こころとからだな日々-操体法とともに-  2010年06月
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あなたの体は喜んでくれているか
2010/06/28(Mon)
陶芸と健康法は似ている。炎の芸術、陶芸は火が加わって偶然による作用がまた魅力であるが、火は偶然ではなく自然のルールに忠実で、人間の感覚にとらえきれないものを偶然と呼ぶだけのことだ。火には火の自然のルールがある。自然のルールを免れるものなどこの世に一つもない。

「この子は赤ちゃんのとき健康体操教室に通わせていたのに」。
そう聞いて、ああなるほどと納得がいった。2歳から数年間、体操教室に通ったというその子は体が尋常でないほど固い。一体どうしたらこんなに固くなれるのかと疑問だったのが氷解した思いだった。ついでにいうとその子はもう長年難病に苦しんでいる。
操体法にも赤ちゃん用があるけれど、それはいくつかのポイントをやさしく刺激してやるというもの。やさしい刺激に応じて赤ちゃんは「自分の好きなように」体をくねらせる。「好きなように」動いた動きによって、体に備わった自然の調整機構がはたらき始める。

生きものへの働きかけには、よそからの意志や強制の入る余地をどれだけ少なくできるかがポイントだ。体そのものの持つ力を発揮させてやるには人間の勝手な願望や希望的予測をできる限り排除するのが重要ポイントだということを、自分自身いつも戒めにしている。赤ちゃんなどは「やめて!そんなふうに動かされると違和感があるんだから」などと言葉で表現しないから、快・不快の反応はよほど注意深くしないと見落としやカン違いが容易に入り込んでしまう。拷問に等しいことをやったとしても気づかないかもしれないのである。
人間のやることには副作用や思い違いや計算ミスを免れることは一つもない。「これは赤ちゃんにいいんだ」「体にいいはず」では自然のルールを読み取ることはいつまでたってもできない。自然のルールを踏みはずせば、すぐには被害が出なくとも踏みはずした分の請求書は確実に支払わされる。かなしいことに自然の時計の針は人間の時計とはスケールがまったくちがう。請求書が来たときにはこちらではもう何をどうしたのだかすっかり忘れている。何のツケを払わされているかわけがわからないまま支払う。人間中心主義は自然には通用しないのだ。

今朝のウォーキングではそのような考えがとめどなく浮かんでは消えていた。ふと「このウォーキングは私の体によろこんでもらえているだろうか」と思った。私の体が、こんな私との出会いに感謝してくれていればいいが。そんなようなことも思われたのである。妙にも聞こえるだろうが、そのとき自分は確かにそのようなことを感じていた。
「私」というものはどこにあるのか。体は、私であるのか。いや、「私の体」というからには私と体はイコールではない。それでは心が私であるのか。いや、心が自分の意のままにならないという事態はよくあることで、心は私とイコールではない。こうした問答は宗教ではめずらしいものではなく、『ブッダの言葉』にもブッダが弟子に同じような質問をしている。あなたはどこにあるのか。あなたは体か。あなたは心か。弟子は自分が体とも心ともイコールでないと返事せざるを得ない。よくよく探してみると「私」などは実体のないものなのだということがわかってくる。そのような実体のないものに執着するのは愚かなんだよとブッダは教えてくれている。
そこまで執着をなくすことは今の自分にはできないけれど、実体のないものに自分が執着しているということは理解できる。そしてそれが大変愚かなことであるとともに、自分の苦しみの源であるということも。
「私の体は、私の心は、私がこうすることで喜んでくれているだろうか」という発想で体を動かすと、自分の思い込みの強さが少し減る。かたさがいつもよりすっと消えていくのがわかった。「自分というものをぜんぶ捨て切れるとコリは最高にとれて最高にラクになる」と師匠が言っていたのを私は思い出していた。

