対訳『古事記伝』 82 (『古事記伝』強化週間)
本居宣長
406.此ノ中に、曾ノ字は、なべては清音にのみ用ひたるに、辭(テニヲハ)のゾの濁音には、あまねく此ノ字を用ひたり、【書紀萬葉などもおなじ、】
訳:これらのうち「曾」の字は、ほとんど清音にのみ用いるのが、助詞の「ゾ」には、全てこの字を用いている。【『日本書紀』『万葉集』も同様。】
407.故レもしくは辭(テニヲハ)のゾも、古へは清(スミ)て云るかとも思へども、中巻輕嶋ノ宮ノ段ノ歌には、三處まで叙ノ字をも用ひ、又某(ソレ)ゾといひとぢむるゾにも、多くは叙を用ひたれば、清音にあらず、
訳:このためにあるいは、助詞の「ゾ」も清音で発音していたのではとも考えられそうであるが、中巻の軽嶋の宮の段の歌には、3カ所まで「叙」の字を用い、また「~ゾ」と文を閉じるための「ゾ」の部分も、多くは「叙」となっているので、清音ではない。
408.然るにそのいひとぢむるところのゾにも、一ツニツ曾を書る處もあり、
訳:しかし文を閉じる部分の「ゾ」にも、1〜2カ所「曾」の字を用いている所もある。
409.然れば此字、清濁に通はし用ひたるかとも思へど、記中にさる例もなく、又辭(テニヲハ)のゾをおきて、他に濁音に用ひたる處なければ、今は清音と定めつ、
訳:であればこの字は清濁どちらにも用いたのではないかとも思われるが、『古事記』中にはそうした例がなく、また助詞の「ゾ」の部分以外には、他に濁音に用いた箇所もないので、ここでは清音としておく。
410.そもそも此ノ字、辭(テニヲハ)のゾにのみ濁音に用ひたること、猶よく考ふべし、
訳:この字を助詞の「ゾ」の場合にのみ濁音として用いていることについては、さらに検討を要する。
参考書籍
『本居宣長全集』第九巻 筑摩書房 1966年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『古事記注釈 第一巻』 西郷信綱 著 ちくま学芸文庫 2005年
『本居宣長『古事記伝』を読む』Ⅰ~Ⅳ 2010年
『新版古事記』 中村啓信 訳注 KADOKAWA 2014年 電子書籍版
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年
『日本書紀上・下』 井上光貞監訳 2020年 電子書籍版
参考サイト
雲の筏:http://kumoi1.web.fc2.com/CCP057.html
本日もご訪問いただきありがとうございました。
備忘録・雑記ラ
訳:これらのうち「曾」の字は、ほとんど清音にのみ用いるのが、助詞の「ゾ」には、全てこの字を用いている。【『日本書紀』『万葉集』も同様。】
407.故レもしくは辭(テニヲハ)のゾも、古へは清(スミ)て云るかとも思へども、中巻輕嶋ノ宮ノ段ノ歌には、三處まで叙ノ字をも用ひ、又某(ソレ)ゾといひとぢむるゾにも、多くは叙を用ひたれば、清音にあらず、
訳:このためにあるいは、助詞の「ゾ」も清音で発音していたのではとも考えられそうであるが、中巻の軽嶋の宮の段の歌には、3カ所まで「叙」の字を用い、また「~ゾ」と文を閉じるための「ゾ」の部分も、多くは「叙」となっているので、清音ではない。
408.然るにそのいひとぢむるところのゾにも、一ツニツ曾を書る處もあり、
訳:しかし文を閉じる部分の「ゾ」にも、1〜2カ所「曾」の字を用いている所もある。
409.然れば此字、清濁に通はし用ひたるかとも思へど、記中にさる例もなく、又辭(テニヲハ)のゾをおきて、他に濁音に用ひたる處なければ、今は清音と定めつ、
訳:であればこの字は清濁どちらにも用いたのではないかとも思われるが、『古事記』中にはそうした例がなく、また助詞の「ゾ」の部分以外には、他に濁音に用いた箇所もないので、ここでは清音としておく。
410.そもそも此ノ字、辭(テニヲハ)のゾにのみ濁音に用ひたること、猶よく考ふべし、
訳:この字を助詞の「ゾ」の場合にのみ濁音として用いていることについては、さらに検討を要する。
参考書籍
『本居宣長全集』第九巻 筑摩書房 1966年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『古事記注釈 第一巻』 西郷信綱 著 ちくま学芸文庫 2005年
『本居宣長『古事記伝』を読む』Ⅰ~Ⅳ 2010年
『新版古事記』 中村啓信 訳注 KADOKAWA 2014年 電子書籍版
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年
『日本書紀上・下』 井上光貞監訳 2020年 電子書籍版
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