きょうは朝ご飯を作ろとして、出汁はキノコ汁みたいなものなので、シイタケとか用意した、それからその他も用意したのだけれど。
これは、キクラゲの乾燥したものだけれど、虫がついていた。
目を近づけてよく見ると、これはカミキリムシではないのか。
よくないな、これは捨てておこう、ということでベランダから捨ててやろうと思った。
べランダに出て、もう一度虫さんを見たのだけれど、よくよく見ると、このまま捨てるのは、なぜか可哀想であった。
そこで、仕方なし、キクラゲと一緒に、ベランダのコンクリの上に置いておくことにしたのだ、そのうちどこかへ行くだろう。
ところが、(もうだいぶたってベランダの植物の水やりとか食酢での殺菌などで)、べランダでもう一度見ると、まだそこにいるのだ(しかもしっかりキクラゲに抱きつきほとんど擬態にも見えるように隠れていた)。
行くところがない、ここが一番いい、ということのようであった。
うどんを食べて、(いつもながら最高の味で楽な時間が過ごせた、これだけでも幸せである)、散歩に出かけた。
散歩の空。
休憩していると、もう夕刻、ものすごい雷が鳴った。
まだ帰りたくないし、辛抱していたけれど、まるでわたしの真上で稲光が光って、雷鳴があちこちでとどろくかのようであった。
それでも辛抱していた、無になって休んでいたけれど、雨が降ってきた、知らぬ存ぜずで休んでいた。
なにしろゆっくりする場所もないし、部屋の戻れば、(散歩前の空気からしてきょうの場合特に)、悪臭毒ガスがこもって病気になること請け合いで、という危惧があるからである。
もうそろそろ帰るか、と準備を始めると、土砂降りになってきた。
きょう散歩から帰ってきて、ふとネットでニュースを見たのだけれど、国家公務員の給料の見直しといって、べら棒に高額な報酬をもらってしまおうということを、目にした。
「なり手不足解消に向け」という口実が見えた、「より企業規模が大きい会社に合せて」というふうに勝手に仕組みを変えて、給料のベースアップを企んでいるということであった。
最近の若い人の傾向でもある、自治会の会則でも、先だっても住民の意見も聞かずに勝手に変更して、たいそうな冊子を配布してきたけれど、国家公務員の給料に関しても同様であるといえる。
ただでさえベラボウに高給をもらって、ほくそえみ、庶民を見下している国家公務員、国を滅ぼす政策一直線というべき、阿保垂れの集団が、そのゆえにでもあろう、自分たちの給料を、誰のカネからもらっているのかを放っておき、世界一の給料を貰ってやろうという目算であろうか。
これは私見ではあるけれど、問答無用、公務員の給料は下げるべきである。なんとなれば、民間との比較の仕組を見直して、ベースアップするというのは、言語道断、耳を疑う暴挙であろう。庶民は生活が成り立たなくて喘ぎ喘ぎこの先の身の処し方を、絶望しているのである。年金暮らしのみならず(長年教員をしてきた人でも年金年間200万円くらいでそこから税金なども引かれ質素倹約明日がどうかとわたしに相談するくらい)、現役世代でも中年以降は給料は上がらず苦しくなっているのである。すでに国家公務員の給料は、民間の平均と比べて、ベラボウに高額ではなかろうか。
公務員のなり手が減っている、当然ではなかろうか、なり手が減っているのは、そこが悪魔の巣窟だからである。悪魔になるより、人間でいた方が、先々よさそうだね、という人が増えたといえる。
いまの国家公務員のしかも高給の人、給料は半分でも、彼らは暮らせるのではないのか。
民間からすれば、大バカのやろうというべき集団で、
「財務省解体」という言葉(わたしも知らなかったけれど)、さっこんちまたでは流行りの流行語大賞、らしいのだけれど、もっとみんな文句をいって、
「税金を下げろ」というべきではあろう、と思ったのであった。
公務員の給料は、民間の最低レベルで、あるべき、それが本来の姿ではあろう(なお、わたしの祖父のころはそうであった)。
わたしの同級生、長年小学校の先生を正規でやってきて、年金暮らしになった(年金から税や保険料も取られ)、明日の暮らしができるかと心配では、この国はシステムとして崩壊しているというべきであろう。ふつうにしかも学校の先生で苦労して、働いてきて、老後があるのかないのか、それじゃあ(ほとんどの人の老後が)お終っているのではないのか。それなのに、それは放置、生活保護もいま高齢者に急増、破産させておいて、一方で国家公務員の給料は世界一の水準に見直します、バカではないのか、いま現にこの国で暮らせなくなっていくような人を、国に貢献してきた人たちを(自分たちのインフレ政策で)見殺し、切り捨てにして、しかも戦略も世界から見て国を崩壊に導きながら、いまの自分さえ良ければ上等、盲目他人様の暮らしは見えない、それでは公務員は務まらないというべきで、その資格もないわけで、給料云々をいう立場でもなく、さっさと退場、退職勧告、というべきで、公務員の公とはの仕事とは何なのか、大多数である支え手、仕えるべき庶民はどこに行ったのか、もう一度そこから勉強し直すべきではなかろうか。
これは、地位も名誉もなければ、給料もなし、ほとんど乞食かピエロ、外野からのヤジみたいなものであろうけれど、庶民の一人として、その義務、一言いっておくべきではないのか、ということで書いておくことにしたのである。
王様が乞食になって本来の
自分が見えて知る公務かな
これは家で少しゆっくりして、きのう(日曜)の朝刊を見ていて読んだ記事である(九州大学には親しむべき人がいるのかな)。
人間は、さっこん、虫を毛嫌いし、とこの人はいっているけれど、わたしも、実感経験として、団塊ジュニア世代、(特に女性)はそれが顕著、自然破壊に我が人生をかけているかのように、木々も伐採、緑はコンクリートへ、自然の草花も刈り取り、禿山の国土に愛着を持ち、カネをもっとくれという、一辺倒で、暮らしを快楽にし、命の世界を無碍にし、(欲に任せてわたしにセクハラをしてくる女性もこの世代、やたら多い)、たしかにおよそ多くの人がいま、その心の形は幸福は破壊するべき、嫌悪する対象になっていることは、わたしの日々の暮らしでも、じゅうぶんに感じ取ることができる。
一寸の虫にも五分の魂
宇宙大生命と共に有りけり
一寸の虫にも五分の魂
人の魂は賽銭箱へ
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