今回は、たまたま立体コラージュ作品だという事で、オブジェ作家という訳ではありません。
ご自身は「絵師」だと言われます。
なかなか数奇な人生を送って来られた方です。 「ものとしては何かを欲しいとは言わないから、お金が欲しい。」とお父上に言ったら「毎月一万円をくれて、だから他には何もやらないと言われた。」高校生時代。
御年77歳ですから、高校時代に近い1968年の大卒初任給は月給3万600円。まだまだ大学進学率が20%に届くか届かないかの頃。
一般の高卒、中卒労働者は1万円も手にしていなかったかも。聖徳太子一枚は相当に価値があった。
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この方は、絵師の三戒堂水宝さん、御年77歳。
お盆などの丸型フレームに蚤の市やネット上の市で手に入るような仏像や異国の神々などがさかさまにぶら下がっている。
「逆さまだ」とみるのはこちらからの視点。向こうから見れば…しかも相手は神々で普遍性・絶対性がある・・・こちらがひっくり返っている。
「なんだ逆さまじゃないか」と見る、こちら側の「見る者」の、常識や価値観に対して疑ってみたらいかがと問いかけている。
宇宙の中ではすべてが相対的なんだし、という事でもあるのかな。
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このアイディアを得たのが2年ほど前だという事。
自分の固定観念に自ら異を唱えるのはなかなか難しい。
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ことに高齢になると、思い込みが激しくなり、過去の栄光にすがって、自分をアップデートできにくい。
実績にも傷をつけたくない保守思考が働く。成功体験に縋り付けば大概周囲の顰蹙を買う。
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それを、えっ?!なんでまたこんなことを というぐらいのことに踏み出せるのは柔軟性と勇気が無くちゃならない。
これが大方の人には難しい。
そういう人物や作品に会うと、例えば「何、これ。ひどいね、ガラクタじゃないか。」と思っても、じっと見て考えると、自分の思考にちょっと風の通り道ができることがある。
この場合、賛成できるかとか、共感できるとかいうような基準に固執していると、見逃すことも多い。
それは自分自身の既得の観念にいたずらに縛られていることを意味することがあるから。
自分の過去に積み重ねたものを、しっかり踏まえたうえで、新たな境地に乗り出すのは難しいが、そう言うことができる人は、甘楽官らと笑いながらやってのけるのだと、私は、羨望を込めながら勝手に想像している。
- 2024/05/21(火) 00:00:01|
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写真は、多くの場合に、カメラという道具を使って撮るわけですが、カメラが、主体的に撮るわけではありません。
そんなことは当たり前じゃないかと言われると思いますが、一つには、ここにAIが介入すると話が違ってくるという事と、それは置くとしても、レンズやらカメラを選んで、ポートレート向きの撮影をするためのあれこれの蘊蓄を披露する解説動画を見ますが、それは、見当違いの話ではないかと思っています。
ポートレート入門みたいな話の時にも、最も肝心なことは、ほとんど話題にされていないなあと感じています。
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昨日の写真と京の写真を、全く別々に見せられたら、この人についての印象は大きく異なると思います。
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でも、どちらも、この人ですし、単に演出したから違いができたんだという事でもないと思います。
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更に、・・・・・。
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こういうところにも写真の面白さ、あるいは可能性がありますね。
ことは人物写真に限らないのだと思いますが、私にとっては、こういう事も人物写真に入れ込む理由ですね。
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今日は、たまたまこの人が当番の日だったようです。
ほかにもおもしろいさくひんがありますから、それの制作者たちも話をしてみたいですね。
学生ですから、講義や実習のあるなしや、バイトのスケジュールなどを調整して「在廊」するわけですが、せっかく自分の作品を展示しているのですから、お客さんの反応や受け止め方を知ることができるように、より多くの時間「在廊」できるといいですね。
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この人は、既に進学が決まっているようですから、卒業に向けての制作にも打ち込めますね。
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また来年の卒展で、作品を見せていただきたいものです。
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※ このブログをご覧になったらコメント欄に、管理人だけが見られる形でメールアドレスをお知らせください。これらの写真をお送りします。そのことをお伝えし忘れました。その際に間違いの起こらないようにするために、椅子の上の透明の樹脂のモノが何を表しているかをお書きくださいね(笑い)
- 2024/05/20(月) 00:00:05|
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それが学生の作品であろうと、世に知られたベテラン作家のモノであろうと、作品にはそれぞれ何らかの思いが込められているわけで・・・・。
錆びたコーラの空き缶を無造作に床に置いたって、そこには置いた作家の意図なり、込めた思いがあるわけで。
その意図や思いが重いか、軽いか、個人的なのか普遍的なのか・・・・まあ、そういうことはあるにしても・・・読み取っていけば、以外に奥深い思いがあるものです。 まあ、あってほしいという期待もありますが。
そして、この人の作品は・・・・・・・。
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この人とお話をしてみて、この作品にも、またこの人の話し方や外見にも、複雑な思いがにじみ出ているのかなと勝手に想像しました。
それは、この私のみすぼらしい「徘徊老人」的な格好にも窺えることでしょうが。
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久々に髪の色を変えたら、友達がじゃあと言って髪を編んだりリボンをつけたりしてくれたんだそうです。
それで化粧もいつもと少し違うのかもしれません。
話し方は快活で笑顔いっぱいです。
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高校時代は、ハンドボールをしていてキーパーだったそうです。全国屈指の強豪校だったそうで、練習中に大けがをして、部活継続を断念。それ以来、芸術系に変わったそうです。
