2009.02.27 不思議な旅 ① 「偶然の一致?それとも運命?」 <<03:13
今からもう十年ほども前になるが、私は家族とともに、不思議な旅経験をしたことがある。
昔、「舞踏会の手帳」というフランス映画があった。若くして未亡人になった貴夫人が、
夫の遺品と共に、自分自身の人生も整理して新しく踏み出そうとしている時に、
ふと、自分が若くして舞踏会に初めて出た時の手帖を見つけ、そこからかつての恋人達を
訪ねて回る。そこで知る、彼らの人生と死。人が生きていくということの重さと悲哀に
満ちた作品であった。監督はジュリアン・デュビビエ。
これに影響されたというわけでは全くないのだが、過去を巡る旅ということでは
私の旅も同じような目的を持って始められたのかもしれない。
きっかけは、20年近くも互いに連絡し合っていなかった長姉からの一通の手紙だった。
ブログタイトルにもしているが、私は故郷喪失者である。
4歳くらいの時、生まれ故郷の高原の村を一家で離れて以来、家族はいつかばらばらになり、
私は母と二人、安アパートを転々としてきた。だから、私には幼馴染、などというものもなく、
土地に帰属するという感覚もなく、いつも、どうせここは仮寝の浮き草暮らし、というような
少しやくざな心を持って育った。
長姉とは18歳年が違い、私が生まれた時には彼女はもう嫁いで、私が生まれるより一ヶ月
早く子供を(私にとっては姪を)生んでいた。だから彼女は私にとっては、姉というより、
むしろ伯母に近い存在のように思っていたのである。だから会いにも帰らなかった。
ところがその姉から、「私ももう年だから、いつお迎えが来るかわからない。私が生きている
うちに、みんなで帰っておいで。」という優しい手紙が来たのである。
つれあいも娘も、勿論私の故郷に行ったことはない。これがいい機会かもしれない。
普段は旅の計画など全く夫任せの私が、珍しくこの時ばかりは綿密に日程表を組み、
乗り換え時間から何からすべて計算して、いざ二人を案内する旅に出たわけなのである。
私にとっては、もう二度と帰ることのない、最後の故郷への旅。そんな覚悟であった。
だから私は、どうせ帰るなら姉のところだけでなく、ついでに、4歳から高校を卒業して
東京に出るまでの過去を出来る限りこの機会に辿ってみたい、という気持ちを持っていた。
旅の核として、私は、おもに5か所を中心に巡る予定を立てていた。
そうして最初に訪れたのが、高校の時にほんの一時住んでいた町である。
そう、前回、「沈丁花の家」に書いた、春夫(仮名)の家のあった町である。
誰を訪ねるというわけでもないのに、なぜここを旅の最初の予定に入れたかというと、
そこが私にとっての青春の一ページを記す場所であり、何よりただひたすら、あの町を
いつも何かにつけ思い出していたからである。
そう、以前の記事で書いたが、髪を無心に洗っている時、ふっと思い浮かべる風景が、
この町の、春夫の家のある道路であったりしたから。
家を喪失した私にとって、あの、沈丁花が深く香る家は、何故か不思議といつも懐かしい、
いわば、夢の場所、というようなものになっていた。時がたてばたつほどに。
不思議に、いつも思いだすのは、自分たちが住んでいた離れの家のことではなく、
春夫の住む家の中庭の風景である。
夜は小便臭いような湿っぽい土の香がたちのぼり、月影があっても真っ暗で、まるで
闇の中にうずくまっているような庭も、昼間、春の日に温められると、様子は一転。
うすむらさきのハナダイコンの花に埋め尽くされた庭は、ぼおっと眠くなるような、
廃園の香りをさせていた。
勿論、あれから35年の月日が流れている。もうあの家はとうの昔に無くなっているだろうし、
今は住む人も変わっているかもしれない。
しかし、私はそれでも、あの町を訪れてみたかった。娘に見せてやりたかった。
彼女はかつて思春期の頃、私が話す春夫のイメージを、さらに自分の中で濃く作り上げ、
遥かな土地、遥かな人、そうして自分の母親の青春にも思いをはせ、それを絵にしたり、
文にしたりすることによって、彼女自身の感性の一部を形成してきたといういきさつがある。
だから私は彼女に是非、私がかつて住んでいた町と、そして海を見せたかったのである。
「あのね、海の色が違うの。砂が白いのよ。濡れると黄色味を帯びるけど、乾くと
本当に白い砂なの。松林が続いていてね、松林の中を歩くと、散り敷いた枯れ松葉が
足の裏に心地よく柔らかく、枯れた針葉樹独特の香りがするのよ。」
新幹線から在来線に乗り換えて、さらにまた支線へ.... 。
そうやって乗り換え乗り換えしてついに降り立った駅は、昔、私が母と始めて降りた時の
姿と、そう大きくは変わっていなかった。無論駅舎は新しくなっていたが、駅の小さなロータリーも
駅前の道路の感じもあまり変わっていなかった。実に35年ぶりほどにもなるのだが。
ああ、なんて懐かしい のだろう......。
私の方向の感覚もそう鈍ってはいず、私は「確か、こっちよ。」と言いながら、夫と娘を、
昔、春夫の家のあった道路へ導いていった。道幅などはあまり変わっていないが、
距離感は少し狂っているようだ。どのくらい大通りから入ったところだっけ.....。
さすがに35年の時の流れは家々の様子を一変させていた。
おぼろげな距離感覚を頼りに、この辺りだったかな、と思う一軒の家の前まで来て、
ふと表札を見る。
あった!
