たちが慣れたのかな、とも思った。

 今年は離れてみんなふつうに鳴いている(いろいろ理由はあるのだろうけれど結果はそうなっている)。


鶯が少し離れて鳴いて居り



 山を下りて買い物に出かけるのが億劫なので、ほとんど菜食主義みたいな食事でこれはこれでいいんじゃないかな。



味噌汁は行者にんにく木耳きくらげ

メインになって楽しくもあり



『きょうは雨なので主に家で過ごした』(220403)

 きょうは雨が降っていて、庭仕事はほとんどなしだった。

 近くを一回りしてヒノキの小枝を拾ってきて、柵を一本増やした(一本足した)ことが主な仕事。

 そのあと朝ごはんである。


何もかも忘れさせてくれるそんな

美味い朝のみそ汁を飲み



 部屋から見える山桜。

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 こういう花木は、桜のせいかな、切られることはないようだ。

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 玄関前に作ったアーチ(自然の木で昨年作っておいた)に絡ませたくて、買ってきたつるバラの苗を植えておいた。

 来てすぐ植えたけれど、きょうまた写真に撮っておいて確認。

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 サクラとは反対側の窓から見える、庭の木。

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 カエデに水滴がついてキラキラしてきれいだった。写真では分からないのである。

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 部屋に昨年の夏ころの残骸というか、残死骸、ハチがまるで生きているみたいに残っていた。

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 今回は家を出るのが少し遅くなり、さらに豊田のICがどこかわからなくて遅くなったせいで、東名内で休憩することができなかった。

 それを思い出して、歌を作っておいた。今日作ったということはそれだけしんどかったということかな。


名古屋から夜中車を走らせて

沼津で休んで山の別荘




『寒いけれど空気がいいので幸せである』(220402)

 きのうというか、今朝にかけては思った以上に寒くて眠れなかった。

 起きてきのう買ってきたウナギを食べて散歩。6時くらいだった。

 すぐ昼寝しようかとも思ったけれど、庭の様子とかが気になって庭仕事に二時間くらいかかった。明日は雨という予報もあるし、晴れているうちにやっておくべきことをまずはやろうと、眠いのに精を出して庭仕事をした。

 今年はあちこちでヒノキの木が切り倒されているので、枝払いの細くて出来るだけまっすぐな枝を拾いに行き、帰ってきて、それを杭にして道路との境に埋め込むのだ。なにしろ人が勝手に入ってきて庭を荒らすので、たくさん埋め込んで、だんだん全く入れないようにするのである。

 別荘地内を歩いていて目を引く花木。

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 うまく園芸や家庭菜園をやっている人もいる。永住している人は、常に目を光らせているので、勝手に入ってくる人も少ない、まあめったにはいないのであろう。

 柵なんてほとんどなしでやっている。

 その先を歩いていくと、きのうも見つけた、野ばら、花が下向きになって咲くのである。

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 控えめでしとやかである。


春先の野ばらの花は控え目に

花を咲かせて佇んでおり


 自分の別荘の家の南側の土地に咲いている花。

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 これは敷地がぼうぼう、ササや草や、雑木などが茂っていて人間は簡単に入れないので、道路のそばの山菜くらいしか採っていく人はいないので、こうしてきれいな花を咲かせる木が生きている。

 雑草などはほとんどが枯れて枯草色なので、このきれいな花が目に麗しい。

 部屋にいると、しばしば外の風景をながめてやすらぐことができる。寒くて人がめったにいない、きょうは一人も見なかったので、ゆっくりながめることができる。

 窓から見える山の景色。

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 きのうの夜はつけなかった石油ストーブに火を入れたので、きょうは空気は悪いけれど部屋は暖かい。晩ご飯も暖かく食べられるし、きっと寝るときも多少は暖かくなっているだろう。

 高速道路を走ってくると、なぜかいつも喉がおかしくなる。風邪をひいたようになるのだ。車のエアコンのせいか、でもほとんど窓を開けて走ってくるので、やはりそれとも道路の空気がすごく悪いのだ。

 ふとんの中で寒くてよく眠れなかったのは、一つには風邪気味のせいかもしれない。

 1111円のウナギのかば焼きを今朝早くの食事と(晩ご飯の)二回に分けて食べた。

 まずはスープを飲む。


山菜にニンジンキャベツにブナシメジ

飲んで親しむ薬膳の味



『今回最初に印象に残ったのは椿の赤の鮮やかさだった』(220320)

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 周囲の敷地の竹や雑木が切られてしまって、残っていたツバキの木の花が目に鮮やかで、女の人の濃い赤色の口紅のような印象だった。