ああ健康法と陶芸は似たようなものだなと、そのときふと思った。陶芸を初めて体験すると、窯に入れる前の自分のつくったものと、窯から出てきた後のものとが、あまりに違うのでおどろく。「これがあなたのだよ」と言われないとわからないくらいに変わり果てているのだ。陶芸は、おおらかな心持ちでないとできないというようなことを言う陶芸家もいる。結局最後のところは偶然にまかせるしかない。偶然にまかせる要素が大きい。それが楽しいんだという。
陶芸家は火は偶然ではないということも承知している。火には火の自然のルールがあり、窯の火は偶然に燃えたり温度を決めたりはしない。人間の感覚レベルでは偶然と片付けるしかないので偶然というだけのこと。所詮、人間には限界がある。窯を開けるたびに、陶芸家は自分の限界を思い知らされることであろう。
それでも陶芸家は成功なり失敗なり経験を積み重ね、積み重ねた経験による推測を怠らない。自分の計算と、自分の計算を圧倒的に上回る要素とを、計算し、偶然を偶然で片付けはしない。
こうした陶芸家のような姿勢で自分の心や体に目を向けなければ、ほんとうのところはわからない。ほんとうのところがわからないからこそ、このような姿勢が必要ともいえる。ちまたで「治った」「効いた」と安っぽくいわれるほどにはカンタンに済まされないものなのである。
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自分のからだのほんとうの実力というものを知らない
2010/06/25(Fri)
人間が自分たちの科学技術を高度技術などと自ら誇るようになると自然の力を見くびるらしい。肉体労働が生活から失われると体の大切さ・有難さが日常では実感できず、自分たちが日々生きていられるのは自然の力の発揮によるものだという根本が忘れ去られるようだ。
しかし自分の体の可能性はふだん自分が思っているよりも大きいということが、ほんの少しでも実感できると感動がある。まちがいなく誰にでも感動があるというのを私は自分の目で見てきた。今の時代ほど身体が見くびられている時代もないのかもしれない。自然に備わっている自分たちの能力が、自然の力が、ひどく見くびられているのではないかということを、強く思うのである。
操体法がすごいということを言っているのではない。人間の技術がすごいのではない。最終的には自然にもともと備わっている自分の体の治癒能力がなければ操体法だろうと手術だろうと回復の見込みは一切あり得ない。

一人で自分の体の中を隅から隅まで、奥の奥までもぐりこんで旅をするのもおもしろいが、戸外で人の往来をやり過ごしながら体を動かしたり、何人かいっしょに体を動かしたり、そのときそのときの状況でまた発見があるのでいつも新鮮で飽きることがない。
今回のワークショップの参加者から、「あ~やっとわかった。この感じね~。いや~すごいすごい」という声があがった。月に一度だけでも一年二年と継続していけば、それだけ体の感覚も手に取るようにわかってきて、がぜんおもしろくなる。
ぱっと速く動くのと、ゆっくり動くのとでは、使われる筋肉がちがうし、伝わる力の流れから筋肉どうしの協調関係からぜんぶちがう。見かけは同じでもまるきり違う動きがいくらでもある、とそういう話を何度も何度もさせてもらっているが、こればかりは「ほら自分でやってみて」とやってもらい、「ああ~ほんと!」と体験して納得してもらう以外に伝える方法はない。日赤病院の整形外科の医師から「わたくしども医者は筋肉の勉強はしておりませんので患者さまの筋肉のこわばりにつきましてはこちらでは治療ができません」とはっきり言い渡されたことがある。医師免許の試験では解剖学的な筋肉の知識や生理学的な筋肉の知識を問われはするが、「どこをどういうふうに動かすのにはどういう筋肉がどう協調しあって動くのか」「どこがどう動かなくなった場合は、どういう筋肉の協調関係に問題が発生していると考えられるか」といったような力学的・機能的なことについては知識ゼロで医師をやっていけるということだから、「自分はシロウトだし」などと遠慮なんかせず、「お医者はプロなんだから」と自分の体を他人に丸投げせず、自分自身の体で実験と観察とをどんどん積極的に続けていくとおもしろいことが次々と発見できる。

