「むきもの」というんだそうです。
野菜を包丁などで「むいた」野菜細工ことです。 正月などのお祝いのごちそうなどに使われますから、「切った」とかいう言葉を使って説明しないのでしょうか。
ある日私のパソコンにメールが入り、「面白いことがあるからおいで・・。」ということで出かけました。
その面白いこととは「本能学区町おこし」にイベントのことでした。そこに職人技が見られるものが陳列されるよ、ということだったのです。
お知らせくださったのはこの方。この町おこしのリーダーのお一人です。
京都では自分の住んでいる地域を小学校区で表現します。秋の運動会もその地域ごとにあります。
本能学区は東は西洞院通,西は堀川通,南は四条通,北は三条通に囲まれ,二十四か町で形成されているのだそうです。
この地域はもともと西陣の織物関係の問屋と職人によって形成されていた町です。上の方もそうした職人さんのお一人です。
立命館大学のあるゼミとの連携で町おこしをされています。
その会場で、「むきもの」の実演を見せていただきました。
この方は「八百屋さん」なのですが、料亭などに野菜を納入する傍ら、料亭の料理人を助ける仕事して「むきもの」をされているのです。
先ほどの方もこの方も人柄が実に開放的でおおらかなのです。こういうキャラクターの方が継続的に力を要する「町おこし」のような活動には不可欠なのでしょうね。
町おこしの成功には戦略戦術も大切ですが、それをけん引する人の人格も相当大きな比重を占めるのではないかと思います。
転勤など異動が常である公務員にはできないことをこうした地域の人がされます。
ここの活動が注目されるのは老人ホームの職員と地域の人たちと大学がそれぞれ力を出し合い、セイム・セイムで活動しているところだと思います。
ボケていますが、手前にあるのは「お重」です。
実演をされていますが、おしゃべりもなかなか巧みです。
手前にあるのは、なんと高野豆腐で作った「大黒」さんです。
高野豆腐を何枚も何枚も接着剤で重ねてブロックを作り、それを削りだして作るのだそうです。高野豆腐は中ほどが薄く、周囲が厚いですから、その薄い部分に合わせて厚さを整えて貼り合わせるのだそうです。
こうした仕事そしている先輩・後輩が集まって七福神を制作した時のもので「ネズミがかじる」のに任せることなくほぞんしてきたのです。…もっとも一部その被害になっていますが。
あまりの出来の良さに、机の上においてちょっと席を外したら大黒さんの前に硬貨が数枚置いてあったそうです。
この地域の職人の力を結集し、住民と行政の力を結集して地域の生活を豊かに楽しくしていく。
素敵な活動ですね。
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2013/11/30(土) 00:00:16|
- 料理
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平安神宮の近くにとても面白い場所があります。
普段のギャラリー巡りや寺社巡りとは極めて異質な興味を呼び起こされる空間です。
以前にも紹介したことがある「カオス」という、まるでありとあらゆるおぞましいものぶちまけた雑然としたような、物置のようなギャラリーです。
この、平安神宮、南禅寺、京都市美術館、国立近代美術館などなどといった京都らしさと芸術のメッカのような地域に打ち込まれた棘のような存在。「カオス」
私は時々その空気を吸いに出かけるのですが、3度に一度はドアの横にボール紙に「〆」と無造作に書いたものがぶら下がっています。
あるときたまたまドアが開いていたので入りこむと、個々のオーナーでいろいろなオブジェや装飾物を製作されている方が、若い活け花作家とが、この場所でコラボして、展覧会をされるのだという耳寄りな話を聞きました。
私が密かに「怪人」とニックネームしているオーナーとコラボしようなどという大それたことに挑戦されるのがこの方です。
この展覧会は「カオスとコスモス」 っこの会場はまさにカオスにふさわしい雑然さを持っているわけなんですが、そこに「コスモス」を配するというのです。
何しろ「カオス」を表現するのに会場はとても暗いうえに照明にセロハンがかぶせられていますから、私の技術とα900の能力ではいささか苦しいのです。
準備が終わると和服に着替えて登場です。
何しろ活け花の作家ですから。
カオス=混沌にコスモス=秩序を与えようというのです。
それにしてもこの方は特に注文をつけない限り、終始この笑顔です。
コスモス=宇宙の壮大なエネルギーは、暗黒星雲のようなカオスを取り込んでその一部に吸収していくのでしょう。
いずれにしてもこうした方が大先輩のカオスに挑んでそこに美を作り出そうという、その気構えは立派だと思います。
私はこれまでどちらかといえば人間の肯定的な面に着目して写真を撮ってきましたが、深みのある写真はそれだけでは生まれてこないのだろうと思います。
カオスとコスモス、光と影、動と静など、相対立するものの結びあった現実を描けたらなあとふと思いました。
活け花作家さんへ 写真をお送りしようと思ってEメールに添付して送信したのですが、メールが届きませんでした。もしよければそちらから蒼樹までメールをお送りいただけると、その返信に添付できると思います。ご面倒ですがよろしくお願いいたします。
テーマ:女性ポートレート - ジャンル:写真
- 2013/11/29(金) 00:00:02|
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写真の場合は何枚も撮ったものから選び出して、これが私の作品ですと言ってみてもらいます。
途中経過を見られることはあまりありません。
こうして書いているのを覘かれるのはその途中経過を見られる気分なのかなあと思います。
しかもこれが結局「うん、描けた。」という、ものになるかどうかは未定なのですから、その点でも心境は少し複雑なのかな。
ただ写真の場合は、その場所から,そのアングルでそこに注目して撮るの? というのは見えてしまいます。
この写真を撮るときも私がどう撮っているかは隠しようもなく丸わかりですね。
この時に地面にかがみこんでカメラを構えている私を撮ろうという人が現れたら、私はどういう反応をするかと考えてみました。
「秋色を描く」
個展をすることを決めてから、何か一層写真に対してむきあう気持ちだけは強まったような気がします。
実は昨日、ある友禅の職人さんが「今度私の作品を出してくれと言われている個展がある。そこの入口に大きな私の写真を出すんだそうだ。その写真を撮ってくれないか。」と言ってくれました。
以前の私ならば「いやとてもとても。」と言ってご辞退するところですが、その方の魅力にひかれていることと、中国での仕事を引き受けたことが私をずいぶん鞭撻してくれたことなどの経験から、引き受けさせていただくことにしました。
写真を通じて、少しずつ成長をする機会を与えられているように思います。
さて、この写真はフジのx20で撮っています。
今日の最初の初写真と比べると・・露出設定などの条件の違いも問題ですが・・・ずいぶん色の乗りが違います。ソニーアルファとフジの違いですね。
そのフジX20は一眼ではありませんから、ファインダーで見ている絵と撮像とはずれます。
しかも視野率が小さいですからファインダーで見た目の絵よりも一回りもふたまわりも広く写ります。
背面液晶で見れば視野率100%ですけれでど、私はファインダーで撮りますから失敗作の山を築きます。
それで何度も地団太踏んで唸りながら撮っていますので、人が見れば滑稽だと思います。
樹の葉がきれいに色づいていますね。
生徒さんが先生の講評を受けています。こういうのが、いいですね。
お二人に遠くから「ありがとうございました。」と声をかけるとずいぶん長い時間悪戦苦闘をしていたことをねぎらって「お疲れ様!」と声をかけていただきました。
まあ、ちょっとあきれていたのかもしれません。
でも私の好きな感じの写真が数枚撮れました。
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2013/11/28(木) 00:04:16|
- 絵画
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陳腐な言い方に属するかもしれませんが「芸術の秋」という方があります。実際、様々なところで個展、グループ展、公募展などなどがみられますし、秋の屋外では景色や植物を描く人があちこちに見られます。
岡崎公園の府立図書館の付近です。
黄葉のちびっこ広場を描いている方がいました。周囲を見回すと他にも筆や鉛筆を持つ方の姿が見られます。
何か絵のお仲間で来ているんですか?
