今日の言葉ー宮沢賢治
「チュンセは松の木の枝から雨雪を両手いつぱいとつて来ました。
それからポーセの枕もとに行つて皿にそれを置き、さじでポーセにたべさせました。
ポーセはおいしさうに三さじばかり喰べましたら急にぐたつとなつていきをつかなくなりました。
おつかさんが驚いて泣いてポーセの名を呼びながら一生けん命ゆすぶりましたけれども、
ポーセの汗でしめつた髪の頭はただゆすぶられた通りうごくだけでした。
チュンセはげんこを眼にあてて、虎の子供のやうな声で泣きました」
(…)
「チュンセはポーセをたづねることはむだだ。なぜならどんなこどもでも、
また、はたけではたらいてゐるひとでも、汽車の中で苹果(りんご)をたべてゐるひとでも、
また歌ふ鳥や歌はない鳥、青や黒やのあらゆる魚、あらゆるけものも、あらゆる虫も、
みんな、みんな、むかしからのおたがひのきやうだいなのだから。
チュンセがもしもポーセをほんたうにかあいさうにおもふなら
大きな勇気を出してすべてのいきものの ほんたうの幸福をさがさなければいけない。」
――宮沢賢治
(「手紙 四」より)