 映画『アメリ』のポスターの唇の色とかで受けた印象と同じようなものだった。

 別荘地内を歩いていると、いまあちこちで見かけるので、野生のツバキなのかなと思うけれど、名古屋のほうでは見かけないツバキである。

 藪ツバキではない、花のとか、葉っぱのギザギザが大きめという特徴は、雪ツバキのようである。


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 裏庭でも咲いている、満開の雪ツバキ。

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彼方此方で口紅のように鮮やかな

椿の花がよく目立つかな



『別荘へは徹夜で高速をまるで吹っ飛ばすように走ってなんと4時間くらいもかかってさらに1時間はかかった』(220318)

 きのうの夜中、十一時半頃出て、十二時ころに高速に入り、一回、二回SAで休憩し、もう一回、SAで休憩したけれど、いずれも大型トラックが汚れた浜辺に休むアザラシのように密集していた。

 空気が悪そうだったけれど、トイレに行って、そのあと地図を確認しようと思ったけれど、どこのSAでも紙の地図は置いてなかった。

 高速道路は昔はまるで一本道のように、ただ走ることに集中していればよかったけれど、いまはJCTなどというものもあるし、やたら道路がまっすぐじゃないのだ。

(よく高速道路を逆走する車というニュースを聞くけれど、あれはわかる気がした)

 富士山のほうへ行くには、東名一本で走っていくより、途中でJCTで別の高速に入り、また別の高速になどというややこしいことをしなければ、最短ではいけないし、料金も高くなってしまうのだ。

 さてじっさい、どうやって行こうかと迷ったけれど、豊田から高速へ入るとき、道がややこしくてさっぱりわからず、時間がかかったので、もう道を迷うのが嫌になって東名高速一本でいくことにした。途中紙の地図を手に入れて何かわかるかなと思ったけれど、それもないので無理。

 昔のこととはいえある程度走りなれた道なので、時間もお金もかかるし20Kmくらいも余分に走るけれど、昔走った道を行くことにした(それでも途中で二手に分かれたり、知らない枝分かれの道があったりして心配になるのだった)。

 12時過ぎに乗って今朝の3時40分頃に目的のICに着き、高速を出てそこでいったん休憩(あっという間に一時間すぎていた)、一般道をさらに一時間くらいも走って、ようやく別荘に着いた。6時過ぎころだった。荷物を下ろし、少し庭とかを見ると、時刻は7時過ぎだった。

 庭を見て、ブルーベリーの苗木は、目を凝らして見つけ、
「あった、これだ、ぜんぜん大きくなっていないな、こんなものか、‥」

 そして、
「梅の木は?」とまた眼をさらにして探し、「あれ?」

 昨年植えた梅の苗木がなくなっていたのを見てショックを受けた。

「これは‥?」

 梅の細い枝が何本も枝分かれした枝が、一本散らかるように畑に転がっているのみだった。

「なんとしたことだ?」


 その後分かったのだけれど、勝手なことをするやつがいて、人の敷地に入って梅の苗木を生え際で切ったやつがいたのだ。

 周囲の管理費を払ってない人の土地の木を、その木々のために日陰になる人が、勝手に業者に切らせ、そのあおりで、わたしの土地の梅の木も一本、野ばらもいくつか、切っていったのだ。なぜかというと、隣の土地へは、わたしの土地を通ると楽だからである。隣の土地は荒れ放題で、簡単にその大きく茂った木の数本がある場所へ行けない、たどり着けないので、わたしの土地を通って簡単に行って、切ることにしたのだけれど、通るとき野バラや梅の木が邪魔なので切っていったのだ。

 腹立ったけれど、管理組合に電話した時は、聞いていて話の流れで、
「今後こういうことがないようにしてくれればいいので、お願いします」といっておいた。
「植えるのも楽しみですから。梅の木はまた買って来ればいいんで」と。

 実際は切られた梅の苗は、わたしが公園で拾ってきた梅の実をまいて、もう十年くらいもベランダで育ててきた貴重な愛着もある、その中でも一番元気な、それゆえに大きく育っていた一本だったのだけれど、その悲劇を発見してから、管理組合に電話するにはまだ早いので、寝床で瞑想していて、翻って、
「腹を立てて文句を言うのはよしておこう」と思った。

 それで結果的に、上に書いたように({周囲の管理費を払ってない人}以下の部分)どうしてわたしの土地の木が切られたのかが、まるで芋づる式に今日一日の中で発覚したのだ。

 管理組合の話では、業者を紹介するのだけれど、もともと木を切るのに、人(ほかの持ち主)の土地に入ることはないといっていたし、人の土地に入って切るということは絶対にないように徹底しますというようなことを言ってくれたのでそれが重要である。

