ミカエル晴雨堂の晴耕雨読な映画処方箋 「右翼」と「左翼」の話がよくわかる本 鈴木邦男監修 晴雨堂の本棚[十五]
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ミカエル晴雨堂の晴耕雨読な映画処方箋

晴雨堂ミカエルの飄々とした晴耕雨読な映画処方箋。 体調に見合った薬膳料理があるように、 料理に合う葡萄酒があるように、日常の節目に合った映画があります。映画の話題をきっかけに多彩な生活になれば幸いです。詳しいレビューは「続きを読む」をクリックしてください。

「右翼」と「左翼」の話がよくわかる本 鈴木邦男監修 晴雨堂の本棚[十五] 

「右翼」と「左翼」の話がよくわかる本



【監修】鈴木邦男
【編著】グループSKIT
【発行】PHP

【雑感】右翼団体一水会の顧問を務めている鈴木邦男氏が客観性のある冷静な視点で左翼と右翼を解説しているのが特徴だ。近年、ネット上にある左右双方の論調には敵対陣営への嫌悪感にまかせた実像乖離のデフォルメイメージを鵜呑みにした稚拙化論調が顕著だ。

 そんな中で刊行された鈴木邦男氏監修のこの本は、主観による贔屓目を努めて排して右翼とは何か、左翼とは何かを語っている姿勢が感じられ好感を持つ。扱うページ数も左右ほぼ同じ分量になるよう気を遣われていた。
 左右双方の陣営の成り立ちから双方の人材をピックアップして簡単な「偉人伝」、そして監修者鈴木氏へのインタビュー記事など、入門編として非常に充実している。

 自分の政治的ポジションを確認したり、あるいはこれまでの誤った思い込みなどを正すうえで、私は必読の書と薦めてもいいのではないかと思っている。特にネット上ではなんとなくのイメージであまりにも簡単に短兵急にヘイトスピーチを他人様へ浴びせる者があまりにも増えた。
 そういう意味で現代の日本に必要な書物であると私は考える。と言えば晴雨堂は絶賛していると勘違いする者も出てくるだろう。だが、決して絶賛ではない。こんなの当たり前の基礎の基礎でしかないのだ。それをわざわざ本にしなければならないほど、今の言論界は無知と勘違いと偏見が横行しているのである。


 ツイッターやブログを眺めていると、いつも思う事がある。現在の安倍政権を支持していると思われる方々は少しでも安倍総理を批判すると「サヨク」とか「在日」と決めつけて批難する傾向が強く、逆に辺野古移設止む無しとか韓国や北朝鮮や中国の日本批判に対して少しでも反論すると「保守反動」とか「差別者」と決めつけ批難する。
 これらの発言の数々を見ていると、この人らはそもそも何が右翼で何が左翼なのか意味わかって言ってるんやろうか?と首を傾げること多々ある。

 私自身の体験例を言おう。
 まず右からの偏見。手弁当で市民運動に参加していたら「プロ市民」と蔑まれた事があった。「プロ市民」の本来の意味は自覚と責任感を持つ市民、国や自治体の主権者としてプロフェッショナルという良い意味で編み出された造語なのだが、90年代末から変質が徐々に始まった。変質の原因は「2ちゃんねる」や「小林よしのり」など諸説あるが、意味するところは概ね「平凡な市民の振りをしたサヨク活動家」「サヨク勢力から駄賃をもらってデモする偽市民」「市民運動で飯を喰う輩」といった内容にすり替わってしまった。
 「市民の振りをしたサヨク活動家」というのは確かに誤解されても仕方が無い。しかもリーダー的ポジションにいては「活動家」と見なされても無理ないが、銭は出ていくばかりで生活は困窮、そもそも運動で飯を喰っている輩は少なくとも私の周辺にはいなかった。
 年金生活で時間の都合がつきやすい老人や、サラリーマン社会からドロップアウトしたフリーターの若者と中年男子、それから「理解」ある夫の後ろ盾で行動する主婦。働き盛りのサラリーマンやOLからの人材は情けないほど乏しい。極少数に労組などの専従スタッフや地方議員とそのスタッフなどは名実ともに運動で飯を喰っている部類になるが、それは特殊であって一般ではない。だからこそ、サヨクや護憲派や反原発派は経済というものをナメてかかるんだろうが。
 近頃の論調見てると、デモに参加する者の殆どをプロ市民よばわりしているが、それは完璧に無知からくる偏見だ。

 次に左からの偏見。毎年郷里に帰って先祖代々の墓を掃除していると言ったらバッシング、それが男尊女卑とか家制度につながるのなら、同じく男尊女卑思想を基盤としているキリストやイスラムにも批難の矛を向けなければならんのに、それはどちらかといえば尊重している。日本のサヨクや護憲派は国家権力を憎むあまり「日本」そのものをも否定する自己矛盾に陥っている。
 ツイッター上で皮肉を込めて「どこかの民主主義人民共和国みたいに言論弾圧される」と発言すれば、「どこかの、てどこや? それが差別というんや」と訳の解らない批難を浴びせただけでなく、「あんな差別者とかかわるな」などと別のユーザーに吹聴する。
 私は民主的でない北朝鮮を絡めて民主主義であるべき自民党を批判する事が多いのだが、この発言も北朝鮮を暗に批判しながら自民党政権の表現規制を批判した。私に奇妙な批難を浴びせた者は、その文脈を無視していきなり「差別」をもちだす。(余談1)これでは「自由で民主的な保守政党」と皮肉ったら自民党差別になるのか? それを差別にしたらその者の日ごろの言動も体制側の市民を差別している事になる。政治や言論にかかわるものは全員差別者になってしまう頓珍漢論理にだ。

 左右双方にある種の「真理教信徒状態」の人間がいて大声を張り上げている。そんな輩には「他人の振り見て我が振り直せ」という先人の教訓が一番の薬なのだが、視野狭窄に陥って頑なに都合の悪いモノは見ない。
 私はそんな輩にはもううんざりである。

(余談1)そもそも、「どこや?」と言いながら私の批判先が不明のまま「差別者」とするのも日本語としておかしい。「民主主義」とか「人民共和国」は単なる政治制度の名称でしかないのだ。誰を「差別」しているのかも不明のまま差別者と断じて第三者に吹聴するとは卑怯な輩だ。
 私の「どこか」がどこなのか特定できているのであれば、それはそれで前述したように自民党を「自由で民主的な保守政党」と表現しただけで差別者になってしまうので、もはや批判なんてできないし、それ即ちその者も醜い差別者としての自覚を持たなければならない。


 
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[ 2015/07/14 06:46 ] 晴雨堂の書棚 | TB(0) | CM(0)
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