アクトデザイン凛太郎のブログ
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アクトデザイン凛太郎のブログ

住まいのこと、ネコのこと、身の回りのこと、今思うことを綴っていきます

ACT-1 が30才になりました

今日、3月20日で我が家は30歳になりました。
仕事柄、定期的にメンテナンスを施しているので、築後30年にしては綺麗に保たれていると思っています。
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⇑ 1995年にプロに撮ってもらった竣工写真
⇓ 今日デジカメで私が撮影した画像
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一昨年に実施した築後2度目の外装補修の際に、部分的だったカラーリングの範囲を大きく増やしたので、かなり雰囲気が変わりました。

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⇑ 竣工時にはこのアングルからプロが撮った写真はなかったので、私が撮影
⇓ 2025年3月20日に私が撮影
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築後10年頃にブルーのオーニングを設置
一昨年の改修時には外付けブラインドを設置しています。

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⇑ 1995年にプロに撮ってもらった竣工写真 ( 道路側夜景 )
⇓ 2025年3月20日に私が撮影
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これも今日撮影
左の建物は ACT-1 と同時に竣工した テラスY

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⇑ 1995年にプロに撮ってもらった竣工写真 ( リビング )
⇓ 2025年3月21日に私が撮影
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ソファーは三代目、コルビシェの椅子やライトの照明器具を置いています。

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⇑ 1995年にプロに撮ってもらった竣工写真 ( ダイニング )
⇓ 2025年3月21日に私が撮影
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猫を飼いだしたので、キャットウォークを設置
ダイニングテーブルは、新築時から同じものを使っていますが、そろそろ天板を塗り替える二度目の時期が来ているようです。

今後家を建て替えるつもりはないので、メンテナンスを欠かさず、大切にして一生暮らして行きたいと思ってます。

  1. 2025/03/20(木) 15:59:00|
  2. 建築
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新年のご挨拶

明けましておめでとうございます。
今年も建築設計の仕事と共に、古い建物を中心に建物探訪も続けていきたいと思っています。
今年もよろしくお願い致します。
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  1. 2025/01/02(木) 12:01:00|
  2. ライフ
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上野散策 - 5 東京文化会館

今回は前を通り過ぎるだけでしたが、去年は内部 ( と言ってもホールだけですが ) を見学して来ました。
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東京文化会館
「永遠の都ローマ展」を見学した後、東京文化会館 の屋外カフェテラスで一休みすることに
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2014年に改修工事を行っているので、打ち放しの外壁も綺麗です。

設計者 / 前川國男
建築年 / 1961年 ( 昭和36年 )
所在地 / 東京都台東区上野公園5-45
1961年 日本建築学会賞、第3回BCS賞 受賞
DOCOMOMO JAPAN 選定

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軒天や柱も綺麗です。

館内に入ってみましょう
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エントランスロビー
ちょっと古臭さは否めませんが、決して決して悪い印象ではありません。
改めて何時までも上野公園の顔で在り続けてほしいと願います。
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2階ガラス張りの部屋はレストラン・ビュッフェ
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レストラン・ビュッフェに上る赤い絨毯を敷詰めた螺旋階段は、その階段自体がオブジェの様です

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3階の赤い壁の部分は小ホール通路

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国立西洋美術館 の外壁に似た石張りの壁は、大ホール


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国立西洋美術館 
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合板の型板を用いた建物とは違い、杉の型枠に打ち込まれたコンクリートには、杉の木目が写し出されて、無機質になりがちなコンクリートに、温かみのある肌合いを感じさせます。
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床は少し地味な印象です。


  1. 2024/12/20(金) 10:05:00|
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上野散策 - 4 東京都美術館

忙しさに感けて、一ヶ月振りの更新になってしまいました。
すっかり間が抜けてしまいましたが、今年のゴーデンウィークに出掛けた 上野散策 の続きです。
上野東照宮 の見学を終え、本来の目的である知人が作品を出展している 東京都美術館 へ向かいます。
東京都美術館 には、毎年1回か2回は出掛ける機会があり、毎回写真を撮っているので、今年の写真だけでなく、最近の写真もあわせての紹介です。

知人が出展している大きな吹抜けスペース
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美大卒業の知人が キリコ をオマージュして創作したと言う作品

ここからは去年 ( 2023年 ) の11月に「永遠のローマ展」を見に行った時の写真になります。
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ローマ帝国 が大好きな私には、たまらない展示です。
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私としては ローマ帝国 を代表する皇帝は、決して コンスタンティヌス ではありえないと思っているで、アウグストゥス か 五賢帝 のトライアヌスハドリアヌス もしくは皇帝でありませんが カエサル のポスターであって欲しかったかったですね。
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東京都美術館

設計者 / 前川國男
建築年 / 1975年 ( 昭和50年 )
所在地 / 東京都台東区上野公園8番36号

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エントランスへ向かう中庭部分の入口付近に置かれた鏡面の金属球に写ってみました。
下の写真に写ってる球体です。

外観の画像が無いので、下の写真は更に一年前 ( 2022年10月 ) のものです。
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この時もここで母の写真を撮っていました。

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美術館の食堂で昼食を摂り、何十年振りで動物園に入ってみました。
ゴールデンウィークと言う事もあってか、混んでいたのでパンダは諦め、虎もちらっと見えただけでしたが、以前とは敷地エリアが広がり、橋で道路を渡った不忍池まで歩いたのでクタクタです。
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旧忍旅館
動物園から以前に何度か訪れた看板建築の名作も見ることが出来ました。

  1. 2024/12/17(火) 18:55:00|
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上野散策 - 3 上野東照宮 -Ⅲ 金色堂 ( 社殿 )・唐門 ( 内側 )

航空写真に参拝経路を記入してみました。
航空写真-3

祈りの庭 から 透塀 へ至るエリアにも 石灯籠 が並んでいます。
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透塀
菱形 を 組み合わせた 二重菱格子 
上段には鳥などの動植物の彫刻、下段には海や川の動物の彫刻が嵌め込められています。
本殿・幣殿・拝殿 を囲む総延長は175m。
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門の向こうに 眩しく輝く 社殿 ( 金色殿 ) が見えます。
 
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金色殿 は、左から 本殿 幣殿 ( 石の間 ) 拝殿 の3室で構成されています。
日光、久能山 と共に 東照宮 の建築様式は 権現造 。
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本殿・幣殿
金箔の施された外壁は眩いばかりに輝いています。
【 本殿・幣殿・拝殿 】 共通
創建年 / 1627年 ( 寛永4年 )
造営総指揮者 / 藤堂高虎  設計者 / 南光坊天海
再建年 / 1651年 ( 慶安4年 )
屋根 / 銅瓦葺き
国指定重要文化財 ( 1911年 )

【 本殿 】 
建築様式 / 入母屋造 一重 ( 権現造 )
【 幣殿 】 
建築様式 / 両下造 一重

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残念ながら 本殿 の後ろ側には入れませんでした。

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拝殿 
拝殿 の壁は 蔀度 ( しとみど ) と言い、金色の扉に、漆の格子で構成されています。

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正面には鷹、側面には鳳凰、周囲には牡丹 の彫刻が施され、

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四角には 阿吽の形の獅子 も見られます。

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【 拝殿 】
建築様式 / 入母屋造 ・千鳥破風・一重
屋根 / 唐破風付 
現在の 金色殿 は、1627年に創建された 金色殿 を、三代将軍徳川家光 の命により、日光の東照宮 に準じて建替えたものです。
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唐門 と同様に 拝殿 にも、室町後期から江戸時代に掛けでの特徴である、煌びやかな装飾が施された 唐破風 がみられます。
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唐門 内側
外側同様に内側にも様々な彫刻が施されています。
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唐門 の扉を内側から見る

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記念撮影も忘れずに

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上野東照宮 ( 旧寛永寺 ) 五重塔
表参道 の北側に隣接していますが、東照宮 の境内からは直接アプローチ出来ず、上野動物園 の敷地からのアプローチになります。
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【 上野東照宮 ( 旧寛永寺 ) 五重塔 】
創建年 / 1631年 ( 寛永8年 )
造営者 / 甲良宗広
再建年 / 1639年 ( 寛永16年 )
屋根 / 銅板葺き、瓦葺 ( 5層 )
国指定重要文化財 ( 1911年 )

1631年 ( 寛永8年 ) に、老中 土井利勝 の寄進により建てられました。
1639年 ( 寛永16年 ) に過失により焼失し、再建されています。

屋根の大きさが、1~5層までほぼ均一です
有名な京都・奈良の五重塔が上階になるにつれて小さくなってまずが、均一に造られているのは建築技術の向上によるもので、新しい時代の建築を示す特徴の一つです。
以前に紹介した 日光東照宮五重塔 は、最上階のみを垂木を放射状に配した 隅扇垂木-唐様 とは異なり、全層を垂木を平行に組む 平行垂木 - 和様 が用いられています。

※ この記事の説明文は「神田明神・御朱印」等を参考にさせて頂きました。
  1. 2024/11/12(火) 16:33:00|
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上野散策 - 2 上野東照宮 -Ⅱ 神符授与所、精心所

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唐門 を正面に見ながら左へ進み、神符授与所 で入場券を購入します。

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神符授与所
御守・御朱印・御札授与 の為の建物。
濃い茶色で塗装し、小屋裏の木組みを表した 和モダン 的デザイン
二重菱格子 の透塀の結界性を踏襲しているそうです。

設計者 / 中村拓志 & NPA建築設計事務所
建築年 / 2022年
所在地 / 東京都台東区上野恩賜公園内

神符授与所 を出ると、直ぐに 社殿 には向かうのではなく、大楠 と呼ばれる楠の巨木を中心に配した 祈りの庭 をぐるりと回る 奥参道 を通る導線になっています。
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黒い石張りの塀沿いに 奥参道 を進むと、うねる屋根を冠した 静心所 に至ります。
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静心所
大楠 越しに 社殿 を眺める瞑想空間
思わず靴を脱いで板の間に座りってしまいました。
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シェル構造 の 屋根架構 に用いられる木材は、永く防火樹として 社殿 を守って来た銀杏を、倒木の恐れがある為に、仕方なく伐採したものを使用しています。
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都会の喧騒や慌ただしい日常を忘れさせてくれるような、心安らぐ空間です。
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大楠
創建前からこの地を見守り続ける幹の太さが8m以上り、樹齢600年以上の上野の祖木と言われている 御神木 です。
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  1. 2024/10/31(木) 12:35:00|
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上野散策 - 1 上野東照宮 -Ⅰ 唐門 ( 外側 ) 他

上野へは、東京都美術館 を中心に、年に一度程度のペースで出掛けています。
今年もゴールデンウィークに、定年後に芸術家としての活動を始めた知り合いから、その 東京都美術館 で開催される展示会に出展しているとの連絡があり、展示会の見学ついでに以前から気になっていた 上野東照宮 を観に行って来ました。
JR上野駅公園口 を出て、ゴールデンウイークと言う事もあり、混雑している 西洋美術館東京文化会館 の間の通路を西へ進めば、動物園入口の正面です。
竹の台広場 を過ぎたところで、動物園方向へは向かわず左へ45°折れて 小松宮彰仁新王銅像 の後ろ隠れる通路に入ると、いきなり人の流れは無くなります。
地図
上野東照宮 が、それ程知られていないのは、明治以降の政府の意向なのか?
上野公園 の動線計画において、わざと目立たない位置に配置しているのかも知れません。
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水舎門
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表参道 の左右に並ぶ 石灯籠
金色殿 が建てられた1651年 ( 慶安4年 ) に諸大名より奉納されたもので、200基以上あるそうです。
表参道 の左 ( 南 ) 側には 牡丹園 が在りますが、今回は見学しませんでした。
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神楽殿
1874年 ( 明治7年 ) に 深川木場組合 に奉納された建物です。

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水舎

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銅燈籠
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日光東照宮 でも、多くの立派な 石灯籠銅燈籠 がみられましたが、上野でも燈籠は重要な要素の様です。

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唐門 越しに金色堂 ( 社殿 ) が見えます。
唐門 の 正式名称は 唐破風造り四脚門
以外にも 唐破風 は日本特有の技法だそうです。
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上野東照宮
1627年に 徳川秀忠 の命により創建され
1651年に 徳川家光 の命により再建されました。
創建時の造営総指揮者は 藤堂高虎、設計は 南光坊天海が行なったと言われています
創建時の 上野東照宮 は、もっと質素な造りだったようですが、三代将軍家光 により
日光東照宮 に行けない江戸の人々が参拝出来る場所を整備する事」
日光東照宮 に準じた豪華絢爛な社殿にする事」
を目指して1651年に建替えられたそうです。
何度か修理は行われていますが、現在のの姿は、家光のイメージした姿をほぼそのまま留めていると言われています。
最近では、2009年から2013年に掛けて 唐門、社殿 など大規模な修復工事が行われているので、今なら眩いばかりに輝く 社殿 を見ることが出来ます。
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【 唐門 】
創建年 / 1627年 ( 寛永4年 )
再建年 / 1651年 ( 慶安4年 )
建築様式 / 一重・向唐門
国指定重要文化財 ( 1911年 )

正式名称は 唐破風造・四脚門 と言い大きさは 桁行、梁間 共に一間。

日光東照宮唐門 よりも、輪王寺唐門 に、より似ている様に感じます。
〈 日光東照宮 唐門 〉
〈 日光輪王寺 唐門 〉

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門扉 の両側に施された「昇り龍」「降り龍」は、日光東照宮 の作者と伝えられる 左甚五郎 によるもので、内側にも施されているので合計4枚です。

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錦鶏鳥・銀鶏鳥 の透彫り
室町時代の技術の集大成として、高評価を受けているそうです。

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  1. 2024/10/20(日) 10:49:00|
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江の島散策 - 3 岩屋、コッキング苑、シーキャンドル

眼下に太平洋を眺め、ビールと江の島名物を楽しみながら、もうしばらく至極の時間を過ごしたいところですが、人気のテラス席が空くのを待つ人が増えて来たので、重い腰を上げて早々に 岩屋 を目指して出発することに

急な階段を下って海岸へ降りると 岩棚が広がっています。
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稚児ヶ淵
1923年の関東地震の影響で1mほど隆起してうまれた 波食台 の前にある深い淵です。
赤い手摺の歩道は 岩屋橋

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稚児ヶ淵 の先端

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岸壁の上に見えるテラスの在る建物が、昼食を摂った食堂かな?