あんな激しいゲームのキーパーを務めるには運動能力ばかりか精神的な力も相当強いものがあるんでしょうね。他のゲームのキーパーや野球のキャッチャ^同様、チームの要ですし、人格的にも信頼され、慕われる人なんでしょう。
その人が味わった挫折です。
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この作品の椅子に座る誰かの影が下の金属板に映りますが、その板は凸凹だらけで像はゆがんでいます。
そして腰掛ける椅子も不安定に傾いています。そこに腰かけているのは「もう一人の私」ともいえる存在です。
「ともいえる」というところにこの作品の一つの鍵があります。
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どんな人も、その内面は多層構造になっていて複雑な世界を作っていますが、この人の場合にもまた、初見では読み取り損ねるものを内に持っている感じがしました。
それで、お願いして、少ししつこくレンズを向けました。 幸い快く「被写体」になってくれました。
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それにしても性格の言い方です。
いえ、撮らせてくれるからと言って、そのように言うのではないですよ。
で、少しだけ、表情を変えてもらいました。
巣の写真では、もっと大きく雰囲気が変わりますよ。
- 2024/05/19(日) 00:00:05|
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このギャラリーでは、この奥庭で立体作品を展示するようになっています。
庭の向こう側に高いビルが建つようになり景観が変わってしまいましたが、ギャラリーオーナーのHさんは作家たちの要望に応えて頑張っておられます。
一方またギャラリーは作家たちに支えられるという訳ですが。
木の枝から落ちた葉は「木から独立したのだ、解放されたのだ。」と石山氏は言います。
決してただ死んだ、終ったというのではなくて、地上に落ちてもなおそれぞれの個性をもって存在し続けているのだと。
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屋内に展示された木の板を切り抜いた「葉」たちが床に寝かして並べられるのではなくて、ことごとく姿勢は様々でも「立てられ」ているのは、そのためです。
もう存在として意味が無くなったり、役割を終え切っているのではなくて、依然としてそれ固有の「存在」を保っているのだというのです。
それでそれぞれ太〔屹立〕しているわけです。
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葉の形に抜けた『跡』もまたただの空虚ではないというのです。そこから見える世界を与えているというのです。
例えば私の父が亡くなった。そのいなくなった跡が以前として私に問いかけたり、世界を見る目を与えたりしている。『跡』にもその葉の痕跡があるというのです。
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「自分ももういい年やしな。そういうことを考えるようになったんやろな。」
この木かて個性があるし、葉をより遠くに飛ばして、その地の滋養にしようとしている。とんで行った葉もまたその役割をもって落ちるんやないかな。
道路に広がった葉たちを見てもそれぞれに色も違えば形も違う。それが一緒くたに掻き集められて燃やされたりするのは、なんとなくいたたまれんなあと思うんやけどね。
そうした葉たちを描いた屋内の絵が何とはなしに優しく暖かみをたたえていたのはこういう石山さんの気持ちの反映なのではないかと、「そう言う訳だったのか。」と思いました。
石山さんが「老いを生きる」私たちに対して「まだまだ」と言っているように思いました。
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「生き生きとした枯れ葉」というyの葉形容矛盾かも知れませんが、どうもそういうことのようです。
どうです、この若々しい生き生き感は!
- 2021/12/24(金) 00:00:06|
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枯れ葉というか落ち葉というか、それが取り上げられた作品です。
ちょうど晩秋のこの時期、ギャラリーの奥庭は落ち葉が敷き詰められています。
そんなかに板状の、又筒状の陶器に表現された枯れ葉たちが混じります。
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普段はあまり作品の写真を載せませんが・・・。
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作者の石山さんです。
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作品について・・・・実は建物の二階の展示場には木製の作品が展示されているのです。やはり枯れ葉をテーマにした。・・・いろいろお話を伺い、この枯れ葉を取り上げた思想の深さに感銘しながらの「写真を撮らせていただけませんか?」でした。
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正直に言いますと後付けの説明になるかもしれませんが、室内にある油絵の感じ・・・・落ち葉が硬い乾いた感じではなしに、肌合いのガサゴソした感じではなしに
・・・・確かに枯れ葉であり落ち葉であるのに?何かどこか優し気な感じで描かれていたこと。
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私が二階のベランダから見ていた時、そしてこうして降りて来てお話をしているときに氏から感じる空気が、いわゆる芸術畑の人とは違うものを帯びている感じ、その理由が(本当に理由として繋がっているかどうか怪しいものですが)、お話を伺って合点がいったように思いました。
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この方、油絵もされますし、木で立体も作りますし、こうして焼き物の作品もおつくりになるのですが「私の本業はこれではないんです。
「友禅染」の「糸目糊置」の職人さんだそうです。(赤字部分は石山さんにご指摘をいただいて訂正させていただきました。石山さんありがとうございました。西陣は「織」で友禅が「染」です。)
なるほど「職人さん」のにおいがしたのか!
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私はたくさんの職人さん、多少の絵や立体の「芸術家」たちとお会いしてきて、どことなく空気の違いを感じるのです。
職人さんの中にもただ注文を受けて「高い技術を発揮する」だけではなくて、自分自身の作品作りをする方が何人もおられますが、多くはその個性的な表現や手法について見せることについて気持ちが控えめです。 思いが弱いというのではないのですが、あまりこれを見よという風が濃厚な方は少ないように思います。
- 2021/12/23(木) 00:00:00|
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