放射性廃棄物処理場がテーマの映画を
今なぜ公開するのか?
来週は都知事選
「原発推進派に票を入れるのか再考を」
とのメッセージ 2日、福島第一原発事故に日本中が目を向けているなか、フィンランドで建設中の原発の放射性廃棄物処理場をテーマにしたドキュメンタリー映画『100,000年後の安全』が、渋谷のアップリンクで、急きょ公開され、客席が満席になるほど多くの人々が劇場を訪れた。(シネマトゥデイ) 【雑感】いま公開しなくていつ公開するのか? いましかないのだ。 平素の日常では自分たちの生活の裏にどんなリスクがあるのか全く意識しない。ごくたまに反原発運動のニュースが流れてくるが、多くの人は左翼系のカルト集団のような奇異集団として片付ける。また原発や原子力施設を受け入れた自治体では、エネルギーや経済の問題と国から交付される多額の資金を前に反原発派の主張は掻き消される。
こんな時にそんな映画上映しなくてもと反発する者もいるだろうが、こんな時以外で上映したら観に来る人は左翼っぽい環境保護派市民だけに限られ、圧倒的大多数の庶民は見向きもしない。上映会の存在自体が視界に入らないので作品の存在自体が認識されないのだ。
一概に言えないかもれないが社民党や共産党など国会で小勢力しか維持できない市民勢力のみに観せるより、特に支持政党のない無関心層や自民党などを支持している保守市民にも観てもらったほうが良いに決まっているではないか。
そんな絶好の機会は、不本意ながら福島第1原発が深刻な状況になっている今以外に存在しないのである。 私は石原慎太郎氏ら保守政治家のような熱心な推進派でもなければ、社民党や共産党のような硬派の反原発・脱原発でもない。便利な21世紀社会を享受する平凡な一庶民だ。それでも焼け石の水だろうが自分自身の戒めの意味もあって、自宅にはクーラーを取り付けていない。これとて、連れ合いが取り付けないのであって、私はその方針に従っている形なのだが。
しかしながら、何の疑いも懸念もなく無駄遣いを続け、事が起こってしまった時にカマトトぶって「想定外」などとパニックを起こし、さも自分が100%被害者であるかのように振舞って周囲や政府に当たり散らすのは、とても醜い姿とは思わないか。
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