第一岩屋第二岩屋 が在ります。
岩屋

先ずは 第一岩屋
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洞窟に入り、暫く進むと蝋燭を渡されます。
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第一岩屋 は奥行き152m
真っ暗なうえに、蝋燭で手が塞がっていたので、この先の写真はあのません。
最奥部は 江島神社発祥の場所 と伝えられています。

第一岩屋 から 第二岩屋 に向かう途中
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岩の隙間から海を眺めるビュースポットが在ります。

この後は 第二岩屋 まで暫く外の通路を歩きます。
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地殻変動で隆起した岩棚が、波に浸食されて出来た風景を間近で見ることが出来ます。
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亀石 
亀の様に見える石。浸食より出来たものではなく、中村亀太郎氏 の作と伝えられているようです。

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第二岩屋 は奥行き56m
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洞窟の中には、派手なイルミネーションが施されていました。
特に最深部の仕掛けには吃驚。
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厳粛な雰囲気を創造していた人には少し興醒めの感もありますが、若者向きのアトラクションみたいでした。

来た道を引き返して サムエル・コッキング苑 へ向かいます。
稚児ヶ淵 からの帰り道は、行き道の下りとは反対に、急な上り階段なので途中で何度も立ち止まりながらになりました。
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サムエル・コッキング苑 も見所満載なのですが、足が後が棒のようになっていたので、寄り道せずに シーキャンドル 
シーキャンドル の高さは59.8m。江の島で最も高い海抜101.5mの場所に建っているので、周辺景色を見渡せます。
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設計者 / 清水建設
建築年 / 2003年 ( 平成15年 )
所在地 / 神奈川県藤沢市江の島2-3 サムエル・コッキング苑
階段も在りましたが、勿論エレベーターで展望室へ
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4月と思えない暑いほどの一日でしたが、晴天では無かったので、眺めは残念ながらご覧の通り
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富士山烏帽子岩 も霞んで見えます。

早速、屋上の 展望デッキ に出てみましょう。
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江の島弁天橋 方向を見る

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江ノ島ヨットハーバー 方向を見る
遠くに 鎌倉三浦半島 が見えます。

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屋上からでも 富士山 は良く見えないですね
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拡大してもこの程度
展望台で30分以上も過ごしてしまいました。

サンセットテラス の下にも、海を臨める広々とした ウッドデッキ の広場が在り、そこでも
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ビールを片手に サンセットテラス のソファーに座って一休み
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サンセットテラス で、ゆっくり脚を休めたので コッキング苑 を散策します。
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花やオブジェを楽しみながら苑を後にし、エスカーは利用せずに歩いて下ります。
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小腹が空いていたので 江の島 を出る前に 仲見世通り で 江の島のB級グルメ を楽しんでから帰路につきました。
大満足の一日でした。
  1. 2024/10/10(木) 16:00:00|
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江の島散策 - 2 江島神社 奥津宮、中村屋羊羹店

サムエル・コッキング苑 を通り過ぎ、左右に飲食店や土産物店の在る道と階段を上がったり下りたりしながら進むと、岩肌向かい合う風景が見えて来ます。
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山二つ
江の島 を上空から見た時に、ヒョウタンのくびれの様に見える部分がこの辺り。
航空写真
海岸浸食によって岩肌が崩落したことにより、山二つ のようなくびれの部分が出来たそうです。
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この辺りは、この地形により強風が吹き抜けるところで、その強風を楽しむかのように、トンビが飛び回っていました。

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中村屋羊羹店              中村屋本店
設計者 / 不詳
建築年 / 1921年頃 ( 大正10年頃 )
所在地 / 神奈川県藤沢市江の島2-5-25 
              
出し下駄造り の店舗が通りの左右に軒を連ねています。
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中村屋本店

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中村屋本店  +  シーキャンドル
私などには、新旧の建築の対比が面白いですね。
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江島神社 奥津宮 の石の鳥居が見えて来ました。
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江島神社 奥津宮
御祭神 は 多紀理比賣命( たぎりひめのみこと 
多紀理比賣命 は、三姉妹の神様の長女で、安らかに海を守る神様だそうです。
江戸期までは、本宮御旅所 ( おたびしょ ) と言われ、4月~10月の台風の季節はには、岩屋 の御本尊を 奥津宮 に移し、御本尊の流失を避けていたそうです。
奥津宮 の向かって左隣には
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龍宮 ( わだつみのみや )
岩屋本宮 の真上に当たる場所に在る御宮
1993年 ( 平成5年 ) に建てられました。

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境内で見付けた栗鼠
岩屋 に向かって更に進んだ所で、事前に調べていた 海の見えるテラス席の在る店 に到着しました。
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まだお腹は空いていませんでしたが、最終目的地の 岩屋 を見た後では、昼食時になってしまうので、まだ空席の在るうちに昼食を摂ることにしました。
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サザエのつぼ焼きをツマミに、太平洋を眺めながら飲むビールは最高でした。
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ツレは 江の島丼

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私は 生しらす丼 を頂きました。

海を眺めながら、最高の一時を過ごせました。

  1. 2024/10/09(水) 00:00:00|
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江の島散策 - 1 小田急線片瀬江の島駅、弁天仲見世通り、江島神社 ( 辺津宮・中津宮 ) 他

去年の後半は仕事があまりにも忙しく、体調を壊した事もあって、春と初夏に出掛けた「日光・中禅寺湖・桐生」「黒部・松本」の記録を纒られずにいましたが、やっと前回のブログをもって、去年の分をアップをすることが出来ました。
今回は今年4月に訪れた 江の島 を紹介します。
我が家からは、環状8号線第3京浜 を利用すれば、夜なら車で 江の島 まで2時間掛からずに行けたので、湘南 は、学生時代にはちょうどいいドライブコースでした。
夏の海水浴にも一番近い海なので、湘南 は馴染みのある場所なのですが、江の島 は車窓や砂浜から眺るだけで、まだ渡ったことは無く「ブラタモリ」で紹介されているのを観て、是非行ってみたくなったのです。

「ブラタモリ」でも紹介していた、海を一望できる食堂のテラス席でビールを飲んでみたかったので、今回は電車を乗り継いで 江の島 へ向かいました。

電車を利用しても、片瀬江ノ島駅 まで90分程度です。
平日だったのでガラガラとまでは行かないまでも、半分程度は座ることが出来ました。
改札口に向かうと
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小田急線 片瀬江ノ島駅 の改札口近くの壁に、クラゲの水槽が設置されています。
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新江の島水族館 の水槽 なのですが、あまりの綺麗さに、暫く見入ってしまいました。

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小田急線片瀬江の島駅
竜宮城 の様なデザインの駅舎
設計者 / 不詳
建築年 / 1929年 ( 昭和4年 )
所在地 / 神奈川県藤沢市片瀬江の島2-2-7
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橋を渡る前に 観光センター で ⇓⇓ のパンフレットをもらい
江の島地図
江の島弁天橋 へ向かいます。
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江の島弁天橋 の袂から 江の島 を見る
江の島シンボルタワー シーキャンドル が見えます。

江ノ島上陸
江の島 に上陸すると直ぐに、魚介類の土産や磯焼きの軽食を提供する店舗が在り、その先に 青銅の鳥居 が見えて来ます。
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青銅の鳥居
1821年 ( 文政4年 ) に再建されたものです。
ここからは、弁天仲見世通り
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10時前のまだ早い時間だったので、開店している店は少ないですが、

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平日にも関わらず、帰り ( 夕方 ) には原宿並の混み合いです。
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弁天仲見世通り の中程の細い路地を右に曲がると
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富士見浜
穴場として YouTube かテレビ で紹介していので寄ってみました。
弁天仲見世通り に戻り、2~3分歩くと
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今度は 江島神社の朱色の鳥居 が見えて来ます。

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瑞心門
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竜宮城 のように見えた 片瀬江ノ島駅 は、この 瑞心門 に似せたデザインだったんですね。
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江島神社 と言うのは、島内に在る 辺津宮、中津宮、奥宮 の三つの宮の総称で、それぞれの祭神は、天照大神 須佐之男命 が誓約をした時に、海の守護神として生まれた三姉妹の女神様 だとか。
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江島神社 辺津宮 ( へつみや ) 
御祭神 は 田寸津比賣命( たぎつひめのみこと )
1206年 (  建永元年 ) に 良真 が荘厳な社殿に遷宮しました。
現在の社殿は 1976年 ( 昭和51年 ) に改修されたものです。
向かって左隣には
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奉安殿 ( ほうあんでん )
裸弁財店 ( 妙音弁財天 )・八臂 ( はっぴ ) 弁財天
江島の弁財天 は「安芸の宮島」「近江の竹生島」と並ぶ、日本三大弁財天だそうです。
2015年 ( 平成27年 ) に改修されています。

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更に左に進むと
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八坂神社
御祭神は 建速須佐之男命 ( たけはやすさのおのみこと ) 
2001年 ( 平成13年 ) に改修されています。

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辺津宮 銅の鳥居
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中津宮広場 辺りの池に、リアルな亀のオブジェが と思ったら、本物の亀だったのでビックリです。
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何故にこんな反りかえった状態で居るのでしょうか?

展望台広場ウッドデッキ から、東の海を眺める
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白い屋根の建物は 江ノ島ヨットハーバー
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ヨットも沢山停船しています。 何とも優雅ですね。
江ノ島ヨットハーバー は1964年の 東京オリンピック の際にヨット競技の会場として建てられた建物を建て替えたもので、2021年に開催されたオリンピックの際も利用されました。
設計者 / ヘルム+オンデザインパートナーズ
建築年 / 2014年
所在地 / 神奈川県藤沢市江の島1-12-2
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江島神社 中津宮 ( なかつみや ) 
御祭神 は 市寸島比賣命( いちきしまひめのみこと )
中津宮 は、853年 ( 仁寿3年 ) のに創建し、1689年 ( 元禄2年 ) に再建されます。
現在の社殿は 1996年 ( 平成8年 ) に改修されたものです。

更に階段を登ると サムエル・コッキング苑 前の広場に出ます。
広場の一角にある売店で、名物の 丸焼き たこせんべい を購入しました。
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丸ごとのタコをプレスして焼いた江の島名物
トンビが頭上を飛び回っているので、取られないように気お付けながら食べました。

  1. 2024/10/08(火) 15:50:00|
  2. 未分類
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松本散策 - 番外編

松本散策 の最終回は、番外編として 散策中に街中の彼方此方で見掛けた 水飲み場 蛙のオブジェ を紹介します。

先ずは 水飲み場 から
松本市 は周囲の 日本アルプス の山々から生まれる 清らかな地下水に恵まれた城下町 として知られているようです。
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西堀公園井戸
大手2丁目の 西堀公園 に在ります。

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辰巳の庭公園の水飲み場
大手4丁目の 辰巳の庭公園 に在ります。
ここは、旧松本藩辰巳御殿」の一部で 西郷宇右衛門 の屋敷跡だそうです。

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東門の井戸
大手4丁目の 上土通り の一画、松本市下町会館 前の広場に在ります。
 
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熊の蛇口
東門の井戸 から西へ4~50m 程度進んだT字路に在ります。
以前は恐らく熊の口から、水が出ていたのではないでしょうか?