手でこぶしをつくるという単純な動きだけでも実感できる。ぐっとこぶしを握ったりゆるめたりという動きをしてみて、手だけでなく腕や肩、全身に伝わってくる印象をおぼえておくとよい。それから次に、ぐぐーっと時間をかけながらゆっくりと握りこぶしをつくる。そしてゆっくりと力を抜いていく。腕や肩や首筋、そして背中にまで、いや足元にまで全身に力が広く伝わっていくのが実感できるはずだ。速く握ることを繰り返して筋肉痛になるのと、ゆっくり握りしめることを繰り返して筋肉痛になるのとでは、その筋肉のダメージを受ける場所もダメージの性質も違っていてあたりまえである。その違いはどういうところにあるかを、より具体的に感じ取っていく。
操体法は、「自分で動くということを通じて筋肉に発生した問題を解決しようという試み」ともいうことができる。どう動けばよいのか基本の動きはいくらもあるけれども、体操のようにただかたちをまねるのではなく、体全体に張り巡らされた感覚神経からもたらされる情報をキャッチするということが根本にある。動きにともなって感じられる「気持ちいいな」と「痛い・つらい・ヘンだ・これは気持ちよくない」といった快感と不快感とを手がかり足がかりにしていけば有効ですよ、やってみてごらんなさいというわけである。

同じ動作やポーズでも、どの筋肉を中心として、どういう筋肉とどう関係しながら動きがつくられていくかによって、動きは千差万別となる。自分の左の足もとに落ちている物をひろう動作一つでも、先に左を向いてから前屈するのと、先に前屈してから左への動きを加えるのとでは、体に伝わってくる感じがまるでちがう。やってみると誰にでもすぐにわかることだ。
ふだんはこんなことに関心を持たないが、ぎっくり腰や寝違えなどをやると、ちょっとした動きの違いで何でもなかったり、ぎくっと激痛にやられたりするので大変わかりやすい。また、「ふだんはどうということはないのだけれど、どうかした拍子に痛みが感じられる・ひっかかりが感じられる」といった訴えも多く、その「どうかした拍子」というのは偶然ではなくて、問題のある筋肉が、問題のある状況にさらされたときに痛みやひっかかりが感じられるのだから、少し慣れてくると「こういう順序でこういう動きになったときに、どこが、どういうふうに、おかしくなるのだな」とはっきり具体的に自分でわかるようになる。そこまでわかれば出口はすぐそこである。基本的な動きで左右の不均衡をそろえるやり方でもよい。押さえて痛みが一番強い圧痛点をとらえ、痛みが消える動きを何度か繰り返すでもよい。ほんとに感覚が正しければ、体をちょっとゆするだけでも「あ?」という間に変化するのがわかる。やり方はひどく単純なのだ。

言葉で書くのは実にたやすいことなのだが、ほんとに体験してもらうのには工夫がいる。その工夫をこらすのが自分の役目と思っている。人間が自分たちの科学技術を高度技術などと自ら誇るようになると自然の力を見くびるらしい。肉体労働が生活から失われると体の大切さ・有難さが実感できず、自分たちが日々生きていられるのは自然の力の発揮によるものだという根本が忘れ去られるようだ。