いえ、先生が向こうに居られて、私は教えていただいているんです。
写真を撮らせていただいていいですか?
向こうに見えるベンチのあたりがちびっこ広場で滑り台やブランコがあります。
もう! 絵は見ないでね。
撮られていたら緊張しちゃうなあ。描けなくなっちゃう。
う~ん、どうしようかなあ。描きすぎたかなあ。…といった感じでしょうか。
この方が先生です。
つい先ほどまで小休止されていましたが、描き始められましたので、お願いして撮らせていただいています。
ほとんどカメラのことなど気にされずに集中しておられます。
こういう場所で描いていると背後に立たれたり、覗かれたり話しかけられたりと落ち着かないので、それをずいぶん嫌がる方も当然居られます。
以前、私が絵を描いている方と同じ建物に興味を持って撮影ポイントを探していると、憤然としてイーゼルの絵を裏向けにひっくり返してしまった方がいて驚きました。
私はカメラを片手にその建物のほうに視線を向けていたのですが、その方にすればまたまた邪魔ものが来たということだったのでしょう。
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2013/11/27(水) 15:50:11|
- 絵画
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実に愛想がいい。
「あれ?!今のはグっズを撮りたかったんかな。 僕はいらんかったかもしれんな。」
この方の目の表情は魅力的です。
懐は相当広いように感じました。
だってこんな大きな男の人を好きなように遊ばせて、その上でコントロールしてるんですから。
「う~ん、この名刺ホンマモンかなあ。 透かしもないし、最近、偽の蒼樹が出没するらしいからなあ。
うかつに写真撮らせて、変な詐欺に会(おう)たらかなんからなあ。」
などと言っているのではないのです。
私のカードに印刷された私の自慢の写真に感心して見いってくれているのです。くれぐれも誤解せんといてくださいね。
それにしてもマグネットとご本人、見分けがつきませんね。
ちょっと曇ってきて人物をとるのにちょうどいい加減の光になりましたから・・・。はい、パチリ。
「えっ?! 何か、飛んでますか?」
実に愉快なお二人でした。
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2013/11/27(水) 00:02:49|
- 雑貨・カード
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「最初に言っときますけど、私ら夫婦やないですよ。一緒に住んでもいません!! はいっ! い・ま・せん。」
お分かりになりますでしょうか、右側の男性の布袋さんのようなお腹に描かれている・・・・。
この方の似顔絵イラストが描かれています。というか、状況は一見「あっ、イラストの本人がいてはる!?」なんです。
この店にはこの男性をキャラクターにしたTシャツ、シャープペンシル、マグネット、時計などが並んでいるのですが、それらの全てが「げち〇〇」と名付けられているのです。その方のニックネームが「げち」なんだそうです。
その制作者は左の女性、すなわち「かわしまちかこ」女史なんであります。
で、今どうしてこういうことになったのか、私が過去にさかのぼって、そのいきさつを取り調べているところなんですが、どうも証言が食い違うんです。
「あんた何言うてんの、それ違うやろ!」と「ちかこ」さんが追求しているところなんです。
「え~、そやったかなあ。」と完膚なきまでに論破された「げち」氏。
「まあええやんか、昔の細かいことは。」と逃げにかかる「げち」氏。
「あかん、はっきりしとかな。」と追及の手は緩められない。
「まあええけどな。」と寛容なちかこ女子。 ほっとするげち氏。
どうやら力関係は明らかなようです・・。(ここまで…説明の必要もないでしょうが…私の偽装会話です。)
じつは「げちTシャツ」誕生秘話は、『げち屋ができるまで』という実に愉快な4ページモノのリーフレットになっているのです。これ、ただでもらえます。
ちかこ女子はイラストレーターで本の挿絵などでも活躍中。
ですからイラストの腕は確かなもの。
どうやら台湾からのお客さんです。
「えっ?!こんなぎょうさん買(こ)うてくれはんの?!なくなってまうやん。」
この笑顔見たってください。ついさっきコテンパンにやられた人とは思えないやないですか。
この切り替えの速さ、性格の良さ。これがキャラクターの人気の秘密なんでしょう。見た人皆を笑顔にさせます。
「カワイイっ!!」の声が度々かかります。
こうして写真を撮っていく方がたくさんいます。
これがあの…リーフレットに描かれていた・・『アイドル気分』全開の姿やな。
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- 2013/11/26(火) 00:00:25|
- 雑貨・カード
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テレビカメラが来たとなれば、その辺りは少々ざわめきます。何を撮るんだろう、どんな番組の取材だろう、自分は取材されるんだろうか、そして取材されればいつ放送なんだろうなどなどと。
そういう威力がテレビカメラにはあります。
かく言う私も取材を受けて、大切なことを丁寧に話したのですが、短い番組枠では、おそらく取り上げられないだろうなあと思いました。
でも取材のお二人に聞いてもらえれば、それで取材のアンテナに多少の反映がされるのではないかと、・・そういう思いで。
ずいぶん以前でした。地元紙の記者がある方の絵の個展に取材に来ていたことがありました。しかし、その記者は個展をされている方の絵の特徴も事前に研究していないばかりか、絵そのものについて余りにも教養が不足していました。
地方記者だから社会面と文化面とを兼ねて担当しているとかの事情があるのかもしれません。
しかし、そんな人に取材されて紙面に載ったからと言って何がうれしいでしょうか。・・・・それでも喜んでしまう感情が一般には濃厚な気がしますが・・・・。
機密保護法の問題にしろ、原発反対や沖縄基地撤去などの集会に数万、数千の人が集まっても一向に報道しないマスコミのあり方や、東京電力福島原発の事故の深刻さをひた隠す姿勢、「風化させるな」の言葉ばかりで報道時間が大幅に縮小されている問題、「風評」問題をキャンペンで広げて批判や科学的知見の公表を抑え込む先頭になっている問題などなどマスコミはジャーナリズムとしての批判性も気概も失っています。
そんな体制の中で若い正義感がこれからどのように悶えながら諸問題と格闘していくのかを思うと、そのことをそのまま話さないとしても、思わず「がんばれ」の応援の声を込めてシャッターを切らずには居られませんでした。
報道の自由は市民の付託によって成り立っていることをNHKも新聞各社も心底肝に銘じてほしい。
取材が終わりました。彼らのすがすがしい姿に、期待する気持ちが一杯です。
今日も一日ハードな取材、お疲れさまでした。
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- 2013/11/25(月) 00:01:32|
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衰えたりとはいえTVの威力は絶大なものがあります。