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松本神社前井戸
松本城 の北側に在る 松本神社 の一画に在ります。

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大名町大手門井戸
大名町通り 沿いに建つ 松本市立博物館 前の広場に在ります。

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なわて若がえりの水
観光客の行き交う 縄手通り に在る 四柱神社の大鳥居 の前に在るので、何人もの人水を飲んだり汲んだりしていました。
後ろに 女鳥羽川 が流れています。

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中町蔵の井戸
中町通り 沿いに建つ 中町・蔵シック館 前の広場に在ります。

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日の出の井戸
中央4丁目、イオンモール 近くのT字路に在ります。

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深志の湧水
JR松本駅前東口ロータリー の一画に在ります。

改めて検索して ⇓⇓ の地図を見付けました。
湧水1
湧水2
他にも沢山の 水飲み場 があったようです。
何か所かで水を飲んでみました。前日に黒部で氷を溶かした直後の様な水を飲んでいたので、それ程の冷たさは感じませんでしたが、通常の水道の水よりは冷たかったと思います。


ここからは 松本散策 中に出会った 蛙のオブジェ 
例外も在りましたが 蛙 が多かったです。
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山屋御飴所の蛙
大手2丁目の 山屋御飴所 の屋根に 沖縄の シーサー の様な感じで乗っていました。
かなりリアルな 蛙 です。

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山崎医院の蛙
これもリアルな蛙です。
熊の蛇口 と同じ、東門の井戸 から西へ4~50m 程度進んだT字路に在ります。

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ガマ侍
縄手通り の西端、千歳橋交差点前の広場 に在ります。
説明看板には
「カエルの町ナワテ通りに、東京芸術大学より、平成17年に寄贈されました。」と記されています。
何故 縄手通りカエルの町 なのか検索してみると
その昔、女鳥羽川には清流にしか生息しない カジカガエル がいっぱいいました。
残念ながら現在はその姿が見れませんが、その復活と街おこしをかけて、なわて通りは カエルの街 としています。
通りの中程には カエル大明神 を奉り、パワースポットとして多くの参拝があります。」
と記されています。
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ガマ侍 の後ろの柳の下にも蛙が二匹

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縄手通り の中間辺りに置かれていた 蛙の車止め?
縄手通り の東端にも カエル象 が在るようですが、気が付きませんでした。

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辰巳の庭公園の蝸牛のオブジェ
蛙 と 蝸牛 の共通して思い付くのは、梅雨 雨 なので?
水繋がりと解釈すれば、前半の 水飲み場 とも繋がって来ます。 

旅の想い出に 松本散策 前に作った地図に改めて加筆してみました。
拡大地図-4

おまけ
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最後は 松本駅駅ビル に有った 松本城 との記念写真で 松本散策 は終了します。


  1. 2024/10/06(日) 15:57:00|
  2. 街角で・・・
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松本散策 - 23 旧松本高等学校 ( あがたの森 文化会館 )

今回は、あがたの森公園レトロな建物 を紹介します。
中町通り からそのまま 市道2542号線 を真直ぐ東へ進むと、通りの左右を空中廊下で繋いだ イオンモール の巨大なショッピングセンターが見えて来ます。
右折 ( 南に曲がる ) して イオンモール の中を通り抜け、イオンシネマ松本未来書店松本店 を右手に見ながら やまびこ通り を南に進み、工事中の あがたの森通り に出れば、遠くに あがたの森 が見えて来ます。
公園着くと直ぐに、左に ( 北側 ) に、旧松本高等学校 講堂右に ( 南側 ) は、旧松本高等学校 本館 が在ります。
残念ながら 旧松本高等学校 本館 は工事中。
シートが掛かっていたので、正面外観は見ることが出来ませんでした。

当然撮影出来なかったので、画像はストリートビューからお借りしました。
高校1
旧松本高等学校 本館 ( あがたの森 図書館 )

航空写真
明治期の旧制高等学校、中央にエントランスを配した左右対称の平面を持つ、権威的で荘重なデザインの校舎が大半だったらしいのですが、旧松本高等学校-本館 は、非対称のコの字型の平面で、エントランスは隅入りです。
高校3
エントランス上部の 腰折れ屋根 や、エントランスの左右に配された 三角破風 などの可愛らしい特徴的なデザインです

設計者 /文部省大臣官房建築家
建築年 / 1920年( 大正9年 )
所在地 / 長野県松本市県3-1-1
重要文化財 ( 2007年指定 )

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中庭側のデザインは単調です。
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下見板張り の外壁には、規則正しく配された縦長窓の縦枠部の化粧材を1~2階通すことで縦方向を強調し、窓台の位置には横方向に化粧材を 真壁風 に施して、単調な立面にアクセントを付けています。
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旧制松本高等学校 1919年 ( 大正8年 ) に、旧制松本中学校東校舎 を仮校舎として開校しました。
翌 1920年( 大正9年 ) に、現在の地に 本館 が完成し、講堂 は1922年( 大正11年 )の竣工です。
旧松本高等学校 の校舎のデザインは、西洋建築様式 を簡略化して応用した 洋風木造建築 多く高等学校が建てられた大正前期の代表例であり、多くの公共建築にも用いられました。
戦後、旧制松本高等学校 は 信州大学 となり、1973年 ( 昭和48年 )まで使用されます。
1977年 ( 昭和52年 ) に松本市が校舎を購入し、公民館・図書館・博物館 ( 旧制松本高等学校記念館 ) を含んだ「あがたの森文化会館」として保存・活用されています。


エントランス以外はシンプルなデザインだった 本館 と比べると、講堂 はやや複雑な平面の建物で、見る位置によって全く異なる印象を受けます。
あがたの森
旧松本高等学校 講堂 ( あがたの森 文化会館 講堂 )
先ず目に付くのは、本館 側の通路に面して、左右に二ヶ所設けられたエントランス。

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北東角のエントランス
半円形のポーチ屋根 を300角程度の太い 化粧柱 が支えています。

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北面西側のエントランス
こちらは 寄棟のポーチ屋根、2本一対の 複合柱 で支えられています。
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設計者 /文部省大臣官房建築家
建築年 / 1922年( 大正11年 )
所在地 / 長野県松本市県3-1-1
重要文化財 ( 2007年指定 )

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下見板張り の外壁と、縦長窓の縦枠部の化粧材を1~2階通すデザインは 本館 と同様ですが、本館 には見られる横方向の化粧材は見られません。
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この妻部のデザインは、この年の4月に訪れた
群馬大学工学部同窓記念会館 ( 旧桐生高等染織学校本館・講堂 )
にかなり似ています。
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屋根の彼方此方に設けられた 換気ドーマー や、西側の棟の最長部に設置された 換気小塔 もこの建物を特徴付けています。
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  1. 2024/10/04(金) 15:29:00|
  2. 建物探訪
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松本散策 - 22 中町通りのレトロな建物 - Ⅲ 街並み

今回は 中町通りの街並み を紹介します。
"中町 蔵シック館 のパンフレット" には
「江戸時代より繁栄した松本城下町は、善光寺街道とそこから分岐する野麦、千国の両街道に沿って形づくられました。中町はその骨格となる善光寺街道の街として本町、東町とともに「親街三町」の一つに数えられ、大店が軒を連ねていました。
中町は明治21年の大火によって町屋の大半を焼失しましたが、その教訓から耐火性の高い土壁造りの建物が相次いで建てられました。その結果、白黒の「なまこ壁」が独特の雰囲気を醸し出す街が生まれ、商家や町屋が密集して人通りの多い中町通りを形成していきました。今なお残る往時の景観を「蔵のあるまち」として活用し、民芸や工芸の店が軒を連ねる新しい街づくりが進められています。」
と記されています。
蔵造りの街並み は、江戸時代からのものではなく、明治21年の後からのものの様です。

いつもは見学した順に建物を紹介していますが、今回は画像数の多かった ミドリ薬局蔵シック館 を先行して紹介してしまったので、順を追って紹介するのが難しいので、↓に貼った地図を見ながら、東から西に向かって紹介したいと思います。

中町通りレトロ通り地図-2

中町通り1
中町通り の西端、市道2024号線 とのT字路辺りから 中町通り を見る。
( ストリートビューから )

珈琲まるも ② 旅館まるも ③ ミドリ薬局 ④ 蔵シック館 は、既に紹介済みなので、⑤ の 壱の蔵 から紹介します。
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① 壱の蔵
黒い外壁に、腰部の 海鼠壁 の白が眩しいです。
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屋根は寄棟。蔵造りには切妻屋根の方がしっくりくるのは私だけか?
設計者 / 不詳
建築年 / 1907年 ( 明治40年 )
所在地 / 長野県松本市中央2-4-13
松本市近代遺産 ( 平成29年登録 )

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⑦ 広島お好み焼き 宮澤 ( 旧食い飲み屋BUN )
⑥伊原漆器店 

広島お好み焼き 宮澤 ( 旧食い飲み屋BUN )
設計者 / 不詳
建築年 / 明治期
所在地 / 長野県松本市中央2-10-15
松本市近代遺産 ( 平成29年登録 )

井原漆器店
⑥伊原漆器店
⑦ 広島お好み焼き 宮澤

伊原漆器店
設計者 / 不詳
建築年 / 1907年以前 ( 明治40年 )
所在地 / 長野県松本市中央2-10-16
松本市近代遺産 ( 平成28年登録 )
 
蔵シック館 より西のエリアの街並みは、蔵造り風 にデザインした新しい建物が多く、目に留まった建物は数棟でした。どれも 白漆喰塗 の外壁ではなく、黒い壁の建物です。
ここからは 蔵シック館 より西のエリアになり、白漆喰塗り の割合が増えるのです。
この辺りは通りの北側に レトロな建物 が続きます。
最初に紹介する サムサラ は黒い外壁です。


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⑧ サムサラ
設計者 / 不詳
建築年 / 1907年以前 ( 明治40年 )
所在地 / 長野県松本市中央3-3-18
松本市近代遺産 ( 平成29年登録 )

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⑨ NAKAMACH CAFE
お洒落なカフェがあったので一休みすることに。
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内部を見ると古い蔵造りの建物とは思えませんでしたが、雰囲気の良い空間です。
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この辺りからは 白漆喰の建物 の割合が増えて行きます。
白漆喰塗り の外壁や、腰部の 海鼠壁 があまりに綺麗なので、新しい建物なのか、改修した古い建物なのか、良く分からない建物も在ります。
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⑩ 蔵みーる・中町

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⑩ 蔵みーる・中町
  百足屋
⑧ サムサラ
NAKAMACH CAFE 蔵みーる の向かって左隣りに在りますが、道路からセットバックして建っているので見えません。

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⑪ 樋口美術
最初に紹介した 珈琲まるも 旅館まるも の在る 一ツ橋小路中町通り の角に建つ建物。
この建物は一目で古い建物だと分かります。
私好みのデザインです。
設計者 / 不詳
建築年 / 1888年以降 ( 明治21年以降 )
所在地 / 長野県松本市中央3-3-14
松本市近代遺産 ( 平成29年登録 )

一ツ橋小路 より東側も 白い街並みは続きます。
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⑬ トキシラズ
⑫ 松本市はかり資料館 
⑪ 樋口美術

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⑫ 松本市はかり資料館 
⑬ トキシラズ 
⑮ 木のおもちゃの店ぴあの

松本市はかり資料館
設計者 / 不詳
建築年 / 1888年以 ( 明治21年 )
所在地 / 長野県松本市中央3-4-21
松本市近代遺産 ( 令和4年登録 )

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⑫ 松本市はかり資料館          ⑬ トキシラズ

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⑭ 竹風堂
⑬ トキシラズ
⑫ 松本市はかり資料館

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 トキシラズ は2階の外壁の一部だけが黒です。
設計者 / 不詳
建築年 / 1892年 ( 明治25年 )
所在地 / 長野県松本市中央3-4-20
松本市近代遺産 ( 平成29年指定 )

  
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⑮ 木のおもちゃの店ぴあの  coto coto 
⑯ ちきりや工芸店 
⑰ のまど

