SL現役の頃、そしてその後

小樽築港機関区

小樽築港機関区

2025年3月26日水曜日

 北陸まわりで関西へ(その4) 2024.12.12

  北陸まわりの関西旅行の最終日、往路と同じ行程ですが、立ち寄り先が違います。

 京都駅から敦賀行きのサンダーバード号を待っていると、数人の鉄がカメラを構えていました。

 何が来るのかと思っていたら登場したのはこんな列車で、何か珍しいのでしょうか。


 そして中線を スーパー白兎 の回送車が通過します。


 さらに新快速電車が入線してきました。


 そして、ようやく乗車する サンダーバード号 がやって来ます。


 終点の敦賀駅で北陸新幹線に乗り換えました。


 はくたか560号 ですが、乗車するのはわずかです。


 停車駅が多いので、目的地の糸魚川まで二時間近くかかりました。

 糸魚川での立ち寄り先は谷村美術館で、村野藤吾設計の変わった形状の建物です。


 館内から見る庭もきれいでした。


 糸魚川駅に戻りましたが、ここには ジオステーション ジオパル という施設があり、鉄道関連の展示やレイアウトが設置されています。

 また キハ52 の実車が置かれ、普段は先頭部の建物の扉が開かれていて撮影できるのですが、この日は閉じられていてダメでした。

 そして外側には、かつて東洋活性白土で使用されていた2号機が保存されています。


 アングルを変えて何枚か撮影しました。


 ついでに1970年8月に訪問した際の写真を再掲します。


 このあとは新幹線としなの鉄道を乗り継ぎ、夕方に信濃追分駅に帰着しました。


2025年3月16日日曜日

 北陸まわりで関西へ(その3) 2024.12.11

  この日は琵琶湖疎水の蹴上インクラインを見に行きます。

 京都駅から地下鉄を乗り継ぎ、東西線の蹴上駅で下車、地上に上がると目の前の坂道にはかつて線路が敷かれ、急勾配を電車が走っていたところでした。

 道路と反対側に振り返り、すぐのところがインクラインの上部に当たるところで、桜の時期には大変にぎわう場所ですが、閑散期でまだ早い時間とあって、観光客の姿もまばらです。

 このインクラインは、全長582m、勾配1/15で、ここ蹴上と南禅寺船溜まりを結ぶ船運のための設備でした。

 台車の上に船が載せられた状態で展示されています。


 はるか下の方に向かって、線路が続いていました。


 台車を勾配の下側から覗いてみます。


 この軌間は2540mmもあるそうで、レールの継ぎ目を確認してみました。


 勾配の途中には、柵に囲まれて反対側の台車が置かれています。


 柵の隙間から台枠と台車をのぞいてみました。


 そのまま下ってゆくとトンネルをくぐり、振り返ってみるとなかなか良い景色です。


 終点の南禅寺船溜まりは整備され、観光池になっていました。

 この近くに琵琶湖疎水記念館があり、疎水についての説明や模型があるほか、屋外には使用されていた機械類も展示されています。


 見学を終えた後は人並みに京都観光でして、そこには鉄分がありませんでした。


2025年3月5日水曜日

 北陸まわりで関西へ(その2) 2024.12.10

  京都に着いて二日目、この日は千里中央駅から万博記念公園駅に向かいました。

 京都駅から新快速で新大阪駅へ、地下鉄に乗り換えて北大阪急行線の千里中央駅に到着です。


 車両も駅ホームもすっかり新しくなっていました。


 ここでは親戚を訪ねるのが目的で、それを済ませてから大阪モノレールで万博記念公園駅に向かいます。


 お初の大阪モノレールに乗り、万博記念公園駅に到着、目的地にはペデストリアンデッキで向かうのですが、この通路はモノレールの撮影にもってこいで、早速撮影しました。


 派手な姿の彩都線の車両が高いところから近づいてきます。


 この辺りは1970年の万博が行われたときに何度か訪れていて、当時は地下鉄が仮設駅である万博中央駅まで伸びていました。


 この写真は折り返し用の引き上げ線で、右上には万博会場を周回するモノレールが写っています。

 今回ここを訪れたのは、公開されている太陽の塔の内部に入るためで、事前予約で時間指定の入場券を購入する必要がありました。

 鉄とは無関係ですが、太陽の塔の内部写真です。


 会場を後にして、駅に戻る途中でも撮影しました。


 この写真の左に写っている歩道橋を渡るのですが、高い位置まで防護ネットがあり、目一杯手を伸ばしての撮影なので、画面の確認ができません。


 再び駅近くの歩道橋から撮影しました。


 ここから二方向に分岐するので、列車本数がかなりあります。


 冬の斜光で、車両撮影にも最適でした。


 最後に太陽の塔も入れて、撮影終了です。


 これにて京都に戻るのですが、同じルートでは面白くないので南茨木駅に向かい阪急を利用しました。


 阪急の車両は相変わらずきれいです。

 高槻駅からJR線に乗り換え、京都を目指しました。


2025年2月25日火曜日

 北陸まわりで関西へ(その1) 2024.12.9

  毎年必ず関西方面へ旅行しているのですが、軽井沢在住で、北陸新幹線が敦賀まで伸びたこともあり、このルートで京都に向かうことにしました。

 信濃追分駅から軽井沢駅まで、しなの鉄道を使って二駅戻ります。


 北長野方面ではすでに雪の季節で、前面に雪をつけてやって来ました。

 軽井沢駅から あさま号 に乗り、長野駅で かがやき号 に乗り換えて、9時過ぎには富山駅に到着です。


 列車を見送っていると、上り線にも入線してきました。


 富山駅に降り立つのは何年振りか記憶も定かでありませんが、駅舎の1階を貫いて市内電車が走っています。


 物珍しいので、何枚か撮影しました。


 観光旅行なので、富山県美術館に向かいます。

 その屋上デッキからは雪をかぶった山々が望めるのですが、あいにくの天候であまりきれいには見えませんでした。


 徒歩で富山駅に戻る途中でも、路面電車を撮影します。


 富山駅のコンコースで一休みですが、座ったままで電車の撮影ができる絶好の怠け者向きのロケーションでした。


 ガラス窓の向こう側を走る姿も撮影できます。


 富山駅から環状線に乗り、富山市ガラス美術館に向かいました。


 環状線のみの区間では単線になっています。


 富山駅に戻るときには運転席の後ろに陣取り、対向車を撮影しました。


 次にやって来た電車は、警察がスポンサーなのでしょうか。


 ひと駅手前の電鉄富山駅で下車し、撮影しながら駅に向かいます。


 この区間は南富山駅方面の電車も来るので、待つこともなく次々とやって来ました。


 向こうの方を横切るのは富山大学前に向かう電車でしょうか。


 再び富山駅に戻ってきました。


 振り返っての撮影ですが、架線柱と桁が一体となったフレーム状の構造が、古い電車とは少々違和感があります。


 これにて富山駅を後にし、つるぎ号 の乗客になりました。


 敦賀駅での忙しい サンダーバード号 への乗り換えを無事に済ませ、京都駅にはラッシュアワーの前に到着です。