昔,笑い話に、小学生が自分の未来の抱負を話すのに「僕は将来、新聞に載る有名人になりたいと思います。」
その人がそののち犯罪を犯して新聞に載った。
あるいは・・・サザエさんのカツオ君なら・・・新聞をひいてその上に乗った・・・・。
しかし、現代ではそれはテレビに映るということになるのでしょうか。
さて、百万遍知恩寺の手作り市にNHK京都局の若いカメラマンと音声さんが取材に来ていました。
それ以前、岡崎の平安楽市で、このブログでもずっと以前に紹介させてもらった靴職人で、ボールペンを革で包みこんだ素敵な作品を作っている職人さん、三上さんが取材を受けていました。その際に三上さんが気を利かせて、私にも取材を受けるチャンスを作ってくれました。
で、少しだけ顔見知りになったわけなんですが、手作り市の取材で番組を作ろうということで知恩寺に来ているところを話しかけて写真撮影に応じていただきました。
今日の撮影取材を終えようという直前にお話をしたので、貴重なチャンスでした。
この日の早朝ずいぶん激しく雨が降って出店者たちはずぶ濡れだったわけですが、このお二人もそのずぶぬれを体験したわけです。
取材者として当然といえば当然なのかもしれませんが、すっかり準備が完了した時に現れるのではなくて、激烈な場所取りの時間から取材した点も、出店者とともに雨にぬれた取材姿勢も大切なことだと思いました。
テレビ取材のあり方、報道のあり方については大いに不満を抱いている私ですが、現役で職場にいた頃から「前線」の取材記者たちの苦労や悩みを幾分は知っていましたから、無論この人たちを責めるなんてことはしません。
肖像権、人格権を侵さないこと、その一方で取材の自由や必要性を明確にすることなどは、趣味ではあっても(いえ趣味であるからこそ)人にカメラを向ける私にとっても重要でセンシブルな問題です。
そういうことについてひとしきり話をすることができました。やはり真剣に考えておられました。
私が撮影をお願いして「ブログ掲載と、うまく撮れたら次の個展で使いたいけれど、どうでしょう?」とたずねると「ブログ掲載はOKです。ただ個展になると・・・。でもブログが良くて個展がだめだという理由はどうなのかなあ、曖昧だなあ。もし断るとしたらその根拠はやはり肖像権?・・・・断れるのかなあ・。」
局に戻って研究してくれるそうです。
どうか個展での使用もOKにしてくださいね。今回いい写真が撮れたんですから。
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- 2013/11/24(日) 00:02:46|
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私は「カラー・セラピー」というような分野については全く知識がありません。
ただ、たとえば・・それは俗論にしか過ぎないのだとおもいますが・・・・緑を好きな人にはナルシストが多いなどと言われることがあります。
紫への親和性は情緒不安定の兆しだとか。
まあ心理学を性格判断などに乱雑に使う傾向は女性週刊誌やワイド・ショーなどによく見られます。なんでも、たとえば犯罪を犯す原因をトラウマに帰して、犯罪社会学の知見を無視したりする傾向はよく見られます。
これは誤ったやり方だと私は考えています。
ですが、化粧やファッションがその人の気持ちを高めたり、自信を持たせたりすることは次第に知られるようになっています。
建物や都市空間、あるいはTVの画面などなどについて、もっと色や形に注意して人の心をとげとげさせない落ち着きのあるものにするようなことことにもっと神経を使ってもいいのだと思います。
これらの分野にもっと心理学をと思います。
ですから今度この方にいろいろ教えていただこうと思っています。
若い人が新たな科学的成果を学んで成長されています。そういうモノに触れる機会が減った世代としては、こうした若者から大いに学ばせてもらう必要があります。
人の服の色を見れば、その人にどう接すればいいかおおよその見当がつきます。
その人の性格や精神状態がそこに現れるからです。
良く「外見だけで人を決めつけないでほしい。」と若者は言いますが、そうはいかないのです。
そこで「制服」の陰に隠れる、あるいは隠させる心理が働くのだとも言えるわけです。
いずれ、こうしたアクセサリーを通じてカラー・セラピストとしての仕事を深化させ重点をそちらに移したいのだという夢を持たれています。
その話をされる時の表情は実に輝いています。
こういう将来展望の描き方を私は思いもつきませんでした。つまり大学卒業=決定的な進路しか思い描けなかったわけです。もっとも現実はそんなに単純ではなくて、危ない橋を渡りながら右往左往してきたのですが。
現代は既にそういう時代ではないですね。人生はもっと複雑で豊かです。・・・ただ、そういうことが厳しすぎる雇用の実態を通してしか見えてこないところに、一面の問題がありますが。
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- 2013/11/23(土) 00:01:59|
- 装身具
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この方には別の手作り市でお目にかかり、今度またお会いしましょうと話した方です。
様々な色の石を使ってアクセサリーを作っておられます。
この「さまざまな色」というところがこの方の肝心なところです。
元来「カラーセラピー」ということを学んで来られて、今「色」を意識した装身具を作ろうとしています。ですからここにある「色」単にきれいだとか可愛いというだけのものではないんですね。
私は高校生のころに友人たちの示唆を受けてフロイトに興味をもち精神分析に関心をもったことがあります。同年代の人はそういう経験をした方が多いんではないでしょうか。宮城音弥さんの本なども読んでよく友人と討論しました。
もっとも、フロイトはキリスト教文化の中で刷り込まれた意識が前提になっていて普遍化することに無理があるのではないかとか、夢分析にしてもかなり胡散臭いなと思い始めて、これは科学というより文学の世界のものだろうと、大学に入った頃には遠ざかりました。
それでも精神医学や心理学には関心を持ち続け,多少の本も読み職場でそれを生かす努力をしたことがありました。
ですから、「セラピー」という言葉にはどうしても反応してしまいます。
最近何でも心理学とか精神疾患とかに結び付けて人の行動、特に犯罪やいじめなどの説明をする傾向があり、また脳科学の発達に伴い様々な精神的活動を脳の生理理、脳の「化学」で説明しようとする「唯物論(ただものろん」的傾向が強くなりすぎていることに唯物論(ゆいぶつろん)者として警戒心を持っています。
精神医学(精神疾患)に偏見が相変わらずあったり、心理学の知見が十分生かされずに生産効率を上げるためにだけに使われたり、その人を疾患にまでいたらしめた現実の変革を忘れてトラウマ論で説明して事足れりとしたり、カウンセラーに依存しすぎたりする現実があります。
私はもっと精神医学が普及し、心理学の人間的な活用が実現してほしいと願っています。
で、この方のお話を聞いて学ばせていただきたいと思っているのです。
新しい知見は最近学んだ方がご存じですからね。
テーマ:女性ポートレート - ジャンル:写真
- 2013/11/22(金) 00:08:54|
- 装身具
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どこから来たの?(お国はどこ?)
