「ロッキー3」 本来のシリーズ最終章か? 【原題】ROCKY III
【公開年】1982年
【制作国】亜米利加
【時間】99分
【監督】シルヴェスター・スタローン 【音楽】ビル・コンティ
【脚本】シルヴェスター・スタローン【言語】イングランド語
【出演】シルヴェスター・スタローン(ロッキー・バルボア)
タリア・シャイア(エイドリアン) バート・ヤング(ポーリー) バージェス・メレディス(ミッキー) ミスター・T(クラバー) カール・ウェザース(アポロ) トニー・バートン(-) ハルク・ホーガン(-) イアン・フリード(-) アルド・シルヴァーニ(-) ウォーリー・テイラー(-) ジム・ヒル(-) ドン・シャーマン(-)
【成分】勇敢 切ない かっこいい ボクシング
【特徴】ロッキーが世界チャンピオンとして成功したその後の物語。
成功してめでたしとはせず、その後の老いと退潮を描写する様を描いたのは画期的。メジャーなシリーズ物ではあまり見かけない。
佳境のチャンピオン復帰をかけた試合が八百長に見えるほど物語世界に感情移入してしまう。
【効能】倦怠期の脱出に効果的。
【副作用】佳境の場面が八百長に見え、ラストは予定調和なので白ける。
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垢抜けしたスタローン シリーズ全体を1つの物語として起承転結の流れで見れば、やはり本作が最終章なのではないかと思っている。後に続く4作目・5作目は政治的思惑や興行的思惑で「ロッキー」という当初の物語とのバランスや整合性を若干無視して創ったように見える。だから、個人的には本作の次に「ファイナル」を製作してほしかった。
本作はシリーズの一応の区切りとなる作品といわれているようだが、もう一つスタローン氏自身の映画人生にとっても「初期」の最終章である。ほぼ同時期に制作が進められていた「ランボー」の1作目(余談2)と合わせて、スタローン氏が映画のキーワードに盛り込んでいたイタリア系移民およびマイノリティー・低所得労働者などでも解るように、アメリカ社会から不当な立場に甘んじている人々に光をあてるものだった。
ところが本作「ロッキー3」が公開された直後あたりに「ロッキー4」が制作され始めた。続けて「ランボー2」も制作される。2作ともソ連への敵意まるだし政治色の強い煽動映画だ。スタローン氏は「ロッキー4」のロッキーと同じくアメリカ国旗を背にして娯楽大作を創るようになる。
本作公開時、私は高校2年生だったか。チャンピオンになってめでたしのハッピーエンドにせず、その後の精神的な衰えや老いを続編で描写する事に新鮮さを感じた。
3作目のロッキーは前作・前々作と違って引締まった身体をしていて、髪型もこざっぱり、どうも無駄毛処理をしているのか全体に白く垢抜けしたような風体になっている。逆にいえばワイルドさが無くなっていて、野性味あふれる新たなライバル・クラバーと良い対比になっている。(余談1)
ロッキーにとって精神的支えであった老トレーナーの死、入れ替わるようにかつてのライバル・アポロがビジネスを装いながらもロッキーに友情の手を差し伸べる展開は、高2当時の私にとっては感動だった。
ただ、残念なことがある。別段、これは前作・前々作でもそうなのだが、ラストのクラバーとの決戦に勝利する様が八百長に見えてしまう。フィクションなのだから看過すべきなのだろうが、やはり八百長だ。クラバーの負け方が不自然だ。逆説的にいえば、八百長に見えてしまうほどに映画の中の試合が実際のプロボクサーの試合であるかのように感情移入してしまう点が本作の素晴らしさなのだろう。
最後にもう一度いいたい。本作をいったん最終作にして、4と5を制作せずに25年後にファイナルを制作してほしかった。(余談3)
(余談1)今となっては、ミスター・Tはロッキーのライバルというよりは特攻野郎Aチームのメンバーのイメージが強い。
(余談2)聞くところによると、本作の編集中か撮影終了後かは知らないがともかく制作中に「ランボー」の撮影にも入っていて、スタントマンなしで演技をこなしていたため肋骨などを折る重傷を負ったそうだ。しかも「ランボー」作中で、谷底に潜んでサバイバルナイフの柄の中から針と糸を取り出し腕の裂傷を自分で縫う場面があるが、あれは本当に腕を負傷して自分で縫っていたらしい。アクシデントを撮影に利用する根性は凄い。(但し、北米版DVDではスタローン自身がその場面を特殊メイクだと主張している)
