2022年12月 - 日々のよしなしごと~備忘録~
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対訳『古事記伝』 104

本居宣長
12 /31 2022
516.又音と訓とを雑(マジ)へ用ひたるを、此記書紀萬葉は清濁を分(ワカ)てり、

訳:また音と訓を混ぜて書いてあるのに対し、『古事記』『日本書紀』『万葉集』は清濁の文字を使い分けている。

 
517.【此記及(マタ)書紀萬葉の假字、清濁を分(ワカ)てるにつきて、なほ人の疑ふことあり、

訳:【この『古事記』および『日本書紀』『万葉集』の仮名表記における清濁の使い分けについては、まだ疑う人がある。
 

518.今つばらかに辯へむ、

訳:今詳しく述べることとする。


519.そはまづ後ノ世には濁る言を、古へは清(スミ)ていへるも多しと見えて、山の枕詞のあしひき、又宮人(ミヤヒト)などの「ヒ」、嶋つ鳥家(トリイヘ)つ鳥などの「ト」のたぐひ、古書どもには、いづれもいづれも清音の假字をのみ用ひて、濁音なるはなし、

訳:まず後世には濁って言う言葉を、古くは清音で言っていたことも多いようで、山の枕詞の「あしひき」、また「宮人(みやひと)」などの「ひ」、「嶋つ鳥、家つ鳥」などの「と」などの例が、古い書では、すべての場合で清音の字のみを用い、濁音はひとつも用いていない。


520.なほ此類多し、

訳:同じような例は他にも多い。



参考書籍
『本居宣長全集』第九巻 筑摩書房 1966年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『古事記注釈 第一巻』 西郷信綱 著 ちくま学芸文庫 2005年
『本居宣長『古事記伝』を読む』Ⅰ~Ⅳ 2010年
『新版古事記』 中村啓信 訳注 KADOKAWA 2014年 電子書籍版
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年
『日本書紀上・下』 井上光貞監訳 2020年 電子書籍版



参考サイト
雲の筏:http://kumoi1.web.fc2.com/CCP057.html


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備忘録・雑記ラ

文学作品最初と最後の一文  有島武郎 2

最初と最後の一文
12 /30 2022
6.『骨』(1923年)
最初の一文:「たうとう勃凸は四年を終へない中に中学を退学した。」
最後の一文:「女達は不思議さうにおんつぁんを見守つてゐた。」


7.『星座』(1922年)
最初の一文:「その日も、明けがたまでは雨になるらしく見えた空が、爽かなな秋の朝の光となっていた。」
最後の一文:「車内の空気はもとより腐敗しきって、油燈の灯が震動に調子を合わせて明るくなったり暗くなったりした。」


8.『小さき者へ』(1918年)
最初の一文:「お前たちが大きくなって、一人前の人間に育ち上った時、――その時までお前たちのパパは生きているかいないか、それは分らない事だが――父の書き残したものを繰拡げて見る機会があるだろうと思う。」
最後の一文:「小さき者よ。」


9.『お末の死』(1914年)
最初の一文:「お末はその頃誰から習ひ覚えたともなく、不景気と云ふ言葉を云ひ云ひした。」
最後の一文:「逆縁に遇つた姉と鶴吉との念仏の掌に、雪が後から後から降りかゝつた。」


10.『溺れかけた兄妹』(1921年)
最初の一文:「土用波という高い波が風もないのに海岸に打寄せる頃になると、海水浴に来ている都の人たちも段々別荘をしめて帰ってゆくようになります。」
最後の一文:「波が高まると妹の姿が見えなくなったその時の事を思うと、今でも私の胸は動悸がして、空恐ろしい気持ちになります。」





参考書籍
『有島武郎全集』 Kindle版


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備忘録・雑記ラ

『日本文学史序説』Paragraph Briefings 日本語とその表記

加藤周一
12 /29 2022
言語とその表記
①日本が大陸文化と接触した際、すでに高度に発達していた中国の文字が日本語の表記に用いられるようになった(最古の例は5世紀にさかのぼる)。表意文字である中国の文字を利用するにあたり、2通りの方法を併用した。ひとつは一字の意を採って音を捨てる(日本語の音をあてる)方法で、もうひとつは一字の音を採って意を捨てる(表意文字を表音文字として使う)方法であった。漢字=真名が簡略化されて仮名がつくられ、頻りに用いられるようになったのは9世紀であった。