しかし自分の体の可能性はふだん自分が思っているよりも大きいということが、ほんの少しでも実感できると驚きがあり感動がある。まちがいなく誰にでも感動があるというのを私は自分の目で見てきた。今の時代ほど身体が見くびられている時代もないのかもしれない。自然に備わっている自分たちの能力が、自然の力が、ひどく見くびられているのではないかということを、強く思うのである。
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命の安全についてのダブル・スタンダード
2010/06/23(Wed)
日本で食べられている穀物や農産物には二つの安全基準がある。国内で生産された作物には安全性に厳しい基準。輸入ものにはゆるい基準。
たとえばここに小麦がある。殺虫や保存のために使用を許可されている化学薬剤とその使用法は、国内産の小麦と輸入小麦とでは種類の数といい使用方法といい基準が違う。しかし食べる消費者にとっては同じ小麦。消費者は小麦を素材とした「高級」和菓子や「高級」西洋菓子、パンや麺類などを食べながら日々生活している。どちらを素材にした食品も「素材を厳選しました」などという決まり文句とともに、調理、味付け、包装などの装飾を施されて店頭に並べられている。
国内で生産した小麦を、輸入小麦と同じ薬剤処理をしたならば、これは立派な犯罪。市場に出回れば「食べても人体に害はない」とされながらも「危険物」として一騒ぎされ、回収の対象となること間違いなし。
日本は輸入に頼らなければ食べていけないのだから贅沢は言っていられないが、だまされながら食べていくというのは何だかイヤである。国産をみんながもっと食べるようになれば国産の農産物は増えるという主張があるが、そんなことを本気で信じる人が果たしているのだろうか。
国産と偽装し、輸入ものを混ぜて増量して販売するのはまだいいほう。国産ものなどこれっぽっちも入ってないのを国産と称して販売する。もしくは国産と称しても法的に問題にならないよう、工作する。国内生産量は減りこそすれ増えもしないというのに、身の回りにやたら「国産」の文字が飛び交い、消費者が「国産」の文字に飛びつく。そういうことはあると思う。大いにあると思うが、国内の生産量を本当に増やすには、消費者が「国産がほしいとアピールする」「国産を買うよう心がける」くらいで大丈夫だとは誰も本気で思ってはいない。
食民地。これは船瀬俊介氏の造語だが、何とイヤな響きを持った言葉だろうか。よくできた言葉とは思うが不愉快きわまりない響きのせいか、あまり聞かれない。食べ物をおさえられていれば到底勝ち目はない。対等でもない。国産を食べたいという消費者の要求は恐らく通らない。日本の食卓は欧米の市場。選択の余地がほとんどないのは沖縄の米軍基地と同じことである。
食糧の安全基準にはもう一つのダブルスタンダードがある。たとえば果物の農薬残留基準。日本国内で生産・消費される果物は、欧米で国内生産・消費される果物の数倍から数十倍の農薬の残留が法的に許されている。日本人の食べているりんごやモモを、そのまま欧米に持っていくと販売は許されない。「人体に影響はないもよう」とされながらも「危険物」として回収されること間違いなし。