 ご飯を炊き、ニンニクライスみたいなものに、レトルトカレーをかけ、ニンニクの黒く発酵させたのをさらに一粒、何しろ買い物をしたくてもコンビニしかやってなかったので、コンビニではバナナを買い、道を尋ねただけ(これも助かったけれど、感謝、でも間違いを教えてくれている部分もあって、それは自分で見抜いて、走った、つまり高速を出ても別荘に着くには大変なことだったのだ)、家から持ってきたバナナとヨーグルト、(別荘に置きっぱなしだった食料、ニンニクとレトルトカレー、それから置きっぱなしだった自家製ヨーグルトがチーズと清乳みたいになっていて、清乳と家から持ってきた新たなヨーグルトを混ぜてバナナヨーグルトにし、クルミを食べ、カレーをほおばり)ほとんど寝た。

 もうほとんど一日寝ていた。


徹夜して高速道路を突っ走り

一日寝ている幸せがあり




注:高速道路の料金は、あとで確認して気づいたけれど距離が一番長い東名が一番料金が安かった、おそらく別ルートは半分観光の料金が加味されているのかな、それとも新しいので借金の返済額が含まれているのだろう、と。

『幸福も不幸も如来は世に広げ』(210621)

 散歩していくと、まるで突然のように、花が咲いていた。

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 いつも歩いている道なのに、この花は突然開くのだ。

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 ミツバチもやって来て、あんがい好感の持てる花の仲間なのだろうか?

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 散歩の空は、きょうはこんなものだろうか。

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 もう少し早く写すともっと感動的な雲があったのだけれど、体操をしている最中だったので、無理だった。

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 きょうは名古屋へ帰る予定なので、というわけでもないけれど、いつものように急ぐのだった。

 人間はどこにいても生きていくためには暇なしなのだろうか。

 はたしてやるべきことをやっていて暇を持て余して生きていける人間はいるだろうか。

 在来線も新幹線も、平和だったけれど、人間さえいなければ、混乱も心配も不幸もない世界が広がる。

 人間はそれぞれがみな自分のやるべきことをして一人で生きていれば、この世はみんなが幸福である。

 人とかかわってあれこれと楽しもうとする欲望は人を発狂させる妄想である。

 人とかかわってあれこれと楽しもうとする欲望は人を苦しめる種である。



妄想のばかりが消える一人かな



 名古屋へ着くと、月が見えていた。

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 空は快晴に近いようだった。


空を見てやっぱり名古屋は広いなと




『雨のあとの体のだるさは気にせず散歩に出かける』(210620)

 雨が上がっていて、いつものように散歩に行く。

 外へ出てすぐ、目について足を止めた。

 庭のキイチゴの実がたくさんなっている。こういうのがあると鳥たちも来るのかなと。

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 富士山は見えないけれど、愛鷹山が見えている。

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 公園でジョギングをした。芝生の上を走って三往復した。きのう雨でちゃんと体操できなかったので、だるいような体を押して走ってみた。

「走って元気になるかな」なんて思いながら走り始めて、三往復。

 走り終えて、心に浮かんだのは、自分の体の調子ではなく、
「ここは公園でも臭くないし、ふつうの都会の公園はひどいものだな」とうなだれ、「庶民の世界は‥」と自分がふだん走っている悪臭が消えなくなった公園を思い出して、なかば嘆き節でもあった。

 下の別のところへ歩いて行って体操をした。

 目の先に見えている雲。

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 きょうは犬の放し飼いをするやつもいないので、気功もした。

 芝生は少ないけれど、緑は濃くて、意外にも梅が植林のように連なっていた。


 時間がないのは名古屋でも別荘でも同じで、早く帰らないと、とやることをしたらのんびりせずに帰る。上り坂で、だるさを感じて上がっていく。

 帰り道の虫。

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 あるSF映画ではこういう虫が宇宙人(知的生命体)で、地球見守っていたりするのである。


 このバッタも顔を見るとふつうじゃない顔をしている。

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 自分の庭のつる草の小さな花。

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敏感な田舎の虫の元気かな


『きょうは雨で心静かな一日になりそう』(210619)

 きょうは雨で、ずっと家にいた。アマゾンでデジカメの電池と充電器を買ったのがきょう着くので、それを受け取る以外誰とも会わずにすんで、いつもとはちがう一日だった。

 家の土地の端(一番低いところ)の土留のコンクリート(柵みたいなのが何本か立って土留になっている)が一本開いていて、そこから土が漏れていることが分かった。

 ながめていて、
「これはまずいな」と思った。「隙間を埋めないと」

 とりあえずヒノキの棒を三本切ってそれを挟んでおいた。雨の中だけれど、すぐやった。こういうものがあるから、家の基礎が上へ上がったようになってしまったんだ。何十年かの間に土が出て行ってしまったんだ。雨が上がったら下にたまってまだそこに残っている土を元に戻しておこう。それから、できるだけもう土が逃げていかないように工夫しよう。見ていると、どこの家もだいたいは斜面に立っていて、基礎がむき出しになってきている。土が逃げるのであちこちの家はどこもそれぞれに工夫がしてある。

