敬愛するユリシーズへ 4
太陽を輝かせる舞台となるセルリアンブルーの空。あらゆる生命の出発点であるコバルトグリーンの海。
風に乗って姿を変えながら旅をするパールホワイトの雲。
大地に根を張り季節と共に生きるジャスパーグリーンの木々。
溢れんばかりの色彩を纏い歌う小鳥の声は軽やかで、波が喝采を送る。
どこを切り取ったとしても美しい世界が、そこにはあった。
時間の流れすら穏やかに感じるのは気のせいではないだろう。
フィレンツェからほど近い港町、ラヴェンナ。
人々の営みが根付いたのどかなこの町は、訪れる者を優しく迎え入れる。
かつてこの地はローマ帝国の西部の首都として栄えた。
アドリア海に面し、戦力的な要地であったことから古代ローマの権力者たちが集い、後には東ローマ帝国によって支配された。
数々の文化と歴史が交差した場所であり、戦火に巻き込まれ焼かれたこともある。
しかし、その痛みに屈することなく、火傷がゆっくりと癒えていくように傷痕を残しながらも静かに、そして穏やかに時を刻んできた。
その生き様とも言える姿は凛としたもので、大都市のような華々しさはないが、人を惹き付ける魅力がある。
古風な看板が揺れるカフェのテラスには地元の人々が憩い、風に乗って聞こえてくる軽快なカンツォーネの旋律が心地良い。
壮麗な聖堂の門扉は全ての人に開かれており、東ローマ帝国時代に築かれたモザイク壁画を見ることができた。
ビザンティン文化の息吹を今に伝え、数世紀に渡る歴史と人々の営みの記憶が確かに脈打っている。
ここもまた然り、とハインリヒは瞳を細めた。
その視線の先にあるのは、緩やかな丘の上に立つ邸宅。
町の中心地から少し離れており、一際静かなその場所に佇んでいるそれはかつてローマ帝国の王侯貴族が夏の離宮として建てたもので。
時代の移り変わりと共に様々な諸侯の手に渡りながらも、変わらずにそこに在る。
(何度訪れても、美しいと思うものなのだな…)
初めてこの場所を訪れたとき、まるで絵画のようだと思った。
何もかもが完璧なバランスで配置され、人間のあらゆる叡智によって造られた最高の人工物として存在している、と。
アーチの門をくぐるとそこには、古典建築の復興を目指したルネサンス期特有の左右対称で幾何学的な庭園が広がる。
そして、緻密に設計され色鮮やかな草花が一面に咲き誇るその庭の中央を貫く小径の先。
悠然と佇む邸宅の外壁は眩しいほどに白い大理石と温もりのあるテラコッタタイルで統一され、幾何学的なファサードのデザインはルネサンス建築の特徴を体現し、同時にその洗練された美しさが威厳を感じさせる。
だが、それはまだ序章に過ぎない。
重厚なバロック様式の玄関ドアに施された彫刻は力強く、劇的なもので。
細部まで金箔で飾られ、獅子の頭を模した形をした真鍮製のノッカーはもはや芸術作品だ。
息を飲むほどの美しさ、というものをこの邸宅に訪れた者たちは知るだろう。
そして、ドアを開ければ。
感嘆の溜め息すら忘れ、瞬きも惜しむ。
ヴェスティビュールとよばれる、所謂エントランス部分は吹き抜けになっており、天窓には聖書の一節を表現するステンドグラスが煌めく。
ここは屋外と屋内を繋ぐための移行スペースとして設けられた前室であり、多くの場合は訪問者が家主を待つための空間として使われたという。
邸宅の大部分が改修を重ねているが、この場所だけはほぼ手つかずで建設当時の姿に限りなく近いと知ったときは驚いたものだ。
2000年以上の時の重みは感動というよりも畏怖を抱かせ、何度足を踏み入れたとしてもそれは変わらない。
(この場所で育ちながらアルの価値観が健全なのは、両親と育ての親たちの愛情あってこそなのだろうな)
身の丈に合った分だけあればいい、と言う。
与えられるものは素直に受け取るが、それに溺れない。
堅実で、謙虚なのだ。
母親は貴族令嬢で、父親は著名な研究者で、育ての親は1人は司教で、1人は実力で医局長にまで上り詰めた医師。
さらに後見人とも言える立ち位置にいるのは貴族社会の頂点に君臨する人で、アルフレードが育ってきた環境は普通とは言い難い。