さらに「自国民が食べる分」と「輸出にまわす分」とがどの国においても平等に、同じように良心的な方法で生産され管理されるかどうかについては確信が持てない。使用される化学薬剤の種類やその使用方法については国によって基準がちがう。その上、自分とこの国民が食べるのと同じくらい良心的に生産せよというのをどう確保できるというのだろう。輸入飼料に口蹄疫の細工がしてあったとしても誰にもわからないよねとうがったことを言う人もあったが、その何気ない冗談が妙にリアルな響きを持って聞こえたのはなぜだろう。
こう考えてみると日本人が平気で他国に頼って、頼りきってここまで食べてこれたほうが不思議なくらいだ。しかし他人に頼めることと頼めないこととがある。自分たちの身の安全は他人まかせにはできない。「食の安全」は、自分たちの目の届くところで生産が行われない限り、確保できないものと覚悟する必要はあるだろうと感じている。
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大きな壁の向こうでわたしを待っているものは
2010/06/20(Sun)
人の都合で晴れが「よい天気」にもなり「日照り」ともなる。歩けなくなったのは困った事だが体は自然の理にかなったことをしているだけ。別に悪いことをしているわけではない。その点、体のことは天気に似ている。

三年前には思いもしなかった。数時間歩き続けるということもできず、山道を10キロ20キロ歩くことなど夢のまた夢だ。私が歩けるようになる日は来るのか。いつ、どの程度歩けるようになるのか。それは誰にもわからない。
体のことは天気に似ている。晴れは「よい天気」。「天気がくずれる」とか「悪天候」という場合には雨や風のことを指すのが一般的だが、もともと天気に「よい」も「わるい」もないわけで、人の都合しだいで晴れも続けば日照りと言われ、天気が「くずれる」ことを願ったりもするわけだ。
自分にとって長時間歩き続けられるのはよいことで、歩けないのは困ったこと、わるいことである。しかし「よい・わるい」はこちらの勝手な都合。自分の身体はただ自然の法則にしたがって結果を出すだけだ。歩けないようになったからといって、体はべつにわるいことをしているわけではない。自然の理にかなったことをしているだけである。
今となっては長時間長距離を平気で歩けていた自分が不思議でもある。なぜあんなに歩けていたか、それがわからない。なぜこうも歩けなくなったのか、それもわからない。シップだのホットパックだの薬だのとやろうと思えば手当ての方法はいくらもあるだろう。しかし「なぜこうなったのか」「どのような手当てをすればどのくらいの期間で、どのていど治るものなのか」といった肝心のこととなると、誰にも答えられない。肝心なことはわからないまま、あれこれやるのはむやみに鉄砲を撃ちまくって「数撃ちゃ当たる」と期待するのと変わりはない。まちがった手当てが副作用や症状の悪化を招くことを考えれば、おまじないの札を貼るのとシップを貼るのとどちらが本当に「よい」ことになるのか、安易に判断を下すことさえ危ぶまれる。
体の調整はもちろんのこと、食生活についても工夫を重ねてきた。歩けないなら歩かないのかというと、歩けるだけは歩く。違和感や痛みを体の調整で軽減しながら動けるだけは動いていく。野外で体を動かすことも楽しむ。テント泊もその一つであるが、最近楽しんでいるのは岩だらけの河川を遡行するという遊びである。
河原をうろつくと不規則なでこぼこに対応していろんな筋肉を使う。それがよいというのを以前どこかで聞いてきて興味を持っていたのだった。大きな岩がごろごろしている河原を上流に向かって歩いてゆくだけのことだが、散らかり放題の部屋の中を歩くのにも似て、流木やら岩やらでごったがえしになったところを乗り越えたり迂回したりして進まなければならない。どこにどう足を置いたら一番無理がないか、考えながら歩く。一見、何でもない場所も近づいてみると通過するのに苦労する。河の流れもじゃまをする。濡れた岩は藻でぬるぬるして危険きわまりない。少しの距離に手間暇かかるので振り返るといつも少ししか進んでいない。自分が小さなアリにでもなった気分だ。ささいな砂粒にも足をとられる小さなアリの自分。それを上空から見物しているもう一人の自分がいる。地べたを這いつくばる小さなアリは、アリの生真面目さで淡々と歩き続ける。

河をさかのぼっていけば大なり小なり滝がある。崩れ落ちそうな岸壁には近寄らず、コンクリートの堰堤などは林に入りこんで迂回する。沢登りというほどの高度なものではないが、どこまでさかのぼっていけるか、先のわからないところが面白くなってくる。
一時間もすれば足が止まる。ここからが本番というところなのだが、体力面でも気力面でも今の私はそこでストップだ。今回もまた同じ地点で私の足は止まった。少々大きめの滝の手前である。岩のサイズがそこから一段と大きくなり、私を威圧する。岩の重なりあった様子がまた、疲れかけた足をとどまらせる。増水した水の、ひっきりなしにざあざあいう音は私を落ち着かせない。
「今日もまたここまでか」ごつごつした河原にブルーシートを敷いて寝転がる。空は一面白い雲で覆われているが、ふっと明るくなったり、すうっと暗くなったりをさっきから繰り返している。市民の森公園から一時間足らずにすぎないが、まるで人の気配がない。山道ならもうとっくに何人かとあいさつしを交わしているところだ。山を歩くのなら目指すゴールはみな同じだが、こんな河をこう、ただ登っていくとすると、どこまで進めばよいのかさっぱりわからない。道具もなしに登っているから、どこかで一歩たりとも進めなくなる。それがかえって気軽ではある。初めてここにたどり着いたときには、ここが行きどまりと決め込んだが、二度三度と足を運ぶうち、進む余地が見えてくる。