「小川」(仮名)という彼の姓が。
その時の気持を何と形容していいかわからない。
あえて言うなら、「やましさ」というものでもあろうか。
自分はいったい何をしているのだろう、という気持ち。
夫が珍しく今回の旅では私の思う通りにさせてくれているのをいいことに、
夫と娘をこんなところまで引っ張ってきてしまった。
そうして今、本当はほとんどどんな人だったかも知らない春夫一家の家の跡を、
こうして縁もゆかりもない私が興味だけに駆られて訪なっている。
しかも本人は全く知らされてもいないのに。
私は逃げるようにその家の前を離れた。
昔の、軒の低い平屋では勿論なく、日本全国どこに行っても見かけるような
モルタル二階建ての明るい感じの家。
ここにあの春夫が今もまだ住んでいる?
ああ、その不思議さ、そうしてそれを見ている私たち三人の立場のわけのわからなさ。
夫と娘は何も言わずに私に後についてくる。
「海を見に行こう。」
そう言って私は二人を促し、再び、道路を歩き始めた。
と、20メートルほど先を、一人の男性がこちらに向かって歩いてくる。
中肉中背の、もの静かそうな中年の男が。
夏の真昼時。広い道路には、私たち三人と、その男の人しかいなかった。
時が止まったような一瞬。
私は歩みを止めた。
娘が、えっ?という顔をして私を見る。
その男の人はこちらへ静かに歩いてきた。少し不審そうに首をかしげている。
立ち止まってしまった三人連れに、その人は、
「あの~、何か、うちに御用の方でしょうか?」と声をかけた。
春夫だ。
昔の面影を一瞥のうちに探す。
ああ、こんな顔だったのかな。そうだったかもしれない。思い出せない。
実はよくその顔を見たことさえなかったのだ。
それでも私は彼の姿を遠くに見た瞬間にわかっていた気がする。
春夫が来る、と。
「あの、私、実はずっと以前、お宅の離れをお借りしていた者です。」私は言った。
春夫は驚かなかった。
「・・・さんでしょう?」彼は言った。えっ、私の苗字を覚えている?
「。。。高校に行ってらっしゃいましたよね。お母さんと二人で、うちの離れにちょっとの間
いましたよね。」
ああ、春夫は私のことをよく覚えていた!
「先程、おたく達のお姿をうちの家の前に見かけたとき、あれっ、うちに何か用かな、
と最初思いました。そして近づいてみたら、すぐわかりましたよ。あれっ、・・・さんじゃないかな、
って。」
春夫は、なぜ私が、こんな風に35年もたってから自分の所を訪れたか、などとは一言も
尋ねなかった。でも私は説明しないわけにはいかない。立ち場から言っても。
説明しながら、自分で自分自身をさえ納得させられていない。
いま、東京に住んでいて、これが夫と娘であること。(ここで、夫、娘、春夫が頭を下げあう。
ああ、なんて変な感覚!
今、姉を訪ねついでに、かつて自分が住んでいたところを訪ねてみていること......。
春夫もつい最近まで東京近郊に住んでいたのだと言う。が、今度こちらにUターンして
戻ってきて、たまたま今日は休みで、今そこらまで買い物に行った帰りなのだ、という。
なんという偶然!あと、ほんの僅かでもお互いがここまで来る時間がずれていたら!
私が旅の計画を立てるとき、一本前の、あるいは一本後の列車を選んでいたら。
仮に同じ列車できたとしても、駅前でほんの一分、ぐずぐずするか、あるいは急ぐかしていたら。
あるいは、春夫自身が、ほんの一分、買い物に時間をかけるか、あるいは早く切り上げるか
していたら、もう、私たちは出会っていなかったはずである。
私は春夫の顔立ちをよく覚えていない。
春夫は私が来るなんて思ってもいない。
私たちが春夫の家の前に佇んでいず、もう歩き始めていて、家からかなり離れたところで春夫と
すれ違っていたとしたら、私たちはたがいに気づくことなく通り過ぎていたことだろう。
私は「春夫の家を見た!」というだけでしんみりして、うつむいて歩いていただろう。
春夫は何も知らずに家の中に入ってドアを閉める.............。
春夫と私たちはその後、親交を深めたか? いいえ。
春夫は、上がってお茶でも、と私たちを誘ってくれた。
しかし私は丁寧に断わって、春夫に暇を告げ、その場を夫と娘とともに去った。
そうして、海を見に行った。それきり。
それ以上話してはいけなかったのである。
お互いの住所を確認し合い、以後、季節のものを送り合ったりする間柄になっては
いけないのである。
私にとって春夫は。そしてあの春の、「沈丁花の家」の人々は。
春夫にとっては、全く、狐につままれた気持であったろうと思う。
あの人たちはいったい何で自分の家を訪ねてきたんだろう?
はるばる東京からやってきて、しかもまた何一つ事情も説明せずに去っていったのだろう?
これが、私の「沈丁花の家」顛末記、である。
あの、長いお互いの人生の中でほんの僅か3ヶ月、同じ敷地内に住み、
そうして35年後、ほんの一瞬すれ違った、
この私と春夫との出会いは、偶然なのだろうか?それとも運命なのだろうか?
私にもわからない。
春夫はきれいに歳をとっていた。
ちっとも嫌なところのない、清潔な感じの大人の男性になっていた。
「よかった。」娘がポツンと言った。