しかし、彼の生き方は足が地についている。
それは、彼の周りにいた者たちが彼にそうあることを願い、大切に育んできたからだ。
宝石の原石を磨くように丁寧に、時間をかけて、手間暇を惜しまずに、愛情を注いで。
だからこそ、彼は目の前の富や贅沢に惑わされない。
それそのものが自分を定義するものではないと知っているからだ。
金銭や物質はあくまで人生を豊かにするツールであり、それを手にすることが目的ではない、と。
故に、目の前にそれがあったとしても、すでに手の中にそれがあったとしても、彼は冷静で、恐れることも誇ることもしない。
豊かさの本質は外側にあるのではなく、自分自身の心の在り方にあると理解しているから。
遺されたもの、委ねられたもの、与えられたものに対して真摯に向き合う。
そうして、価値があるから大切にするのではなく、大切なものだから大切にしている。
歴史の重みも然り。
そのあまりにも長い時間をすべて理解することは到底できないが、その延長線上に立っていることを知っている。
先人を敬い、過去を憂い想い労い、未来を祈る。
押し潰されることなく、怯むこともなく、真正面から向き合える強さの根源はそこにあるのだろう。
(愛されるために産まれてきた命はいま…この世界を愛するために生きている)
眩しいな、と思う。
天窓から降り注ぐ陽光を惜しげもなく浴びてこちらに向かって手招いている命の色の鮮やかにハインリヒは瞳を細めた。
(綺麗だな)
アルフレードに促されるままエントランスを抜ければ、邸宅というよりは宮殿と呼ぶに相応しい内装に圧倒される。
しかし、過剰な華美さはない。
華やかではあるが、派手ではないのだ。
品が良く、落ち着いている。
光を取り込む窓が多く明るいのも、重厚さの中に居心地の良さを感じさせる要因となっているのだろう。
所有者であるアルフレードが「広いだけのもったいない部屋」と呼んでいる大広間はかつて晩餐会やダンスパーティーが開かれ、多くの権力者たちが集った。
この廊下を歩いたのは、紛れもなく歴史を作って来た者たちで。
不思議と背筋が伸びるのは、曲がりなりにも自分もまた“選ばれた者”だからなのか。
そんなことを考えていると、袖を引かれる。
「少し休んでからにする?昨日も帰りが遅かったし、疲れているでしょう?」
20年振りに父の担当編集者だったファビオと再会したことだけでも十分な驚きだったが、父親のベルナルドの遺稿を書籍化しないかと持ち掛けられたときはそれ以上の驚きがあった。
同時に、戸惑いも。
しかし、ベルナルドのファンだと公言しているハインリヒの興奮に輝く瞳を見た瞬間、戸惑いは高揚に変わっていた。
「楽しそうだ」と感じたのだ。
書籍化するにあたり、ヴィッラに遺された原稿を全て回収した上で内容の確認をしなければならない、という話になったときも迷わずに「近い内に取りに行く」と答えていた。
しかしまさか彼も同行してくれるとは、とアルフレードはハインリヒの袖を掴んだまま彼を見上げた。
人を率いる立場に選ばれる人の素質の中に行動力や決断力があるというのは本当なのだな、と薄く苦笑を口端に乗せて。
「今日だって、本当は無理をしてスケジュールを空けてくれたのでしょう?」
あの日、見本市の後は観光を楽しもうと言った彼の言葉に嘘はなく。
会場の近くにホテルを取り、翌日の夜にミュンヘンに帰るまで満喫した。
出逢ったばかりの頃に比べれば独りで抱えることが減り、グラースの言葉を借りるならば「部下の使い方を覚えた」彼のスケジュールには多少の余裕が生まれている。
と言っても過密を超えていたそれが過密になった程度で、目が回るような忙しさは決して変わっていないのだが。
それでも心に余裕が生まれたことで行動にゆとりが出てきたのは確かで。
休暇の間に積み重なった仕事を消化するために翌日から数日間は朝から晩まで執務室に閉じこもらなければならない生活も変わった。
この数日もいつもより少し早い時間に家を出ているが、ディナーの時間には帰宅できている。