ブルーシートの上に起き上がり、行く手の滝をじっと見る。たったあれほどの落差が越えられそうにないというのも不思議だ。越えようと思えば越えられそうだが、きちんと調べる気がしない。滝の前には背丈を越える岩が三つほど陣取っていて、何か寄せつけない感じがする。滝の向こうの風景を私は想像してみる。滝を見上げたすぐその向こうには茂った草や木の枝が見え、枝先の一つにはピンク色のテープが巻いてある。誰かがこの滝を越えてつけたものに違いない。となれば、これを越えるというのもそれほど無茶なことではないだろう。
急に空が暗くなった。降ってきそうな感じだ。濡れた岩は滑りやすい。ただでさえ岩場はごまかしがきかない。岩に置く一歩一歩に体重を確実にのせなければならないのだ。それがまた歩行のトレーニングになると期待するところではあるのだが。
いやしかし今日はもうここまでにしておこう。そう決めたとたんにふっと肩の力が抜けた。どうせ戻るのなら次に来たときのために先を調べてみようという気になった。立ちあがると右足のヒザの調子がおかしかった。ヒザ裏が固く引きつったようになり、曲げ伸ばしがいうことをきかなくなる。この異常はいつ、どのようになっていくのか。それは誰にもわからないことだ。この右ひざのために自分はずっと足止めをくっている。
行く手をふさぐ一つ目の岩をよくよく調べてみると足がかりがないわけではなかった。へたりそうな右足に体重をのせ、よじのぼる。このくらいの高さでも足を滑らせればただでは済まない。そう想像するだけで目がくらむところだが、「調べるだけだ」というのが言いわけのようになっているのか、妙に何ともない。岩の上からルートを探していると、二つ目と三つ目の大きな岩の間には、もぐりこめそうなすき間がある。二つ目の岩にそろそろと移動をし、いったん下りて地べたにひざまずく。クモの巣だらけのすき間から向こうに抜けると、あとはそう大変でもなかった。さほど大きくもない岩をいくつか乗り越えてゆくと、あっけなく滝の上に出た。
滝の上から自分のたどってきたほうを見下ろす。ごろごろした岩と水の流れと、両岸に広がる広葉樹や杉の林と。へんてつもない風景とでも言うしかない。振り返って今度は滝から先のほうへと目を移す。そこもまた、大小の岩と生い茂った草と、両岸に濃い緑が広がっているだけで、さして変わりはないのだった。山歩きもこんなものだったなと思う。まったく同じことは二度と起こらないのだけれども、似たような場面を何度も何度も通過して、頂上を示すものが現れるまで根気よく歩き続けるだけなのだ。私の視線の行き着く先には古びた堰堤の苔むした壁が立ちはだかっている。あの堰堤を迂回できなければこの小さな冒険も終わりだ。そう思いながら、私の目は勝手に先を追う。あの茂みは簡単に通過できそうか、茂みの向こうはどうなっているかなどと探りを入れるのをやめないのである。私の足のほうはしかし、戻りたそうにしている。どこまで進んだからといって特別いいこともない。かといって特別わるいこともないのだから、やりたければやるがいい。しかしいま無理に進んだからといって無理をした分いいことがあるというわけではない。やりたくなければもちろんやらなくていい。無理する必要はない。そんなことを何度も何度も自分自身に言い聞かせるうち、戻る一歩を踏み出していた。マンガの中の忍者なら、ぴょーんぴょーんと一気に岩伝いに下りていくところだがなと思いながら、大きな岩にしがみついたり、きかなくなってきた足をゆっくりゆっくり運びながら、河を下っていった。
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すべてを受け入れる心の準備
2010/06/16(Wed)
体がほどけて自由になる。体を調整していると、これまで歩いた山の風景とその中で心をおどらせている自分の姿が浮かぶ。あそこまで行きたい。そう願う自分と、「今ここ」こそが自分の「あそこ」なんだと思う自分とがいる。そのような自分のありようもわるくはない。

昨年末から「毎日歩く」を実行している。最初のうちは悲壮感に似たがんばりで毎日山に出かけたが、最近はお天気続きをいいことに朝に夕に川べりの土手を軽く流す。体を動かしながら、体の違和感が減るように減るようにと調整しながら歩く。歩くのはだんだんどうでもよくなってきて、違和感をとることがメインになった。ぶらぶら歩くと自分の体のどこに、どのくらいの違和感があるのかがほんとによくわかる。

違和感が減ると体ががぜん軽くなり、日々心地よく過ごせる。もう何も言うことはない。しかしただぶらぶら歩くことにさえ意味をつけたがるのが自分の欲である。具体的にはまたもう一度大きな山に行くんだという気持ちが湧いてくる。老化だか交通事故の後遺症だか理由はともかくとして長時間の山歩きができなくなっていった。そこに少々無念の気持ちがある。体の違和感をひたすら取り除くぶらぶら歩きの行き着く先に、元気な山歩きがあるのかどうか、まだ確信は持てない。何も意識しないまま都合よく登れるようになるということもないとは言いきれないが、まあなかなかないことだろう。しかし意識しすぎると体の声はがぜん聞き取りにくくなり、自分の努力で自分をこわして元も子もなくすという、よくあるパターンに陥ることは目に見えている。焦りがちな自分に私は何度も話しかける。「行きたいところがあればいつでも行けばいい。持久力や体力がついてからなどと遠慮することはない。やりたいことはやってみろ。やってみないと結果もわからない。結果がわからなければどうすればいいかさえわからない。本当に自分に必要なものならやっていくうちおのずと身についていくものなんだ」。すると焦っている自分が答える。「わかった、やってみる。でもほんとのこと言うと今すぐにというわけでもないんだ。いつまでにやらなきゃっていうことでもない。ただそうなってゆけばいいなあと思うだけ」。