この辺りから、通りの南側にも レトロな建物 が現れます。
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㉔ 布屋旅館
㉓ 凸凹堂
㉒ 鍋屋商店
㉑ 箸クラフト雑貨 
布屋旅館 は古い建物の様にも 鉄筋コンクリート造 の比較的新しい建物の様にも見えます。
松本市近代遺産 のリストにものっていなかったので「やはり新しい建物か」と思いましたが、念の為検索してみると、布屋旅館 の再オープンを紹介す 松本経済新聞 の記事を見付けました。
昭和初期から行商人らに「商人宿(あきんどやど)」として親しまれてきた同旅館。建物正面から約37メートルの奥行きがある町屋造りで、1938(昭和13)年に建てられた木造3階建ての本館と2階建ての離れ、大正時代の蔵が立つ。これまで客室として利用されていた本館と、使われていなかった離れ、合わせて12部屋を6部屋にリノベーション。1部屋を広くしてシャワーとトイレを新たに設け、畳を直し、ベッドスペースの床をフローリングにした。オーナーの塩見透さんは「古い部分を生かしながら、快適に泊まれる空間に仕上げた」と話す。」
と記されていました。戦前の建物だったようです。
設計者 / 不詳
建築年 / 1938年 ( 昭和13年 )
所在地 / 長野県松本市中央3-5-7

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㉒ 鍋屋商店        ㉓ 凸凹堂
トキシラズ の斜向かいに建つ 凸凹堂 も黒い外壁。
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㉒ 鍋屋商店 
㉓ 凸凹堂

鍋屋商店 
設計者 / 不詳
建築年 / 不詳
所在地 / 長野県松本市中央3
松本市近代遺産 ( 平成29年登録 )

凸凹堂
設計者 / 不詳
建築年 / 1888年以降 ( 明治21年以降 )
所在地 / 長野県松本市中央3-5-8
松本市近代遺産 ( 平成29年登録 )

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㉒ 鍋屋商店
㉑ 箸クラフト雑貨
⑳ salon as salon
⑲ 陶片木

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㉑ 箸クラフト雑貨
⑳ salon as salon
⑲ 陶片木

再び通りの北側
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⑮ 木のおもちゃの店ぴあの coto coto 
⑯ ちきりや工芸店 
⑰ のまど

coto coto
設計者 / 不詳
建築年 / 1907年 ( 明治40年 )
所在地 / 長野県松本市中央3-4-19
松本市近代遺産 ( 平成28年登録 )

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⑯ ちきりや工芸店 
⑰ のまど 
⑱ クアトロ・ガッツ  城-GUSUKU

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⑯ ちきりや工芸店              ⑰ のまど

ちきりや工芸店
設計者 / 不詳
建築年 / 大正期
所在地 / 長野県松本市中央3-4-18
松本市近代遺産 ( 平成28年登録 )

⑰ のまど
設計者 / 不詳
建築年 / 1907年 ( 明治40年 )
所在地 / 長野県松本市中央3-4-18
松本市近代遺産 ( 平成28年登録 )

中町通り の東端の 大橋通り との交差点辺りから、中町通り の北側の街並みを見る。
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⑮ 木のおもちゃの店ぴあの coto coto 
⑯ ちきりや工芸店 
⑰ のまど
    中町遠条 ( サドルブランケット )
⑱ クアトロ・ガッツ  城-GUSUKU

中町遠条 ( サドルブランケット )
設計者 / 不詳
建築年 / 1959年 ( 昭和34年 )
所在地 / 長野県松本市中央3-4-17
松本市近代遺産 ( 平成28年登録 )

中町通り の東端の 大橋通り との交差点辺りから、中町通り の南側の街並みを見る。
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⑲ 陶片木
⑳ salon as salon
㉑ 箸クラフト雑貨
㉒ 鍋屋商店
㉓ デコボコ堂松本
㉔ 布屋旅館 
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中町通り2
中町通り の東端の 大橋通り との交差点辺りから 中町通り を見る。
( ストリートビューから )

  1. 2024/10/02(水) 11:20:00|
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松本散策 - 21 中町通りのレトロな建物 - Ⅱ 蔵シック館 ( 松本市中町蔵の会館 )

今回も 白漆喰の蔵造りの店舗 が建ち並ぶ 中町通り の中で、前回紹介した  ミドリ薬局 と共に、異彩を放っている建物を紹介します。
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④ 蔵シック館 母屋

土蔵
④ 蔵シック館 土蔵

土蔵-2
 ミドリ薬局 以外はノーチェックだったので、土蔵母屋 + 土蔵 の写真を撮り忘れてしまったので、上の2枚は ストリートビューから拝借しています。

中町通り の中心辺りの開けた角地に、一際目を引く灰色の 漆喰壁 と 和瓦葺きの切妻屋根、腰廻りには 海鼠壁 を施した一目で 造り酒屋 と分かる 杉玉 を吊るした、大きな建物が在ります。
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杉玉 ( すぎだま ) 又は 酒林 ( さかばやし ) と呼ばれるこの球体は、その名の通り杉の葉で作られていて、元は酒の神様に感謝を捧げる為のもので、今では酒屋のシンボルとして知られています。
また新酒が出来た時の合図の役割もあって、毎年新酒が出来ると、新しく造った青々しい 杉玉 を吊るして合図としたそうです。

重々しい外観から、閉鎖的な内部空間を創造していましたが、室内に一歩足を踏み入れると吃驚
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土間から板の間を見る。
この辺りが酒店としての接客の空間だったと思います。
漆喰壁 の 白色 と太い 柱・梁 の 濃茶色 のコントラストが良い感じです。
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外観から判断して、2階建て筈ですが、もっと高く見えます。
現在の建物なら、筋交いを用いて 耐震性 を確保するのですが、当時は 貫 に筋交いの役割を持たせていました。
( 貫 : 束や柱を貫く、板状の横架材 )
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凄い迫力です。

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漆喰壁の作り方 が分かる展示

蔵シック館1階-1  蔵シック館2階-2
1階平面図           2階平面図

座敷 を見学する前に2階に上ってみましょう。
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店舗部分の 土間 と 板の間 を見下げる。

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展示室2 の前から、先ほど見上げた土間上部の吹抜けを見ることが出来ます。
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交差する 小屋束 と 貫 が交差する空間に、天窓から光が差し込むさまは、
森に差し込む陽射しの様です。

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展示室2 から、吹抜け方向を見る。
柱の少ない大空間の1階とは異なり、2階は一間毎に柱が建てられています。
柱と言うよりも、まるで束の様な建て方なので、この建物の構造は平屋なのかもしれません。
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展示室2
この部屋は、2階と言うより 小屋裏部屋 なのかもしれません。

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展示室2 から 8段程下って 展示室1 へ
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この 展示室1 は中2階の様なレベルに在る部屋なので、吹抜け側の窓から豪快な梁組を真横から見ることが出来ます。
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丸太をそのまま使用した、梁の迫力が凄い。
松本城 に使われている梁と比べても、遜色ないのではないでしょうか?
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正式名称は 松本市中町蔵の会館 
"中町 蔵シック館 のパンフレット" には
「中町 に隣接する町にあった造り酒屋の 母屋・土蔵・離れ の3棟を移築し平成8年に開館しました。
母屋・土蔵 は明治21年に建てられと言われ、離れ は大正12年に増築されました。
その当時松本の城下町は、豊富な湧き水活かした酒産業が盛んでした。
母屋の間取りは間口から見ると左より土間・板の間・座敷の三つに分けられます。
移築に当たり一部の間取りや材料等を変えて、貸し館として文化と憩いの場となり、現代に甦りました。土間の上部の吹抜けの豪快な梁組や座敷などは昔のままに復元されています。
移築再生された建物は、公募によって 中町クラシック館 と愛称がつけられ、松本城下町の観光スポット 中町 のシンボルとなっています。」
と記されています。
注) 中町 に隣接する町とは 宮本村。造り酒屋は 大禮 ( たいれい ) です。

④ 母屋・土蔵
設計者 / 不詳
建築年 / 1888年 ( 明治21年 )  移築年 / 1996年 ( 平成8年 )
所在地 / 長野県松本市中央2-9-15

では 座敷 部分を見てみましょう。
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和室1 ( 8畳 ) 
掃出し窓から、建物前の広場が見えます。

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和室1 ( 8畳 ) から 和室 1 ( 10畳 ) ⇒ 和室 2 (12畳 ) ⇒ ( 5畳 ) を見通す。
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和室 1 ( 10畳 ) から中庭を見る。

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和室 2 (12畳 )
派手さはありませんが、落ち着きを感じる質実な和室が続きます。
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和室 2 ( 12畳 ) から ( 5畳 ) + 縁側 越しに 中庭 を見る。
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和室 2 ( 5畳 ) から 縁側 越しに 中庭 を見る。
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和室2 ( 5畳 ) から 和室 2 ( 12畳 ) ⇒ 和室 1 (10畳 ) ⇒ ( 8畳 ) を見返す。

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離れ に繋がる 渡り廊下 から 母屋 を見る。
        

2号館 は 「母屋」、3号館 は「離れ 」です。

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三間続きの 離れ を見通す。
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④ 離れ
設計者 / 不詳
建築年 / 1923年 ( 大正12年 )  移築年 / 1996年 ( 平成8年 )
所在地 / 長野県松本市中央2-9-15



  1. 2024/09/27(金) 16:33:00|
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松本散策 - 20 中町通りのレトロな建物 - Ⅰ ミドリ薬局

中町通り は前回紹介した 縄手通り女鳥羽川 を挟んで東西に平行する 白漆喰の蔵造りの店舗 が建ち並ぶ レトロな通り です。
今回は 蔵造りの建物 の中で異彩を放っている 看板建築 の名作を紹介します。
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③ ミドリ薬局
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このブログは、今でこそ 海外のレトロな教会 や 松本城日光東照宮 の様な 日本建築 も紹介するようになりましたが、近代化の波に押し流されるように、次々に失われる東京下町に残る 看板建築 をメインに紹介している時期が在りました。
その当時から、ミドリ薬局 は実際に見てみたい 看板建築 の一つでした。

"信州松本蔵のある街 中町" には
「昭和二年に完成した建物の外観は、大正ロマンの雰囲気を持つおしゃれなファサードです。
長野県木曽御嶽山の百草ほか、各種医薬品・介護用品を取り揃え、健康ライフにお役に立ちたいと思います。」
と記されています。
見ての通りの現役の薬局店です。
設計者 / 不詳
建築年 / 1927年 ( 昭和2年 )
所在地 / 長野県松本市中央3-3-15
松本市近代遺産 ( 平成29年登録 )

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建物正面は全くの シンメトリー
間口三間程の店舗ですが、緑色に塗られた「ミドリ薬品」の文字、2階窓前の曲線の 肘掛け手摺、窓上にも 電文文様 風の装飾が施されています。
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最も特徴的なのは中央頂部に施された「薬」文字を中心に据えたレリーフと、角度を変えて中央部を高くしたパラペットのデザイン。
軒蛇腹 ( コルニス ) には 卵舌文様

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1階店舗の鴨居部には 電文文様 が施されています。
 
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子供の頃に見たような、レトロなポストも良い感じです。
  1. 2024/09/26(木) 17:53:00|
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松本散策 - 19 縄手通り 一ツ橋小路


松本城旧開智学校旧司祭館 の見学を終え、松本城公園 の北西側の 蓮池 近くの蕎麦店で昼食をとり、一休みしてから 中町通り に在る 看板建築 の名作 ミドリ薬局 へ向かいます。

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大名町通り千歳橋 方向へ南へ進み、千歳橋 の直前を東へ左折して、玩具・骨董・駄菓子などの レトロな雰囲気の店が建ち並ぶ  縄手通り へ入ります。
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縄手通り に入ると直ぐに、蛙のオブジェが出迎えてくれます。
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四柱神社
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大鳥居の手前では 若返りの水 を飲むことが出来ます。

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ここにも蛙の像が在ります。
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縄手通り の名の由来は「松本城南総堀女羽川 に挟まれた"縄の様に細長い土手"」だからだそうです。
四柱神社 の参道として発達し、女鳥羽川 沿いに 千歳橋 から 上土通り一つ橋 までの300m弱の 城下の風景を再現したような レトロ感ある商店街です。