しかし、自由に席を空けられる立場ではない。
それを許してくれる人が居て、支えてくれる人が居るからこそ実現しているだけで。
自分勝手に、無責任に自由を求めることはできない。
彼自身もそれは痛いほど理解しているはずで、だからこそ、果たすべき責任は果たした上でこの場に居るのだろう。
事実、昨夜はここ最近では珍しく深夜に帰って来た彼はそこから朝方まで書斎に籠っていた。
顔色は悪くないが、疲労は蓄積されているだろう。
「お天気も良いし、サロンでお昼寝していてもいいよ?」
「魅力的ではあるが、それではここに来た目的が果たせないだろう」
今日中にはミュンヘンに帰らなければいけないのだから時間は限られている、と続けたハインリヒの口ぶりだけを聞けば、早く目的を果たそうと急かしているようだ。
しかし、そうではないと気付いているアルフレードは小さく笑った。
彼のことを表面上しか知らない者たちは無表情だの感情がないだのと陰で言うが、こんなに分かりやすい人は居ないと思う。
いつもは泰然自若とした佇まいで、大地を踏みしめるように歩く人だが、今は明らかに浮足立っている。
賢い獣のような冷静で凪いだ瞳は好奇心で輝いており、くすくすと肩を揺らす。
「確かにそんなに時間はないから、手分けした方がいいかな」
「地下の書庫にまとめていなかったか?」
「ある程度はね。まだ1階のギャラリーには手を付けていないから…」
「あぁ、そうだったな」
「2階の書庫にもまだあったよね。まずはそれを下ろすのをお願いしてもいい?」
「分かった。もし重たいものや高い場所のものがあれば無理をせずに呼べよ」
「うんうん、分かっているよ」
相変わらず過保護な一言だけは忘れないハインリヒに、こういう人だから可愛く思ってしまうんだよなと内心で苦笑しながら2階へと続く階段に向かう彼の背中を見送る。
はやる気持ちを抑え切れていない姿を微笑ましく思いながら、アルフレードは「オレも取り掛かるぞ」と短く気合いを入れて階段の前に位置するギャラリーの扉を開けた。
普段は専門の管理会社に任せており、定期的に換気されているおかげか締め切られていた部屋だというのに閉塞感はない。
元々はより親しい客人を招いたり、特別な会話をするための部屋として使われていたようだが、今は倉庫代わりに調度品や書籍が収められている。
中には美術館や博物館が欲するような調度品もあるようだが、恐らく歴代の貴族たちが遺していったものなのだろう。
その部屋と繋がっているリビングやサロンにも絵画や花瓶が飾られているが、作られた年代も様式も様々で長い時間の移り変わりを見ることができる。
身体の弱かった母が療養するために故郷のフィレンツェからこのヴィッラに移り住んだときにより近代的に改装され、元々離れにあったキッチンもダイニングに移設されている。
明りは蝋燭しかなかった時代からガスの時代へ、そして電気の時代へと歩んできた人類の足跡。
それがここには刻まれている、とアルフレードはかつて燭台のあった場所に付けられた照明のスイッチを押した。
一方、2階に上がったハインリヒもまた、勝手知ったる様子で書斎の照明を付けた。
角部屋に当たるそこは窓も多く、光源は十分過ぎるほどある。
だが、室内の書籍を守るために常に遮光性の高い分厚いカーテンで覆われており薄暗い。
(ここは格別に圧倒されるな)
厚みのあるオーク材の扉で廊下と隔たれているそこは、ベルナルドが使っていたときのまま時が止まっている。
一歩、また一歩と踏み入れる毎に自然と背筋が伸びていく。
(この絨毯も土足で踏むのが忍びないと感じてしまうな)
上質な寄木細工のフローリングに敷かれた手織りのペルシャ絨毯。
控えめな模様と深い赤色はこの部屋の重厚感を引き立て、天井に高くそびえる漆喰のアーチと美しいコントラストを描いている。
ルネサンス特有の幾何学的な造りは優雅で、至る所に施されている彫刻が華やかな品を添える。
窓の向こうに広がるアドリア海の自然との調和を見た者は思わず瞬きも忘れて感嘆するだろう。