②日本人は中国語の詩文を、返り点や返り仮名を用いて日本風に読む方法を工夫すると同時に、自ら中国語の詩文をつくるようにもなった。

③7世紀以後19世紀まで日本文学には日本語の文学と中国語の詩文が並行してつくられた(後者の例としては『懐風藻』『文華秀麗集』『狂雲集』などがある)。文学の二カ国後表記はヨーロッパでもあった(当該国語とラテン語)が、日本語と中国語ほどの言語学的隔たりはなかった。

④日本文学における長期にわたった二カ国語併用は、日本語文学の表現力の拡大に貢献しただけでなく、明治以降の日本社会が西洋の概念を導入する際ほとんどの西洋語を漢字の組み合わせによる新造語で訳すことにも役立った。

⑤日本の文学作品の性質と密接に関連していると思われる日本語の特徴として次の二つが挙げられる。

⑥第一の特徴は、「日本語の文は、その話し手と聞き手との関係が決定する具体的な状況と密接に関係している」ということである。具体的には、話し手と聞き手の社会的関係に直接呼応する極度に発達した敬語の体系や、その主体が状況により明らかな場合に主語が省略されること、などが挙げられる。この特徴は、その場で話が通じることに重点をおき、話の内容の普遍性に重点をおかない文化と切り離して考えることはできない。言い換えれば、文の構造が特殊な状況に超越しない言語上の習慣は、価値が状況に超越しない文化的傾向と呼応している、ということである。

⑦第二の特徴は、「日本語の文は部分からはじまって、全体に及ぶ」ということであり、具体的には、日本語の語順が、修飾句を名詞の前におき、動詞(とその否定の語)を最後におくことにある。同様の特徴は個々の部屋をつないだ結果全体ができあがったと見てとれる日本の大建築の構造や、日本の神話に見られる現在のかぎりない継起が時間の全体になる歴史的時間の構造にも存在する。比喩的にいえば、「日本語の語順は、日本文化の語順」になる。

⑧日本におけるほとんどすべての散文作品は、多かれ少なかれ全体の構造を考慮するよりも、部分の細かいところにこだわる傾向にある。平安朝期に書かれた物語はその典型と言える(『宇津保物語』『源氏物語』『今昔物語』など)。

⑨このような日本の散文の特徴は、中国唐宋の文章やフランス17〜18世紀の古典主義文学と好対照である。同様の対照は、中国の説話集から材料を採り、それを書き直した日本の説話集の書きなおし部分の比較においても観察される(『日本霊異記』と『法苑珠理林』)。



使用書籍
・『加藤周一著作集』巻4・巻5 平凡社 1979年



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備忘録・雑記ランキン

『夕陽妄語』を読むために 「2001年4月馬鹿」

加藤周一
12 /28 2022
「2001年4月馬鹿」 2001.4.20

・西行:既出(「利休・二つの映画」http://selfdevelopment578.blog.fc2.com/blog-entry-488.html)

・辻邦夫:既出(「辻邦夫・キケロー・死」http://selfdevelopment578.blog.fc2.com/blog-entry-1765.html)

・宣長:既出(「宣長・ハイデッガ・ワルトハイム」http://selfdevelopment578.blog.fc2.com/blog-entry-366.html)

・秋成:既出(「宣長・ハイデッガ・ワルトハイム」http://selfdevelopment578.blog.fc2.com/blog-entry-366.html)

・『古事記』:奈良時代の歴史書。3巻。天武天皇の勅命で稗田阿礼が誦習した帝紀や先代旧辞を、元明天皇の命で太安万侶が文章に記録し、712年に献進。天地の始りから推古天皇の時代までの皇室を中心とする歴史を記すが、実質的には神話・伝説・歌謡・系譜が中心。日本最古の歴史書で天皇による支配を正当化しようとしたもの。

・聖徳太子(574~622):用明天皇の皇子。名は厩戸(うまやど)皇子。豊聡耳(とよとみみ)皇子・上宮(じょうぐう)太子ともいう。叔母推古天皇の摂政として内政・外交に尽力。冠位十二階・憲法十七条を制定して集権的官僚国家の基礎をつくり、遣隋使を派遣して大陸文化の導入に努めた。『三経義疏』を著し、法隆寺・四天王寺などを建立して仏教の興隆に尽くした。

