ゲストライターTonieさんによる「日本の雪の歌」特集も残すところあとわずか、本日もやはり、この人たちが出てこなければ収まりがつかない、日本音楽史の大立て者、服部良一と李香蘭です。あとでたっぷり割り込みますので、ここは短く収め、さっそくどうぞ。(席亭songsf4s敬白)
◆ 「日本の雪の歌」 ◆◆
この「私の鶯」をもって、「日本の雪の歌」の“本”特集は終わりにさせていただきます。ただ、この曲が「日本の雪の歌」特集に相応しい曲と認定されるかどうかは、ブログ主のsongsf4sさんの御判定次第です。
なぜ「日本の雪の歌」の判定が必要なのか、その訳は後ほど述べることにして、今日も「そもそも論」から始めさせていただきます。
そもそも「日本の雪の歌」というのは、ジャンルとして、一般的には確立されていないようです。それは、次のような理由によるのでしょう。
1)日本の歌謡曲を取り上げるサイトの場合 「日本」という枕詞は不要なので、「雪の歌」または「冬の歌」に分類する。
2)洋邦問わず、自分の好みの音楽を取り上げるサイトの場合 「洋邦問わず」、「雪の歌」に分類することが多い。あえて区別するなら「外国の雪の歌」というように「日本以外」を排除するものと思われる。
3)海外の音楽を中心に扱うサイトの場合 「Snow」のつく曲の特集はあっても、「日本の雪」の曲を取り上げることは稀。
このため、「日本のうた」、「雪の歌」、「冬の歌」のヒット件数に対して、「日本の雪の歌」の合致件数は非常に少ないのです。例えば、google検索で「日本の雪の歌に一致する日本語のページ」は、「約183,000件」だそうですが、7位以降は「日本の歌」と「雪」の組み合わせでしたし、goo検索で合致した検索結果は6件でした(2008年3月3日現在)。
さらに一言つけ加えさせていただくなら、google検索の第1位~6位、goo検索の6件は、いずれもsongsf4sさんの本サイトでした! つまり、日本の雪の歌を特集しているのは、日本全国でもこのサイトしかないと言ってもあながちウソではなさそうなのです。
(songsf4s注釈 少々弁解をします。このTonieさんの「日本の雪の歌」考を読んで、わたしはケラケラ笑いました。自分の姿というのは、やはり自分には見えないものです。わたしはまったく無意識に、なんの意図もなく「日本の雪の歌」という言葉を使っただけなのですが、はたから見ると違和感があるのでしょう。
わたしが限定修飾なしにただ「音楽」といったら、それは米英のビート・ミュージックのことです。したがって、それ以外の音楽については区別のための限定修飾が必要で、ブラジル音楽と同じような意味で、「日本の」と断りを入れる必要があったのです。ただの「雪の歌」では、米英のthe songs that refer to snowの意味になってしまいます。「ジャンル」をでっち上げたつもりはなく、たんに必要不可欠にして不可避な限定修飾のつもりでした。
その裏側には、一握りの例外はあるものの、ある時期からの日本音楽にまったく無関心で、事実上、聴いたことがない、なんの知識もないという、わたしという人間の特殊な事情があるのですが、その経緯は長くなるので略します。)
◆ 雪の歌 ◆◆
そんな中で、「雪の歌」を細分化すると、どんなジャンルに分かれるのかというのを、大胆不適にも試みてみました。
1)スキーの歌
2)雪の降る日本の歌
3)雪に気持ちを代弁させる歌
4)日本でない雪の降る場所の歌
「1」はウィンター・スポーツである“スキー”をとりあげた曲です。地球の引力に頼ったスピード競技であるスキーは、風を切る速さと移動する景色が特徴ですから、必然的に雪山の景色が歌われることになります。トニー・ザイラー「白銀は招くよ」は、アチラのものですが、この系譜の歌です(「お座敷小唄」で取り上げた和田弘とマヒナ・スターズも「白銀は招くよ」をやっていたようです。これ、聴いてみたい!)。
このほか、由利あけみ「雪山の歌」をいれていいか迷いますが、「♪山は白銀 朝日を浴びて」で有名な文部省唱歌「スキーの歌」にはじまって、有島通男「ヒュッテは招く」、灰田勝彦「白銀の山小舎で」、そして、小林旭「♪俺のスキーはウイスキー」(スキー小唄)へと繋がります!?