一つ橋 で 女鳥羽川 渡ると
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① 珈琲まるも
川沿いに 白漆喰塗りの蔵造りの建物 も気になりますが、左奥に見える3階建ての建物も気になります。
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一つ橋 から 中町通り までの50m足らずのこの路地は 一ツ橋小路 と言うようです。
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② まるも旅館
気になる建物は旅館だったようです。
グーグルマップで旅館の内部が見てられます。
"信州松本 蔵のある街 中町" には
「まるも は慶応4年 ( 1868年 ) 現在の当主の祖父によって創業されました。
現在の建物は明治21年 ( 1887年 ) の松本の大火直後に建築それ、昭和31年 ( 1956年 ) 喫茶店を始め、旅館と共に営業してまいりました。松本らしさを今に残しております。」
と記され
ています。
設計施工者 / 立石清重
建築年 / 1887年 ( 明治21年 )
所在地 / 長野県松本市中央3-3-10
松本市近代遺産 ( 平成29年登録 )

「 珈琲まるも も、まるも旅館 の一部です。
昭和31年(1956年)松本民芸家具の 創立者 池田三四郎先生が設計、 柳宗悦先生が開店時ご覧になり、お賞め頂きました。以来50数年そのまま営業させて頂いてまいりました。」

と記されています。

設計者 / 池田三四郎

建築年 / 1956年 ( 昭和31年 )

所在地 / 長野県松本市中央3-3-10

松本市近代遺産 ( 平成29年登録 )


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次回は 中町通りレトロな街並み を紹介します。

  1. 2024/09/24(火) 14:22:00|
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松本散策 - 18 旧司祭館

青い 下見板張りの外壁 が特徴的な 旧司祭館 は、旧開智学校 の西隣りに在ります。
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旧司祭館 南東側外観
反時計回りに、ほぼ正方形の平面を持つ建物の周りを撮影
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北東側外観

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北側外観
北側には1・2階共にバルコニーが設けられ、ガラス張りのサンルームの様な造りです。
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北西側外観
和瓦葺の方形屋根 の上には、3本の 煉瓦造り の煙突が見えます。
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東側外観
バルコニーのある北側以外の窓は、全て 観音開き鎧戸付き縦長窓
西側の1階のみに凸部が在ります。

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南側の玄関上部には、三角破風 が施され、植物らしき可愛らしい模様が描かれています。
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玄関ポーチ庇は、中央に半円の立上りのあるペディメントが設けられています。

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旧司祭館 は、1889年 ( 明治22年 ) に、松本カトリック教会 のフランス人 神父クレマン により、建築された 西洋館 で、アーリーアメリカン ( コロニアル ) 風の建築様式 を伝え、各部屋には暖炉を配し、1・2階ともベランダを備え、外壁に 下見板張り を施すなど、随所に 西洋館 の特徴を表しています。
竣工時は松本市丸の内九番三十二号に建築されました。
松本城 周辺の都市計画街路拡幅事業の際には、取壊しが検討されましたが、貴重な文化財として保存を決意し、1989年 ( 平成元年 ) に 松本市 に寄贈され、1991年 ( 平成3年 ) に、現在の場所に 復元移築されました。

設計者 / クレマン神父
建築年 / 1889年 ( 明治22年 )
移築年 / 1991年 ( 平成3年 )
所在地 / 長野県松本市開智2-4-12
松本県宝に指定 ( 2005年 )
1階
玄関を入り、建物の中心のホールの周りに事務室、応接室、食堂、炊事室 の個室と、階段室と浴室が配されています。
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1階北東角部屋 - 旧食堂
左には室内バルコニー、右の濃い茶色のカウンター状の突起は暖炉です。

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暖炉を正面から見る

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北東角部屋前から1階室内バルコニーを見る。

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旧炊事場
室内バルコニーの在る北側は3室並んでおり、この部屋は真ん中の部屋。
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この部屋にも縦長の小さな暖炉が在ります。

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1階北西の角部屋 - 旧風呂場
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1階階段
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2階ホールから階段を見下げる
2階
2階はホールを中心に4室
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2階南東角部屋 - 寝室 ( 平面図:ピンク )
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暖炉詳細

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2階北東角部屋 - 寝室 ( 平面図:オレンジ )
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暖炉詳細

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北東角部屋前から2階室内バルコニーを見る。

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2階ホールから室内バルコニー方向を見る。
ホールの一部 ( 平面図:水色 )

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2階北西角部屋 - 寝室 ( 平面図:紫色 )
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暖炉詳細

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北西角部屋前から2階室内バルコニーを見る。

  1. 2024/09/23(月) 12:40:00|
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松本散策 - 17 旧開智学校

蓮池を通って 松本城公園 を出て、旧開智学校 へ向かいます。
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旧開智学校 は、大学時代に建築史建築論研究室に在籍していた私にとって、擬洋風建築 を代表する建物として、日本近代建築史 の本には必ず登場する馴染みのある建物です。
残念ながら、改修工事中の為、内部の見学はおろか、外観も一部が足場やシートで覆われていています。
勿論、工事中なので敷地内にも入れません。
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止む王得ず、門扉縦格子の間から撮影した画像です。
開智学校 は、1873年 ( 明治6年 ) に、廃寺した 全久院 の建物を仮校舎として創立され、1876年 ( 明治9年 ) に地元出身の 大工棟梁 立石清重 の設計施工により、文明開化時代 の小学校を代表する建物として建てられ、1963年 ( 昭和38年 ) までの90年間、松本市立開智学校 として使用されました。
閉校すると直ぐに解体され、翌年に掛けて現在の場所に 移築・復元工事 が行われ、1964年 ( 昭和39年 ) からは 教育博物館 として公開されています。
2019年 ( 令和元年 ) には 国宝に指定 されています。
現在は 耐震工事 の為に旧館中ですが、2024年 ( 令和6年 ) 11月に再オープン予定なので、是非また訪れてみたいと思っています。

設計・施工 / 立石清重
建築年 / 1876年 ( 明治9年 ) 
移築・複復元年 / 1963年 ( 昭和38年 ) 
所在地 / 長野県松本市開智2-4-12
国宝 2019年指定

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外壁は 漆喰塗
腰部鼠漆喰 に目地を施して 石積風 に見せています。
足場で見え難いですが、出隅部も同様に 鼠漆喰 を用いて 隅石 ( コーナーストーン ) 風 としています。
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この建物の外観の特徴は、シンメトリーな外観の中心部分に集中しています。
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上から、八角形の塔屋 と付属する 廻縁 
その直ぐ下の 桃山御殿風の唐破風 を冠した2階バルコニー周りは、ユニークな装飾で溢れています。
1階の玄関扉の装飾や、欄間部に飾られた龍の彫刻も見事です。
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遠目でも最も目を引くのは、何んと言っても、松本城 の天守からも見えていた、 廻縁 付きの 八角形の塔屋 でしょう。
松本の第二のシンボルと言っても差し支えないでしょう。
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塔屋 の首の部分も、上記した 石積風 に目地を施した 鼠漆喰塗 仕上。
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玄関ポーチの上部のバルコニーに冠した 桃山御殿風の唐破風 の前面には、何ともユニークで、ちょっと不気味な天使?が、開智学校 の看板を支えるレリーフが来校者を出迎えています。
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バルコニーの 腰壁 に施されているのは、雲のレリーフでしょうか?
玄関ポーチ の2本の柱は、西洋風のオーダー柱 で造られています。
西洋風の柱に 日本の木造建築 に用いられる  内法貫 を通した上に、更に 東洋風 にも 和風 とも見える 龍の彫刻 が乗っています。
まさに 和洋折衷建築 の見本の様なデザインです。
旧開智学校 に代表される 擬洋風建築 とは、私なり簡単に説明すると
明治維新前後の大工棟梁達により、当時の彼らが駆使出来た建築技術を用いて、西洋 ( ヨーロッパ ) の建築様式 ( デザイン ) を、彼らなりの解釈により、具現化した建築。」です。
この建物を設計するにあたり 立石清重 は、東京、横浜、山梨へ視察に出掛け、開成学校、日川学校、琢美学校 を見学した際スケッチが残っているそうです。
擬洋風建築 と検索すれば最初に出て来るのは 旧開智学校 です。
つまり 立石清重 が参考にした建物を超えて 旧開智学校 擬洋風建築 の代表として 日本建築史 上に刻まれたのです。
立石清重 の優れたデザインと施工の良さが証明されているのではないでしょうか?

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ユニークでちょっと不気味な天使のレリーフ。
羽が無ければ、私には天使に見えません。

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ユニークな天使とは一転。
日本古来の神社仏閣に在るような、リアルな龍の彫刻は、建物に出入りする者を見極めているのかの様です。

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改修工事のパンフレットから
耐震改修-2
耐震改修-3耐震改修-4
     耐震改修-1
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次回は 旧開智学校 に隣接する 旧司祭館 を紹介します。
  1. 2024/09/16(月) 15:00:00|
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松本散策 - 16 松本城 - Ⅵ 外観 ⓶

内部の見学を終え、売店に寄ってお土産を物色。小さな写真集を購入し、黒門 を通って 内堀 越しの 松本城 を撮影します。
配置図
観覧券売所の在る 黒門枡形 二の門 ( 高麗門 ) を出て内堀を渡り、時計回りに前日夜に夜景を撮影したのと同じ道を辿ります。
松本城 は、天守以外の櫓は見る角度によって見え隠れするので、それぞれに味わいが違って見えます。写真が多くなり、少々しつこく成りますが、微妙な違いを楽しみました。
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南東から見る。
左から 大天守・辰巳附櫓 
樹木に隠れて 月見櫓 は見えません。
この角度からだと、乾小天守 渡櫓大天守 に隠れて全く見えないので、天守 だけの城に見えます。

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南南東から見る。
月見櫓 が見えて来ました。
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南から見る。
大天守・辰巳附櫓・月見櫓

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南南西から見る。
左端に僅かに 乾小天守 が見えて来ました。
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乾小天守・渡櫓・大天守・辰巳附櫓・月見櫓
松本城天守群 は、大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓 の五棟で形成される、連結複合式の天守群 です。
写真を撮るなら、五棟全てが見渡せるこの辺りからが、ベストアングルだと思います。
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南西から見る。
この辺りが 内堀 の幅が最も広くなります。
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西から見る。
乾小天守・渡櫓・大天守
この角度からだと 辰巳附櫓月見櫓 は見えなくなりまずが、もう少し北に進むと 埋橋 の朱色の 欄干 越しに撮影出来るようになります。

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西北西から見る。
乾小天守・渡櫓・大天守
埋橋
埋橋 の朱色の 欄干 越しに見る 松本城 には、また違った味わいを感じます。
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  1. 2024/09/12(木) 10:56:00|
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松本散策 - 15 松本城- Ⅴ 内部⓶

今回は、3階、4階、5階、6階と月見櫓 を紹介します。

    断面 
    全体断面図

先ずは 3階から
大天守 の3階は、下から二重目の庇が周囲に巡らされているので窓が無く、外部からは階として認識されず、実際には天守は六層であるにも拘わらず、五層の天守に見える 秘密の階 です。
窓が無く薄暗い3階は「隠し階」「暗闇重」などと呼ばれています。
敵からは分からないこの階は、戦の際には最も安全な場所であり、武士の集まるところでした。
暗かったので写真は撮れませんでした。

3・4・5階断面
3・4・5階断面図

3階-1
3階平面図


4階へ
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4階は 御座の間 と呼ばれ天井が高く、明るく綺麗な印象の階です。
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松本城 の "パンフレット" には
「書院造り風 のこの部屋は、いざと言う時には、城主が居るところ ( 御座所 ) になりました。
天井が高く、四方から光が入ります。柱は全て檜で、カンナが掛けられ、鴨居の上には小壁もあり、丁寧な造りになっています。」と記されています。 

1・2階断面

4階
4階平面図

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5階
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唐破風の間
天守5階は戦の際に、重臣たちが集まり、作戦会議を行う場所と考えられています。
東西に 千鳥破風、南北には 唐破風 が在り、武者窓 から四方を見渡すことが出来るので、戦の作戦を立てるにはもってこいの場所でしょう。
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千鳥破風の間

5階
5階平面図

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5階は4階よりも更に天井が高く、4.54mもあるそうです。
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6階へ
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最上階は流石に混雑していました。

6階断面
6階断面図

6階
6階平面図

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小屋組 は 井桁梁 でがっちりと組まれています。
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小屋組 の中央上部には 二十六夜神 が祀られています。
松本城 の守り神で、元和3年 ( 1617年 ) 戸田氏 によって祀られました。

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最上階の柱なので、下階の柱と比べると細いです。
とは言え20cm位はありそうです。
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東側眺め
天守の最上階 ( 6階 ) は、四方の様子を遠方まで見ることが出来る 望楼 ( ぼうろう ) として使われていました。
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北側眺め 乾小天守 の屋根が見えています。
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開智学校 の屋根が見えます。
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西北西側眺め
朱色の橋は 埋橋 です。