フィンランドです。
フィンランドの人がどうして日本に興味をもったのか。
フィンランドと日本とでは文化や意識に似た点があるとおっしゃっていました。
今度、大学の進級制作展でお会いしたらそういうことを根掘り葉掘り伺いたいと思います。
日本のことはずいぶんと好感を持っているようです。
茶道のサークルに入っているためこうした和服を着ることには、一般的な日本女性よりも慣れています。
アクセサリーも和風に整えています。
私が「せっかくだから・・・何がせっかくなのかよく分かりませんが・・・建物の中でだけではなくて少しでも紅葉があるところに行って撮りましょう、とお誘いすると「せっかくだらか良い写真を撮って欲しい。」と同行してくれました。
高野川の橋の上です。 でも紅葉はもう一つのようですね。
市内中心部からは少し距離のある所にお住まいで、地下鉄の駅に向かいました。
で、一緒に歩いていると当然ここで撮りたいという場所があるわけで、・・。・・・何が「当然」なのかまたまた明らかではありませんが。
どうも左からの写真が多いようですね。
そこで、・・・。
時折、外国から来られた方がこうして和服を着て京都の町を歩いています。
日本人は海外で、その国の民族的な服を着て街を歩くことがあるのでしょうか。
留学生と話すとずいぶん色々なことに気づかされます。
楽しい経験です。
スィー ユー
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- 2013/11/21(木) 00:01:00|
- 人物
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すべては「縁起」として生じているというのは仏教思想の優れた点だと思う。
などと切り出すと何か高邁な思想を語り始めるのかと誤解されそうですが、・・・・ところがどっこい実に世俗的なレベルでことは運んだのです。
こんな方と出会いました。
ここは市内のあるギャラリーです。
私がある絵画のグループ展の会場で若い作者と話をしていると、そこにこの方が現れました。
日本人の女性でも金髪の人はいますが、この方は「キモノ」はきていても間違いなく外国の方です。
(この方の右手にご注目を!!)
私が作家と話しているとその間に実に熱心に一枚一枚の絵を見ています。
・・・・私自身は平均的な日本人に比べて一枚当たりの観賞時間は長い方だと思います。概して他の人々は絵の前にいる時間が短いように思います。・・・この方もとても丁寧に見ているのです。
せっかく外国から来た人が絵を見ているのだから是非話しかけて色々と感想を聞いたらいいと目の前の若い作家に促したのですが、タイミングがつかめなかったようです。
もっとも、以前の私もまた、神社への行き方などを訊ねられでもしなければ自ら外国人に話しかけることは、まずなかったと思います。
まあ、あったとしても核兵器廃絶のための署名集めの時くらいでしょうか。
私が階下の別の会場に移ると、そこにもこの方がいて、長い時間をかけて一作一作を見ていました。
それはどうも観光の人ではないという印象でした。キモノの着方もごく自然で、観光に来て和服をレンタルしている街で見かける日本人の若い女性に比べても、ずっと身についている様子でした。
私にできる外国語はありませんから、「ハロー、カン ユー スピーク ジャパニーズ?」と話しかけると
「はい、少しなら話せます。」と静かな、しかし流暢な日本語です。
そこで安心して話をして見ると、
フィンランドからの留学生とだということで、陶芸を学んでいるのだそうです。
外国人とみるや誰かれなく、とにかく英語でというのは・・・・致し方ないとしても・・・良くないように思いました。
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- 2013/11/20(水) 00:00:32|
- 人物
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京都には300ほどのギャラリーがあるのだそうです。開店休業状態のギャラリーも少なくないのだそうですが。
私が足を踏み入れたことのあるギャラリーはそのうちの何パーセントくらいでしょうか。おそらくは10%にも達していないかと・・・・。
その中でこのギャラリーは有名なモノの一つです。
そこで若手がグル-プ展をしていました。
最近の赤ちゃんは生まれてすぐからとてもきれいな顔をしていますし、幼児期の子供も綺麗な顔立ちをしています。
若手の絵画などの表現作品もそういう感じを受けます。
私自身はこうした芸術分野について何ら素養も造詣もちあわせていません。ですからあれこれ口をはさむのは,
はばかりがあるのですが、一般の観賞者は大概そういう人たちなんでしょうから、私はそういう人の一人として色々感想を言うことがあります。
せっかく見せてくれているのに黙って会場を後にしては失礼だとも思うからです。
まあ、もっとも誰彼なく、なんでも言うというわけではありません。
ちょっと厳し目の話でも受け止めてくれそうな人かなと・・・、そういう人にはシビアなことも言うように心がけています。
この方もしっかり耳を傾けてくれました。悪くすると暇つぶしの文句言いのオジサンになってしまいますから塩梅が難しいのですが。
この方の作品は「ノイズ」
紙、アルミ箔の下に一円硬貨がぎっしり並べられています。そして紙、アルミ箔にスリットが入れられていてそこに一円硬貨の列がわずかに見えます。
右の作品では隣り合った硬貨の一部だけが見えますし、左の方は硬貨の列が見えます。
現代における「ノイズ」とは何でしょう。
TV画面に出るノイズ、PCのモニターに出る「ノイズ」、デジタル写真の「ノイズ」・・・・、いえ、様々な社会現象には至る所に「ノイズ」と意識されるものがあります。
その「ノイズ」を透かして見ると、・・・・・・、そこに金(カネ)が透けて見える。
作品そのものは実にシンプルです。
2500枚の硬貨と、それを覆うスリットの入った紙(アルミ箔)。 そこに現代を描く。
「希望を意識して立って見てください。」
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- 2013/11/19(火) 00:02:20|
- 絵画
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こうした職人の仕事を知ってもらうために様々な土地、色々な施設に出かけるんだそうです。
決して若いとは言えない年齢ですが、この仕事の枯れた現況に対する危機意識はとても強くお持ちで、座して滅ぶことを傍観することはできないという感じでした。
とても積極的にご自分の仕事を打ち出しておられます。
そのせいか話す声も動作もとてもお若い。
海外からのお客さんに対しても泰然として、応対されています。
そして私が納得するまで辛抱強く作業を続けてくれています。 実はもう昼食をとらないといけない時間なんですが。
私はカメラをもつと、あっ!!この表情!! この場面と、際限なく撮り続けてしまいます。
あとからあとから良いものが出てきますし、前のカットに不満が残るからです。
と言うとカッコいいのですが、実はちゃんと撮れたか不安なだけなんだと思います。
このカットも一旦カメラを収めてから、「このアングルがいいなあ、もう一度いいですか。」と言って撮らせていただいたものです。
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- 2013/11/18(月) 00:00:49|
- 伝統工芸
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この方のキャリアは私の全人生より長い!!