「2」は「雪国」(主に北国)を取り上げた曲です。一年の半分ぐらい雪と付き合う、北海道・東北地方において、生活に密着した歌があっても、それほどおかしいことではありません。山形県鶴岡市の想い出ともいわれる、中田喜直作曲の「雪のふるまちを」(高英男、デューク・エイセスなど)や、東北地方の生活を題材にしたとおもわれる「♪燈火ちかく衣縫ふ母は(略)外は吹雪」の「冬の夜」などがあります。極めつけは「♪花が咲いた都の便り こちら雪と返す文」の三橋美智也「新庄節」(山形民謡)でしょうか? 雪が降らない地方で雪に憧れる歌というのもあるでしょうが、Darlene Loveの「White Christmas」しか思い浮かびませんでした……。
「3」は、はっぴいえんど「かくれんぼ」で取り上げたので、それほど付け足すこともないのですが、実際に雪の降った時の情景を描いて、実はほかに言いたいことがある、ということが多いのだと思います。大分出身の伊勢正三によるイルカ「なごり雪」などもその流れでしょうか。極めつけは、佐野元春の、その名も「雪-あぁ世界は美しい」でしょう。この歌は「♪雪は雪 白い雪 白は白 変わらない」と、自明のことを繰り返すのですが、そのことによって、人々が雪に対して感じる様々な属性に、もう一度迫ろうとしているようにも思えます。
最後の「4」は、雪の降っている日本ではないどこかを歌っている曲です。ここまで、李香蘭の「リ」の字も「私の鶯」の「ウ」の字も出てきませんが、「そもそも論」も終了間近、ようやく核心に迫って(?)きました。「日本の雪の歌」には、このタイプも意外に多いのではないかというのが、今日の主題なのです。
「国境を越えると……」と川端康成が「雪国」で書いた国境は、日本国としての国境ではなく、「お国」(越後と上野)の境だったのかもしれませんが、「雪」をテーマにした歌で、実際に国境にまつわる歌も多いのです。例えば、浅草美ち奴の「北満警備の唄」では「♪ここは満州最北の 流れは凍る九百余里 吹雪も暗らき黒龍江」と歌われますし、楠木繁夫の「興安吹雪」では「♪暮れる吹雪の興安嶺を 越えりゃ冷たい 他国の空よ」と歌われます。
直接地名が出てこなくても、「他国」を歌った日本(語)の雪の歌も多数存在します。ちょっと毛色が違いますが、例えば、北原白秋作詞、山田耕筰作曲で、美空ひばりなども歌っている「ペチカ」という曲では「♪雪のふる夜は たのしいペチカ」と歌われます。しかし、日本には、「ペチカ」(暖炉)があって、薪をくべている家などごく少数でしょう。日本人なら「炬燵」が正当派なのです!
「ペチカ」は、大正13(1924)年、南満州教育会の依頼によって作られ、「満州唱歌集 尋常科第1・2学年」に掲載された歌のようです。この歌が作られたのは、満州国建国以前ですが、満州地方やその周辺を題材にした歌には、つねに「雪」がセットになっています。
ということで、ずいぶんと回り道をしました。「私の鶯」は、満州映画協会(満映)主体で、東宝映画が提携して1943年に製作された、映画『私の鶯』の劇中曲としてつくられたものなのです。製作期間16ヶ月、製作費が普通の映画の5倍、約25万円という超大作です。ロシア語で歌われたりする「コスモポリタン・ミュージカル」ですし、「満州の雪の歌」≠「日本の雪の歌」なところも多々あり、songsf4sさんの御判定をあおぐ次第であります!