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南側眺め

2階まで下り、辰巳附櫓 を通って 月見楼 へ向かいます。
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辰巳附櫓 2階北側の 武者窓 から大天守 を見る。


月見楼 へ
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月見楼 はその名の通り、月見をする為の櫓 で、三方の 舞良戸 を外すと戦国の世には有り得ない、娯楽の為の開放的なスペースです。
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但し、小屋組 は少々武骨な構造です。
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  1. 2024/09/11(水) 18:18:00|
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松本散策 - 14 松本城 - Ⅳ 内部①

今回は、松本城 の内部を紹介します。
入口
天守  乾小天守 を繋ぐ、渡櫓 の地階 ( 石垣 ) レベルが入口です。

1階へ
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売店で貰った "パンプレット" によると、
天守1階は【 沢山の柱 】と紹介され
「建材はツガ、檜、松等が使われています。この階は、食料や武器・弾薬の倉庫であったと考えられています。」と記されています。
天守の建材は 栂 を主体として 松・檜・欅 などの大木をふんだんに用い、複雑な木組みによる造形美を創出しています。

    断面
    全体断面図

30mを超える 天守閣 の重量を支える為に、二段重ね ( 二層 ) を一単位とし、それを三段重ねた 櫓構造 が考案採用されています。
それぞれの階は一間 ( 1.818m ) 間隔に柱が建てられているので、広さ 東西9間 × 南北8間 の1~2階は、89本の柱で支えられて、内2本は二層分の 通し柱 とされています。
1階-1
1階平面図
( 西から4列目の真ん中の一本柱が抜けいてるので89本。)
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現在の建築では、木材の仕上げは カンナ仕上げ が殆どですが、柱の表面に見られる 手斧削り ( ちょうなけずり ) による、鱗のような仕上がりは、決して意図したものではない筈ですが、歴史と共に力強さ、豪華さを感じずにはいられません。
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1階には 狭間 や 石落 の他には殆ど階部が無いので、室内はかなり暗いです。
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前回紹介した 石落し は、下に庇がある2階以上には設置出来ないので、1階にノミ設置されていますが、狭間 は上階にも見られます。
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鯱瓦 ( しゃちがわら )
この鯱瓦は 大天守 に取付せれていたもので、 は火災の際に水を吐くと言う想像上の魚だとか?
鯨や海豚の仲間のシャチとは違うようです。
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蕪懸魚 ( かぶらげぎょ )
大天守破風 に取り付けられていた火災除けで、昭和の修理の際に取り換えられたもの。


2階へ
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殆ど窓の無かった1階と比べると、2階は窓が多くて明るいのでホッとします。

1・2階断面
1・2階断面図

2階-1
2階平面図

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部屋が明るいので、上階 ( 3階 ) の床組みが見易くて嬉しいです。
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舟形肘木 ( ふながたひじき )
梁の繋ぎ部分を、下から舟形をした材をあてがって支えています。

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周囲一間分は、3階以上がセットバックしているので、上部が屋根となります。この部分には天井は張らず 垂木表し となっています。
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縦格子窓 or 武者窓
上でも記しましたが2階の特徴は、窓が多く明るい事です。
武者窓 と呼ばれる縦格子の窓が 東・西・南 の三方に多く開けられているからです。
平面は四部屋に分けられていて、武者溜 ( むしゃだまり ) だったと考えられています。
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この窓からも、弓矢 や 鉄砲 を放つことを想定していたと考えられます。
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鉄砲狭間
2階の 狭間 。
矢狭間
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見上げ
北側の小さな窓から 乾小天守 を見る。
見下げ
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大天守 2階には、火縄銃 を主体とした、松本城鉄砲蔵 の展示があります。
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長くなりすぎるので、3階、4階、5階、6階、月見櫓 は、次回紹介致します。

  1. 2024/09/11(水) 15:45:00|
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松本散策 - 13 松本城 - Ⅲ 外観 ①

黒門 を潜り、売店横のコインロッカーに手荷物を入れて、身軽になって 天守 に向かいます。
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松本城天守群 は、大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓 の五棟で形成される、連結複合式の天守群 です。
この 天守群 は、戦前の1936年 ( 昭和11年 ) に 国宝保存法 により 国宝に指定 され、1952年 ( 昭和27年 ) には、戦後に制定された 文化財保護法 により、改めて 天守五棟国宝に指定 されました。
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同じ様な写真が何枚もありますが、撮影距離や微妙な角度の違いで見え方が変わってくるので撮った写真の殆どをアップしています。
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月見櫓+辰巳附櫓 天守 渡櫓 乾小天守
江戸時代には、緑の絨毯の部分に 本丸御殿 が建っていたので、この位置からは 天守 の全景は見ることは出来なかった筈です。
前回の記事で「白と黒のコントラストが美しい」と記しましたが、この位置から見ることが出来るシルエットも美しいです。
白の部分は 白漆喰塗
黒い部分は 漆喰塗 の上に 下見板張り した板材を 黒漆塗 としたものです。
この白黒の壁は見た目の美しさのを演出する為ではなく、分厚い 漆喰壁 は耐火の為。
漆喰壁 下見板張り としている理由は、屋根や庇から流れ落ちる雨水から、漆喰壁 を保護する為のものです。漆喰壁 は永年雨にさらされると劣化して崩壊する可能性があるからです。
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月見櫓+辰巳附櫓 天守

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月見櫓+辰巳附櫓

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月見櫓
名前の通り、月見をする為の櫓で、三方の 舞良戸 を外すと戦国の城では考えられない、開放的な場となります。
月見櫓+辰巳附櫓 は戦のなくなった時代に増築された、天下太平の時代の象徴と言えるでしょう。

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月見櫓+辰巳附櫓 天守

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辰巳附櫓 天守
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軒裏を見上げる
軒裏は最も外部からの 延焼被害を受け易い部分 です。
外部からの延焼を避ける為、社寺建築 の様に、剥き出しの垂木や出し桁などの木材は一切なく、木部には全て防火の為に 漆喰 が塗られています。

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天守

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天守 乾小天守
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天守 渡櫓 乾小天守
渡櫓 によって 天守 乾小天守 は繋がれており、天守 への入口でもあります。

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乾小天守
乾小天守 は現在未公開。
丸太柱 が多く使われており、3・4階の12本の 丸太柱 も、400年以上昔の竣工時代のものです。
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軒裏を見上げる

天守 乾小天守 の1階出隅部のに見られる下部が石垣より末広がりに外に広がった部分を 石落 と言います。
黒く塗られた 下見板張りの外壁 に明けられた矩形の穴は 狭間 と言います。
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天守石落狭間
縦長の穴は 矢狭間 正方形の穴は 鉄砲狭間

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乾小天守石落 見上げ
城の中から見ると
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天守 1階の 石落 と 狭間
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石落 はその名の通り、石垣を登って城を攻めて来る敵兵に対し、石を落として撃退いる為の仕掛けです。
石だけでなく熱湯や根油、時には排泄物迄落とすことがあると聞いたことがあります。

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鉄砲狭間

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矢狭間
狭間 は、外からの銃弾や矢を防ぎつつ、内側からは狙いの範囲を広げる為に、外側は狭く、内側は広がる台形です。
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月見櫓 平和の象徴 なら、石落狭間 は、戦国時代の名残 と言えるでしょう。

松本城 の始まりは、1504年 ( 永正元年 ) 島立右近 が築いた 深志城 だと言われています。
戦国の世となり、1550年 ( 天分19年 ) に 武田信玄 に奪われますが、織田軍 に攻められ 1582年 ( 天正10年 ) に 武田軍 は退去を余儀なくされます。
本能寺の変 の期に乗じて 小笠原貞慶 が入場して 松本城 と改名しました。
豊臣秀吉 が天下を収めると、1590年 ( 天正18年 ) に 小笠原家 を下総へ移し、石川数 が入城します。
1593年 ( 文禄2年 )に 石川康長 により、天守築造 に着手し、1594年頃に完成しました。
石川康長 により、天守三棟 ( 天守、乾小天守、渡櫓 ) をはじめ、御殿、太鼓門、黒門、櫓、塀 などを造り、本丸、二の丸、三の丸 のだけでなく、城下町の整備が進められました。
その後、城主は次々と変遷します。
1613年 ( 慶長18年 )  石川康長 ⇒ 小笠原秀政
1617年 ( 元和3年 )   小笠原忠真 ⇒ 戸田康長
1633年 ( 寛永10年 )  戸田康長 ⇒ 松平直政
1634年 ( 寛永10年 )  松平直政 により 月見櫓辰巳附櫓 が建てられました。
1638~1642年   堀田家 
1642~1725年   水野家
1726~1869年   戸田家
明治維新以降は
1869年 ( 明治2年 )  戸田光則 が版籍を奉還して 松本藩知事 となる。
1871年 ( 明治4年 )  廃藩置県により、松本藩  松本県 ⇒ 筑摩県
           門、櫓、塀 の解体が始まる。
1872年 ( 明治5年 )  天守櫓 等が、払い下げられるが買い戻される。
1876年 ( 明治9年 )  筑摩県庁舎 ( 旧二の丸御殿 ) 焼失。
1901年 ( 明治34年 )  天守閣保存会 が設立される。
1903~1913年   改修工事
1936年 ( 昭和11年 )  天守 他4棟が国宝に指定される。
1950~1955年   天守閣国宝保存工事が行われる
1960年 ( 昭和35年 ) 黒門枡形一の門 復興される。
1979~1985年   二の丸御殿跡 の発掘調査と史跡整備が行われる。
1990年 ( 平成2年 )  黒門枡形二の門袖塀 復元される。
1999年 ( 平成11年 ) 太鼓門桝形 復元工事落成する。  

築城者 / 石川康長
建築年 / 1594年 ( 文禄3年 )
所在地 / 長野県松本市丸の内4-1
国宝 ( 1936年指定 / 国宝保存法 、1952年指定 / 文化財保護法 )


  1. 2024/08/28(水) 15:42:00|
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松本散策 - 12 松本城 - Ⅱ 太鼓門、黒門

さあ、いよいよ昨日夜に続き 松本城 を見学します。
配置図
前日夜は正面 ( 北側 ) から 松本城公園 に入りましたが、今回は 医院通り に近い西側の 太鼓門 から園内に入ります。
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太鼓門 桝形 二の門 ( 高麗門 ) 
二の門 と、その奥の 桝形 は平成11年に復元されたものです。
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二の門 の前当たりから 外堀 を見る

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太鼓門 桝形 二の門 ( 高麗門 ) 

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緩やかな曲線を描く石垣に載る、白漆喰 の白色と 下見板張り の黒色のコントラストが美しい。

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桝形門 とは、城の入口を守る為の仕掛けの一つで、石垣・土塀を四角に囲み、内と外に門を二重に構えたもので、松本城 には、大手門、太鼓門、黒門 の三ヵ所の 枡形門 が在りました。

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太鼓門桝形 から 二の門 ( 高麗門 ) を見る

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二の門 横の 控塀 には、△や□形の 狭間 と呼ばれる 鉄砲穴 があけられています。

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太鼓門 桝形 一の門 ( 櫓門 )  桝形 から の門 を見る。
太鼓門 は1595年 ( 文禄4年 ) 頃に 石川康長 によって築造されました。
当時は倉庫として使用されていました。
明治維新後の1871年 ( 明治4年 ) に取り壊されましたが、第二次大戦後 の 文化財保護 の風潮の高まりにより、松本城国宝保存工事黒門復興、石垣の復元等を経て、1999年 ( 平成11年 ) に復元されています。
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玄蕃石
松本城 最大の、約22.5トンの 玢岩 ( ひんがん ) で、松本の東 ( 岡田 or 山辺 ) から産出され、松本城 を築城させ、この巨石を運搬させた 石川玄蕃康長 の名にちなんで 玄蕃石 と呼ばれています。

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柱には樹齢400年の檜、梁には樹齢140年の赤松が使用されています。
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太鼓門 から公園に入り、内堀 沿いに左 ( 時計回り ) に進んで、券売所の在る 黒門 へ向かいます。
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黒門 桝形 二の門 ( 高麗門 )   内堀 越しに 二の門 を見る
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黒門桝形 から 二の門 ( 高麗門 ) を見る
ここに券売所が在ります。

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黒門枡形 の 控塀 は、狭間 は□形です。
枡形二の門、控壁 は、平成元年に復元されたものです。

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黒門 一の門 の石垣

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黒門 一の門 
門を入るとかつては 本丸御殿 が在り、最重要の最も格調高い正式な門と言う意味で、当時は最高の色調だった黒の名を冠して 黒門 と呼ばれたと考えられています。
黒門復興 は1960年 ( 昭和35年 ) に行われています。
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次回は 松本城天守 を紹介します。

