『見かける古くからの鳥たちが少し余裕を取り戻している』(190619)

 学校の芝には毎日ムクドリがいる。

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 特に好きではないけれど、あんがい孤独そうに暮らしているところは共感できる。

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 そういえばきょうは、学校へ来る時、植田川にひさしぶりにアオサギが飛んできた。

 自転車で走っていたら上空から飛んできた。羽をしっかり広げて悠然と飛んできた。いっしゅん首をすくめるほどに大きかった。そして悠然と降下して、中州に降り立った。以前のように人間の行き来する橋の所には来ないのだ。アオサギも賢くなった。そのまま走っていってアオサギを見た。

 アオサギは中州の中の目立たない雑草の茂ったところに悠然と立っていた。

 橋の所では人間にひどい目にあったので、こうして人間から離れて孤独を楽しんでいるのだ。

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 異常な金融政策というカンフル剤の多用で善良な人間たちは未来を奪われ、消費税増税前の駆け込みもなく、人心がすでに疲弊している結果だろうか。人間社会の景気も悪くなってきたので、そのぶん鳥たちは孤独を楽しむことができる。


人間社会の景気が悪くなれば

鳥の孤独は豊かさを増し

posted by superbird at 21:29Comment(0)鳥たち

『日進の田舎道』(170715)

 自転車のこちら側でストレッチをしていたら、いつのまにか水たまりに来ていたセキレイ。わたしはそれに気づくと、ときおりタイヤの横からのぞき見ていた。しばらく水たまりで快活に何かしていたセキレイ。

 セキレイは驚いたように飛び立っていった。

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鶺鴒せきれいや水が恋しい猛暑かな


posted by superbird at 13:33Comment(0)鳥たち

『出勤前の朝の散歩』(170620)

 散歩道にハトは一羽だけ。平和を楽しんでいるのだろう。若干わたしが歩いてきたので緊張している。

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一羽だけ平和の鳩が留まりて

人の去るのを待つ道があり



 家に戻って朝ごはんを作るなどいろいろやって出勤。明日は本格的な雨だという。

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posted by superbird at 17:35Comment(0)鳥たち

『オナガガモがまた来ていた』(170418)

 オオバンばかりになっていた池がいつのまにかまたオナガガモだけになっていた。オオバンはいつのまにか飛び去ったのだ。

 オナガガモは一二家族くらいで来たみたい。きのうの嵐のような雨も関係しているのかな。

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 一羽だけ離れて食べ物をあさっている。

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尾長鴨おなががも嵐が去って平和かな

posted by superbird at 22:23Comment(0)鳥たち

『水鳥たちが自由を満喫する』(170306)

 オオバンも近くにやってくる。

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 オナガガモも近くにやってくる。

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 オオバンはときおり仲間割れを起こす。オナガガモは家族なのか、仲がいい。

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 家族だからといって、仲がいいオナガガモは自然なことといえる。

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posted by superbird at 18:32Comment(0)鳥たち

『それぞれが別々の方向へ泳いでいくきょうの水鳥たち』(170225)

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水鳥や泳ぎ工夫も無になりて


 日経新聞を読むと、第一面に「崖っぷちは好機」という記事があった。記事の結論は、「自分本位で働き、成果を生む」ことがこの日本社会に好循環をもたらすという趣旨である。
 それができたらバラ色の社会である。しかしながらそうなっていないので「崖っぷちは好機」という記事がでてくるのだ。

 これ、「自分本位で働き、成果を生む」ことは今の若い人たち、特に30~40代の人たちが夢見ることであり、彼らの立場を正当化するような傾向を表した言葉である。これはというのは、さっこんの日本社会の現実問題として、「自分本位で働き、成果を生む」ことができていないから、好循環を生み出すことができないで、社会や組織がきているからである。すなわち、たとえば「自分本位で働き」は、彼らの得意とすることである。そして現実は、「周りに迷惑をかけ」「周りの足を引っ張る」。組織では、「優秀な人間をつぶしにかかる」
 だから、わたしの身近でも昨年まではよくあったけれど、ワンマンプレイが目立つようになる。「自分本位」は「他人の成果を奪う」ということも許されるかのような風潮が所々で見られるのは世界に目を向けても同じである。ごく短期ではともかく、長い目で見ればいっそう、利益を求める組織なら、「成果を生むことができない」ことになることはよく想像される。

「自分本位で働き、成果を生む」ことを夢見るのはいいけれど、幼稚な議論だけれど、個人的には「周りの足を引っ張ることのないように」という趣旨の一文も記事の中に付け加えてほしかった。

 こうしたことを思うのは、おそらく「自分本位」という言葉は「他人に迷惑をかけてもよい」という昨今の風潮と重なり、きっと少なくともわたしにとっては、春休みになった日々の暮らしの中でもいい印象がないからでもある。

posted by superbird at 19:15Comment(0)鳥たち