◆ 「とんち教室」のリコーラン ◆◆
満州を語ることは一筋縄ではいきませんし、満州映画協会のつくる映画や曲を満州と切り離して考えることは出来ません。「五族協和」「王道楽土」などのスローガンがどう機能していたか、満州映画協会が何を宣伝・上映していたかについては、『キネマと砲声』、『幻のキネマ満映』、『哀愁の満州映画』といった詳細な研究書があるので省かせてもらいます。今回は、李香蘭の『私の半生』に「満映作品とはいうものの、実質的に日本の東宝の作品である」と書かれているのをたよりに、暫定的に「日本の雪の歌」の1曲として取り上げてもよかろうということで、先に進みます。
まずは、歌手の李香蘭について、少し触れてみます。“リコーラン”、そう、六代目春風亭柳橋が「とんち教室」で取り上げた、かの、李香蘭です(^_^)。
「とんち教室」のエピソードって? とおっしゃる方に、「服部良一自伝『ぼくの音楽人生』か、立川談志の『談志絶倒昭和落語家伝』に掲載されていますよ」と返すのもつっけんどんなので、説明させていただきます。これは「バカにつける薬はないか?」という質問に「リコウランを飲みなさい」と答え、「何処で売っていますか?」という再質問に「“蘇州薬局”で売ってます」とオチをつけたという、微笑ましいものです。ここで、談志は「李香蘭とあるが、『蘇州夜曲』は渡辺はま子だ」という趣旨のことをつけくわえています。
僕は、談志の音楽評は総じて好きですし、高く評価しています。映画では李香蘭がうたっても、レコードでは渡辺はま子がうたったのだから(作曲家と同じ会社の所属歌手しか吹き込めなかった)、この評は十分に頷けます(『私の半生』に、「男装の麗人」川島芳子が李香蘭に、「支那の夜」を盤が白くなるまで何百回も聴いたといった、という話が出てくる。だが、「支那の夜」もレコードでは渡辺はま子がうたった)。それでもやっぱり、今回だけは譲ることができません。「蘇州夜曲」は、断然、李香蘭です!!
李香蘭については、songsf4sさんが、すでに取り上げていらっしゃいますので、2度目の登場ですし、前回、「李香蘭/山口淑子の半生はさまざまな形でフィクショナイズされていますし、自伝もあるので、ここではふれませんでした」とされているので、今回もそれを踏襲させて頂きます。なお、各種伝記等を読みましたが、最後に記した参考文献の中で、『李香蘭 私の半生』と評論集『李香蘭と東アジア』をオススメします。
◆ 孤高の曲のはじまり ◆◆
それでは曲にうつります。
イントロは、小サビのメロディからスタートします。前回の「雪のワルツ」でも書きましたが、イントロで歌のメロディがうまく引用されていると、歌が出てきた時にすんなり、その既“聴”感にのっかれるので、嬉しいです。そして、フルートが、たっぷりと「鶯」の音をさえずります。ここでの鶯は「ホーホケキョ」ではなくて、「チョチョチョチョ、チチチチ」といった鳴き声です。ここまで約30秒弱。出し惜しみしないお得感たっぷりなイントロでした。
まず、ファースト・ヴァース。
過ぎし昔偲びて 思い抱きて歌うは
いとし私の鶯か 夜毎夢にみる
非常にゆったりとしたリズムで、ソプラノ歌手にしては低い音程で「きーりも ふーかい」と寒い情景を、李香蘭が歌い出します。同じ服部メロディでも、「霧の十字路」のような服部ブルースの王道路線とも異なる、独特の愁いを帯びていて、他のどの曲とも違う「孤高性」を有しています。
二行目は一行目のメロディが明るめに変更されるのですが、最後の「歌うは」にどんな思いを込めて「歌う」ことが出来るかがポイントになると思います。技巧なのか一生懸命なのかの区別は難しいところですが、李香蘭は「歌う」の最初の「う」を少しあげたりさげたりして、うまく表現しています。
「いとし私の鶯か」のメロディはイントロにもつかわれたものです。「♪私しゃ満州の梅の花 李香蘭さん このまちの“鶯”よ 春に鳴くのを 待ちかねて コーオリャ 雛鳥のうちから 通って来る」(「真室川音頭」替え歌、tonie作)ではないですが、実際に李香蘭が「鶯」になっていくのは次のヴァースからです。
◆ 春が来る ◆◆
聞け 風の音もするよ
暗い冬は過ぎて
花の咲く春が来る
ああヤイヤイヤイヤイヤイ それまで……
急転直下、非常に速いテンポになります。「きーけ」で一瞬溜めたあと、ロシア民謡の「コロブチカ」がモチーフにされたようなメロディーで「かぜのー、おともー、するよー」と一気に冬を歌います。