 きょうはそれからグミの穂差しをした。グミはさしておけば根が出るみたいで、通販では枝先だけで根のないものが売っていた。

「そうだったんだ」と自分も切ってさしておいた。

 あとはほとんど瞑想していた。静かなので一人で瞑想三昧である。体調を整え、健康にならないと。名古屋ではできなかったことである。

 イギリスの研究機関によると、
「ライブコンサートに定期的に行く人はそうでない人より自尊心が高くなって健康に良い」という記事があったけれど、これは仏教の教えとは違うのではないかと思った。

 日本ではむかしから、
「心をむなしゅうする」という言葉もあるけれど、その逆の、「おれがおれが」というような(積極的で前向きだけれど自我にとらわれて他と向き合う)傾向を助長するような自尊心を尊ぶ姿勢というのは健康的とは言えないのである。

「自尊心の高い人」というのは、
「自分という存在が完璧でないにもかかわらず、自分を尊いものとして受け入れ満足し肯定し、生きていくことを意味している」ので、周りからすると自尊心にとらわれた人間は迷惑である。

「自尊心の高い人」というのは、
「自分に満足しているので尊いものに向って進んでいくという向上心を阻害し、どこか偉そうである」。だから周りからすると自尊心にとらわれた人間は迷惑である。

 謙虚で向上心があれば、まだいいわけだ。今の社会悪いことを平気でする人が増えたというのは、謙虚さとか向上心の意味を解することもなく、間違った社会の風潮に染まり、人間が未熟であるのに自尊心が高くて偉そうになっているやつが増えたからではないのか?

 仏教では諸法無我、という言葉もあり、自尊心などと言って自分に執着していると発狂してしまうのである。西洋では、自我に執着するので、例えば生活の基盤である経済一つとっても、すでに昔から「(長期的には)すでに死んでいる」といわれるように、確実に徐々に徐々にこの社会は行き詰まり、多くの庶民が生きていけなくなっていく命運を背負わされ、精神的に苦しくて、敗者も勝者も、気づいても気づかなくても誰でもが深刻な心の悩みを底に抱えているともいえるのである。


雨が降り家で静かに向き合えば

一味ちがうからだのここち




『思った以上に豊かな庭だった』(210617)

 どうしていままで目につかなかったのかな。庭を歩いていると赤い実が一つ目の前に目の高さでぶら下がていた。

「これはグミだな」

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ひょっこりと茱萸ぐみが一粒って居り



 窓から見ていると、鳥がたくさん三種類くらい来て、やたら囀っていたけれど、こういうのを楽しんでいたのだろう。


『庭に来ていた鳥』(210617)

 散歩に行くとき、自分の庭の中で鳥たちの声がする。

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 カメラの電池がほとんどないけれど貴重なので写していく。

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 この前二度くらい部屋から見た色あざやかなのではなく、地味な羽色の鳥たちだった。

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『この庭も鳥にとっては楽園かな』(210616)

 きょうは雨で、けっこう降っているので名古屋みたいにカッパでジョギングすることはせず、家の中で適当にたいそうをして、気になったので、外に出て、ブルーベリーの木を見に行った。

 色づいて手をふれるとこぼれるように取れてくる実を四つ、家の中に持ち帰って一度よくながめて口にした。

 かすかに甘ずっぱい、そんな感じだった。

 窓の外では小さな赤と白の鳥が囀りながら桑の実を食べに来ている。

 見たことのない色の鳥がまた来ている。


雨が降り庭でブルーベリーをとって食べ



『散歩道に蛇がいることは予想できることだけれど実際いれば驚く』(210615)

 散歩の空。

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 散歩帰りに道を横切るように小さなヘビがじっと動かずにいた。

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 下手をするとこれは踏んでしまう、名前は知らないヘビ。

 夜だと気づかずに踏んでしまったりしないかと思うと、桁違いに怖い。


散歩道桧色した蛇が居り



 家に帰ってまずブルーベリーの実の写真を撮った。一番はじめにここ(別荘)へ来たとき、通販(楽天)で買ったブルーベリーの木を植えた。そのときすでに小さな実はついていた。

 それがようやく二か月くらいもたって食べられるくらいに大きくなって、色づいてきたのだ。

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 一つ食べてみたら水っぽかった。肥料をやってないせいか、栄養が足らないようだ。


ブルーベリー最初の味はアメリカン



 調べたら、上に書いたことは間違いだった。

「化成肥料や液肥(化成液肥や養液)を 与えると早く大きくなり大きな実もいっぱいなるけれど、味は薄く水っぽくなりやすい」という。

 ということは、買った先の業者が化学的な肥料で促成栽培していたということのようだった。木の体質改善には2、3年を要するという。