  1. 2024/08/27(火) 15:36:00|
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松本散策 - 11 医院通り の レトロな建物

医院通りと言う名は、正式なものではなく、恐らく新旧各種の医院が開業している事から名付けられた俗称だと思います。
松本地区タクシー協議会集金組合 の建つ十字路を過ぎ、右手に数棟の鉄筋コンクリート造の近代的な病院を通り過ぎた後、最初の レトロな医院 が見えて来ました。
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上條医院
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出隅部に施された オーダー付柱、2階外壁に並んだ アーチ型ペディメント の有る 縦長窓 等、寄棟の和瓦屋根 が平屋部の様な陸屋根であれば、もっとしっくり来る気がします。

設計者 / 不詳
建築年 / 1924年 ( 大正13年 ) 
        ( 大正3年 と記されている情報も有り )
所在地 / 長野県松本市城東1-6-13
松本市近代遺産 ( 平成28年登録 )

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今も現役の産婦人科医院 として利用されています。


左手に 松本城総堀跡 を見ながら、更に100m程北に進むと
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宮島耳鼻咽喉科医院
一地方の個人経営の医院建築とは思えない様な、濃度の濃いデザインの建物が見えて来ました。
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設計者 / 神戸務
建築年 / 1923年 ( 大正12年 )
        ( 大正3年 と記されている情報も有り )
所在地 / 長野県松本市城東2-1-4
松本市近代遺産 ( 平成28年登録 )

いつも拝見している "レトロな建物を訪ねて" によると
神戸務という産婦人科医が自家設計したこだわりの洋館で、地元の大工棟梁、佐野貞次郎が施工しました。」と記されています。いつものことながらレアな情報です。

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一地方の個人経営による 医院建築 とは思えない様な、濃度の濃いデザインの建物。
道路側両角に施された八角形部と、帽子の様な赤い屋根が一番の見所でしょう。
和瓦葺 の屋根に載る、やはり八角形の塔屋の立面は末広がりで小さく細い塔屋ながら、安定感があります。
物見塔 の様に見えますが、実質的な機能は無く、松本を代表する 開智学校山辺学校 のデザインを敬意を込めて模したのではないかと想像します?
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白い 下見板張り の外壁。
色々な形状の アーチ窓ペディメント
窓台レベルに施された横ボーダーや 出し桁 を支える 腕木
瓦屋根や赤い八角形屋根の頂部の飾り。
等々見所満載過ぎる建物です。
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宮島耳鼻咽喉科医院 の隣にも、全く異なるデザインながら、同時代の レトロな医院 が並んでいます。
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青木カフェ ( 旧青木医院 )

設計者 / 須田設計事務所
建築年 / 1934年 ( 昭和9年 )
        ( 昭和5年 と記されている情報も有り )
所在地 / 長野県松本市城東2-1-5
松本市近代遺産 ( 平成28年登録 )

青木医院 は平成23年に閉院し 現在は 青木カフェ として生まれ変わっています。
"新まつもと物語" によると
3代にわたり地域医療を支えた青木医院は10年ほど前に閉院しましたが、2021年10月にカフェとして再び開業し地域の人々の憩いの場となっています。青木医 は1934年ごろに建てられ外壁の曲線や美しいタイルなど昭和のモダンな雰囲気を感じさせます。」と記されています。

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戦前 ( 昭和初期 ) と言う時代を感じさせる武骨なデザインながら、エントランス前の出隅部にはRを付け
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スクラッチタイル貼り とするなどの遊び心が伺えるデザインです。
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玄関庇を支える 頬杖銅板製の破風 のデザインも見所です。
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スクラッチタイル 詳細

  1. 2024/08/26(月) 15:12:00|
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松本散策 - 10 大手4丁目のレトロな建物 - Ⅴ

前回に続き 上土通り と、前回紹介した 東門の井戸 の在る小さな広場に面するT字路を左折向した通り沿いの レトロな建物 を紹介します。
先ずはT字路の一画の角地の建物から
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スタンディング8オンス・おもや平出酒店・酔い亭
三店舗が出店している建物ですが、外観からでは二階が店舗か住居かは判断出来ません。
この物、 右と左での装飾の密度の差が気になります。
酔い亭-2
酔い亭 の装飾の密度は濃厚です。
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特に 化粧付け柱 頭部の装飾が凝っていますね。

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窓上には菱形のレリーフ。窓にも浅い縁取りが施されています。

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おもや平出酒店 の部分は、木の縁取りを施す為に 酔い亭 の様なレリーフは有りません。
取って付けた様なデザインなので、竣工時からのものではなく、改修工事に施されたものと思われます。
質の高い装飾を取去ってしまったのだとしたら、ちょっと勿体無い気がします。

設計者 / 不詳
建築年 / 1928年 ( 昭和3年 )
所在地 / 長野県松本市大手4-10-13

酔い亭-4
上土通り 側から見て左側面に当たる スタンディング8オンス 側の装飾は、エンタブラチュア 部分は 酔い亭 の装飾と同じですが、窓上の 菱形のレリーフ は見られるものの、窓に縁取りは無く、菱形のレリーフ より下は、全く装飾が施されていません。

この建物のの向かって左隣りにも
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想雲堂
"新まつもと物語" には
2013年に大正時代の看板建築の店舖をリフォームして開店した古本喫茶」 と記されています。
設計者 / 不詳
建築年 / 昭和初期 ?
所在地 / 長野県松本市大手4-10-15

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レトロ感漂う装飾は見られませんが、モダンレトロ な雰囲気は感じられる立面のデザイン。
更に西を見ると、和風 or 洋風 入り混じって レトロな建物 が並んでいます。
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松本どぶろく醸造所  信毎松本専売所  東門磯村  プリマ・ベーラ
この通りに建つ建物の共通点は 白漆喰? 
向かって右側2棟の 蔵造りの建物白漆喰 の壁と なまこ壁 は最近改修が行われたのでしょう。白が眩しいです。

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信濃毎日・毎日・朝日・日経新聞・市民タイムス 松本販売所
これ程の建物にも拘らず、ネット情報では設計者はおろか、建築年の情報も無見付けることが出来ませんでした。

設計者 / 不詳
建築年 / 末 or 昭和初期 ?
所在地 / 長野県松本市大手4-10-16

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白漆喰? と 濃い茶色の スクラッチタイル のコントラストが目を引きます。
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松本どぶろく醸造所  信毎松本専売所  東門磯村  プリマ・ベーラ  想雲堂

向には
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松本ホテル花月
このホテルも 漆喰 塗風の白色の外壁です。
この玄関部分が 松本市近代遺産 のリストに載っていました。
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松本ホテル花月 八十六温館玄関
設計者 / 不詳
建築年 / 明治220年頃
所在地 / 長野県松本市大手4-8-9
松本市近代遺産 ( 平成29年登録 )

東門の井戸 の在ったT字路に戻り、上土通り を一区画分北に進んだ角地には
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松本地区タクシー協議会集金組合
松本地区タクシー協議会集金組合 についての詳細は不明です。
大戦前後の築だと推測します。
手前の通りまでが大手4丁目で 松本地区タクシー協議会集金組合 が建っている場所は 丸の内7丁目 になります。
後で分かったことですが、向かって左隣に在る 割烹松本館 は、 国の 有形文化財 に指定される料亭だったようです。
また、右奥に写っている木造の建物 ( 丸の内ホール ) も、 割烹 松本館 旧館 として、松本市近代遺産 に登録されている建物でした。
割烹松本館旧館
丸の内ホール ( 割烹 松本館 旧館 )
設計者 / 不詳
建築年 / 1935年( 昭和10年 )
所在地 / 長野県松本市丸の内7
松本市近代遺産 ( 平成28年登録 )

次回は 上土通り を更に北に進んだ 医院通り とも呼ばれる 病院建物が建ち並ぶ地域の レトロな医院 を紹介します。

  1. 2024/08/19(月) 11:36:00|
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松本散策 - 9 大手4丁目辺りのレトロな建物 - Ⅳ

今回は レトロな建物 が建ち並ぶ、上土通り の建物を紹介します。
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白鳥写真館 キャッスルコンピューター松本支店 松本市下町会館 
おもや平出酒店

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白鳥写真館  南東側外観

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道路側 ( 東 ) 立面は シンメトリー 
薄い灰色の外壁に 白いタイル貼りの柱 で縁取りをし、白の縁取りの間に 縦長の上げ下げ窓 が整然と配されています。
コ―ニス の上に70cm程のパラペットが立ち上がっています。
鉄筋コンクリート造 の様に見えますが、航空写真を見ると 金属葺き片流れ屋根 の様になので、木造建築 ではないでしょうか。

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2階窓の上に施されたレリーフも見事です。

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特長的な玄関庇とその上のバルコニーもポイントになっています。

設計者 / 不詳
建築年 / 1927年 ( 昭和2年 )
        ( 大正12年と言う情報も有ります )
所在地 / 長野県松本市大手4-8-12
松本市近代遺産 ( 平成28年登録 )

"レトロな建物を訪ねて" には
明治27年創業の写真館で、写真家の白鳥真太郎氏の実家です。大正13年に建築されましたが、昭和2年(1927)に焼失したため、火災にあった部材を活用しながら創建時の外観を再建したそうです。」 と記されています。

前回紹介した 古民家再生 を得意とする かわかみ建築設計室 によって、2008年に 耐震改修 を含む リノベーション工事 が行わています。
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北東側外観

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白鳥写真館 キャッスルコンピューター松本支店 松本市下町会館
中央の キャッスルコンピューター松本支店 松本市下町会館 のデザインを踏襲しているように見えます。
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松本市下町会館
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東 ( 道路 ) 側外観
この建物も 道路側 ( 東 ) 立面は完全な シンメトリー 

設計者 / 不詳  再生設計者 / 長野県建築士事務所協会松筑支部  
建築年 / 1928年 ( 昭和3年 )   再生年 / 1995年 ( 平成7年 )
所在地 / 長野県松本市大手4-8-11

"新まつもと物語"  には

「昭和3(1928)年『青柳化粧品店』として建てられた木造3階建ての看板建築で、建築当時は南隣にあった。昭和63(1988)年頃、老朽化により解体を迫られていたが、この通りの街並みに無くてはならないものとして、ファサード部分の保存が決まった。再生工事では東側約1.8mの範囲をオリジナルの木造部分として鉄骨補強し、新築した鉄筋コンクリート造の本体に接続増築という手法がとられている。

平成7(1995)年に貸室などを備えた下町会館としてリニューアルオープンした。新築された部分は、オリジナル部分の意匠を基にデザインされている。現在は生産されていない手引きのスクラッチタイルの代わりにメーカーに特注したタイルが使われているが、オリジナルとは風合いの違いが否めない。また、洗い出し仕上げも、現代の職人では当時の技術を再現しきれず、見上げ部分の施工が出来ていないなど、材料や工法技術の変遷も感じられる建物である。ドアや窓の鉄製の格子は、鉄の厚板を切り出して作られている。

上土通りは、スクラッチタイルを基調としたハイカラ建築で街並み修景を行っており、大正ロマンの街として、松本を訪れる観光客にも親しまれている。 と記されています。

複雑な ファサード+再生保存 が行なわれた建物の様です。

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北東側外観
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レリーフを散りばめた東側立面の頭部のデザインは見事です。

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北側外観
建物北側の角地にはょっとした広場が在り、松本城-東の馬出しの跡地 です。
この辺りは、東門馬出し部から東町へ抜ける通りで、北門馬出し郭からの通りが上馬出しと呼ばれたのに対して下馬出しと呼ばれたそうです。
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東門の井戸
2007年 ( 平成19年 ) 水めぐりの井戸整備事業 で整備された井戸が在ります。

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北西側外観
北側も東側も立面のデザインは シンメトリー
目視できる三面共に、手抜きの無いデザインです。

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柱部分の スクラッチタイル

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その他の部分は 洗い出し と言うよりも、モルタル ( 粗 ) 吹き のように見えます。

  1. 2024/08/16(金) 15:48:00|
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松本散策 - 8 大手4丁目辺りのレトロな建物 - Ⅲ

数十メートル程の 山家小路 の突き当りを左折 ( 北に曲がる ) と
山家小路
正面の立面はシンメトーリーなデザインの レトロな洋館 が見えて来ます。
この道路を境に左側は 大手4丁目、今から紹介する 旧松本医院 は、5丁目になります。
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かわかみ建築設計室 ( 旧松岡医院 )
かわかみ建築設計室   耐震改修 を含め 古民家再生 を得意とする設計事務所の様です。
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正面の立面はほぼ正方形。
鉄筋コンクリート造-陸屋根 に見えますが、木造二階建て洋風医院兼住宅 。
航空写真を見ると 木造建築-寄棟屋根葺き である事が分かります。