そして、革装丁の書物が所狭しと収められているマホガニーの書棚を前にすれば、呼吸も憚るに違いない。
金箔や金糸で縁取られた貴重な古書の背表紙は静かに煌めき、凝縮された歴史の重みを感じるはずだ。
それと向き合うことは決して容易ではなかっただろう、と思いながらハインリヒは存在感のある大きな書斎机に視線を向けた。
オーク材で作られたそれの脚には古代の神々や植物のモチーフが施され、その美しさに魅入ってしまう。
この机は一体いつの頃から使われていたのだろか。
何代もの主に大切に扱われてきたそれは丁寧に手入れされており、そこで思索にふける者の精神を映し出す鏡のように輝いている。
机上には真鍮製の燭台と金属製のインク壺と羽ペンが置かれ、整然とした美しさはまさに息を飲むほどのもので。
ルネサンスの精神がこの空間には凝縮されている、としみじみと思う。
当時、思想家や芸術家たちは古代ギリシャ・ローマの古典的な知恵を復興し、それを新しい方法で再解釈していった。
中世の宗教的な束縛から解放され、自然界や人間そのものを対象にした知識の追求を行ったのだ。
哲学、科学、文学などの分野で古代の学問が復活し、人間の理性や観察を通じて真実を探し求めた。
たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチは科学的観察と芸術的表現の双方を極めようとし、人体解剖を通じて生物学の知識を深め、その知識を絵画や彫刻に反映させた。
ミケランジェロは、英雄的な人間像を通じて人間の力強さと内なる葛藤を「ダビデ像」の中に表現した。
彼らの多くに共通するのは、“人間の可能性への信頼”。
中世の神中心の世界観に対して彼らは、「人間は宇宙の中心であり、自らの力で世界を理解し改善できる」という信念を持っていた。
美と知、感性と理性を最高の形で融合させることを求めたのが、ルネサンスの本質なのだ。
それを肌で感じることのできる空間の真ん中に立ち、ハインリヒは深く呼吸をした。
(人間の存在の根源や生命の本質を探り続けてきた者たちの、祈りにも似た決意…)
大仰な表現と笑う者も居るだろうが、それはこの場所に立たなければ理解はできないだろうと意識をしてもう一度姿勢を正す。
芸術と学問は対立するのではなく、むしろひとつの心理を探し求める手段として統合された時代。
建築家アンドレア・パッラーディオもまたその1人で、彼は数学的な精密さと美的な感覚を見事に融合させた。
ルネサンスの時代、彼らは理論や思索を視覚的に具体化し、知識を感覚的なものとして芸術の中で伝えたのだ。
それは決して、その時代だけのものではない。
むしろ現代こそ、人間の創造性と知識の力を最大限に引き出すツールとなり得るだろう。
ルネサンスの芸術家たちは単なる美的表現に留まらず、哲学的な思索を作品に込めた。
現代でもそれは企業やプロジェクトの開発に重要視されているものだ。
テクノロジーを視覚的かつ感覚的に美しい形でユーザーに提供することで大成功を収めたその企業の名前と象徴であるリンゴのロゴマークは、知らない者はいないと言っても過言ではないだろう。
芸術と科学が共に進歩し、互いに支え合うものとして尊重されていたルネサンスと同様に、現代でもアートとテクノロジーの融合は新しい創造へと繋がっているのだ。
現代アートの分野でもデータやAIが当たり前のものとして存在し、アーティストとエンジニアなどが新しい表現の形を探求することで従来の枠に捕らわれないクリエイティブな作品が誕生している。
芸術美と機能美が融合したルネサンス期の建築技術は、現在でも都市計画に大きな影響を残している。
自然との調和を図る彼らの技術は現代においては持続可能な都市づくりの基礎となっている。
教育の中核にも根ざしたルネサンスの思想は、工学や数学などに芸術的な創造性を融合させた新しい教育カリキュラムとして広まりつつある。
クライアントごとに異なるマーケティング課題を抱え、その課題に対してクリエイティブかつ柔軟な解決策を提供するだけではなく、より独自のアイデアを生み出さなければならない広告代理店にとってもルネサンスの思想は非常に重要な意味を持つ。
