「死ぬ場所決めた」
担任とのノートに記述―岩手の中2男子死亡 岩手県矢巾町の中学2年の男子生徒(13)が列車にはねられて死亡し、担任とやりとりするノートにいじめを受けていた記述が見つかった問題で、生徒が死亡の6日前、「もう死にたい」「死ぬ場所も決めている」との内容をノートに書き込んでいたことが9日、父親への取材で分かった。(時事通信)【雑感】報道を聞く限りでは、問題のノートに書かれた教師のコメント、明らかに事なかれ主義、先送り主義だ。批判されて然るべきだろう。
ただ、
尾木ママこと教育評論家の
尾木直樹氏をはじめ多くの人々が学校や担任教師の対応に批難を集中させているのだが、それで解決するのだろうか? 担任は批判されて然るべきに異論ないが、「いじめっ子」は野放しでいいのか? 担任批判に気を取られ過ぎではないのか?
自殺した生徒の言い分が事実であるなら、「いじめっ子」は脅迫罪と傷害罪で立件する事を目指さねばならない。さらに「いじめっ子」の保護者に対しては民事で損害賠償請求を試みなければならない。
言いたい事は簡単だ。この期に及んで「いじめ」という括りは止めなければならない。自殺者の言い分が正しいのであれば、これはイジメではない犯罪である。 それから担任教師を弁護するつもりは無いのだが、では物理的にイジメを阻止する力が教師側に果たしてあるのかどうか私は疑問だ。私の小中学校時代は、悪さをした生徒児童を整列させて軍隊式に往復ビンタをしたものだが、今それはできない。下手をすれば保護者から訴えられる。手を出さなくても、言葉が威圧的であればモラハラやパワハラと批難される時勢だ。
尾木ママは教師が生徒をいじめる事例を憂慮されているが、逆に「いじめっ子」が教師をいじめる例も少なくない。私は直接目撃したことは無いが、他校の友人は自慢気に気の弱そうな教師をイジメた事を話していた。また私が目撃した範囲では、イジメとまではいかないまでも、大人しそうな教師に向かってタメ口を使い授業の進行を妨げる生徒は若干名いた。学級崩壊が珍しくない現代では推して知るべしだ。
尾木ママのような優秀な教師であれば事を収められたかもしれないが、教師みんなに
尾木ママのような能力を要求するのは無いものねだりではないのか。
学校内外のクレーム対策などの激務で教頭のなり手が不足していると新聞報道で読んだ事がある。もはや容量を超えているとみてやった方が良いのではないか。このままでは教師のなり手もいなくなるかもしれない。
それよりも何のためのPTAか。ただ「学校が悪い」というだけでは徒に学校の負担ばかりが多くなる。そうなると教師も手に負えなくなり、事なかれ主義を決め込む者がますます増える。各々が自分たちに課せられた問題と自覚し、各々がどうやって学び舎を維持していくのかを考えるべきではないのか。
私はさしあたって教師・保護者・生徒の三者が対等な立場で一堂に会し話し合うプロセスが必要ではないかと思う。もちろん、これをやったからといってイジメはゼロにならない。しかし三者各々が学校を支える当事者である自覚を持つ事から始めるべきだ。 それから先ほども述べたが、教師に何もかもアテにするのは物理的に無理だと思う。むしろ「いじめっ子」による暴行脅迫について教師はあてにできないと最初から思っておいたほうが良い。
ではどうすればいいのか? ヒントがある。姉は大学時代に家庭教師のアルバイトをやっていた。やや学業や素行に問題のある子供たちを受け持ったらしいのたが、姉の指摘がなかなか鋭かった。
いじめっ子の多くは視野狭窄に陥っていて世間知らず。 多くの子供は自宅と学校を結ぶ点と線だけで生きている。その狭い空間が子供にとっては全世界だ。いじめっ子はその狭い世界の中でさらに矮小な価値観で生きている。いろんな世界いろんな価値観を知っていれば考え方に余裕が出てくるのだが、瑣末な価値観で物を考えるから余裕がなく瑣末な価値観で物事の序列を考えてしまうから、犬や猿のように群れの中で自分より下位の存在をつくることにこだわる。
イジメられた人間も狭い空間しか知らなければ容易に追い詰められる。「イジメ」が度を越し犯罪となれば死を選ぶ事もあるだろう。
いじめっ子・いじめられっ子どちらにもいえる事だが、視野狭窄にならないよう親をはじめ周囲の大人たちが気を遣っていかなければならない。そのためには親たちも心の引き出しを多く作る必要がある。 だから姉は私のチャリンコ旅行を応援してくれたし、市民運動への参画も支援してくれた。様々な世界を知る事で引き出しが多くなるからだ。おかげで私は少々の事では絶望しなくなった。少なくとも、平均的な日本人にとっては一生涯縁の無いことを経験させてもらったので。
もし息子がイジメにあったら学校を中退させる。憲法は教育を受ける義務と権利を規定しているが、けっして学校へ行く義務と権利を規定している訳ではないからだ。イジメが横行する学校へ行っても教育を受ける義務と権利を侵害させられるだけ。もちろん「中退」は最終手段で、そこに至るまでに様々な策を弄するが。
私と「同学年」の人間に
高野生氏がいる。まだ登校拒否が「市民権」を得ていない時代に彼は中学校を「中退」してアフリカへ行った。彼の著作は後に映画化されている。誰もが彼のようにはいかんだろうが、それぐらいの気概を持ってもいいのではないか。
晴雨堂関連書籍案内僕の学校はアフリカにあった―15歳、マイナスからの旅立ち (朝日文庫) 高野生 高野生氏は学年でいえば私と同い年である。アフリカから帰国した後、北朝鮮に渡って「よど号」事件の人たちと会って話をしたり、土井たか子旋風で勢いのあった社会党の選挙運動に参加したりと左翼臭のある言論活動をしていたが、彼のルポの内容は左翼への不信に満ちているように感じた。
私が思うに、もともと彼が「中学校中退」をして日本を離れたのは、簡単にいうと日本の社会システムに対する不信感。信用していない社会システムの型にはめられてしまうのを嫌い抵抗する事が出発点だ。同じく同世代の尾崎豊氏が歌に込めた感情に近いものがある。
その管理社会に対して異議を唱え、彼のアフリカ行きを好意的に評価する人々は保守右翼より左派に大勢いた。彼の著作を取り上げたメディアは朝日をはじめ保守からは左に見えるメディアばかりだった。そのため、高野氏は左にシンパシーを感じたものの、いざ直接左翼と相対すると強弁や説教臭さに拒絶反応を示すしかなかったのではないか。
したがって北朝鮮でのルポはまるで新興宗教の潜入取材のような様子であったし、社会党の選挙運動では党組織に対する不信感を露わにしていた。逆に左翼の運動家たちは彼の主義主張に掴みどころの無さを感じ批判する者も少なからずいた。
彼の言論活動は30歳くらいまでは確認できているが、現在は判らない。少しでも言論活動をしていればネットにヒットするものだが消息不明だ。もう足を洗ってしまったのか、あるいは違う筆名やハンドルネームで活動しているのか。
高野生氏には少年のようなイメージをいまだ持っているが、私と同い年なのでもう五十男になっているはずだ。どんな男になっているのか知りたいものである。相変わらずなのか、それとも普通のオッサンになっているのか。
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