・『十七条憲法』:推古天皇12年(604)聖徳太子が制定したと伝えられる日本最初の成文法。「和を以って貴しとなす」から始まり,官吏の服務などの訓戒を示し,国家理念と人間の在り方を説いた。天皇中心の中央集権国家の形成を意図したもので,儒教・法家思想をはじめ仏教思想の影響もうかがえる。

・『論語』:既出(「かくしごと」http://selfdevelopment578.blog.fc2.com/blog-entry-1320.html)



参考書籍
日本大百科全書 小学館
世界大百科事典 平凡社
デジタル大辞泉 小学館
ブリタニカ国際大百科事典 ブリタニカ・ジャパン
精選版 日本国語大辞典


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備忘録・雑記ランキン

仏像学習 178 仏像永劫回帰39 如来・菩薩の住む場所

仏像
12 /27 2022
仏像学習 178 仏像永劫回帰39 如来・菩薩の住む場所

・釈迦如来:彼方の無勝荘厳国 他の如来が住む浄土のはるか彼方にあるとされる

・阿弥陀如来:西方の極楽浄土 清らかな幸せに満ち、どんな苦しみもない場所

・薬師如来:東方の瑠璃光浄土 不純なものがまったくない澄みきったところ

・弥勒菩薩:北方の兜率天 天道の中にある

・観音菩薩:南方の補陀羅落山 インド南方にあるとされる観音菩薩の霊場



参考文献
・『決定版 日本の仏像 200 一冊ですべてがわかる!』 薬師寺 君子 著 西東社 2016年



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備忘録・雑記ランキン

金子みすゞ私的鑑賞  123. 紙の星

金子みすゞ
12 /26 2022
紙の星

思ひ出すのは、
病院の、
すこし汚れた白い壁。

ながい夏の日、いちにちを、
眺め暮した白い壁。

小さい蜘蛛の巣、雨のしみ、
そして七つの紙の星。

星に書かれた七つの字、
メ、リ、ー、ク、リ、ス、マ、七つの字。

去年、その頃、その床に、
どんな子供がねかされて、
その夜の雪にさみしげに、
紙のお星を剪(き)つたやら。

忘れられない、
病院の、
壁に煤けた、七つ星。


『金子みすゞ全集』Ⅲ 悲しき王女 p 276


6連16行
7、5、12。 7、12。 13、12。 12、13。 12、12、12、12。


夏の日入院した際の病室の壁の風景です。

子供専用の病棟でしょうか。

「すこし汚れた白い壁」「小さい蜘蛛の巣」「雨のしみ」は明治・大正時代の病室であればありふれたものだったはずです。

しかし、夏の病室に「星に書かれた」「メ、リ、ー、ク、リ、ス、マ、七つの字。」はみすゞさんでなくとも「忘れられない」景色です。

季節違いというだけでなく、「メリークリスマ」で終わっているのは引っ掛かります。

これに対してはいろいろな解釈が可能でしょうが、最も感傷的なそれは、去年の冬そのベッドで入院生活をしていた子供が不治の病で、星の飾りを「メリークリスマ」までつくったところであの世に旅立った」という想像になるでしょうか。

実はまったく逆に病気が治って途中でめでたく退院したのかもしれないし、はたまたつくった本人は完成したつもりになっていた、という解釈も可能です。

そういう意味では解釈の自由度の高い詩です。

事の真偽はともかく、この壁の飾りを、つくった本人がいなくなってもそのままにしている病棟の責任者が素敵です。

何とずぼらな責任者だと思う人もいるかもしれません。

どちらに感じても自由です。

タイトルも「紙の星」以外にいくつも候補が挙がりそうな詩です。




名詞:   病院(2回)、 壁(3回)、 夏、 日、 いちにち、 蜘蛛の巣、 しみ、 七つ(3回)、 紙(2回)、 (お)星(4回)、 字(2回)、 去年、 頃、 床、 子ども、 夜、 雪、 

