2018年10月 - 日々のよしなしごと~備忘録~
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Toward 「Qさま!!」 セルフトレーニング 70 復習(2012.7.30)

Toward 「Qさま‼︎」
10 /31 2018
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2012.7.30  イケメンインテリ軍団VSブサイクインテリ軍団

Q1:漢字の読み
①確り者  ②毀れ物  ③空者  ④調者     

Q2:五輪競技・種目の英語和訳
①Shot put
②Rings
③Rhythmic Gymnastics

Q3:A、Bの□に共通する漢字
①A:□深にかぶる
  B:□算を立てる
②A:湯□を運ぶ
  B:□気に構える
③A:□性を知る
  B:全くの□人
④A:蒸□を使う
  B:灯□を立てる

A1
①しっかりもの ②こわれもの ③うつけもの ④みつぎもの     

A2
①砲丸投げ
②吊り輪
③新体操

A3
①目
②呑
③素
④籠

下の句50音順にたどる百人一首 No.27 くもの

百人一首
10 /30 2018
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No.27(No.36)
下の句
くもの・いづこにつきやどるらむ
(雲のいづこに 月宿るらむ)

上の句
なつ・のよはまだよひながらあけぬるを
(夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを)

意味
短い夏の夜は、まだ宵のうちだと思っているうちに、早くも暁にになってしまった。こんなに明けるのが早くては、月は沈む間もなかったろう。いったい雲のどのあたりに月は宿っているのだろう。

出典
『古今集』巻3夏166
「月の面白かりける夜あかつきがたによめる」


作者
清原深養父
生没年不詳。平安前期の歌人。
房則の息子。清原元輔の祖父。清少納言の曾祖父。


備考
「夏の夜」は明けやすく、短いのが特徴。
「は」は他との区別を示す係助詞。他の季節と夏を区別して、「他の季節と違って短い夏の夜は」となる。
「宵」は夜のまだ早いうちを指す。
夜の明ける速さと、月が西へ傾く速度を比較し、夜の明ける速さに月が追いついていない、という感慨を表現している。


参考書籍
『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫
『ビジュアル版 日本の古典に親しむ② 百人一首』 大岡信著 世界文化社
『別冊太陽 百人一首への招待』 吉海直人監修 平凡社
『解説 百人一首』 橋本武著 ちくま学芸文庫

「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」展訪問

展覧会
10 /29 2018
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東京国立博物館で開催中の特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」へ行ってきました。

日曜日の正午頃でしたが、人出はそれほど多くなく、各展示品の前に1〜2人いる程度で、ゆっくり観ることができました。

快慶の高弟・行快作で、大報恩寺の秘仏本尊である釈迦如来坐像が寺としては最も重要な展示品と思われます。

企画者としては、快慶(工房)作の十大弟子立像をメインと考えているかもしれません。

図録の解説を読んで、「日本彫刻史では、作風を同じくする一門の中で、作り手を見分けるのに耳の内側のかたちに注目することがある。」ことを初めて知りました。

そして、図録中で十大弟子立像の各像の耳の写真も掲載され、作風の違いを興味深く観ることができました。

また、肥後定慶作の六観音菩薩像に関しても、前後左右四方向から移した写真が載せられており、本展覧会の図録は出品作品が多くなかったこともあると思いますが、比較的充実していると思いました。



東京国立博物館ホームページ
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1914


『夕陽妄語』を読むために 「画家モランディの世界」

加藤周一
10 /28 2018
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「画家モランディの世界」 1990.5.15

・ジョルジョ・モランディ(Giorgio Morandi. 1890~1964):イタリアの画家,銅版画家。ボローニャで生まれ、同地の美術学校で学び、生涯をこの地で過ごした。瓶や器を主題にした静物を描き、瞑想的な作風を確立。G.キリコ、C.カルラとともに「形而上絵画」を主唱するが、後に孤立して制作に専念する。

・ボローニャ:イタリア北部、エミリアロマーニャ州の州都。ボローニャ県の県都。12~16世紀には独立の自治都市となり、法学のボローニャ学派、絵画のボローニャ派など学術・文化が栄えた。

・立体主義(キュビズム):1907年から 14年にかけてパリで起った美術の革新運動。 対象を複数の角度から幾何学的面に分解し、再構成する技法を創出。ルネサンス以来の一点透視図法を否定した。08年にマチスがブラックの描いた『エスタック風景』連作 (1907~08) を評して「小さな立方体 (キュブ) の塊」と言ったのがその名称の由来という。セザンヌの「自然を円筒,円錐,球として取扱う」という言葉はキュビスムにとって啓示となり、彼の芸術と黒人彫刻はこの運動の初期に多大の影響を与えた。ピカソの《アビニョンの娘たち》(1907年)が最初の作品とされる。

