2009.02.23 沈丁花の家 ② <<21:33
沈丁花の薫るその家を見つけ、仮契約を交わしたのは2月末か3月の初めごろ。
母と私が実際に引っ越しをしたのは、3月も下旬になっていて、あれほど香っていた沈丁花も
さすがに もう散ってしまっていた。
その代りに、大家の家の中庭には、ハナダイコンの紫色の花が咲き乱れていた。
春の穏やかな日差しが中庭をいっぱいに照らして、花の紫色と春の庭独特の
噎せ返るような土の匂いとで、うっとりと眠たくなるようだった。
相変わらず、古びた牛乳瓶や、植木鉢や、老人のものらしい洗濯物などが
むさくるしさを醸してはいたが、春の日差しが、母屋と一段高くなっている離れとに囲まれた
その中庭に魔法をかけでもしたかのよう。
引っ越しといっても、各地を転々としてきた母子二人の暮らし。家具らしい家具と言えば、
最後の持ち屋であった家からずっとなぜかこれだけは残してきた食器棚と、私の座机、本棚だけ。
母が長年使い続けてきた裁縫台さえ、今度の引っ越しでは手放してきていた。
なぜなら、母は老眼が進んで、もう人さまの着物を縫ったりすることができなくなっていたから。
私たち二人は、遠くで働いている兄からの、あまり当てにならない仕送りを頼りに
これからここで生きていくことになる。
そうして私はこの町の高校に通うことになる。
そもそもこの海辺の町に越してきたというのも、交通費がかからないようにするためで。
わずか3点の家具と他には一組きりの夜具。少々の調理器具や衣類、私の本以外は
荷物らしい荷物もないわけだから、引っ越しなんて簡単。まるで根無し草のように何処へ
移り住もうと気軽と言えば気軽な、母子二人の暮らしであった。
私たちの住む離れの方の前庭も、季節が少し進んでわずかに彩りを加えていた。
あまり元気のないチューリップが4,5本、花を開きかけていたし、雑草が芽吹いて、
緑の色が加わり、荒れ果てた庭という感じはしなくなっていた。
夕暮れになって、六畳間にも厠にも電球がついていないことに気付き、
拭き掃除などをしている母を残して、私は町に買い物に出ることにした。
町といっても、メインストリートにさしたる店があるわけではなく、3,4分も歩けば端から端まで
見てしまう、といった地方の、それも今から45年も前の町並み。
それでも、ああ、ここに八百屋がある、あそこに本屋がある、と、確かめながら歩いて、
買い物を済ませて再び、大家の低い軒の入り口にたどりついたときには、
まだ日没時刻がそうのびてはいない早春の頃のこと、あたりはすっかり薄暗くなっていた。
それでなくても暗い、ぽっかり開いた人の口のような大家の家の入口。
私が入ろうとしていると、中からぬっとあらわれた一人の男の子に危うくぶつかりそうになった。
お互い顔も見あわせず、そそくさと頭を下げあっただけ。私は母の待つ離れに、男の子は
買い物にでも行くか、私と入れ違いに、夕焼けのかすかに残る外へと出て行った。
それがこの家の一人息子、春夫(仮名)であるということを、私は母から聞いた。
母はもう掃除も済ませ、電球のつかない暗い家で私を待ちかねていたのである。
春夫とは、私が外へ出ている間に顔を合わせていたらしかった。
春夫は私より一級上の、今度高校二年生。
事情はずっとその後も聞かなかったが、祖父母との三人暮らしであるという。
初めての夜。
ささやかな夕食と後片付けも終え、暗い庭に出てみると、母屋の低い建物が
離れよりは一段低くなっている中庭の宵闇の中に、背を丸めた老婆のように
黒く蹲っていた。そうして、それにLの字型に建て増ししてある小さな部屋から
窓の明かりが洩れて、暗い庭をぼおっと薄明るく照らしていた。
あれがさっきの男の子の勉強部屋でもあろうか。
庭からはまた、かすかに小便臭いような春の土の香りが夜になって一層濃く立ちのぼり、
見上げると、春にしては澄んだ夜空に三日月がくっきりと見えた。