どうも最近の風潮なのか、世の中0か100のどちらかしか無いような感じがして居心地が悪い。
例えば上杉隆や武田邦彦や橋下徹のことである。
上記の人達は先鋭的な発言をするので、好き嫌いが極端に分かれるのは当然だと思う。
しかし、どうも彼らに批判的な人たちの言い分というのは少しおかしくないだろうかと思うのである。
つまり、「彼は過去に◯◯という発言をした。これは事実ではない。つまり嘘つきだ。だから彼の発言は
全て信用できない。」という論理を振りかざす人が多いような気がする。
確かに嘘つきは信用できないというのは正しい。
しかし、それをもって全ての発言が嘘であるという極端な論理もどうかと思う。
情報なんてものは真実もあれば嘘もあるが、そのどちらも情報であることに変わりない。
嘘の情報もあるだろうが、真実の情報もあるかもしれない。
つまりは情報発信者を盲目的に信じることなく、眉につばをつけて取捨選択すればいいだけのことだ。
拒否することは簡単だ。
しかし、拒否したソースの中に重大な情報があることだって無いわけではない。
もっと柔軟に考えようよ。と僕なんかは思うわけだ。
テーマ:ひとりごと - ジャンル:日記
日曜日、銀座アートスペースにて開催されていた、「
鶴川流花押展」に行ってきた。
花押とは、いわゆる「署名」のこと。
平安時代に生まれた花押は、単なる署名に留まらず、心情や信条、つまり自分という存在を表す記号、自己表現の印として発展してきているそうだ。
鶴川流花押は、元来の花押をより自由に、より雄弁に自分を表現するものとして・・・
いや、こんな難しいことを書かなくても、一度見てもらえばよくわかる。
とにかく、カッコイイし素敵なんですよ。
で、俺も欲しくなっちゃったわけ。
自分の花押が。
もちろん、ちゃんとした先生に習って、より優雅で美しい花押を作るのもいい。
でも、花押ってのはそんな堅苦しいものではないのだと、鶴川流花押は言っている。(と勝手に解釈する)
なので、自分で作ってみようと思ったわけ。
まず、元になる文字。これは、自分の名前の一文字「慎」を使うことにした。
花押は、草書体を元に作られることが多いので、草書の「慎」という字を使う。
これをアウトライン化して、いろいろといじってみる。
で、できたのがこれ。
我ながら、なかなか良いと思う。(自画自賛)
これをこのまま使うわけにはいかない。筆で書くなんてことはほとんど無いし、あっても下手じゃかっこがつかないのね。
なので、これをペンで書いてみた。
うーん。やはりペン字だとちょっと寂しい気がする。
なので、もうひとつ、サイン風の花押も作ってみた。
普段はこいつを使おう。
臨機応変に。それも花押の魅力だと思うのである。
花押について、もっと知りたい人は、望月鶴川先生の著書「
花押のせかい」をお勧めします。
初心者向けに書かれているので、わかりやすく読みやすい内容です。