2度目の「きけー」以降は、TVゲームのテトリスでブロックが積み上がって終了間際の瀬戸際プレイをしている時の「カリンカ」の調べのように、さらにテンポアップします。前のヴァースでは「きーりの、ふーかい」と真ん中を延ばしていたのですが、ここでは、畳みかけるようにうたったあとの語尾を延ばすので、そのテンポアップぶりが際だちます。
そして一転して「暗い冬」の箇所が過ぎると、落ち着きを取り戻して春を高らかに歌い上げます。「春が来る」がサビといえるでしょう。そのあと、「そーれ まーでー」とちょうど息継ぎにかかっちゃっているので、お囃子の「あ、ソレ」のようにも聞こえてしまうところはご愛嬌です。
◆ さすらひの満州 ◆◆
以下、2番です。2番では、フルートのほか、ピアノも加わりますが、これも効果的に響きます。ここで、「私の鶯」を所有されている方、歌詞カードを見ずに聞き取りをしてみてください。この2番では、李香蘭の歌にあわせて、フルートが、2羽目の鶯として、ハミングしてくれています。時としてメロディよりもこちらが気になるぐらいですが、これに、あまり惑わされずにお願いします。
胸にともるあかりは 誰も知らぬ燈火
何故か我が鶯は 羽根をふるわせて
いかがだったでしょうか? 僕は、ずっと歌詞を間違えて、「大空」を「北極光(オーロラ)」とおもって聞き続けてきたのです。大好きな曲といいながら、オソマツ……。「ペチカ」の作者でもある北原白秋作詞の「さすらひの唄」に、「♪行こか 戻ろか 北極光(オーロラ)の下を 露西亜(ロシア)は北国 はてしらず」という一節があります。僕は「私の鶯」をこの系譜でとらえたのか、「日本」のことを歌ったものではないなと思ってました。「だーれも」でなく「だれーも しーらぬ」と1番と節回しを変えているところが印象的です。
◆ 鈴の音ひびく大陸 ◆◆
聞け 鈴の音もするよ
はっぴいえんどの「鈴」ではないですが、どんな鈴の音がなるか、ということで、日本的かどうかが決まるものです。この歌は「馬車の鈴」が響く、大陸・曠野ソングの系譜にあたります。満州帰りの歌手、東海林太郎の「国境の町」(「♪橇の鈴さえ 寂しく響く 雪の曠野よ 町の灯よ」)などの流れです。サトウハチロー、服部良一コンビ「いとしあの星」(「♪馬車が行く行く夕風に」)の路線を推し進めたものといえるでしょう。
「いとしあの星」は、映画『白蘭の歌』(昭和14年)の主題歌で、李香蘭は、李“雪”香という純情可憐な中国娘の役で主演しました。虎ノ門の満鉄東京支社で行われたこの映画の記者発表で、李香蘭は、東宝の森岩雄(戦後、副社長)とともに出席していた岩崎昶(=あきら、映画『私の鶯』の製作者)に会ったそうです。
ああイヤイヤイヤイヤイヤ
アハハハハハア
ああああアハハハア
「いずこ」も「東」も「日本」を意味すると思われます。東から「春(救い)が来る」という締めくくりは、サトウハチローでなく、制作側が日本の検閲に備えて要請したものかもしれません。
最後に李香蘭の鶯が大全開で、ホーホケキョとなかずに、「ヤイヤイヤイヤイヤイ ヤハハハハハッ」とwarbleするのです。
瀬川昌久はライナーノートに以下のように書いています。
音域の広いセミクラシカルな香りのする叙情歌で、服部のアレンジもシンフォニックな楽器を用いた本格的な手法でオペラのアリアのような香気にみちている。李香蘭も、精一杯、正統的な発声で歌いきり、終わりの部「ヤイヤイヤイヤイ ハハハハ……」のくだりのコロラトゥーラ・ソプラノも立派なモノだ。嘗てのスペイン出身の歌姫ラケル・メレを想起させる。当時のコロムビアの資料を見ると「マルタ・エゲルトの『夜の鶯』をしのぐ名唱!」とある。
そうです! 李香蘭は、夜鳴く鶯、小夜鳴鳥(ナイティンゲイル)だったのです、「ナイティンゲイルは代表的な鳴鳥で、春告げ鳥でもある」とJoanie Sommersの「It Might As Well Be Spring」ですでにsongsf4sさんが書かれていますが、どんな鳴き声だったっけ、とお忘れの方、Paul McCartneyの手になる、The Everly Brothersの「On the Wings of a Nightingale」をオススメします。詞は羽ばたきですが、イントロにさえずりが入っています!
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例によって文字数制限のため、後半は明日に持ち越しとさせていただきます。(席亭songsf4s敬白)