中央の外壁を半間程凹ませて、2階部には 半円アーチ 付の 二連の縦長の上げ下げ窓、1階には2本の オーダー柱 に支えられた ペディメント の在る 玄関が在ります。
モルタル塗り石貼り調 に目地を切り、左右に設けた 二連縦長の上げ下げ窓マグサ 窓台 部分、エンタプレチュア ( パラペット ) 部分にも、質の高いレリーフが散りばめられています。
正面のシルエットや散りばめられたレリーフ等から受ける印象が「松本散策-5」で紹介した 塩井乃湯 に似ている気がします。

設計者 / 不詳
建築年 / 1924年 ( 大正13年 )
所在地 / 長野県松本市大手5-1-3
国登録有形文化財 ( 2021年 ) 松本市近代遺産 ( 平成28年登録 )

"近代建築巡礼 長野県" には
「 旧開智学校 を建てた 棟梁・立石清重 の弟子にあたる地元の 佐野貞次郎 が棟梁として仕切った」と記されています。

"文化遺産データーベース" には
松本城下に位置。木造二階建、寄棟造桟瓦葺。パラペットを立上げモルタルに目地を切り石造にみせ、縦長上下窓を並べ、幾何学装飾を付す。一階はホール・診療室の洋室と仏間等の和室を破綻なく並置する。二階は和室病室。装飾を凝らした洋風医院兼住宅。」 と記されています。
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トスカナ式オーダー柱 に支えられた ペディメント は、よく見る三角やアーチではない独特のデザインです。
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エンタプレチュア に施された 非常に質の高いレリーフ

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ペディメント のデザインは、曲線を用いた ボンネット式 の変形でしょうか?

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元は 医院建築 として建てられた建物なので、看板建築  の様に道路側 ( 西 ) 立面だけでなく、北面や南面の装飾にも、手を抜いた様子は全くありません。

来た道 ( 山家小路 ) を 善光寺街道 まで戻って北へ右折すると
商家 と 蔵 を改装したレストランが在ります。
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ヒカリヤ ヒガシ  ヒカリヤ ニシ

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ヒカリヤ ヒガシ ( 旧光屋店舗兼母屋 )
光屋の母屋をそのまま活かした日本料理店
"新まつもと物語" には
130年以上前に建てられた名門商家 光屋 の母屋をそのまま活かして日本料理店に、同じ敷地内に在る 蔵 はフレンチレストランとしている珍しいお店です。建物の中に一歩足を踏み入れると空気が変わるような感覚。」と記されています。

設計者 / 不詳
建築年 / 1887年 ( 明治20年 ) 移築 / 1932年 ( 昭和7年 ) 改修 / 2007年 ( 平成19年 )
所在地 / 長野県松本市大手4-7-14
国指定重要文化財 ( 2010年 ) 松本市近代遺産 ( 平成28年登録 )


"文化遺産データーベース" には
旧善光寺街道に東面して建つ、間口15mに及ぶ大型の町家。木造2階建。正背面に下屋を設け、奥行は18m。外壁は大壁造で、正面上屋には掛子塗両開戸を吊る窓を六ヶ所開ける。腰は海鼠壁とする。座敷構えや欄間など、意匠、材料ともに洗練されたものである。」 と記されています。

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ヒカリヤ ヒガシ  ヒカリヤ ニシ 
手前右側が ヒカリヤニシ は、光屋の蔵を改修したフレンチレストランです。


  1. 2024/08/15(木) 11:32:00|
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松本散策 - 7 大手4丁目辺りのレトロな建物 - Ⅱ

NTT東日本松本営業支店大名町ビルレストラン 鯛萬 を見ながらそのまま東に進むと、十字路の向こうの レトロな商店 が建ち並ぶ商店街が在り
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十字路の一画 ( 写真右側 ) の小さな公園で一休みします。
辰巳の庭公園-2
全体の写真を撮っていなかったので グーグル マップ より

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この場所は、旧松本藩「辰巳御殿」の一部で 西郷宇右衛門 の屋敷跡だそうです。
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石畳の小さな広場は 辰巳の庭公園 と言うようですが、このカタツムリのベンチの謂れは分かりませんでした。
そのまま東へ進んで レトロな建物 が並ぶ商店街へ入って行きます。
先ずは向かって左側の建物から
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衣料品店・ピザ・居酒屋 などが入居する商店長屋
uacol マルミ ピッツァ・ヴェルデ・松本 十兵衛 something tender 東すし
この 商店長屋は 緑町五軒長屋 として、松本市近代遺産 に登録されていました。
設計者 / 不詳
建築年 / 1926年 ( 大正15年 )
所在地 / 長野県松本市大手4-8
松本市近代遺産 ( 令和元年登録 )
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見た時は<戦前の建物なのか、戦後に建てられた物なのか分かりませんでしたが、末期とは言え大正の竣工だったとは驚きです。

ここからは向かって右側の建物です。
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ハーベスト
向の建物同様に、角地の隅切りをそのままに、敷地一杯に建てられた商店建築
現在はスナックとして使用されていますが、元は蕎麦屋か料亭だったのではないでしょうか?


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中澤印章社本店  トガシ理容店
これらの建物は、建てられたのが戦前か戦後かの情報は見付けられていません。

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マサムラ

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牛鍋 きんもくせい マサムラ

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レトロな建物 の建ち並ぶ商店街を通り抜け、上土通り も渡って更に東へ進むと、一時建物が無くなり ( 道の左右が駐車場 ) 視界が広がります。
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右手 ( 女鳥羽川側 ) の駐車場の奥には古い蔵が、
正面には黄色い看板の レトロな店舗 が見えています。
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今井常雄京染店
この場所は 善光寺街道 山家小路 の角地になります。

設計者 / 不詳
建築年 / 明治29年
所在地 / 長野県松本市大手4-5-1
松本市近代遺産 ( 平成29年登録 )

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善光寺街道 から 山家小路 へ入ったところから撮影
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今井常雄京染店 左隣には蔵も在ります。

  1. 2024/08/13(火) 12:30:00|
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松本散策 - 6 大手4丁目辺りのレトロな建物 - Ⅰ レストラン 鯛萬

NTT東日本松本営業支店大名町ビル の前を通り過ぎ東へ進むと直ぐに、蔦に覆われた洋館が見えて来ます。
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レストラン 鯛萬
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設計者 / 桜井慶雄
建築年 / 1950年 ( 昭和25年 )
所在地 / 長野県松本市大手4-2-4

妻壁面を覆う蔦は別として、外観の特徴は柱と梁の木部を表した ハーフティンバー の外壁と
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二つ並んだ ドーマーウィンドゥー でしょう
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これ程の洋館が大正期や戦前ではなく、戦後間もない昭和25年の竣工とは驚きです。
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妻側は殆ど外壁が見えない程に、緑の蔦に覆われて、かろうじて窓が在るのが分かります。
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入口も何とも控えめです。
よく見させていただいている「レトロな建物を訪ねて」によると、信州の民芸建築家である 桜井慶雄 氏が設計し、内装は松本の民芸家具を手掛ける 荻原小太郎 氏が担当しているそうです。
レトロな建物を訪ねて の情報も、H.P情報との記載がありました。)
ここで食事をしたいと思いましたが、高級フレンチレストランという事で諦めざる負えませんでした。
レストラン鯛萬-2
内部の装飾も見事なので、内部の写真は レストラン鯛萬 のH.Pとグーグルマップからの参照させて頂きました。
小さな入口が嘘のように、内部は屋根勾配を表した大空間。
外部と同様に柱・梁等の木部を表したデザインです。
レストラン鯛萬
フランスと言うよりはドイツ風なのかと思いましたが、 レストラン鯛萬 のH.Pによると フランス・アルザス風 の建物という事です。
アルザス はフランス東端のドイツに接する地域で、街にはドイツ風の建物のが建ち並んでいる地域です。
  1. 2024/08/12(月) 00:00:00|
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松本散策 - 5 大手3丁目辺りの レトロな建物

九商店街 松本市道1056線 の交差点を北に左折。
松本市立博物館 が見えたところで右折し、博物館のの裏の細い路地に入って2~3分進むと、白い外壁に洋館風の装飾が施された レトロな洋館 見えて来ます。
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塩井乃湯
創業は明治初期。この建物は大正期に建てられた現役の 銭湯建築 です。
設計者 / 不詳
建築年 /1926年 ( 大正15年 )
所在地 / 長野県松本市大手3-6-4
松本市近代遺産 ( 平成28年登録 )

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木造の外壁に、白い漆喰で装飾し 大理石貼りの洋館 に見せています。
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コ―ニス には 電文文様 や様々な装飾が施されています。
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年月を経てもなお、浮彫りの看板は鮮やかです。

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正面からでは銭湯とは思えない趣ですが、建物の横に回ると煙突が在るのが分かります。

大名町通り交差点 の近くにも、白漆喰の蔵 のある、ちょっと目を引く住宅が在りました。
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K邸 + 土蔵
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むくりを付けた玄関屋根は旅館の様です。
ただ何となくカメラに収めた建物でしたが、この記事を書くにあたって調べたところ 松本市近代遺産 に登録されている建物だと分かりました。
設計者 / 不詳
建築年 / 1888年 ( 明治21年 )
所在地 / 長野県松本市大手3丁目
松本市近代遺産 ( 平成28年登録 )

土蔵 の方も 松本市近代遺産 に登録されていて
設計者 / 不詳
建築年 / 1891年 ( 明治24年 )
所在地 / 長野県松本市大手3丁目
松本市近代遺産 ( 平成28年登録 )
と判明しました。

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まさか、明治中期の建物とは思いませんでした。
玄関周り以外の外回りは、かなり改修工事が行われていると思われます。

同じ通りには コンクリート打ち放し の外壁とレトロな雰囲気を醸し出す 施釉タイル とのコントラストが目を引く 鉄筋コンクリート3階建ての建物も
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平林耳鼻咽喉科
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レトロな雰囲気を醸し出す、外壁の 施釉タイル
昭和工期の竣工でしょうか? 

大名町通り交差点 に出て来ました。
松本市道1059号線 を北に進むと 松本城 の正面入口に至ります。
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HARMONIE BIEN ( 旧第一勧業銀行松本支店 )
通りに面して設けられる吹き抜けの大空間に設けられた 連続する縦長アーチ ( 正面-7個、両側面-3個づつ 、背面-3個 ) と 石目調の外壁 ( モルタルに石目調に目地を入れている ) が特長のこの建物は、1937年に 日本勧業銀行松本支店 として建てられ、2003年まで みずほ銀行松本支店 として使用され、一時は解体の危機もありましたが、保存を望む声が多く集まり、2008年からホテル併設のレストラン、ウエディング会場 ( アルモニービアン ) として利用されています。
内部には柱頭などに草木をモチーフとした鏝絵が施され、室名札や金庫室の扉も残されているそうです。
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設計者 / 日本勧業銀行営繕課?
建築年 / 1937年 ( 昭和12年 )
所在地 / 長野県松本市大手3-5-15
国登録有形文化財 ( 2007年 )
松本市近代遺産 ( 平成29年登録 )


検索すると設計者は 渡辺節 と記したものや 日本勧業銀行営繕課 と記されたものも有りましたが、文化遺産オンライン には設計者の記載はありません。
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アルモニービアン とは一棟建物を間に置いての並びに、小さな 松本城 がのぞいています。
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青翰堂わびさび ( 旧青正翰堂書店 )
設計者 / 不詳
建築年 / 1950年 ( 昭和25年 )
所在地 / 長野県松本市大手3-5-13
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屋根には鯱もちゃんと乗っています。
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松本城 には向かわず東に進むと、直ぐにまた レトロな建物 が見えます。
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NTT東日本松本営業支店大名町ビル ( 旧松本郵便局電話事務所 )
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設計者 / 旧逓信省建築局
建築年 / 1930年 ( 昭和5年 )
所在地 / 長野県松本市大手3-3-9
松本市近代遺産 ( 令和元年登録 )
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2・3階の白い外壁と1階外壁の スクラッチタイル のコントラスト。整然と並ぶ正方形の窓。中庭に通ずる 半円アーチ の通路が特長です。
塔屋の部分は階段室だと思われます。
スクラッチタイル
スクラッチタイル

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  1. 2024/08/11(日) 16:00:00|
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