・キリコ(Giorgio de Chirico 1888〜1978):ギリシア生れのイタリアの画家。ニーチェの哲学や A.ベックリン、F.シュトゥック、M.クリンガー、A.クービンなどの世紀末の絵画の影響を強く受ける。1911年パリに出てピカソ,M.ジャコブ,G.アポリネールらと知合う。 17年 C.カルラと形而上絵画を提唱。その独自の幻想的絵画はのちのシュルレアリスム絵画に決定的な影響を与えた。しかし 19年頃からアカデミックな画風に転じ,従来の自己の前衛的なスタイルを否定するようになる。

・マティス(Henri Matisse 1869〜1954):フランスの画家。セザンヌ,スーラなどの影響を受け、さらに A.マルケ、ドラン、ルオー、ブラマンクらの画家と交わり、1905年サロン・ドートンヌにそれら友人とともに激しい原色を用いた作品を発表、フォービスムの指導者的存在となる。色彩・フォルム・描線の単純化・装飾化によって独自の絵画空間を構築し、現代美術に多大の影響を与えた。代表作《赤のハーモニー》(1908〜1909)、《ダンス》(1910)。

・モンドリアン(Pieter Cornelis Mondriaan 1872〜1944):オランダの画家。写実的な風景画から出発したが、神智学とキュビスムの影響を受け、絵画における絶対性を追求して抽象へ進む。1917年デ・ステイル運動を興し、新造形主義理論を提唱。水平線と垂直線、三原色と無彩色により画面を構成した。本格的な抽象絵画を描いた最初期の画家とされる。代表作は《赤,黄,青によるコンポジション》 (1921) 、《ブロードウェー・ブギウギ》(1942~43)など。

・ボナール(Pierre Bonnard 1867〜1947):フランスの画家。1880年代末に J.ビュイヤール、M.ドニ、P.セリュジエらとともにナビ派を形成。日本美術の影響を強く受け、「ナビ・ジャポナール」(日本かぶれのナビ)と呼ばれた。室内情景などの身近な題材を好んで描いたことから、エドゥアール・ヴュイヤールと共にアンティミスト(親密派)と呼ばれている。主要作品は《逆光の裸婦》 (1908)、《浴槽の裸婦》(1937)など。

・セザンヌ(Paul Cézanne 1839~1906):フランスの画家。親友ゾラの勧めで1861年パリに出て絵画に専念。それまでドラクロア、クールベらの濃い影響を受けていたが、パリでピサロに出会って印象主義的作風に向かい、さらに1880年ころから印象主義を否定し、色面によって空間を構築する独自の様式を確立し、キュビスムをはじめとする20世紀絵画に多大な影響をもたらし、「近代絵画の父」といわれる。代表作に《大水浴》(1898年―1905年)、サント・ビクトアール山を主題とした数多くの作品など。

・ピエロ・デッラ・フランチェスカ(Piero della Francesca 1412~1492):イタリアの初期ルネッサンス期の画家。主として宗教画を描いた。代表作≪キリストの洗礼≫(1450頃)、≪ウルビーノ公夫妻の肖像≫(1472~74)など。

・クロード・ロラン(Claude Lorrain 1600年代~1682):フランスで生れローマで活躍した画家。ロレーヌ地方の出身なので、「ロラン」と呼ばれ、生涯の大半をローマで送った。宗教的主題をもつ風景画を制作、外光と大気の微妙な変化を巧みに表現し、のちの風景画家に大きな影響を与えた。 代表作≪カンポバッチーノ港の暁≫(1636) ≪シバの女王の船出』≫(1648) など。



参考書籍
日本大百科全書 小学館
世界大百科事典 平凡社
デジタル大辞泉 小学館
ブリタニカ国際大百科事典 ブリタニカ・ジャパン

「ルーベンス展」訪問

展覧会
10 /27 2018
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東京国立西洋美術館で開催中の「ルーベンス展ーバロックの誕生」を観てきました。

平日の午前11時30分頃着きましたが、人出は予想していたよりもやや多めで、各作品の前に5~10人程度がいるという状態でした。

しかし、列をなして作品と作品の間まで人がいるという程ではありませんでした。

今回の展覧会の趣旨は、バロック期のフランドルの画家であるルーベンスの画業を、同じくバロック美術の中心地であったイタリアとのかかわりに焦点を当て、彼がイタリアで学んだものや、その学んだものが彼の絵にどのように現れたかを明らかにしようというもののようです。

