対訳『古事記伝』 8
本居宣長
36. 先ヅ彼ノ二ツの史は、書紀續記にも其事を記さるるほどにて、公の書なれば、もしおのづからに絶たらむには、しかすがにしばらくは世ヨ間にものこりて、人もしり、後ノ代にも、其名ばかりだにも遺るべきに、さらにその名をだにしらず、
訳:まず、例の二つの史書は、『日本書紀』『続日本紀』にもそのことが記されているほどで、公式の書であるから、もし自然に消滅するとしても、さすがにしばらくの間は世の中にも残り、人が知るところとなり、後世にもその書名だけでも残ってよさそうであるのに、その名前さえ知られていない。
37. 既(ハヤ)く平城(ナラ)の代にすら、知ル人もなかりしにや、
訳:すでに、奈良時代においても、そのことを知っている人はなかったのではないだろうか。
38. 萬葉集に、古ヘの事を證(アキラ)めたる註などにも、引きたるを見ず、
訳:『万葉集』で、昔のことを説明する註などにも、引用されていない。
39. 然るに此記は、潤色(カザリ)なくただありに記して、漢(カラ)の國史などの體(サマ)とは、いたく異なる物なれば、もし誤り多からむには、さしも漢籍(カラブミ)好ましし世に、はやく廃(ステ)られて、とり見る人も有ルまじく、まして後ノ代までは傳はるまじき物なるに、千年の後までも傳はり來つるを思へば、そのかみ書紀いできても、なほしかすがに公にも用ひられ、世ノ人も讀(ヨミ)つとは見えて、かの萬葉などにも、往々(ヲリヲリ)に引出けるものをや、【上ノ件の趣、すべて詳(サダカ)には知ルべきならねども、序の詞と、かの二ツの史撰ばれし跡とを考へ合せて、かくも有けむと思はるるすぢを、一わたりいへるなり、】
訳:それに対して、この『古事記』は、飾り立てたところがなくただありのままに記して、中国の国史などの体裁とはかなり異なるものであるので、もし誤った記述が多ければ、これだけ漢籍が好まれていた時代に、早い段階で捨てられ、参考にする人もありえず、まして後世にまで伝わるはずのないものであるのに、千年後までも伝わってきたことを考えるならば、その当時『日本書紀』が編纂されても、それでもなお公的にも利用され、世の中の人も読んでいたと見えて、あの『万葉集』にも時々引用されていたのではないか(上述の内容は、すべて詳細にわかっているわけではないものの、序に記された内容と、例の二つの史書が編纂された後の成り行きを考えあわせ、おそらくこういうことではないかと思われる経緯を、一通り述べたものである)
40. 又問フ、彼川嶋ノ皇子等に仰せし撰の事は、書紀に見え、和銅七年のと書紀との事も、續記に載られたるに、此ノ古事記を撰ばしめ給ひしことは、見えぬを思へば、此記は、彼ノ史どもの如き厳重(オモ)き公事にはあらで、ただ内内の小事(イササカゴト)と見え、又書紀に神代ノ巻などに、一書とて、擧げられたるが數(アマタ)ある中に、此記を取れたりとおぼしきもあれば、此記は、そのかみ如是(カカ)る記録(フミ)ども多(サハ)に有けむ中の一書と見えたり、
訳:又、次のように尋ねる人もいる。「あお川嶋皇子等に命ぜられた編纂の事は、『日本書紀』にあり、和銅七年の史書と『日本書紀』の編纂についても、『続日本紀』に記されているのに、この『古事記』を編纂するようお命じになったことは、どこにも記されていないことを考えると、『古事記』の編纂は、他の史書のような重要な公事ではなく、ただ内々に行われた小事と見え、又『日本書紀』の神代の巻などに「一書に曰く」として取り上げられた書物が数ある中に、『古事記』から採ったと思われるものもあるので、『古事記』は当時様々な記録が数多ある中の一つと見えます。
参考書籍
『本居宣長全集』第九巻 筑摩書房 1966年
『古事記注釈 第一巻』 西郷信綱 著 ちくま学芸文庫 2005年
『本居宣長『古事記伝』を読む』Ⅰ~Ⅳ 2010年
『新版古事記』 中村啓信 訳注 KADOKAWA 2014年
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年
参考サイト
雲の筏:http://kumoi1.web.fc2.com/CCP051.html
本日もご訪問いただきありがとうございました。