よくも「ロッキー3」「ランボー」を同時進行的に制作したものだ。しかも「ロッキー3」は前作に続いて監督・脚本・主演を兼任。
(余談3)主題歌のサヴァイヴァー 「アイ・オブ・ザ・タイガー」は「ベストヒットUSA」や「MTV」などでよく流れた。けっこう好きだった。
晴雨堂スタンダード評価
☆☆☆ 良
晴雨堂マニアック評価
☆☆☆☆ 名作晴雨堂関連作品案内ロッキー3 オリジナル・サウンドトラック ブログランキングに参加しています。
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垢抜けしたスタローン シリーズ全体を1つの物語として起承転結の流れで見れば、やはり本作が最終章なのではないかと思っている。後に続く4作目・5作目は政治的思惑や興行的思惑で「ロッキー」という当初の物語とのバランスや整合性を若干無視して創ったように見える。だから、個人的には本作の次に「ファイナル」を製作してほしかった。
本作はシリーズの一応の区切りとなる作品といわれているようだが、もう一つスタローン氏自身の映画人生にとっても「初期」の最終章である。ほぼ同時期に制作が進められていた「ランボー」の1作目(余談2)と合わせて、スタローン氏が映画のキーワードに盛り込んでいたイタリア系移民およびマイノリティー・低所得労働者などでも解るように、アメリカ社会から不当な立場に甘んじている人々に光をあてるものだった。
ところが本作「ロッキー3」が公開された直後あたりに「ロッキー4」が制作され始めた。続けて「ランボー2」も制作される。2作ともソ連への敵意まるだし政治色の強い煽動映画だ。スタローン氏は「ロッキー4」のロッキーと同じくアメリカ国旗を背にして娯楽大作を創るようになる。
本作公開時、私は高校2年生だったか。チャンピオンになってめでたしのハッピーエンドにせず、その後の精神的な衰えや老いを続編で描写する事に新鮮さを感じた。
3作目のロッキーは前作・前々作と違って引締まった身体をしていて、髪型もこざっぱり、どうも無駄毛処理をしているのか全体に白く垢抜けしたような風体になっている。逆にいえばワイルドさが無くなっていて、野性味あふれる新たなライバル・クラバーと良い対比になっている。(余談1)
ロッキーにとって精神的支えであった老トレーナーの死、入れ替わるようにかつてのライバル・アポロがビジネスを装いながらもロッキーに友情の手を差し伸べる展開は、高2当時の私にとっては感動だった。
ただ、残念なことがある。別段、これは前作・前々作でもそうなのだが、ラストのクラバーとの決戦に勝利する様が八百長に見えてしまう。フィクションなのだから看過すべきなのだろうが、やはり八百長だ。クラバーの負け方が不自然だ。逆説的にいえば、八百長に見えてしまうほどに映画の中の試合が実際のプロボクサーの試合であるかのように感情移入してしまう点が本作の素晴らしさなのだろう。
最後にもう一度いいたい。本作をいったん最終作にして、4と5を制作せずに25年後にファイナルを制作してほしかった。(余談3)
(余談1)今となっては、ミスター・Tはロッキーのライバルというよりは特攻野郎Aチームのメンバーのイメージが強い。
(余談2)聞くところによると、本作の編集中か撮影終了後かは知らないがともかく制作中に「ランボー」の撮影にも入っていて、スタントマンなしで演技をこなしていたため肋骨などを折る重傷を負ったそうだ。しかも「ランボー」作中で、谷底に潜んでサバイバルナイフの柄の中から針と糸を取り出し腕の裂傷を自分で縫う場面があるが、あれは本当に腕を負傷して自分で縫っていたらしい。アクシデントを撮影に利用する根性は凄い。(但し、北米版DVDではスタローン自身がその場面を特殊メイクだと主張している)
よくも「ロッキー3」「ランボー」を同時進行的に制作したものだ。しかも「ロッキー3」は前作に続いて監督・脚本・主演を兼任。
(余談3)主題歌のサヴァイヴァー 「アイ・オブ・ザ・タイガー」は「ベストヒットUSA」や「MTV」などでよく流れた。けっこう好きだった。
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