『きょうはクリスマスイブだけれどクスノキの黒い実が豊かさを象徴しているように見えた』(201224)

 きょうは朝外を見ると雨が降っていると思った。

 散歩は曇天でまだまし。

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 人が少ないので広々とした散歩道を行く。

 ちょっと足をのばして、見に行く桜はまだ健在だった。

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ちょっと足をのばして見に行く

その桜はまだ健在だった


 さらに人を避けながら行くと、クスノキの黒い実が満載といった感じで実っていた。

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クリスマスイブのクスノキの黒い実が

ここは豊かな国とばかりに




 散歩帰りの空はまだ曇天。雨が降らずに散歩ができてありがたいことである。

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 きょう夜の買い物で、クリスマス風に緑と赤や金のキラキラのついた鶏肉があったりして、
「きょうはクリスマス、イブだな」と気づいた。


曇天のイブの散歩に咲く花は

独立独歩のきよらかさかな





注:桜の一本が生えている芝は、昼間人がふだんとても多いところで、芝の横にある道は人がいないときでも、臭いのが取れなくなっている。風が吹くと空気は入れ替わるけれど、そうでないと夜になっても悪臭が漂い、風が吹いて空気が入れ替わっても、地面そのものが悪臭を放っている。

 これには驚くとしか言いようがないけれど、団塊ジュニア世代から下の人たち、つまりより多く活動し社会を形作り牛耳っている人たちにとっては、結果的にいえば、これがふつうになっているということであろう。


『なんとなく仕事も終わった師走』(201217)

 散歩の空。

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 散歩の雲。

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 散歩道の木々。

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 休憩で見える木々。

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 葉っぱの黄色が太陽に当たってきらめくようにきれいだった。

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 散歩帰り、来るときも帰るときも、なぜか見とれてしまう渋い木々が見える道。

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寒くなり散歩帰りの枯木には

生きる気概が見えているかな


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 散歩帰りの空。

 雲がきれい。

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穏やかに吹雪のあとの青空に

優しく浮かぶ柔らかな雲




 見渡す木々と空。

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 散歩帰りの空。

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仕事終え宿題出して来週の

仕事の予習を綿密にして



『園芸家気分(これは詩です)』(200506)

 きょうは曇天。曇天だけれどベランダの喜びは、目を凝らせば、小さいながら愉悦に満ちている。

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  『園芸家気分』


 ランの花は色づき

 ジャスミンは次々と花を咲かせ

 多肉植物はのっそりと蕾を開き


 水をやらなければ

 写真も撮っておこう

 とこころが躍る

 カレル・チャペックの園芸家気分




注:カレル・チャペックの園芸家気分はもう学生時代に読んだ本『園芸家12カ月 (中公文庫)』で味わうことができる。この本には園芸家気分が満載で、その幸福な記憶がよみがえる。きょうのベランダはそんな気分になれる瞬間だった。
 (ただしいま出ている本の表紙↓はまったく違う)

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 むかし読んだ文庫本の表紙↓

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『やはり暖冬かなと』(200111)

 ベランダのジャスミンにまた新芽が出てきた。

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 少し前(もう昨年の冬?)にも一度こういうことがあったけれど、いつの間にかなくなっていて、また新芽が出ていた。


暖冬か異常気象かジャスミンの

新芽は吹けば枯れてまた吹き



『イチョウの木を見るために歩いた』(190108)

 きのうは仕事始めだった。金山を歩く時よく目にするイチョウの木がほとんど葉を落とし、まるでふつうの冬のイチョウになっていた。

 きのうは遠目に見たイチョウの木を見るためにわざわざ寄り道をした。


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年が明け都会の銀杏も葉を落とし





注:いま調べたら、昨年の仕事始めは9日で、やはりイチョウを見に行っていて、やはり年明けに落葉したようだ。

 昨年の年明け仕事始めのイチョウ

『一日を振り返ると少し余裕があるのだろうか』(180627)

 朝起きて、ベランダで水やりをし、咲いたサボテンの花を少し見る。

 毎年咲くサボテンの花はいいものである。

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 学校帰り、いつもとちがう道に足を踏み入れ、バス停を目指す。

 民家の玄関先、これは瓜の仲間か?

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人は皆どこか幸せに暮らしている


『家のほうではかなり強い香りのキンモクセイの時期になったけれど』(171017)

 学校ではあるかないかの希薄さ。学校にあった、なぜかにおいが希薄な金木犀。

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 夜間も明かりがあるのが理由かな。植物は夜はしっかり暗くならないと、生殖機能である花は不調になるということはある。人間だって夜は暗いほうが安らぐ。そういう意味では日本は夜もやたら明るくて、治安だとか安全だとか景気がとか、さまざまな理屈をつけてエネルギー消費を増やして、結果的にはGDPを少しでも大きくしようとしてより不健康な社会に向かっている。

 夜やたらと明るくするという行いは、つまり経済的にも生物学的にも、人間を含め生物にとっていいことはない。

『あちこちでどんぐりを目にした』(170812)

 公園でとても小さいどんぐりができていて、
「もうどんぐりが」と思って、さらにいくと、ふつうに毎年見かけるどんぐりはいつの間にかできていた。

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 夜になって秋風が吹き、暦を調べたらいまは立秋(8/7 ~ 8/22)だった。


立秋の目立たぬようにどんぐりは

青春時代の色艶を見せ


『ふと見るノウゼンカズラは真っ赤』(170618)

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 いつも橙色のノウゼンカズラが真っ赤に咲いている。

 都会は人間界の典型だろう。人間がよかれと思って求めてきた環境であるはずなのだ。ところが実はそうではない結果をもたらす。二酸化炭素は増え、暑さも増し、天候も不順で予測できない。工夫を重ねて無工夫をわすれた人間の浅はかさなのだ。

 山川草木悉皆成仏。草木国土悉皆成仏。国土万物悉皆成仏。


橙色だった凌霄花のうぜんかずらの花が

真っ赤になって咲くワイルドさ




『きのうはタイサンボクの日だったらしい』(170609)

 近所の公園で体操をしていたらタイサンボクの木に花が咲いていた。しばらく雨だったので、気づかなかったのだ。

 きのはタイサンボクの日(誕生花)。
 おとついの7日には、
「午前、四国、中国、近畿、東海、関東甲信で梅雨入りした」(と見られる)と、各気象台。

 きょうはさわやかな晴れ間が広がった。

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梅雨入りや泰山木たいさんぼくの花が咲き



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体操の空は輝き雲の道