競争の激しい市場でいかに差別化できるか、結果を次へとフィードバックすることでいかに改善できるか、顧客に対していかに感情的な体験を提供できるか。
過去に捕らわれず、革新を恐れず、かと言って過去を蔑ろにすることも未来を軽視することもなく、いかに向上するか。
(ここに来る度に現実を突きつけられるが、同時に助言を受けている気持ちにもなるな)
とてつもなく大きな課題。
その重さは変わらないが、心が軽くなる。
そう、まるでこの書斎の中で生きる言葉のひとつひとつが、時を超えて語り掛けてくるような。
諭し、励ますかのような。
そんな力強さと優しさがある。
古いものをただ残すのではなく、共存してきたイタリアの文化はこうしたところにも息づいているのだろうか。
持ち主の知性と品位が反映され、思索の深淵に沈み世界と対話するための神聖な空間の心地良さにしばし浸ってから、ハインリヒは書庫へ繋がる扉に手を掛けた。
書庫と言ってもここもかつては居室として利用されていた部屋で、十分な広さがある。
だが、天井まで伸びている書棚が所狭しと並んでおり、なかなか圧巻の光景だ。
書棚と書棚の間は人が1人通れる程度の空間しかなく、古く貴重な書物を守るために窓も塞がれており明りがなければ歩くことは難しいだろう。
深く息をすれば古い紙とインクの匂いが鼻孔に触れ、懐かしさに似た感情が肩を叩く。
書棚の向こう側からベルナルドが姿を現すのではないだろうか、と錯覚してしまう。
この書庫の反対側の扉はサロンと繋がっており、幼かったアルフレードがそこからひょっこりと顔を覗かせる幻も見える。
アルフレードがここで過ごした時間は決して長くはないが、その分、濃密なものだったことだろう。
両親の愛を燦々と浴び、育まれた命。
永遠の別れは幼かった彼にとってどれほど辛いものだったか想像するだけで胸が張り裂けそうになるが、決して挫けずに、人を愛せる青年に育ったのはここで疑う余地がないほどに愛されていたからに他ならない。
書棚にぎっしりと収められているアルバムがそれを物語っている。
(…原稿は…アルとまとめたものがこの辺りにあったはず…)
何度開いても新鮮な気持ちで見ることのできるアルフレードのアルバムに魅かれながらも、目的を果たすためにハインリヒは書庫の奥へと進む。
照明も最低限の光量しかなく薄暗い書庫は閉塞感があるものだが、この場所は妙に心が落ち着く。
幼子が遊び場にするには少々寂しい場所ではあるが、アルフレードが好んでいたのがよく分かる、としみじみと思う。
日向とは違う温もりがここにはあるのだ。
凛とした静寂が、心地良い。
それを味わうようにゆったりとした足取りで研究用の史料が大半を占めている書棚の間を抜け、比較的新しいそれの前で止める。
他のものと違いスリムで近代に作られたものだと分かる書棚にはベルナルドの趣味の蔵書が収められている。
作者もジャンルも統一性がなく、文芸書もあれば経済書や古典や海外でベストセラーになった児童文学まで幅広い。
その一番下の段。
この部屋にはいささか不釣り合いなストレージケースがあり、それを引っ張り出す。
(確かこれだったな)
パコっと小気味いい音をさせて蓋が開く。
中には思っていた通りのものが詰まっており、ハインリヒは一番上にあった紙のファイルを手に取った。
表題はいくつも書き換えられた跡があり、最終的に無題のままになっているそれを開く。
原稿用紙にはアルフレードのものによく似たバランスの良い丁寧な文字が並び、赤色のインクでいくつも注釈が書き加えられている。
時折インクが滲んでいる部分があるが、そこはきっとベルナルドの推考の名残なのだろう。
手を止め、思考を巡らせ、言葉を探して。
迷いながらも、遺すために記された文字を労わるように指差の腹で撫でた。
→Prossimo.
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