形容詞:  白い(2回)、 ながい

動詞: 思ひ出す、 汚れる、 眺める、 暮す、 書く、 寝かす、 剪る、 忘れる、 煤ける




通算登場回数  
今回登場    白(白い、しろい、眞白な):16作目    (お)星(さま):7作目    雪:6作目     
 
今回登場なし  (お)空(夕ぞら、青空、夜ぞら、夕やけ空):32作目   (お)海(外海内海):24作目   母さん(お母さま、母さま、かあさん、かあさま):19作目    赤(赤い、あかい):19作目   青(青い、青む):18作目    (お)舟・小舟・船・帆かけ舟:15作目  お月さん(お月さま、月):10作目    雲(雲間):10作目   (お)花:10作目   黒い:7作目   波:6作目    (お)魚(さかな):5作目(タイトルのみ1作)    (お)父さま(父さん):4作目    みどり(こみどり):4作目    お祖母さま:3作目 石ころ(石):2作目 紅い:2作目 紺:2作目   藍いろ:1作目   紫(むらさき):2作目   金:1作目   さくら:1作目  


参考書籍
『新装版 金子みすゞ全集Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』 JULA出版局 1984年
『童謡詩人金子みすゞの生涯』 矢崎節夫 著 JULA出版局 1993年
『別冊太陽 生誕100年記念 金子みすゞ』 平凡社 2003年
『没後80年 金子みすゞ ~みんなちがって、みんないい。』 矢崎節夫 監修  JULA出版局 2010年
『金子みすゞ 魂の詩人』 増補新版 KAWADE夢ムック 文藝別冊 河出書房新社 2011年
『永遠の詩1 金子みすゞ』 矢崎説夫 選・鑑賞 小学館eBooks 2012年
『金子みすゞ作品鑑賞事典』 詩と詩論研究会編 勉誠出版 2014年



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備忘録・雑記ランキング

各国個人的調査  フィリピン共和国

国情報
12 /25 2022
フィリピン共和国 ( 比律賓 )


0.国名・国旗      
国名
16世紀にこの諸島を植民地としたスペインの皇太子フェリペ(後のフェリペ2世)にちなんで名づけられた。

国旗
比率 1:2  1997年制定

19世紀末スペインからの独立を目指した時に考案され、1943年に採用。
三角形の白地に描かれているのは太陽と3つの星。
太陽は独立と自由を象徴
8条の光は最初に独立運動に立ちあがた8つの州を表す。
3つの星はルソン島、ミンダナオ島、ビサヤ諸島。
白:平和・清浄・平等
青:理想・正義・平和
赤:勇気
を表す。


1.面積
298,170㎢ (日本の約8割)


2.人口・人口密度
1億903万5,343人(2020年フィリピン国勢調査)

365.7人/㎢


3.首都
マニラ


4.言語
国語はフィリピノ語、公用語はフィリピノ語及び英語。180以上の言語がある。


5.宗教
ASEAN唯一のキリスト教国。国民の83%がカトリック、その他のキリスト教が10%。
イスラム教は5%(ミンダナオではイスラム教徒が人口の2割以上)。


6.略史
14〜15世紀:イスラム教が伝わり、フィリピンで初のイスラム王国であるスールー王国誕生
1521年:マゼランのフィリピン到着
1571年:スペインによる統治開始
1898年:米西戦争 米西パリ講和条約調印(米国の統治開始)
1899年:米比戦争(~1901年)
1902年:米領フィリピン諸島政府発足
1942年:日本軍政開始
1946年:フィリピン共和国独立


7.通貨
フィリピン・ペソ


8.政治
共和制

元首:大統領

議会:ニ院制


9.経済
ビジネス・プロセス・アウトソーシング(BPO)産業を含むサービス業(GDPの約6割)、鉱工業(GDPの約3割)、農林水産業(GDPの約1割)(2021年)


10.世界遺産(6件)
文化遺産(3件)
・フィリピンのバロック様式教会群(1993)
地震や台風、戦争に耐え抜いた堅牢な教会群
https://whc.unesco.org/ja/list/677

・フィリピン・コルディリェーラの棚田群(1995)
2000年にわたって受け継がれた棚田風景
https://whc.unesco.org/ja/list/722

・ビガンの歴史地区(1999)
スペイン植民地時代の面影を色濃く残す港町
https://whc.unesco.org/ja/list/502

自然遺産(3件)
・トゥバッタハ岩礁自然公園(1993、2009)
サンゴ礁に彩られた海洋生物たちの宝庫
https://whc.unesco.org/ja/list/653

