出店のご常連の方が治療、入院中なのでちょっと寂しいのですが、それで却って留守中の手作り市の様子を見届けておきたいなと思って出かけました。
私が手作り市に行くようになったのは、もう13年余りも前のことです。リタイアからしばらくして「物作りの人に出会いたい」という事ではいきましたが、初めは知らないことばかりで面白くてなりませんでした。
はじめ数年では気づかなかったことは・・・・考えてみればあまりに当然のことなんですが・・・・出店者に新陳代謝があるという事です。
この時にも見かけましたが、学生さんの出店は今より多かったと思います。
13年もたてば小学校の生徒でさえ二巡りもしますし、中高なら新入生を迎えた担任の先生は4度も卒業生を送ります。
13年というのはそういう時間です。
この方は大阪から来ているそうです。
お会いしてすぐに「柔道? 剣道ではなさそうだし、ラグビー?」 レスリングも挙げるべきでしたかね。体格的に相撲はなさそうですし。
ラグビーの経験者でした。それも小学生から大学生までの。 すごい経験ですね。
この時期の京都は「しぐれ」に悩まされます。頭上はほぼ青空なのに雨が飛んでくる。
この時も雨が時雄路落ちてきて、販売品によっては濡らすわけにはいかないというモノもありますから神経を使います。
この人のは革製品ですから、機敏に避難させないといけません。
とても折り目の正しい好青年でした。
私は「棒球」などよりずっとラグビーの方が楽しいゲームだと思っているのです。
プレーヤーの献身性や知的な構想力、自制心の強さや、勇気、果断性などには毎度唸らされます。
「ワン フォー オール オール フォー ワン」「(今は諸外国では、試合時の言葉としては使われなくなっているそうですが、) ノー サイド」の精神。 グラウンドに監督がいないで、プレーヤーの中のキャプテンがリーダーシップ(キャプテン・シー)を発揮留守のがいいところだと思います。
スポーツになくなってほしくない考え方がありますからね。
棒球やアメリカンフットボールなどのアメリカ的な指揮者とプレーヤーの関係性はとても嫌です。 資本主義的企業の姿そのままですもんね。
試合前の「ハカ」を見ているとこれから命を取り合うのではないかという迫力にたじろぎますね。
なんだか話の通じそうな若者でした。
- 2024/11/28(木) 00:00:01|
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この日の、私が自転車徘徊に出ようとするときに机の上に置いたままにしていた本は「空海」の章の前に栞氏が挟んでありました。
前夜、「最澄」を読んだのです。
その本の著者は岩崎允胤という方なんです。私が学生の頃、一種の憧れを持っていた方で、宗教者との古流も深く、また一方で自然科学にも造詣の深い哲学者です。
その憧れの方の名を、その日の朝食時に、妻に話し出そうとして、失念していました。 まだらに記憶が、「どんどん」失われてきているのではないかと心配です。
それでこのブログも続けることで健忘症や認知症の進行を押さえられないかと、淡い期待をしているのです。
私が、市中徘徊を終えて振り出しの出町柳に帰ってきたときに、この人が目の前を通りました。
見覚えがあるなあ。
「僕を覚えていませんか?」 「えっ えっと う~ん アッ思い出しました、あなたは・・・・。」
2か月ほど前に上賀茂神社で撮らせてもらった人で、イタリアからの留学生です。
講義が終わって、次に学校に戻るまで少し時間があるというので、「この秋の光の中で少し撮らせてもらえないか」とお願いしました。
この前は、まだ夏の暑さが残っている時期でしたから、服装も違うし。
もうマフラーに革のジャケットです。 似合いますよねぇ。
この人を再発見した場所から少し移動してもらって、木や朱の紅葉した葉を求めてここまで来ました。
もう午後の光ですから、角度も色も秋めいています。
色々話していくと「仏教に関心があるんです。日本で言えば空海の真言セクトに・・・・。」
聞きました?皆さん。 私の部屋の机の上で空海が読まれるのを待っているこの日に、空海・真言宗に関心をもって学んでいるイタリア人学生に、出会うとは。
私はこれまで多くの人と出会いましたが、空海の話をする人と出会うなんてことはなかったです。それもローマンカトリックの国の人と。
聞くとローマンカトリックを信仰する人は人口の「半分くらいかな。」という事でした。
そして「私の世代くらいの若者の半数は、「Atheist」ではないかというのです。
こういう事は本などで知るよりもやはり生身の人から聞くと更に印象的ですね。
- 2024/11/27(水) 00:00:03|
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季節が変わって色や光が変わり、人の装いが変わる。それで、また撮りたいなあと思うのだけれど、モデルが得られないのが「ポートレート撮影好き」のモノにとっての悩みではありますね。
ですから、つい「時間ある?」と訊いてしまいます。
それで、「いいですよ」という返事をいただけると、何準備もないこの状況を何とか、少しでもいいものにする工夫をしないといけません。
せっかく時間を割いてくれる人に残る写真でもありますからね。
協力してよかったという思いを残してほしいものだと思いますから。
イタリアはご存じのように多くのファッションブランドがあり、車やスクーターのデザインもしゃれています。
町中、全国どこでもが美術館、博物館みたいな国ですから、イタリア人と聞いただけで身が引き締まります。
日本人にも相対的に独自な美意識がある様に、世界のどの国、どの民族にもそれがあります。それが歴史的な経過から世界の粋を集める場になったことがある国は、一層優れた美感覚を持っているように感じます。