「近年では最大規模のルーベンス展」と謳っているように、出品作品数もルーベンスの作品だけで40点近くあり、大作の作品も多く展示されていました。

男性では屈強な、女性では豊満な裸体が描かれた宗教画が多く、今の時代で万人受けする絵ではないので、好き嫌いは分かれると思われます。

図録は高めの3000円でした。これからはこの値段が相場になりそうです。

一般的には展覧会で展示された順に図録でも掲載されるのですが、今回会場では最初に展示された「ルーベンスの世界」と題された章の作品が図録では第Ⅲ章として扱われています。

実際作品を展示する段階で、図録を作成した時点と、章立てを変更したものと思われます。


本展覧会を観た後、日曜日に観に行った「フェルメール展」を開催中の上野の森美術館の前を通ったところ、同じ時間ではありませんが、入場を待つ列はありませんでした。

「フェルメール展」は平日に行くべきです。


国立西洋美術館ホームページ
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2018rubens.html

TBSホームページ
https://www.tbs.co.jp/rubens2018/

仏像学習 ㊽国宝仏像各論15 菩薩半跏像(中宮寺本堂)

仏像
10 /26 2018
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仏像学習 ㊽国宝仏像各論15 菩薩半跏像(双髻弥勒・伝如意輪観音)

所在:中宮寺 本堂

指定:1951年

制作年:7世紀

制作法:木造

像高:87.0cm

像容:
・まるいクッションを設けた榻座に、右足を左ひざの上にかけ、左足を踏み下げて坐る半跏のかたちをとる。

・左手は右足首に置き、右腕は肘を右膝の上につき、軽く曲げた指先を右頬に触れ、思惟の相を示す。

・光背は宝珠形で周縁部に火焔文、光心部に蓮華荷葉文が施されている。

備考
・本来弥勒菩薩像であったが、平安時代に如意輪観音の姿とする信仰が形成されたため、本来の名称が失われた。鎌倉時代の伽藍復興時の記録にも如意輪観音とある。

・もともとは肉身部を肌色に、着衣部には首・緑青・群青・丹などの彩色が行われ、金箔を細く切った切金も置かれていたことが確認されている。

・頭部は前後を二材で、頸部で頭と体を上下に接合している。


中宮寺ホームページ
http://www.chuguji.jp/


参考書籍
週刊朝日百科 日本の国宝004 1997年

大洗磯前神社訪問

神社仏閣
10 /25 2018
本日もご訪問いただきありがとうございます。

昨日の記事で言及しましたひたち海浜公園へ行った帰りに、茨城県大洗町にある大洗磯前神社にも寄ってみました。

20台程度駐車可能な無料駐車場があります。

『日本文徳天皇実録』の記述で、856年に常陸国鹿島郡の大洗磯前に大奈母知・少比古奈命が現れたとされる。

平安時代中期の『延喜式神名帳』には「常陸国鹿嶋郡 大洗礒前薬師菩薩明神社」と記載され、名神大社に列している。

1558年〜1570年の戦乱で荒廃したため、1690年に水戸藩2代藩主・徳川光圀により造営がなされ、3代・綱條の代で現在の本殿・拝殿・随神門が完成した。

主祭神
大己貴命 (おおなむちのみこと)
大国主命の別名。国造りを行うため、境内前方の岬の岩礁に降臨したとされる。

配祀神
少彦名命 (すくなひこなのみこと)
酒列磯前神社祭神で、その分霊。大己貴命とともに国造りを行なったとされる。

拝殿に向かって左右それぞれに摂末社の三社が祀られる。
三社(本殿向かって右)
大神宮 - 祭神:天照皇大神。伊勢神宮の分社
静神社 - 祭神:建葉槌命・手力雄命・高皇産霊尊・思兼神。那珂市にある常陸国二宮の分社
水天宮 - 祭神:天御中主神・安徳天皇・建礼門院二位尼。福岡県久留米市にある水天宮の分社
三社(本殿向かって左)
大杉神社 - 祭神:大物主命。稲敷市の大杉神社を中心とした信仰の神社。あんば様として信仰されている。
水神社 - 祭神:罔象女命
八幡宮 - 祭神:玉依比売命・大帯姫命・応神天皇

この神社の特色は、祭神の降臨地とされる海上の岩の上にある神磯の鳥居です。

拝殿を背にして、前方にある90段余りの階段を下り、二の鳥居をくぐって県道106号を渡って海の方へ進むと、神磯の鳥居があります。



大洗磯前神社ホームページ
http://oarai-isosakijinja.or.jp/jinja/honden.html






コキアの紅葉見頃

徒然
10 /24 2018
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茨城県ひたちなか市にある国営ひたち海浜公園へ行ってきました。