・プエルト・プリンセサ地下河川国立公園(1999)
世界最長の地下河川が流れる石灰岩台地
https://whc.unesco.org/ja/list/652

・ハミギタン山地野生生物保護区(2014)
生物多様性の聖域となっている島
https://whc.unesco.org/ja/list/1403


11.その他
・7,641の島々がある

・フィリピン第7代大統領ラモン・マグサイサイの功績を記念して創設された「ラモン・マグサイサイ賞」は、アジアのノーベル賞と言われている。



参考サイト
外務省:https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/philippines/data.html#section1




参考書籍
『国旗・国歌の世界地図』21世紀研究会編 文春新書 2008年
『今がわかる時代がわかる 世界地図 2016年版』 成美堂出版
『世界遺産大事典』上・下 マイナビ出版 2016年
『なるほど知図帳世界 2017』 昭文社
日本大百科全書 小学館
世界大百科事典 平凡社


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出展作品による展覧会回顧 「コロー 光と追憶の変奏曲」

展覧会
12 /24 2022
コロー 光と追憶の変奏曲

国立西洋美術館
2008.6.14~2008.8.31

神戸市立博物館
2008.9.13~2008.12.7

1章 初期の作品とイタリア

1.パレットを持つ自画像
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1840頃

2.コルベイユ近郊、エソンヌノ眺め
ジャン=ヴィクトール・ベルタン
1800-1805頃

3.ルーアン近郊ノボワ=ギヨームの屋敷の門
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1822

4.パリ、サン=ミシェル古橋
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1823

5.ヴィル=ダヴレー、牛飼い女のいる森の入口
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1825頃

6.コロセウムノ眺め
ピエール=アンリ・ド・ヴァランシエンヌ
1782-1784頃

7.ローマのコロセウムノ眺め
アシル=エトナ・ミシャロン
1819頃

8.ローマのコロセウムの習作、あるいわファルネーゼ庭園から見たコロセウム(昼)
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1826

9.ファルネーゼ庭園から見たフォロ・ロマーノ(夕べ)
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1826

10.ローマ郊外の水道橋
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1826-1828頃

11.プッサンの散歩道(ローマの郊外)
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1826-1828頃

12.パピーニョの河岸
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1826

13.チヴィタ・カステラーナの岩々
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1826-1827

14.ローマ近郊の農婦、あるいわナポリノ農婦
アシル=エトナ・ミシャロン
1820

15.ローマ、コローの長持ニ座る老人
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1826.1

16.上を向いて座るイタリア女性、マリア・ディ・ソラ
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1828

17.オーベルラントのスイス女性
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1845-1850頃

18.ローマ、フランス・アカデミーノ噴水盤(ヴィラ・メディチ)
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1845以降

19.ヴィラ・メディチ、ローマ
モーリス・ドニ
1921

20.トリニタ・デイ・モンテイ教会、ヴィラ・メディチから見た眺め
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1833-1834頃

21.ヴェネツィア、広場
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1828

22.ヴェネツィア、広場と円柱
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1828以降

23.ティヴォリ、ヴィラ・デステ庭園
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1843

2章 フランス各地の田園風景とアトリエでの制作

24.フォンテーヌブローの森の農婦
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1830-1832頃

25.フォンテーヌブローの風景
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1830-1835

26.フォンテーヌブローの森のアプルモン峡谷
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1830-1835

27.画家の姪、マリー・ルイーズ・ロール・セヌゴン、未来のフィリベール・ボード夫人の肖像
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1831

28.画家の友人のフェルディナン・オスモンと思われる肖像、あるいわ画家オーギュスト・フランクランの肖像
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1835

29.画家アドルフ・デブロシェールの子供の肖像
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1845頃

30.ヴィル=ダヴレーのガバスュ邸
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1835-1840

31.ヴィル=ダヴレー
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1835-1840

32.ヴィル=ダヴレーのあずまや
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1847

33.ヴィル=ダヴレーー水門のそばの釣り人
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1852

34.ヴィル=ダヴレー、池の堰
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1830頃

35.緑の岸辺で本を読む女
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1865-1870頃

36.ヴィル=ダヴレー、白樺のある池
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1855-1860頃