日本では、むやみに日本固有のとか、日本が一番みたいな考えが幅を聞かせがちですが、イタリアはかつて、ローマ帝国として、ギリシアやアラビアやエジプトなどから多くの成果を集めて、さらに高いレベルに美意識を高めた国です。
また、イタリアルネサンスを知らない者はいないですしね。
この人もそうですが何人かのイタリア人に話を聞くと、ローマがそれ以前の世界から多くのモノを吸収したことを率直に受け止めて、自分たちの芸術的な素養を認識しています。
日本も又、規模や程度は違っても、決して日本固有のとか、独自だとか、万邦、無比なんてことばかりを言えないのが事実だし、またそういう点で控えめな自覚が欲しいなと思います。
日本文化、日本の精神は縄文時代にありなんて非歴史的な話が好きな人も少なくないようですが、やはり事実を丹念に調べて素直に受け入れることが文化発展には大切だし、世界に貢献もできるように思いますね。
我々ホモサピエンスにもネアンデルタール人の遺伝子が組み込まれていると言うじゃないですか。アフリカを出て世界に広まった同じ仲間なんですから、ネアンデルタール人の文化も含めて、アラビアやインドや中央アジアや、中国や南洋諸島やらの記憶や文化が入り乱れて組み込まれているに違いないのです。
空海の「十住心論」の論理がヨーロッパの「新プラトン主義の哲学」の論理に極めてよく似た部分がある。それは間にインドの「華厳経(アヴァタンサカ・スートラ)」の哲学があるからではないかという議論も聞いたことがあります。
話が広がり過ぎました。 お酒の所為でしょうか。
毎日一生懸命勉強に励んでいて留学生としての時間を惜しんで過ごしている人ですから、なかなか、また時間を撮ってほしいと言いにくいのですが、果たして、帰国までに再チャレンジできるでしょうか。
- 2024/11/27(水) 00:00:01|
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鴨川は時に読書館となります。
最近よく紙の本を読む人を見かけます。 バスや電車、そして歩行する人が、スマフォばかり覗き込んでいるので、・・・・それで勉強したり文学などに触れている人もいるのでしょうし、単純否部に従って進行しているだけの人もいるのでしょうyが・・・・この社会の知性は大丈夫かななどと思っています。
東京や兵庫の首長選の様子を見るとなおさらのこと。
それで、私などは紙の本を読んでいるというだけで、大げさに言えば、その人が神々しく見えてしまいます。
それにしてもいいロケーションの中での読書ですね。
私はお昼の弁当をほ奪っている人でも、明るい暖かな光の注ぐ中で昼寝を楽しんでいる人でも、そしてこうして読書する人を見かけても、ああ、こういう情景を選んでその中に座を占めているのだな、いいセンスだなと思って声をおかけするのです。
先だっての素敵な自転車の持ち主などもそうでしたね。
河原の砂利の波打ち際での読書です。
この日は風もなく穏やかな晴れの日でしたから気持ちもいいでしょう。
この人を撮らせてもらってしばらく下流に行くと帽子といい上着と言いいいセンスの服を纏って、大きな木のま~るい影の真ん中に座って本を読む若い女性がいました。
近づいてみると本は台本でした。芝居をする人なのかと一層興味深くなって話しかけてみました。
無論この人の背景が秋の晴れた空で白い雲が形良く浮かび、木や朱の紅葉が見えるいい場所でしたから。
聞くとその人は太秦で近々クランクインする女優さんでした。
それで写真はダメなんですが・・・・モデルさんや俳優さんは肖像権を事務所が管理しているので、まずダメなんですね。・・・・
私の撮ったブログ上に投稿した写真をすぐその場で見てくれて、残念に思ってくれて「度々京都に来ますから、来年の個展の時に京都に来ていたらぜひ見に行きます。」といってもらいました。 実現すると楽しいのですがね。
役者は好きですから、ぜひ撮りたかったんですが、仕方ありません。
いい趣味のファッションで、いい場所にいました。
何をするにしてもその人の人となりは現れます。
私が目ざとく観察するのはそういう点です。
ほんのちょったしたことで、人からすれば、それがどうしたという事も少なくないと思うのですが、そこにこだわるのが私の写真という事で・・・・。
- 2024/11/26(火) 00:00:04|
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それにしても「敵『が』然る者ひっかく者」ですから、勝負にはなりません。
こうした撮影でも、リードしているようでいて、大概リードされています。
ポートレート撮影は「撮らされてはダメ!」とよく言われますが、「敵を知らず己も知らない」私には無理な相談です。
敵がリードしているという事は敵が自らを表しているという事ですから、それはそれでいいのだと、そんな理屈をつけて。
私の写真は、私のイメージを表現するというような大層なものではなくて、その人を撮るという事ですので。
クライアントがいるわけでもないですしね。
その人の魅力がこぼれてくればレンズで掬い取ると、そういう写真です。
そのために色々な場所を探し、様々な言葉で揺さぶってみるわけです。
篠山氏が「撮影に出かける前に完成のイメージはできている。」というのとは、まるきり違うわけですから、彼のような才能もあまりいらないんじゃないかと思います。
出たとこ勝負です。
だからできるだけ何かこぼれて来そうな人を見つけないといけませんね。
そういえば、この人の年頃の方を撮った経験が存外少ないのに気づきます。
20代前半、20代後半までの人とはずいぶん手応えが違う感じがします。
面白味も、やはりちがいますね。
人どれぞれをどう撮るか。
課題はまだまだ山積みです。
- 2024/11/25(月) 00:00:09|
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