ここは春のネモフィラ、秋のコキアが有名で、現在そのコキアの紅葉が見頃ということで、行ってみました。

情報に違わずコキアが綺麗に紅葉していました。

コキアだけだと色も単調になってしまいますが、その近くに植えられたコスモスも7分咲き程度で、十分秋を感じることができました。

横須賀のくりはま花の国の貧弱さとは雲泥の差でした。

コスモスはコキアがあるみはらしの丘以外にも所々に植えられており、中央ゲート近くではいろいろな品種のコスモスを観ることができます。

個人的に特に気に入ったのは白い八重のコスモスでした。

入園料は大人1人450円と駐車場代510円です。

平日の13時ころ行きましたが、人出は多く、駐車場の料金所を通過するのに5分そこから車を停めるまでに10分かかりました。


ひたち海浜公園ホームページ
http://hitachikaihin.jp/



今日の日に寄せて 降霜

今日の日
10 /23 2018
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10月23日 降霜

二十四節気の一つで、第18。

定気法では太陽黄経が210度のときで寒露ののち約15日目、新暦で10月23〜24日頃。

恒気法では冬至から5/6年(約304.37日)後で10月22日頃。

秋が一段と深まり、朝霜が見られる頃。

北国や山間部では、霜が降りて朝には草木が白く化粧をする頃。野の花の数は減り始める、代わって山を紅葉が飾る頃。

『暦便覧』では、「露が陰気に結ばれて霜となりて降るゆゑ也」と説明している。

この日から立冬までの間に吹く寒い北風を木枯らしと呼ぶ。

西洋占星術では、霜降を天蠍宮の始まりとする。




参考サイト
日本の行事・暦:http://koyomigyouji.com/24-sou.html
こよみのページ:http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/24doc.htm

参考書籍
日本大百科全書 小学館
世界大百科事典 平凡社

「フェルメール展」 訪問

展覧会
10 /22 2018
本日もご訪問いただきありがとうございます。

上野の森美術館で開催中のフェルメール展を観てきました。

本展覧会の通常の展覧会と異なる点は、日時指定入場制ということです。

フェルメール作品が8点(作品入れ替えがあり、2回行けば計9点)展示されるため、多数の入場者が予想されることからの方針と思われます。

実際、日曜日9:30~10:30入場のチケットで10:00ころ到着して、20分待ちで入場できましたが、日時指定でなければ入場するのに2時間は待たなければならなかったのではないかと思うので、正しい選択だと考えます。

2000年の大阪市立美術館で開催された「フェルメールとその時代」展では、朝一で行っても2時間近く待った記憶があります。

入れ替え制ではなく、入館後は閉館までいてもいいので、時間を気にする必要はありません。

ただ、常時20~30人は各作品の前にいるので、ゆっくりこころゆくまで観れるというわけではありません。

また、係員の注意を促す声も耳障りです。

「前列で見終わった方は先へおすすみください」だの、「見る順番は決められていないので、すいているところからkご覧ください」だの、非常に不快に感じます。

主催者からの指示でしょうから、彼女たちの責任ではありませんが、声優やナレーションのプロではないので、やはりうるさく感じます。

やはり、観たい絵は本来所蔵されている美術館で観るべきということでしょうか。

観覧料も、通常の企画展では1600円が現在の相場ですが、本展覧会では2500円と高く設定されています。

普通は別料金の音声ガイドがもれなくついていますが、それを入れたとしても400円高くなっています。

図録も2500円が相場ですが、特に豪華なわけでもありませんが、3000円です。

ほとんどの人はフェルメールの作品だけが目当てだと思いますが、それだけでは一つの作品に100人以上が集まることになるので、観客を分散させる意味で、フェルメールの作品が展示されている部屋にたどりつく前に約50点のオランダのほかの画家の作品も展示されています。

私も、フェルメールの作品さえ観れればよかったのですが、ざっと眺めた中で、教会の内部を専門に描いたピーテル・サーンレダム、フェルメールと同時期に活躍し、お互いに影響されたと思われるピーテル・デ・ホーホ、そして、フェルメールの影響を受けたことが推測され、今回初めてその名を知ったハブリエル・メツーの作品は、個人的には観る価値があったと思います。


公式ホームページ
https://www.vermeer.jp/

Radiology2003

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日々の生活の中で感じたこと・調べたことを備忘録として残しています。