友禅の手描をされている。
この場は実演の場ですから、額に入れて楽しむものなどを描かれています。
周囲を描くことによって対象が浮かび上がってきます。
堅く安定した台の上において描くのではなくて、こうして布を張って書きます。
「不安定だし、布がフワフワした描きにくくありませんか?」
「まあ、これも技術だからね。」
カンバスを斜めに置いて書けば安定はするでしょうが、こうすれば自分と布との距離も自在ですし、持ち替えて天地を逆にすることも簡単にできるわけです。
この実演の場所のすぐわきに着物のファッション小の際にモデルたちが通る通路があります。この方の背後の壁の向こうはショウの舞台です。
華やかな音楽と着飾ったきれいなモデルさんが次々に通っていきます。
でもこの方の描く周囲はまた別の空気が張っています。
その空気の中に一緒にいられるのは幸運なことだと思います。
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2013/11/17(日) 00:06:04|
- 伝統工芸
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今度の個展を前後して少しニュアンスの違う写真も撮りたいと思っていて、この方にも協力を要請中なのです。 が、なにしろ忙しくなってしまって、わたしの我儘はなかなかきいていただけそうにありません。
先日、団塊の世代の方とお話しした時に、今の若い人たちは非常に難しい時代を生きているということが話題になりました。そして私たちが経験したのとは違う人生構想をもたないといけないし、またそういうことを模索する人が少なからず出てきているという話をしました。
私は若い作家、職人たちと出会って、ずいぶん鞭撻されてきました。勿論、若い人たちに対して物足りなさも感じるし、不満もあります。が、ただ、異なった時代に生きる者は異なった生き方を模索せざるを得ないし、新たな生き方を切り開いていくものだということは確かなことだと思います。
私には考えられなかったことを当然のように考え行動する若い人たちを見て、とても感心します。
私の学生時代などに比べてずっとしっかりしています。
ある時、かつてポートレートを撮っていたことのある方が、この人の写真を見て「自分もモデルに織機の前に坐ってもらったりして撮ったことがあるけれど、なかなか職人らしい表情をしてもらうことができなかった。このひとはすばらしいね。」と言っておられました。
何か誤解をされたのですね。面白いでしょ?!
テーマ:女性ポートレート - ジャンル:写真
- 2013/11/16(土) 00:00:40|
- 工芸
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来年1月7日から個展をすることにしたことは既にお知らせした通りです。
それにしてもそれは「かつての蒼樹の生業からは想像つきません」と旧知の方からブログ・コメントをいただいた通りのことなのです。
それが意外なことは私自身が驚いているのですから間違いありません。
こういうことになったについては色々な事情があるわけですが、なかんずく私に写真を撮ることを許してくれた多くの方々のおかげなのです。そうした中でも私の意識を転換させるターニングポイントとなったくれた数人の方がいます。
そのうちの一人が今回のDMにさせていただいたこの人です。
「七宝」の職人です。
この方に出会ったのは全く偶然のことでしたが、私の無理を聞いていただいて、これまで数度撮影に応じていただきました。
現在私は自称この方の「追っかけ」なのです。
最近はいろいろ注文の仕事もひきうけておられて、お母さんが心配するほど仕事をされていますからなかなかお会いすることができませんでした。
久しぶりにお会いするチャンスがあり、出かけました。
銀の板を切り取って可愛い動物の形をしたアクセサリーを作っていました。
七宝ばかりでなく彫金もされるのです。
何故この人が私にとってターニングポイントになったかというと・・・・。
と、まあそんなことはどなたにとっても興味のないことだと思いますので・・・。
私は次の写真が気に入っています。
この方はきれいな方ですから明日の写真ではそういうものがあるのですが、こちらの方が写真としてはいいんじゃないかと思っています。
でも撮っている時はついついきれいに撮ってしまうのですが。
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- 2013/11/15(金) 00:05:16|
- 工芸
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家紋の事典のような書物があります。
世界にも珍しい文化ですが、日本全国には実にたくさんの家紋があります。
小学生のころだったか中学生のころだったか。百科事典や近所の墓をまわってそうした紋を集めて大きな模造紙何枚かに描いて夏休みの研究にしたことがありました。
花や木などの植物、あるいは小動物。傘などの日常の道具類。そして幾何学文様。欧州のような猛々しい画はほとんど見られません。大型の動物でも牛や馬です。日本の文化を考える上で面白い傾向ですね。(・・ここから日本人は本来平和主義で好戦的ではないなどという安易な結論を出すべきではないと思います。事実、戦国時代などは敵の首を刈る「首狩り族」だったのですし、明治期以後10年ごとに対外戦争を繰り返してきたのですから。議論の位相が違うのですよね。)
ト、そういうことは措くとして、・・・・。
こういう資料に基本形が網羅されているのだそうです。
しかし、たとえば蝶の図でも、この本にある蝶とこの方の描く蝶とでは、蜜を吸う管の太さなどにはっきりと違いがみられます。
「それはこの紋を描く家々によって違うので、私が描いているのは先代から受け継いできたものです。ほとんど同じように描かれた紋ですが、私らが見ればそれが私の描いたものかどうかは分かるんですね。」
目の前で何度も何度も同じ蝶の紋を描いてくれました。
布に描くのですから縦糸と横糸の交差する凸凹した面に同じ太さの細い細い線を滑らかに描くということは、大変に難しいのだと思います。
タヌキの毛を3本中心にした筆を使って描いているのだそうで、やはり腰の強さなどから中心は狸なんだそうです。
多くの紋が円形ですから、コンパスも使います。当然筆がつきます。
その様子もわざわざ見せていただけました。
一気に円を描くというのではなくて、少し弧を描いては少し戻りまた次の弧を描くという風に行きつ戻りつします。
直線のひき方、平行線のひき方です。
足利家の「二つ引き両」、北条の「三つ鱗」などではぜひ必要ですね。
完璧に同一性を保つ。それをなし得る技術は並大抵ではない。布に描く線。それもデザインとして視認性を保つ限界で細い線の極限の追求でもあります。
こういうことをめざす修行をする人はもう出てこないのかもしれません。
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- 2013/11/14(木) 00:42:00|
- 伝統工芸
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「この紋どころが目に入らぬか?!」