朝の川べりに行くと、自分のどこかに焦りの気持ちがひそんでいることに気づく。筋肉の調整に焦りは禁物。少しでも欲を張れば動きに力みが入り、感覚もくるう。「気持ちいい」の加減がくるえばただの体操となりはて、かえって筋肉のこわばりを増し、違和感を増すことにさえなる。ほんとうに一番よい加減は60点。「操体法は60点主義だ」とよく戒められもする。焦る自分が言う。「自然のリズムにまかせた回復がベストだということはわかる。だけど人間いつ死ぬかわからない。残り時間がわからないのだから、もう少し強度をつけて一か八かの勝負に出てみてはどうか」。ゆっくりと、傍目には動いているかどうかさえわからないほどの動きで痛みと快感とをさぐりながら私は答える。「間に合わなかったら間に合わなかったで受け入れるほかはない。ただ欲求を通せばいいというものでもないだろうから。それをどう受け入れるてゆくかが人間の深みでもある。無理をじたばたやればどういう結果になるかこれまでにじゅうぶん経験してきたはずだよ」
体のしばりがほどけて自由になる。調整をする私の目の前に、これまで歩いた山の風景とその中で心をおどらせている自分の姿が浮かぶ。あそこまで、行きたい。切実にそう願う自分と、今ここ、こそが自分の「あそこ」なんだという自分とがいる。そのような今の自分のありようもまた、わるくはない。
「やるだけのことをやったら、あとはなるようにしか、ならんしー。やるだけのことをやっていけてたら、おのずとすべてを受け入れられるようになっていくはずだよー」と私は自分に言い聞かせる。先を見越しているつもりでも、実際には出てくる結果でしか判断できないことばかりだ。出てくる結果をどう見てどう受け入れるかを観察し判断する。そのほうがよほど重要だ。「自分の努力が自分を不幸にしているっていうことはないだろうか」と自問自答することもある。私は笑ってこう答える。「はっはっはっ。それは大いにありうることだ。しかし自分で決めて自分でやったことだろ。結果は自分が引き受ければいいんだからいっそのこと気がラクじゃないか」。
なるようにしかならない。万事が自然の働きに従うという意味ではすべてのことに言えることだ。自然を受け入れるということは、言葉ではカンタンに言えるけど、なるようになってしまう結果を受け止めたり引き受けたりするにも訓練がいる。文句を言おうと言うまいと、自分勝手な解釈の世界で納得しようとしていまいと、自然の働き以上のことも以下のことも何ひとつ起きてやしない。それが操体法の橋本敬三の言っていた、自然の怖さというものではなかろうかと思う。

そんなことを思いながらひたすらに体を動かしている。すると何がどうなっていたって、かまやしないじゃないかとふとそんな気になる。投げやりのように聞こえるだろうが、拗ねた感じはなく、目の前が急にひらけたような、諦観とでもいおうか、苦労して歩いた末に頂上に足を置いた瞬間感じる解放感とも似た感覚につつまれる。気に入らないことは数え上げればキリがない。だからってどうにでもなることではなし、それがあるからどうということもなし。私のこの身のまわり全てが、身のまわり全てのありようが、私の手になど決して届かないところの自然法則にしたがっている。それは避けがたい一つのかたちをまとっている。だからどうなっていようと、どうなろうとも、自分はかまやしない。かまってもどうにもなるやしれないようなことにかかずりあってもしょうがないだろう。自分の願いもまた、叶うにせよ叶わないにせよ、自然の法則にしたがって動いていく。ひたすらに体を動かしていくことで、私はすべてを引き受ける準備を少しずつととのえているのかもしれない。それが、それだけが大切なことだという気もしてくる。一番大切なことをはずしていさえしなければいい。あとは付録。オマケだ。どんな結果が出てこようとよゆうで引き受けてやる。そんな気分で川べりから戻ってくる。
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