37.ヴィル=ダヴレーの池
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1865-1870頃

38.大農園
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1860-1865頃

39.風景
ポール・シニャック
1886頃

40.水汲み場のブルターニュの女たち
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1840-1844頃

41.マント近郊のロルボワーズの教会
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1855頃

42.ロニーのベリーの侯爵夫人の城
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1840

43.エトルタの風車
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1860

44.サン=ロー付近の小さな農家
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1862-1866

45.小さな谷
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1850頃

46.海辺の村、あるいは村の入口
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1850頃、1870に加筆

47.ボーヴェ近くのヴォワザンリュー付近の村の入口
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1850頃

48.風景、朝のボーヴェ近郊
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1860-1870

49.沼のほとりの柳
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1865頃

50.ホメロスと牧人たち
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1845

51.少年と山羊
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1847

3章 フレーミングと空間、パノラマ風景と遠近法的風景

52.ヴィルヌーヴ=レ=ザヴィニョンの眺め、サン=タンドレの要塞
プロスペール・マリラ
1836

53.モルヴァンの風景、あるいは広い地平線の見える田園
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1850頃

54.ルーアン付近のセーヌ川
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1835頃

55.ピエルフォン城の眺め
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1834頃

56.ウッソンのロワール河岸の風景
アンドレ・ドラン
1930

57.南仏の風景
アンドレ・ドラン
1932-1933

58.アラス近郊の道、あるいは藁ぶきの家々
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1853-1858

59.オヴェールの村の道、あるいはオヴェール=シュル=オワーズの古い道
ポール・セザンヌ
1872-1873頃

60.パリ近郊の農家の中庭、あるいはパリ近郊のパン屋の中庭
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1865-1870頃

61.ドゥエの鐘楼
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1871

62.アルジャントゥイユの大通り
アルフレッド・シスレー
1872

63.アミアン
アンドレ・ドラン
1947

4章 樹木のカーテン、舞台の幕

64.葉むら越しに見たヴィル=ダヴレーの池
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1871

65.カーニュの松林
ピエール=オーギュスト・ルノワール
1919頃

66.木の間越しの春
クロード・モネ
1878

67.ヴィル=ダヴレーの想い出、森にて
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1872

68.傾いだ木
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1865頃

69.ヴィル=ダヴレー、傾いだ木のある池
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1865頃

70.ヴヌー=ナドンの岩の森
アルフレッド・シスレー
1874

71.農家の前の水辺の木々
ピーテル・コルネリス・モンドリアン(通称ピート・モンドリアン)
1905頃

72.緑の岸辺
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1865頃

73.マリセルの柳
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1857

74.夏の木かげの小道
カミーユ・ピサロ
1877

75.木かげ
ピエール=オーギュスト・ルノワール
1880頃

76.ノルマンディーの風景、沼の片すみ
ポール・ゴーガン
1885

5章 ミューズとニンフたち、そして音楽

77.鎌を手にする収穫の女、あるいは鎌を持つ女
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1838

78.本を読む花冠の女、あるいはウェルギリウスのミューズ
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1845

79.手紙を持つ女
ピエール=オーギュスト・ルノワール
1890-1895頃

80.正面/横顔の女の肖像
アンドレ・ロート

81.本を読むシャルトル会修道士、あるいは座って本を読む白い修道士
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1850-1860頃

82.ルイーズ・オディアの肖像
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1852

83.イタリアの女
アンドレ・ドラン
1921

84.ミューズー歴史
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1868-1870

85.バラ色のショールをはおる若い女
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1865-1870頃

86.バラ色のスカートの若い女、あるいは左肘をつく若い女
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1865頃

87.身づくろいをする若い娘
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1860-1865

88.もの思い
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1865-1870頃

89.コローのアトリエ、黒いビロードのドレスを着た若い女
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1870

90.真珠の女
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1858-1868

91.マンドリンを手に夢想する女
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1860-1865

92.エデ
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1870-1871

93.マンドリンを持つ女
アンリ・マティス
1921-1922頃

94.マンドリンを持つ女、コローに基づく自由な習作
ジョルジュ・ブラック
1922-1923

95.水浴するディアナ
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1869-1870頃

96.傷ついたエウリュディケ
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1868-1870頃

97.小さな座る裸婦
パブロ・ピカソ
1907

98.甲冑の男、あるいは騎士
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1868

99.草地に横たわるアルジェリアの娘
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1871、1873に加筆