ここでいう「紋どころ」とは「家紋」のことで、水戸徳川家の葵の紋だということはいちいち説明する必要もないことでしょう。
最近はあまり「家紋」の出番はないようですが、先日、私の甥が弓道の関係で家紋が必要だというようなことを言っていました。
我が家の父方は「三つ柏」、母方は「三つ鱗」です。皆さんの「家紋」は何ですか。
この方は、手書きで家紋を描かれる、今や大変に少なくなった職人の一人です。
手前のある反物には既に紋がはいっています。
場所が暗いために絞りをあけて撮っています。 そのために被写界深度が浅くて紋がぼけて見えません。
今回の写真は総じて私の技量不足というか注意不足で、実に細やかな技術が結晶した紋を撮ることができていない失敗作です。
紋は何度かいても正確に同じ形にならねばなりません。紋つきの服には五か所紋が入りますが、そのいずれもがまるで同じ型で、文字通り「判で押したように」正確にかかれなければなりません。
今やコンピューターで図案を取り込めばほぼ完ぺきに同じ図案を繰り返し印刷できますから、果たして手描きをする必要があるのかどうか、今後この技が存続するのかどうか、ご自身も問い続けながらの仕事です。
漫画家も、何度かいてもキャラクターの形は正確に同じように描かれます。しかし、何十巻も続くコミックでは、1巻の頃と、4,50巻に達する頃では明らかに絵が異なって来ていることがまま見られます(もっとも主人公が時間とともに成長する場合は当然のことですが)
この方の仕事ではそういうことは許されません。師匠・先代から受け継いだ紋の形は修正・改変されません。そこではある意味で創造性や革新は認められない世界です。
現代美術は「個性」だけが存続理由であるかのような様相さえありますが、ここではその個性は排除されねばなりません。
そういうお仕事です。
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- 2013/11/13(水) 00:01:16|
- 伝統工芸
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ジャンベの音は・・・大きな太鼓一般にも多かれ少なかれ言えますが、・・・中央部をたたいた時の低音が何か本能を揺さぶるような、そこに直接響くような魅力ある音がします。
そこに幾分知性的なギターの弦の響きが混じると案外魅力的な音の響き合いになるような気がしました。
ジャンベの奏者の学生は三条大橋の下で時々ジャンベ仲間が集まって叩いているのを知っていました。
「あの人たちはすごいですよ。僕はとてもとても・・・。」
鴨川のこの辺りにもサックスやギターの練習に来る人が多いようです。
現に向こう岸からサックスの甘美な音色が聞こえてきます。
いま、ギターを弾いている学生が作曲したらしい新曲を演奏してくれています。
私は楽器演奏はからっきしダメですし楽譜もちんぷんかんぷんです。
こうして音楽を楽しむ力があるということはいいですねぇ。
まして仲間同士で楽しめる時間は素敵です。
撮影を終えて、お礼を言って立ち去ろうとすると、背後から3人の「ありがとうございました。」の声が聞こえてきました。
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- 2013/11/12(火) 00:00:01|
- 音楽
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先日ある方とお話しした時に「いつの間にか紅葉が進んで秋がふかまっていました。周囲を見回すゆとりも欲しいものですねえ。」
たくさんの方のブログには北海道や東北の山間部、さらには南へ西へと紅葉が進んで行く様子が見られたのですが、自分の足元の紅葉を見る心がありませんでした。
これではいけませんね。
鴨川の岸沿いは春の桜も綺麗ですが紅葉もまた見ごたえがあります。
鴨川の堤を自転車で走っているとギターの音とともにジャンベの独特な低音の響き、高音の響きが聞こえてきました。
学生たちが楽しそうに練習をしていました。
特別なユニットを組んでいるというわけではないそうですが、・・・。
「写真を撮らせて。」というお願いに、わざわざ一曲演奏してくれました。
鴨川でのこうした情景がとても好きです。
手前でギターを弾いている学生は普段は別の軽音のサークルで活動をしているそうなんですが、今日は一緒に楽しみます。
一緒に演奏できる曲はこれだけだとか。
私たちも学生の頃、仲間と旅行に行く際には2,3人がギターを持ってきて乗り合いバスの中でも歌ったものでした。
同乗した地元のお客さんたちも迷惑がらずに楽しんでくれました。
気持ちの良い秋の日差しの中で、楽しさが倍増です。
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- 2013/11/11(月) 00:00:11|
- 音楽
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最近伊勢神宮の式年遷宮が話題になっていました。
世界の信仰別による人口調査では日本にはブッディストとシントウイストの総計が総人口数を上回るそうです。
NHKの「ゆく年くる年」は当然のように神社と寺院です。またそれが不思議とも思われていません。
日本にはヨーロッパの啓蒙思想の時代がありませんから、信仰・信心の分野は「チャンプルー」です。
この方は、大学院で古代の信仰・人々の意識を研究されているそうです。その一環として西日本の神社をたずねています。
最近「神社女子」なるモノが話題になっていますね。
が、この方の「神社」詣ではそういうものとは一線を画します。
(それにしても「神社女」ではなく、「神社女性」でも「神社婦人」でもなく、ましてや「神社女史」などではさらにない。「神社女子」だというのは何を意味しているのでしょう。「女子力」「カメラ女子」「女子会」・・・・。私はそこにプラスの側面を見るのにやぶさかではありませんが、世の女性たちはこの現象を喜んでいるだけで良いものか。・・・と、これもまた今回の話題と直接に何の関係もありませんが。 )
日本に広がっている「八百万神信仰」と仏教伝来以後に次第に形成された神社信仰を区別すること、韓半島からの渡来神についてなど、話が通じる方に久々に出会いました。
私の側から「久々」でしたが、この方からも「珍しく」ということであったようです。
この方の属する研究室も学生はこの方一人で、同年代の「話し相手がいない」のだそうです。
明治新政府は、新たに神道の国教化を進めるについて各地の神社に実態の報告を求めた。それがかなり丹念なものとなっているようで、いわば一木一草まで絵図面などとして記録されている。(これを調べれば樫原「神宮」などについて面白いことが分かるはず。)
その図面から面白い部分を取り出して図案として利用して作ったのがこの方のグッズ。
なかなかの評判です。
「私は神社について研究している者です。」と書かれています。
流石に知性と理性に依拠する研究者の卵です。
「神社の素晴らしさを知ってほしい。」とも書いて、関心を高めようとしています。
神社やその関係者は大いに感謝すべきだと思うから、心を安んじられますように。
こうして若い方の中に、キチンと科学として古代を見ていこうとする方がいることは心強いと私は思っています。