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訳:まず、例の二つの史書は、『日本書紀』『続日本紀』にもそのことが記されているほどで、公式の書であるから、もし自然に消滅するとしても、さすがにしばらくの間は世の中にも残り、人が知るところとなり、後世にもその書名だけでも残ってよさそうであるのに、その名前さえ知られていない。
37. 既(ハヤ)く平城(ナラ)の代にすら、知ル人もなかりしにや、
訳:すでに、奈良時代においても、そのことを知っている人はなかったのではないだろうか。
38. 萬葉集に、古ヘの事を證(アキラ)めたる註などにも、引きたるを見ず、
訳:『万葉集』で、昔のことを説明する註などにも、引用されていない。
39. 然るに此記は、潤色(カザリ)なくただありに記して、漢(カラ)の國史などの體(サマ)とは、いたく異なる物なれば、もし誤り多からむには、さしも漢籍(カラブミ)好ましし世に、はやく廃(ステ)られて、とり見る人も有ルまじく、まして後ノ代までは傳はるまじき物なるに、千年の後までも傳はり來つるを思へば、そのかみ書紀いできても、なほしかすがに公にも用ひられ、世ノ人も讀(ヨミ)つとは見えて、かの萬葉などにも、往々(ヲリヲリ)に引出けるものをや、【上ノ件の趣、すべて詳(サダカ)には知ルべきならねども、序の詞と、かの二ツの史撰ばれし跡とを考へ合せて、かくも有けむと思はるるすぢを、一わたりいへるなり、】
訳:それに対して、この『古事記』は、飾り立てたところがなくただありのままに記して、中国の国史などの体裁とはかなり異なるものであるので、もし誤った記述が多ければ、これだけ漢籍が好まれていた時代に、早い段階で捨てられ、参考にする人もありえず、まして後世にまで伝わるはずのないものであるのに、千年後までも伝わってきたことを考えるならば、その当時『日本書紀』が編纂されても、それでもなお公的にも利用され、世の中の人も読んでいたと見えて、あの『万葉集』にも時々引用されていたのではないか(上述の内容は、すべて詳細にわかっているわけではないものの、序に記された内容と、例の二つの史書が編纂された後の成り行きを考えあわせ、おそらくこういうことではないかと思われる経緯を、一通り述べたものである)
40. 又問フ、彼川嶋ノ皇子等に仰せし撰の事は、書紀に見え、和銅七年のと書紀との事も、續記に載られたるに、此ノ古事記を撰ばしめ給ひしことは、見えぬを思へば、此記は、彼ノ史どもの如き厳重(オモ)き公事にはあらで、ただ内内の小事(イササカゴト)と見え、又書紀に神代ノ巻などに、一書とて、擧げられたるが數(アマタ)ある中に、此記を取れたりとおぼしきもあれば、此記は、そのかみ如是(カカ)る記録(フミ)ども多(サハ)に有けむ中の一書と見えたり、
訳:又、次のように尋ねる人もいる。「あお川嶋皇子等に命ぜられた編纂の事は、『日本書紀』にあり、和銅七年の史書と『日本書紀』の編纂についても、『続日本紀』に記されているのに、この『古事記』を編纂するようお命じになったことは、どこにも記されていないことを考えると、『古事記』の編纂は、他の史書のような重要な公事ではなく、ただ内々に行われた小事と見え、又『日本書紀』の神代の巻などに「一書に曰く」として取り上げられた書物が数ある中に、『古事記』から採ったと思われるものもあるので、『古事記』は当時様々な記録が数多ある中の一つと見えます。
参考書籍
『本居宣長全集』第九巻 筑摩書房 1966年
『古事記注釈 第一巻』 西郷信綱 著 ちくま学芸文庫 2005年
『本居宣長『古事記伝』を読む』Ⅰ~Ⅳ 2010年
『新版古事記』 中村啓信 訳注 KADOKAWA 2014年
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年
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雲の筏:http://kumoi1.web.fc2.com/CCP051.html
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