100.赤いキュロットのオダリスク
アンリ・マティス
1922頃

101.青い服の婦人
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1874

6章 「私は目も心も使って解釈する」

102.山羊飼いのいる風景
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1837

103.サン=ル=ノーブルの道
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1873

104.アルル―の風景、道沿いの小川
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1871-1874

105.牧場の休息地
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1870-1875

106.モルトフォンテーヌの想い出
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1864

107.幸福の島
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1865-1869頃

108.ボロメ島の浴女たち
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1872頃

109.ナポリの浜の想い出
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1870-1872

110.ビブリ
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
1874-1875頃


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備忘録・雑記ランキン

「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」記録簿 第2弾 1日目

バス旅
12 /23 2022
ロケ日
2008年2月24日~2月27日

放送日
2008年3月22日 19:00~20:54

タイトル
東海道 人情ふれあい珍道中 ローカル路線バス乗り継ぎの旅

出発・目的地
日本橋(東京都)~三条大橋(京都府)

マドンナ
相本久美子

交通費
19,710円

乗継数
41本


1日目
6:15 オープニング
   最初から3人登場

7:19発  日本橋
 ↓  所要時間不明 東42甲 東京八重洲口行き  都営バス
   東京駅
 ↓ 約20分                  都営バス
   魚籃坂下
 ↓ 約20分                   都営バス
   五反田駅
 ↓ 約50分                   東急バス
   川崎駅
 ↓ 約40分                   横浜市営バス
10:31発 横浜駅   
 ↓ 約1時間5分 横43 戸塚駅東口行き      神奈川中央交通
11:02発 戸塚駅
 ↓ 約50分  戸81 藤沢駅行き         神奈川中央交通
    藤沢橋
     遊行寺訪問
     藤沢駅まで歩く
      昼食 あかいし
       ランチタイムはおかず無料
        全員 天ぷらそば 1,500円
14:02発 藤沢駅 
 ↓ 約50分 藤07 茅ヶ崎駅行き          神奈川中央交通
茅ヶ崎駅
     蛭子さん「サザエ」で今川焼を買う サインを頼まれ似顔絵も描く
15:00発 茅ヶ崎駅
 ↓ 約15分 茅06 平塚駅行き          神奈川中央交通
15:40発 平塚駅
 ↓ 約55分 平43 国府津駅行き         神奈川中央交通
    国府津駅
 ↓ 約30分 小田原駅行き            箱根登山バス
    小田原駅 
 ↓ 約1時間 箱根町行き             箱根登山バス
18:10着 元箱根
     宿探し2件目で決まる
      『山のホテル』 1泊朝食付き11,000円(2名利用)
      太川・蛭子同部屋
     夕食 『お食事処 佐藤水産』
      太川 わかさぎ御膳 1,500円
      蛭子 ?
      相本 釜御膳 1,500円
     


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著者自身による書中評 および 私のこの一文

書評
12 /22 2022
『外資系コンサルの知的生産術 プロだけが知る「99の心得」』
山口 周 著 光文社新書 2015年 電子書籍版


・「どんなにピカピカの学歴を持った頭脳優秀な人材でも、「動き方」を知らないとまったく知的成果を生み出すことができない、ということです。こういった人たちに対して何より必要なのは、「思考技術」のトレーニングではなく、具体的に手や足をどう動かすか?という「行動技術」、つまりは「心得」のトレーニングなんですね。そして本書は、まさにこの点、つまり「知的生産のための心得」について書かれています。」 1%

・「コアなターゲットとして想定しているのは、知的生産を高め、自分が所属する組織や社会によりよい変化をもたらそうとしている三十代のビジネスパーソンです。」 1%

・「読者の皆さんが、本書を通じて知的生産の心得を身につけ、それを社会変革のツールとして活用してくれれば、筆者にとってこれ以上嬉しいことはありません。」99%


・・・私のこの一文・・・
「量が質に転化する、これがアイデアの面白いところです。」76%



引用後の%は電子書籍での位置を表します。


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Radiology2003

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