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- 2013/11/10(日) 00:02:49|
- 雑貨・カード
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先日ある方のご好意で「祇園をどり」を見ることができました。
長年京都に住みながら花街の敷居がとてもとても高くて鴨川おどりも都おどりも見ることはありませんでした。
舞台の上で舞う舞妓さんや芸子さんに見惚れたのは言うまでもないことですが、着物の見事さにもうならされました。その着物を作る人々に出会えるのも京都ならではというところでしょうか。(無論、金沢でも東京でもあることですが。)
この方は着物の最終工程に近い、箔を置く仕事をされています。
金箔を施したいところに糊をひき、そこに箔を置いて付着させるのです。
豪華な着物になりそうですね。
円錐形の道具は、友禅染の絵を描くときに、染料が「なく(塗るべき区域からにじみ出すこと)」のを止めるために糊を置くものと同じです。
既に何ヵ所かの糊をひいた場所に金箔が置かれています。
これを筆で箔と余分な金箔が細かく破れてはがれます。
金は貴重(最近はずいぶんと金相場が上がってきていますからなおさらです)ですから、こうして吸引して回収します。
掃除機の中の集塵パックは、そのまま業者に渡すと丸ごと焼いて、金銀を溶かしだし、インゴットに再生するのだそうです。
その時紙パックはもちろん埃などの不純物は燃えてしまうわけです。
これはこれで専門業者があります。
この職人さんに「写真を撮らせてもらっていいですか?」とお伺いする際に、これまでに私が撮った写真の何点かを見ていただいたのですが、・・・。
「この人は知っているよ! 私の師匠です!」とのこと。
しかもその師匠さんはこの方の義父に当たる方だそうです。
これまで、ここで職人さんをたくさん撮ってきましたから、ついに人と人とがつながってしまいました。
大切な着物の制作途中でしたが、私の無遠慮な質問に丁寧に答えていただき、「こうしてするんですよ。」と貴重な金箔を使って見本まで示していただきました。
いつものことですが、職人さんが仕事をする時にはその周囲に張り詰めた空気が漂います。
この空気を撮れるようになればなあと思います。
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- 2013/11/09(土) 00:04:25|
- 伝統工芸
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見れども見えず、聞けども聞こえず
度々通り、度々目にしたはずのお店。
その奥にこんな風景があった。
もう時折肌寒い日もあるというのに店の外に向けて扇風機がまわっている。しかも2台も。
ここは「出し巻き」の専門店です。
大きなボールにたっぷりの溶き卵。
「撮らせてもらっていいですか?」
「ああ、いいよ。だけどこの卵がなくなったらおしまいだから、撮るなら急いだ方がいいよ。・・・。」
そう言えばボールの深さから言ったら溶き卵は、目にはたっぷりとは見えても・・・もう底の方に見えるだけで二分程度。
これは急がなくては、・・・。
幾つもの卵焼きのパンを並べて順次に巻いていく。
巻いていく手つきは「ふわっと」です。
そしてさらに溶き卵を追加して、・・・。
その動作は滞るところがありません。体全体がリズムをとって動いています。
そのリズムが大切なんだそうです。
こうして空いている部分に卵を広げながら、・・・。
ほ~ら、一つ焼きあがり・・・。
みるからにほんわりやわらかそう。今ならアツアツです。受け取る側の手も柔らかに受け止めます。
一日で、いったいいくつ焼くのでしょう。
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- 2013/11/08(金) 00:04:47|
- 料理
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「下絵・無線友禅」とこの方の紹介に書かれている。
「無線」とは、下絵に糊を置くことをしないで描くことを意味する。
友禅では染料で上がらを描くときに、たとえはあまり適切でないかもしれないが、塗り絵の枠の線を糊でなぞる。その糊の線が染料がにじみ出すのを防ぐダムの役割をする。
その糊を蒸して流水にさらして落す。染料に染まってほしくないところを糊でコーティングするということになる。
その糊の線を描かないで直接に描くので「無線」
色々お話をうかがう時にはこの方はこの写真のように実に柔和で温厚な方。
私がシャッターを切り続けると、次第に集中されて、おそらくは、いつもの表情になっていく。
こうなると、私はさらにひたすらシャッターを押す。
どうすればこの集中をうつし撮れるか、緊張を見えるようにできるか。
結局この方に促されるままにシャッターを押すことになる。
そして大概いつものことだが、下手な考え休むに似たりで、この方の放つ空気に促されるままに呼吸を合わせて撮っていった方がいいらしい。
周囲には入れ替わり立ち替わり海外からのお客さんが立ち寄るが、私はその合間からひたすらに撮る。
この瞬間がとても楽しいのだから止められない。
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- 2013/11/07(木) 00:02:17|
- 伝統工芸
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自分のことを棚に上げて言えば、街をゆく人たちのファッションについていささか不満があるのです。
それで、ファッションに高い意識を持たれていそうな人を見ると、ついその方の装いに注目してしまいます。
首に巻いているのは黒、赤、紺の布です。赤が利いていますが、そこに紺があることで色彩的にとてもセンスが感じられます。
帯地のような強いデザインのものを日常に着る服に合わせようとすることには相当の難しさがあると思います。
結婚式場などで洋装のドレスに混じって和服の人がいると、大概、「勝って」います。
職人さんの気持ちとしては「切り刻んで使うのはいい気がしないし、生かされているとも思えない。」かもしれません。
でも室町という和服のメッカといってよいようなところに生まれ育った方たちが、なんとかしてこうして職人の技の成果を生かそうと工夫されていることには、やはり注目はしたいと思います。
全身を紹介したいと思って店の周りをぐるっと・・・。
「ちょっと恥ずかしい。」なんておっしゃっていましたが、今回ばかりは「ブライダルファションの仕事ではモデルさんにいろいろ厳しい注文をしてきたんでしょ?}なんて言いながら、頑張ってもらいました。
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- 2013/11/06(水) 00:00:41|
- 服飾
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上賀茂の手作り市でお会いしました。
まずはお店の名前をご覧ください。
「KUJIRAJYAKU」とあります。そして「37.88」。
勘の良い方はお分かりになると思います。
「鯨尺」「(曲尺1尺2寸5分=鯨尺1尺≒)37.88㎝」ということですね。
京都の室町の呉服関係のお商売の家に生まれています。
そして着物の帯じをショルダーバックなどに仕立て直して新たな活かし方を模索されています。
着物の柄はとても力があります。
ですから西洋風のドレスと並んでも振袖などは非常に存在感があります。工芸作品の集大成を身につけているような趣さえありますから。
で、この方のファッションに注目したのです。
以前はブライダル・ファッションなどを手掛けておられたそうで流石にファッションのセンスは一味もふた味も違います。
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- 2013/11/05(火) 00:03:29|
- 工芸
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いつもはポップな作品が展示されていることが多いという印象のギャラリーの前を通り過ぎようとしたとき「あれっ?! あの作品は見たことがある・・・。」
と、思わず自転車を停めました。
日本画です。
この方はインド、タイやミャンマーで取材して、それらの要素を日本の庭に落とし込んだ作品を描いておられます。
この日も灯籠の絵がありましたが、それはぎっしりと花でうずめられたものでした。
ずいき祭りの時に神輿がずいきをはじめとする様々な農作物で形作られますが、イメージとしてはそんな感じです。
色遣いは明らかに日本の古来のものではありません。(だと多くの人にイメージされている色ではありません。)
ううん?! いやむしろ奈良時代や平安時代に見られた寺院建築の装飾の色といった方がよいかもしれません。
南アジアや東南アジアの日本の文化の源流を求めて、そこに暮らしながらの取材だったようです。
背後に見えるのは「女の子が結実する木」がモチーフになったもので、その少女を聖徳太子に翻案しています。
不思議な絵です。
研究と制作が統一された絵です。
これからは日本各地にある様々な伝統を取材して、日本文化の源流を求めようとされています。
この方もおっしゃっていましたが「男性が描いた絵ではと思われる方がいるんです。」
実は私もこの方の作品を最初に見た時にはそう思いました。
とても丁寧に制作にまつわるお話を聞かせていただけました。
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- 2013/11/04(月) 00:01:19|
- 絵画
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大学時代の同窓生が岡山在住の仲間の呼びかけで岡山に集まった。
よく飲み、よく歌い、よく議論をして、同じスナックに同席して我らが大騒ぎの迷惑を被った方から「こんな同窓会ができて羨ましい」と言っていただいた。しかも「個展にはぜひ行きたい。」とまで言っていただいた。岡山の人は皆いい人だ!!(と、酔った頭で思った。)
翌日は皆で倉敷に出かけた。
この日は倉敷では屏風祭り。
町は賑わっていた。
そんな中でちょっと路地に入った場所で「手作り市」が開かれていた。
昼食後は散会となったので、友人二人とぶらついたのだが私がわがままをいってここに来た。
普段はもう少したくさんの出店があるとのことだったが・・・。
そこで妙な楽器を演奏する方に出会った。
この竹の筒にはビーズがたくさん入っているそうだが、まるで南海の青い海のサンゴの海底で聴くような妙なる音がする。もっとも私は南海の青い海に潜ったことはないが。
波の音ではなくて、ちりちりというきらめくような輝きと涼やかさをもった音だ。「ちりちり」ではこの音を表現できていないのだが、ほかに擬音が思い当たらないから仕方がない。
下の楽器を異瓢琴というらしい。この人が創ったのだからこの人が命名する権利がある。余人に文句は言わせない。そこが実に愉快。
筒の部分が竹。この方は元来、竹で箸を作ったりする竹細工職人。
そして共鳴部と音の出口が瓢箪というわけ。
幾分音が小さいから電気的に増幅するようにも作られているが「やはり生の音がいいからこのままで聞いてください。」とのこと。
なにしろ聴衆は我々を含めて3,4人だからちょうどいい。
世界に他にはない楽器だから楽譜も独自だ。この人にしか分からない。
そこがまたいい。
繊細なか細い音が出る。まあハープの一種になるのだろうか。
「ファ」の音がないんだそうだ。「ファ」を入れると和音がきれいにならないからという。
「ギターを弾く人には理解してもらえるんだけど・・・。」といわれるが我々3人はその方面は不調法。
少なくとも私には何故「ファ」の音を除くのか理解できなかった。
日本のあちこちで一家言をもって生活を、文化を耕している人がいる。
この人の周囲にこの人の演奏を楽しみにして集まる人がいる。
手作り市を楽しんでいる人がいる。実はこの同じ日に岡山市の方でも大きな規模で手作り市が開かれているのだそうだ。
日本の文化は日本の庶民がつくっている。
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- 2013/11/03(日) 00:05:22|
- 音楽
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いつだったかの中学時代の同窓会の時に「良い年の取り方をしている」というようなことが話題になりました。
世はあげて「若い方がいい」「アンチ・エイジング」ですが、人は老いねばなりません。
仏教の「四苦」には「生・老・病・死」があげられています。
しかし、人生を生きることを否定的に考えることはあまり賛成できません。
生きたこと、生きていくことをもっと肯定的に考えたいものです。
そして「良い年の取り方」をしたいものだと思います。
この方は業界の中では必ずしも高齢だというわけではありません。
長年の仕事を通じて「出来る人」になっていることはその方の人格の形成の上で重要な要素の一つだと思います。
昔、国語の教科書に「であることとすること」という丸山真男氏のエッセーが掲載されていました。
生まれや身分ではなくて、その人が何をなしたかによってその人の評価・価値は定まるべきだという、いわば戦後民主主義の価値観の柱の一つとなる考え方を説いたものでした。
(上の写真と下の写真とは「間違い探し」ではなく「違い探し」のためのものです。)
私は職人さんたちの仕事の姿に感銘を受けるのですが、この姿は顔の表情、手指の動き、体の姿勢などなど、どれも一朝一夕に形作られるものではないものだからです。
「すること」を通じて形成された姿に魅力があります。
集中をし緊張もしていますが、力の偏りやよどみがないこの姿は動きの少ない洗練された舞を見るようです。
最近の円安で欧米の観光客が増えています。
彼らもまた黙って写真を撮って行きます。
しかし、彼らをとがめ、「まったく〇〇人のエチケットのひどさは・・・。」などという人は稀です。
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2013/11/02(土) 00:00:14|
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